2004年12月 妊娠初期の身体の変化(まとめ)
妊婦によってこんなにも違うのかというくらい、症状には差があるというということを前置きした上で、自分の最初の4ヶ月を振り返ってみようと思う。
今思うと(これを書いている現在は臨月なのだが)、妊婦生活10ヶ月の中で初期が一番しんどかったように思う。
今は、お腹が大きいこと、それによって動作が制限されるなど、身体的な不自由からしんどいことが多いが、これはスポーツをした後の筋肉痛のような感じで、原因が明らかに分かっているので「ここが痛い」「眠い」「疲れた」という意識もしっかりしている。まぁいいかげん、妊婦生活に慣れたというのもあるだろうけど。
それに比べて初期は、もう毎日ホルモンがどわ~~~っと出て、身体が全力で変化しているというのを思いっきり実感する。
とにかく、普通ではないことはわかるけれど症状を説明する言葉がない。だるい、眠い。身体がほてったり、くらくらしたり。身体はまだ軽いのにしんどい。この時期に調子が悪くて病院に行って妊娠していることに気が付くという人も多いらしいが、本当に「調子が悪い」という言葉がピッタリだ。買い物に行くのもしんどかった。持久力は臨月の今に比べて若干あるけれど、あれはなんだろうねぇ。
あと、つわりのせいもあり、食に対してポジティブでなくなるので、楽しみも減ってトータルでエネルギーがダウンしていった感じ。って書くとなんか大げさかな。
でも、12月に入って「あれ?なんか今日は調子がいつもと違う。ん?なんかいいかも・・・」と久しぶりに食事を楽しめたときには、心から嬉しくなってばんざーい!と喜んだのを覚えている。
こういう時期は、ま、こういう時期に限らず辛い時期は、旦那の精神的な支えが本当に嬉しかった。しかし旦那もパーフェクトな人ではないので(もちろん私もだが)、たまたま仕事が立て込んでなかったこと、彼の精神状態が落ち着いていていて、不安定な私を受け入れる余裕があったことはラッキーだったかもしれない。(追記:実際ノロケではなく、旦那の仕事が忙しい時期や精神的に安定しないときもたまにあり、そんな時の喧嘩は妊婦の私には非常にキツく泥沼なんてもんじゃなかったことを補記しておこう)
ちなみに、写真は妊娠11週目の私のお腹。つわりで体重は3キロ減っていたけれど、もう体型がぜんぜん違う。旦那によると、水分が増えたというか、どんどんぷにぷに、柔らかくなっている感じなのだそう。人にもよるけれど、私の場合は妊娠3ヶ月目後半はズボン(正確にはお腹まわり)がきつくなり、4ヶ月目で初めてのマタニティー服を買った。
今思うと(これを書いている現在は臨月なのだが)、妊婦生活10ヶ月の中で初期が一番しんどかったように思う。
今は、お腹が大きいこと、それによって動作が制限されるなど、身体的な不自由からしんどいことが多いが、これはスポーツをした後の筋肉痛のような感じで、原因が明らかに分かっているので「ここが痛い」「眠い」「疲れた」という意識もしっかりしている。まぁいいかげん、妊婦生活に慣れたというのもあるだろうけど。
それに比べて初期は、もう毎日ホルモンがどわ~~~っと出て、身体が全力で変化しているというのを思いっきり実感する。
とにかく、普通ではないことはわかるけれど症状を説明する言葉がない。だるい、眠い。身体がほてったり、くらくらしたり。身体はまだ軽いのにしんどい。この時期に調子が悪くて病院に行って妊娠していることに気が付くという人も多いらしいが、本当に「調子が悪い」という言葉がピッタリだ。買い物に行くのもしんどかった。持久力は臨月の今に比べて若干あるけれど、あれはなんだろうねぇ。
あと、つわりのせいもあり、食に対してポジティブでなくなるので、楽しみも減ってトータルでエネルギーがダウンしていった感じ。って書くとなんか大げさかな。
でも、12月に入って「あれ?なんか今日は調子がいつもと違う。ん?なんかいいかも・・・」と久しぶりに食事を楽しめたときには、心から嬉しくなってばんざーい!と喜んだのを覚えている。
