Alway's  Smile


東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市の沖合で、

漂流していた家屋の屋根の上に乗っていたところを、第3管区海上保安部(横浜)

の救助隊に救出された犬が4日、名乗り出た飼い主の元に戻った。


この犬は震災発生から3週間後の1日、同市の沖合約2キロの海上で、

捜索活動を行っていた同保安部のヘリコプターに発見され救助艇で救助された。


犬は雌の2歳。体長約70センチで、名前は「バン」。


飼い主は自宅でニュース番組を見て、自分の犬だと分かったという。

保護先の動物愛護センターで愛犬と再会を果たした女性は、

「助かって本当にうれしい」と話し、バンも再会を喜んでいる様子だった。


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会えて本当に良かったね心
            

            

            

石原慎太郎都知事は3月29日の記者会見で

「桜が咲いたからといって、一杯飲んで歓談するような状況じゃない」

「夜間、明かりをつけての花見は自粛すべき」と発言。

太平洋戦争を引き合いに

「同胞の痛みを分かち合うことで初めて連帯感ができてくる」

「戦争の時はみんな自分を抑え、こらえた。戦には敗れたが、あの時の日本人の連帯感は美しい」

30日の集会では

「昼間だろうと花見で酒飲んでる時代じゃない。東京で花見なんかするわけには、絶対にいかない」

と語った。


‘天罰’発言にもがっかりしましたが、

お花見自粛令にもほとほとうんざりしてしまいました。


災害は戦争ではありません。

戦時中を例えに引き出すだなんて、おかしいです。


だいたい、終戦時に知事は小学校に入ったばかりの年齢だったはず。

「戦争の時はみんな自分を抑え、こらえた。戦には敗れたが、あの時の日本人の連帯感は美しい」

なんて、実感としてあったわけないのに。


ネットで検索してみましたが、戦時中でもお花見はあったらしいです。

今とは全然規模が違いますが、花見禁止令もなく、

配給されたお酒や、密造したお酒等を飲んだらしいです。


物書きでインテリな知事だって知っているんじゃないかな???


桜のお花見の歴史も調べてみたら、

履中天皇の時代で、履中3年(402年)11月に、

天皇と皇后が磐余の市磯池に舟を浮かべ宴を催されたとき、

その盃の中に、桜の花びらが入ったと記されており、これが最古の記述とのこと。


花見は古来、日本人が季節の移ろいを花に感じて、生きていることや自然に感謝することから

始まった行事といえます。


お花見は、ただのどんちゃん騒ぎではなく、日本人にとって意義のあるイベントなんです。


桜は儚い美しさの象徴とされており、それゆえに人々はその慣習に重きを置いています。

人々は自分自身の人生と重ね合わせ、自分の人生も桜と同様に短いことを実感します。

だからこそ私たちは日々の生活に感謝し、残された人生を大切にしていかなければならないと

思い知らされます。そういった哲学的なことを桜から教わるのです。


節電はいいと思うけれど、なんでもかんでも過度の自粛では、

日本経済は低迷・衰退するばかりで、日本が散ってしまいます。
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ベッドと同じSealyの枕を買いました♡


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私よりも、Sallyの方が気に入ったみたい。

寝心地は、もちろん最高ですLOVE

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新潟は母の故郷です。

母の兄夫婦(私にとって伯父と伯母)、その息子夫婦(従兄弟)、その子供達(姪)が住んでいます。

地震の被害は大して無かったとのことですが、

屋根瓦が一部落ちた→ その部分が雨漏りしたとのこと。

母が電話で「東京は物が無くてねー。スーパーにはお米も牛乳もないのよ。」と喋ったらしく、

ダンボール箱が2箱も届きましたキラキラ 

1箱は、ダンボール箱いっぱいに入ったコシヒカリ。

2箱目は、これまたいっぱいのお野菜。

畑で採れたものと、わざわざ買ってくれたものと混載してました。

大根、にんじん、きゅうり、もやし、玉ねぎ、ぜんまい、かぼちゃ、キャベツ、エノキダケ等・・・

とても、とても、ありがたいことですはーはーと

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最近、毎日通りかかる品川駅前。

昔は、‘パシフィックホテル’と呼ばれていました。

残念ながら、昨年の9月末日で閉館。

昭和の時代、子供の頃の思い出があるホテルです。


品川駅の目の前という最高の立地です。

壊さないで、そのままの姿です。


どこかに売却するのかしら・・・???