こういう時期は、ま、こういう時期に限らず辛い時期は、旦那の精神的な支えが本当に嬉しかった。しかし旦那もパーフェクトな人ではないので(もちろん私もだが)、たまたま仕事が立て込んでなかったこと、彼の精神状態が落ち着いていていて、不安定な私を受け入れる余裕があったことはラッキーだったかもしれない。(追記:実際ノロケではなく、旦那の仕事が忙しい時期や精神的に安定しないときもたまにあり、そんな時の喧嘩は妊婦の私には非常にキツく泥沼なんてもんじゃなかったことを補記しておこう)
ちなみに、写真は妊娠11週目の私のお腹。つわりで体重は3キロ減っていたけれど、もう体型がぜんぜん違う。旦那によると、水分が増えたというか、どんどんぷにぷに、柔らかくなっている感じなのだそう。人にもよるけれど、私の場合は妊娠3ヶ月目後半はズボン(正確にはお腹まわり)がきつくなり、4ヶ月目で初めてのマタニティー服を買った。
たまひよ
日本から宅急便が届いた。
中には、つわりで日本食が恋しいといった私の為に、母が買ってくれたもの・・・和菓子、おせんべい、佃煮、インスタントのカレー(←身体にいいのか?という疑問はさておき)等など。
実は、やはり臭いや味に敏感になっているため、インスタントもの、お菓子などもちょっとでも化学調味料など入っていると身体が受け付けないのだった。だが、やはり母の気持ちは有り難いし、なにより荷物を開けているときはとっても嬉しくて、同居人(旦那)も「こんなに嬉しそうにしている君を久しぶりに見たよ!」と喜んでくれた。
そんな中で意外にもヒットしたもの。
それはなんと雑誌の「たまごクラブ」!
特に興味があるわけではなかったけれど、日本の雑誌で適当にリクエストしたら入っていたのだ。
中身の内容云々はさておき、何がよかったかというと、その日本独特の明るさというか。妊婦=ファッションという感じで、妊婦を楽しむという感覚が満載されている。
今はインターネットで何でも情報収集できる時代とはいえ、オーストリアの地方で、妊婦友達もいなく、つわりとこれから冬になるという気候のせいもあってか、何となくどよ~んとしていた私。「たまひよ」に助けられたと書くと大げさだけど、気分はちょっと明るくなったような気がする。
ところで、離れたところで暮らしていると、日本では「普通」の感覚も時として「?」と驚くことがある。
今回の雑誌を見みての「?」
・旦那の表記はすべて「パパ」:慣れるとどうってことないけれど、なんか子供を介した関係になったようでさみしくもあり・・・って考え過ぎかな。
・同じく、おじいちゃん、おばあちゃんの表記は「じぃじ」と「ばぁば」:こんな風に統一されているなんて知らなかったよ!しかも「じぃじ」「ばぁば」なんて聞いたことないし。
・体重管理:の厳しいこと厳しいこと。「1ヶ月で2キロも太ってお医者に怒られました!」という話はもはや普通。なんかこの頃から、日本でさんざん味わったようなダイエット的ストレス感覚を思い出す私であった。 余談だが、別冊の「たまひよ妊娠大百科」は、期待していたよりも情報量が少なくてちょっと残念。どちらかというとトラブルの場合、妊婦にまつわる病気に関する大百科という感じで、これはこれで便利かもしれないけれど、病気をしていないのにわざわざ読む気にもならなかった(気も滅入るし)。
中には、つわりで日本食が恋しいといった私の為に、母が買ってくれたもの・・・和菓子、おせんべい、佃煮、インスタントのカレー(←身体にいいのか?という疑問はさておき)等など。
実は、やはり臭いや味に敏感になっているため、インスタントもの、お菓子などもちょっとでも化学調味料など入っていると身体が受け付けないのだった。だが、やはり母の気持ちは有り難いし、なにより荷物を開けているときはとっても嬉しくて、同居人(旦那)も「こんなに嬉しそうにしている君を久しぶりに見たよ!」と喜んでくれた。
そんな中で意外にもヒットしたもの。
それはなんと雑誌の「たまごクラブ」!
特に興味があるわけではなかったけれど、日本の雑誌で適当にリクエストしたら入っていたのだ。
中身の内容云々はさておき、何がよかったかというと、その日本独特の明るさというか。妊婦=ファッションという感じで、妊婦を楽しむという感覚が満載されている。
今はインターネットで何でも情報収集できる時代とはいえ、オーストリアの地方で、妊婦友達もいなく、つわりとこれから冬になるという気候のせいもあってか、何となくどよ~んとしていた私。「たまひよ」に助けられたと書くと大げさだけど、気分はちょっと明るくなったような気がする。
ところで、離れたところで暮らしていると、日本では「普通」の感覚も時として「?」と驚くことがある。
今回の雑誌を見みての「?」
・旦那の表記はすべて「パパ」:慣れるとどうってことないけれど、なんか子供を介した関係になったようでさみしくもあり・・・って考え過ぎかな。
・同じく、おじいちゃん、おばあちゃんの表記は「じぃじ」と「ばぁば」:こんな風に統一されているなんて知らなかったよ!しかも「じぃじ」「ばぁば」なんて聞いたことないし。
・体重管理:の厳しいこと厳しいこと。「1ヶ月で2キロも太ってお医者に怒られました!」という話はもはや普通。なんかこの頃から、日本でさんざん味わったようなダイエット的ストレス感覚を思い出す私であった。 余談だが、別冊の「たまひよ妊娠大百科」は、期待していたよりも情報量が少なくてちょっと残念。どちらかというとトラブルの場合、妊婦にまつわる病気に関する大百科という感じで、これはこれで便利かもしれないけれど、病気をしていないのにわざわざ読む気にもならなかった(気も滅入るし)。
お医者さん・産院探し
そして生理が来ない。
来ないけれど、2、3日遅れることは普段でもあり得るので、最低1週間は待つことにしてみた。
「妊娠検査薬で調べてみようか」と、待ちきれない私は提案したけれど、「どうせ病院に行くつもりでしょ。そこで調べてもらえばいいじゃないか」と現実的な旦那。そう、妊娠検査薬は高いのだ!
ところで、どこの病院に行くのか。リンツに引っ越ししたばかりの私達には何も情報がない。かといって、今の段階でどこの産院がいいか周りに聞くのは早すぎるような気がして憚られた。
そこで、そんなときはとりあえずインターネット。調べてみると、何件かお産を扱っている病院がヒット。この中から良さげな病院をピックアップして見学すればいいのだ。病院のホームページからBarmherzige Brueder Linzが好感度が高かったので、早速見学に行く。旦那は仕事が忙しいので私一人。
これが今考えてみると間違っていた(一人で行くのが)が、もともと病院嫌いな私は、その綺麗なホームページとは似ても似つかぬ病院の外観にまずおののいた。
そして玄関入って、ポルティエのおじさんに聞く。「あの、産婦人科はどこですか?」
するとそのおじさん、めちゃくちゃ感じ悪いではないか!アゴで「あそこの3階」とエレベーターを指すのみ。そしてその玄関もお世辞にも決して綺麗とは言えなかった。
薄暗い雰囲気。チカチカする蛍光灯。カルーテルをひきずったまま歩く病人、生気のない患者達、ご老人。消毒の臭い。なんか第6感もザワザワし始めている。
そう、その病院は、私の嫌な「病院に対するイメージ」をすべて兼ね揃えていたのであった。そういや天気も雨で、なんだか病院巡りには向かない日だったのかもしれない。
3階に着く前に精神的に疲労困憊。と書くと大げさだけど、結果的に産婦人科のところを見ても特に印象は変わらなかった。思ったことは「この病院は嫌だ~!」
旦那に報告すると、「じゃぁ、とりあえずAKH(総合病院)に電話してみようっか。産院なんて、いざとなればどこにでも変えられるし」ということでAKHに電話。
すると「最初は個人医について下さい。お産が近くなったらご連絡下さい」とアッサリ却下。そう、オーストリアでは「最初は個人医→個人医の紹介で病院(もちろん例外もいっぱいありますが)」が一般的なのだった。オーストリア人でもそんなことを知らない旦那にちょっと親近感(?)を覚えた私であった(笑)。
ところで、その頃の旦那は仕事が忙しく、かつあまり協力的でなかったので「個人医くらい自分で探しなよ」と突き放されてしまった。