品川駅前という立地の良さと、病院へのアクセスも良いし・・・


赤坂プリンスみたいに、被災した方々に提供できないのかしら?

ただで提供するには、光熱費の負担が大きすぎるのかな???


節電で暗~い世の中。

目の前の第一京浜も、夜は真っ暗な通りです。

そこに、

無人で真っ暗な巨大ホテルがヌボーっと立っていて、

ちょっと、怖いです・・・、ムンクの叫び

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今月末日にて閉館し、解体することが決定しています。


赤坂で産まれ育った私にとって、自分の部屋から毎日眺め、

バブルの頃は、40Fにある‘トップ・オブ・赤坂’で飲んだり、

角部屋のスイート・ルームに泊まったりしていたので、

それだけに、思い出深くて・・・

華々しくオープンしたホテルだったので、寂しい最後だなーなんて思っていました


しかし、東京都を通じて東日本大震災の被災者の宿泊施設として一時提供すると発表しました

提供するのは新館(40階建て)の客室約700室やホールなどで、最大約1600人を

収容できるとのこと。

4月上旬からホテルの解体準備が始まる6月末までの3カ月間受け入れるのだそうです。

避難生活を余儀なくされている東京電力福島第1原発事故の周辺住民が対象だそうです。


地震が起こってから、いつも思っていたの。

東京都が用意した武道館や東京ビッグサイトや、味の素スタジアムとかね、

確かに大勢収容できる場所を、急遽用意して開放したんだろうけれど、

福島から東京まで避難してきて、

用意した避難場所に温かいお風呂や、温かい食事はあるのかしら・・・???って。

被災して、心身共に傷ついて、疲れているのだから、

とりあえず、温かいお風呂と温かい食事は絶対に必要だと思ってたの。


そんな折だったので、このニュースを聞いて、‘良かったー!!!’

って心底思いました。

ホテルの客室ならば、小さいながらもバスタブもあるし、トイレもある。

快適なベッド、そして何よりも、プライベートな空間が手に入るものね。

食事は厨房があるから、ボランティアの方とかが炊き出しして下さると良いなー。


‘赤プリやるじゃん!!!有終の美を飾って閉館できるね。’

       
            


毎日、毎日、洗脳されそうな勢いで、

ポポポポ~ン♪♪

頭の中をぐるぐると・・・

ポポポポ~ン♪♪


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みんなわかってるんだよ。

東北の被災地や避難所で避難生活を送られている方々から比べれば、

東京での不便な生活なんて、大したことないってこと。


でもね、コンビにもからっぽ。

スーパーマーケットは、どこにいっても信じられないほどの品薄状態。

牛乳と卵とお米は、どこにもない見当たらない・・・。。

ドラッグストアーだって、トイレットペーパー、ティッシュペーパー、生理用品、おむつ等

紙と言う紙全てが売っていない。

ガソリンスタンドは閉店。


政府がどんなに協力を呼びかけても・・・


品物が売っていないという不安。

毎日の余震。


誰もが経験した事もない恐怖心と不安が、どうしても拭えないんだと思う。


「備蓄米がたくさんありますよ」

「ガソリンの供給量も十分にありますよ」

だけではなくて、

もっと具体的に、例えば、

「〇月〇日位には、こうなる予定なので、皆さん、それまではこうして下さい。」

みたいな、もっと説得力ある説明と、安心感を与えてくれれば、

買占めも少しは落ち着くかもしれない。


しかし、私の住んでいる芝浦・港南地区は、

高層マンションが、ニョキニョキとたくさん聳え立っているから、

地震でエレベーターが止まると解っているしね・・・

買占めが止むのは難しいかも・・・涙
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港区役所に咲いていました。


311の東日本大震災から1週間が経ちました。


一見、平和そのものの昼下がり。

こんなに空が青くてきれいなのに、

大気中に放射線物質が放出されているなんて、信じられない。


コンビニの棚はからっぽ。

アイスクリームとガムとジュースくらいしか売っていません。

ミネラルウォーター、ヨーグルト、牛乳、納豆 etc・・・

ほとんど見当たりません。


日本はこれからどうなっちゃうんだろう???

とても不安です。

一日も早く平和な日常に戻って欲しいです。


世界中のみんなが幸せになりますように。