オーストリア人と結婚してオーストリアに住むことを決意したのは私。なんでもかんでも旦那に頼ってはいけないのだとわかっていても、電話嫌いな私は、この「全くの赤の他人に電話をかける」ということがいつまでたっても苦手だ。いつかは克服しなくてはならないのだけど。
さて、ズラズラと電話帳に並んだお医者さんの名前を見ても、当たり前だが「どこがいい」とピンと来るわけがない。仕方がない。またもインターネットで検索すると、一番目にヒットしたお医者さんのページがとても充実していて、なおかつ写真のお顔が優しそう。しかもサイト上で予約受け付けもできるではないか!電話嫌いな私は、早速、予約を申し込んでおいた。
ところが1日経っても2日経ってもウンともスンとも言わないので、やはり電話することに。旦那は「それくらい自分でしなさい」と言い放つので、私が電話。
「あの、妊娠したかもしれないんですけれど、予約は取れますか?」
「そうねぇ、一番早いところで2週間後の○○日になるけれど、いいかしら?」
いいかしらって言われても・・・2週間待ちかい!と私がオロオロしていると、旦那が受話器を取り上げた。
「妊娠したら、少しでも早く受診してもらった方がいいと聞いたのですが」
「それもそうね・・・、じゃ、今日の午後は空いてますか?」
と、いきなりその日に診察時間が取れたのだ。やっぱり母国語の人は機転がきくなぁ。
ところで、その後別のお医者さんについた私の経験からすると、「良いお医者さん」の定義は本当に難しい。人間対人間の相性の問題もあるので、一概にも「私にいいお医者ん」が他人にとって良いかどうかは言えないのだ。もちろん基本的にヤブ医者は避けたいとこだが。
それでも、全く知識がなく、近所のヤブ医者に飛び込むよりかは、口コミでも何でもいいから情報を得たいときがある。
そんな時は
・生理が不順だからとか、子宮に異常を感じる等、妊娠以外の目的でお医者さんを探していることにして、周りに聞く。
・とにかく病院を周り、「ここで産みたい!」という雰囲気の病院を一応決め、そこの担当医の個人診療室で診てもらう(こちらでは、病院に勤務しているお医者さんも、週に何回か個人医として診療所を開いていることがある)
のが無難ではないだろうか。
来ないけれど、2、3日遅れることは普段でもあり得るので、最低1週間は待つことにしてみた。
「妊娠検査薬で調べてみようか」と、待ちきれない私は提案したけれど、「どうせ病院に行くつもりでしょ。そこで調べてもらえばいいじゃないか」と現実的な旦那。そう、妊娠検査薬は高いのだ!
ところで、どこの病院に行くのか。リンツに引っ越ししたばかりの私達には何も情報がない。かといって、今の段階でどこの産院がいいか周りに聞くのは早すぎるような気がして憚られた。
そこで、そんなときはとりあえずインターネット。調べてみると、何件かお産を扱っている病院がヒット。この中から良さげな病院をピックアップして見学すればいいのだ。病院のホームページからBarmherzige Brueder Linzが好感度が高かったので、早速見学に行く。旦那は仕事が忙しいので私一人。
これが今考えてみると間違っていた(一人で行くのが)が、もともと病院嫌いな私は、その綺麗なホームページとは似ても似つかぬ病院の外観にまずおののいた。
そして玄関入って、ポルティエのおじさんに聞く。「あの、産婦人科はどこですか?」
するとそのおじさん、めちゃくちゃ感じ悪いではないか!アゴで「あそこの3階」とエレベーターを指すのみ。そしてその玄関もお世辞にも決して綺麗とは言えなかった。
薄暗い雰囲気。チカチカする蛍光灯。カルーテルをひきずったまま歩く病人、生気のない患者達、ご老人。消毒の臭い。なんか第6感もザワザワし始めている。
そう、その病院は、私の嫌な「病院に対するイメージ」をすべて兼ね揃えていたのであった。そういや天気も雨で、なんだか病院巡りには向かない日だったのかもしれない。
3階に着く前に精神的に疲労困憊。と書くと大げさだけど、結果的に産婦人科のところを見ても特に印象は変わらなかった。思ったことは「この病院は嫌だ~!」
旦那に報告すると、「じゃぁ、とりあえずAKH(総合病院)に電話してみようっか。産院なんて、いざとなればどこにでも変えられるし」ということでAKHに電話。
すると「最初は個人医について下さい。お産が近くなったらご連絡下さい」とアッサリ却下。そう、オーストリアでは「最初は個人医→個人医の紹介で病院(もちろん例外もいっぱいありますが)」が一般的なのだった。オーストリア人でもそんなことを知らない旦那にちょっと親近感(?)を覚えた私であった(笑)。
ところで、その頃の旦那は仕事が忙しく、かつあまり協力的でなかったので「個人医くらい自分で探しなよ」と突き放されてしまった。
オーストリア人と結婚してオーストリアに住むことを決意したのは私。なんでもかんでも旦那に頼ってはいけないのだとわかっていても、電話嫌いな私は、この「全くの赤の他人に電話をかける」ということがいつまでたっても苦手だ。いつかは克服しなくてはならないのだけど。
さて、ズラズラと電話帳に並んだお医者さんの名前を見ても、当たり前だが「どこがいい」とピンと来るわけがない。仕方がない。またもインターネットで検索すると、一番目にヒットしたお医者さんのページがとても充実していて、なおかつ写真のお顔が優しそう。しかもサイト上で予約受け付けもできるではないか!電話嫌いな私は、早速、予約を申し込んでおいた。
ところが1日経っても2日経ってもウンともスンとも言わないので、やはり電話することに。旦那は「それくらい自分でしなさい」と言い放つので、私が電話。
「あの、妊娠したかもしれないんですけれど、予約は取れますか?」
「そうねぇ、一番早いところで2週間後の○○日になるけれど、いいかしら?」
いいかしらって言われても・・・2週間待ちかい!と私がオロオロしていると、旦那が受話器を取り上げた。
「妊娠したら、少しでも早く受診してもらった方がいいと聞いたのですが」
「それもそうね・・・、じゃ、今日の午後は空いてますか?」
と、いきなりその日に診察時間が取れたのだ。やっぱり母国語の人は機転がきくなぁ。
ところで、その後別のお医者さんについた私の経験からすると、「良いお医者さん」の定義は本当に難しい。人間対人間の相性の問題もあるので、一概にも「私にいいお医者ん」が他人にとって良いかどうかは言えないのだ。もちろん基本的にヤブ医者は避けたいとこだが。
それでも、全く知識がなく、近所のヤブ医者に飛び込むよりかは、口コミでも何でもいいから情報を得たいときがある。
そんな時は
・生理が不順だからとか、子宮に異常を感じる等、妊娠以外の目的でお医者さんを探していることにして、周りに聞く。
・とにかく病院を周り、「ここで産みたい!」という雰囲気の病院を一応決め、そこの担当医の個人診療室で診てもらう(こちらでは、病院に勤務しているお医者さんも、週に何回か個人医として診療所を開いていることがある)
のが無難ではないだろうか。
妊婦の悩み その後
ところで、つい先日まで魔のように頭からはなれなかった「もしも赤ちゃんが・・・」騒動。なんとかピークは去ったみたいである。
というのも、先日も書いたが、「家族すべての健康が大切」と思ったとき、もうこれ以上考えても考えきれない、心配してもしきれない境地に達した感があるのだ。家族全員が健康で、一度も手術をしたことがなく・・・なんて人は世の中に一体どれくらいいるのだろう。
私の家族も健康体の部類に入るけれど、それでもチョコチョコと何かはある。もう、こういうことは避けられないのだ、と感じたとき、ちょっと覚悟みたいのができたとでもいうのかな。
産まれてくる赤ちゃんもそう、旦那様になる同居人もそう、家族が増えるということは、それだけ大事なものが増えるということだ。今まで、どこかで「自分さえよければ・・・」という気持ちがあったのは否めない。
それを彼に伝えたら、「僕もそう思うよ。家族が増えるということは、責任が増えるってことだよね」と。
そんなわけで、無駄にずっと不安になることもなくなってきた。これもきっと必要なことだったんだと、今になって思う。
というのも、先日も書いたが、「家族すべての健康が大切」と思ったとき、もうこれ以上考えても考えきれない、心配してもしきれない境地に達した感があるのだ。家族全員が健康で、一度も手術をしたことがなく・・・なんて人は世の中に一体どれくらいいるのだろう。
私の家族も健康体の部類に入るけれど、それでもチョコチョコと何かはある。もう、こういうことは避けられないのだ、と感じたとき、ちょっと覚悟みたいのができたとでもいうのかな。
産まれてくる赤ちゃんもそう、旦那様になる同居人もそう、家族が増えるということは、それだけ大事なものが増えるということだ。今まで、どこかで「自分さえよければ・・・」という気持ちがあったのは否めない。
それを彼に伝えたら、「僕もそう思うよ。家族が増えるということは、責任が増えるってことだよね」と。
そんなわけで、無駄にずっと不安になることもなくなってきた。これもきっと必要なことだったんだと、今になって思う。
妊婦の悩み
昨日からちょっと落ち込んでいる。
お医者さんが予想外にも「ネコちゃんには気をつけて」と神経質な対応したこともその原因だが、もう一つは同居人の発言がずっと頭にひっかかっているのだ。
かなり前、私がまだ妊娠する以前の頃だが、会話が「子供がもし健常者じゃなかったら・・・」というテーマになったことがある。
もちろん、産まれてくる子供が無事に健康であってほしい、というのは、すべての妊婦に共通する願いではないだろうか。
だが最近は、産まれる前に胎児が健常者かどうか分かるようになっていて、もしも・・・の場合は?という話になったのだ。
彼は「自分はそういう子供は望まない」とキッパリ言った。「その子を育てていくエネルギーで、多分2人も3人もの子供を育てられるよ」。
そして、「君は?」と聞かれて、即答できない自分がいた。
彼は男である。赤ちゃんが産まれる瞬間まで、父性を感じることがないかもしれない。いや、あの時の議論は、二人ともまだ実際に、自分達の赤ちゃんができることすら想像できなかった頃だから、想像上の議論にすぎなかったといえばそうかもしれない。
でも赤ちゃんが「健常者かどうか」が分かる頃は、赤ちゃんは既に私のおなかの中で何か月もいるのだ。それを既に想像できる自分がいた。だから「もしも・・・」のことがあって、頭で「望まない」と思っていても、実際には結論を出すまでに葛藤するであろうことは想像に難くなかった。だから、即答できなかったのだ。
同居人は、即答できない私にちょっとイライラしていた。「なんで?なんで私が妊娠してもいないのに、そんな議論しなきゃいけないの?」と言うと「だってね、これは僕の中でハッキリ出ている結論なんだ。もしものことがあったときに、そこではじめて君と意見がかち合うのは嫌だよ」。
私はその議論に吐き気を覚え、それはそこで終わった。けれど、それ以来、「健常者」「障害者」というテーマが頭からこびりついて離れなくなった。テレビを見ても、新聞を見ても、インターネットを見ても、その言葉がすぐ目に入ってくる。そして、ぐるぐるまわる不安から逃げられない。
自分がこんなことを思うとますます胎児に悪いと思えば思うほど、そこから思考が抜け出せないで、今日、ついに泣いてしまった。
「あなたが、あんなこと言ったから!それって、あなたが事故にでもあって普通に生活ができなくなったら離婚しましょ、って言っているのと一緒だよ。そんなこと、頭で想像して今結論出せって言われても出せない!」と泣きながら訴える私。
訴えながら思った。ああ、そうだ。たとえ赤ちゃんが無事に産まれて来たとしても、その後、何一つ問題なく成長できると誰が保証できるだろう?病気になるかもしれない、手術するかもしれない、事故にあうかもしれない、精神的な病気になるかもしれない・・・
そんなことを思ったら、生きて行くことの重み(?)にめまいがした。それは赤ちゃんだけではないのだ。これから夫になる彼もそう。家族が増えれば、大事な人が増えれば増えるほど、亡くしたくないものが増え、心配ごとも増えるものなのだ。
そう思ったときに何か吹っ切れた自分がいた。彼も「あんなこと言ってごめんね」と言ってくれた。別に彼が悪かったわけでもないのに、私を気遣ってくれたのだろう。
「実は、僕は、今の赤ちゃんの心配よりも、君が妊娠できるかどうかの方が心配だったんだ。ほら、今って妊娠で苦労している人が多いし・・。だから、君が妊娠してからは、実は一度も心配したことないよ。これはカンで思うんだ」と言ってくれて、ホッとした。
もちろん、結果はわからないけれど・・・そして、まだ赤ちゃんを含め。家族というものを持っていない私は(彼は半ば家族のようなものだけど)、その心配事より家族を持つ喜びの方がどれだけ大きいか、まだ実感していない。あぁ、でも実感できるように頑張らなきゃ!と思ったのだった。
お医者さんが予想外にも「ネコちゃんには気をつけて」と神経質な対応したこともその原因だが、もう一つは同居人の発言がずっと頭にひっかかっているのだ。
かなり前、私がまだ妊娠する以前の頃だが、会話が「子供がもし健常者じゃなかったら・・・」というテーマになったことがある。
もちろん、産まれてくる子供が無事に健康であってほしい、というのは、すべての妊婦に共通する願いではないだろうか。
だが最近は、産まれる前に胎児が健常者かどうか分かるようになっていて、もしも・・・の場合は?という話になったのだ。
彼は「自分はそういう子供は望まない」とキッパリ言った。「その子を育てていくエネルギーで、多分2人も3人もの子供を育てられるよ」。
そして、「君は?」と聞かれて、即答できない自分がいた。
彼は男である。赤ちゃんが産まれる瞬間まで、父性を感じることがないかもしれない。いや、あの時の議論は、二人ともまだ実際に、自分達の赤ちゃんができることすら想像できなかった頃だから、想像上の議論にすぎなかったといえばそうかもしれない。
でも赤ちゃんが「健常者かどうか」が分かる頃は、赤ちゃんは既に私のおなかの中で何か月もいるのだ。それを既に想像できる自分がいた。だから「もしも・・・」のことがあって、頭で「望まない」と思っていても、実際には結論を出すまでに葛藤するであろうことは想像に難くなかった。だから、即答できなかったのだ。
同居人は、即答できない私にちょっとイライラしていた。「なんで?なんで私が妊娠してもいないのに、そんな議論しなきゃいけないの?」と言うと「だってね、これは僕の中でハッキリ出ている結論なんだ。もしものことがあったときに、そこではじめて君と意見がかち合うのは嫌だよ」。
私はその議論に吐き気を覚え、それはそこで終わった。けれど、それ以来、「健常者」「障害者」というテーマが頭からこびりついて離れなくなった。テレビを見ても、新聞を見ても、インターネットを見ても、その言葉がすぐ目に入ってくる。そして、ぐるぐるまわる不安から逃げられない。
自分がこんなことを思うとますます胎児に悪いと思えば思うほど、そこから思考が抜け出せないで、今日、ついに泣いてしまった。
「あなたが、あんなこと言ったから!それって、あなたが事故にでもあって普通に生活ができなくなったら離婚しましょ、って言っているのと一緒だよ。そんなこと、頭で想像して今結論出せって言われても出せない!」と泣きながら訴える私。
訴えながら思った。ああ、そうだ。たとえ赤ちゃんが無事に産まれて来たとしても、その後、何一つ問題なく成長できると誰が保証できるだろう?病気になるかもしれない、手術するかもしれない、事故にあうかもしれない、精神的な病気になるかもしれない・・・
そんなことを思ったら、生きて行くことの重み(?)にめまいがした。それは赤ちゃんだけではないのだ。これから夫になる彼もそう。家族が増えれば、大事な人が増えれば増えるほど、亡くしたくないものが増え、心配ごとも増えるものなのだ。
そう思ったときに何か吹っ切れた自分がいた。彼も「あんなこと言ってごめんね」と言ってくれた。別に彼が悪かったわけでもないのに、私を気遣ってくれたのだろう。
「実は、僕は、今の赤ちゃんの心配よりも、君が妊娠できるかどうかの方が心配だったんだ。ほら、今って妊娠で苦労している人が多いし・・。だから、君が妊娠してからは、実は一度も心配したことないよ。これはカンで思うんだ」と言ってくれて、ホッとした。
もちろん、結果はわからないけれど・・・そして、まだ赤ちゃんを含め。家族というものを持っていない私は(彼は半ば家族のようなものだけど)、その心配事より家族を持つ喜びの方がどれだけ大きいか、まだ実感していない。あぁ、でも実感できるように頑張らなきゃ!と思ったのだった。