自分の怒りを見つめる② | ★頑固で石頭*Black無糖のカレ vs そんなカレに恋したワタシ★

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あづきの日常★★独り言★★恋愛★★南米Blackアールとの恋の軌跡を主に綴ります。

※児童虐待、性虐待に少し近い話、自死という単語も出てくるので

 傷を抱えている方は、これ以上読まないでください。

 

そうそう、この記事で書いた↑

元夫の両親と母の対面、結婚(入籍)の挨拶の席でのこと。


子どもを産むとは聞いたが

結婚するとは聞いてない


と盛大に驚いた母であったが


その席で、元夫のご両親に

「こんな性悪女で、いいんですか?」

と言い放ったのには

私の方が、盛大に驚いた。


再びドン引きしていたご両親と元夫であった。


なんか、私に恥をかかせたいと思ってるに違いない、、、と思いました。



 

お母さんのことで何が嫌だったのか、

何が許せなかったのか、

 

紙に書きだしてもいいから

 

「本人にぶつけろ」という意味でなく 

一度とことん吐き出してみて

 

霊視鑑定で、まゆみさんにそう言われた。

 『初めての霊視鑑定1』とりあえずは霊が憑いてるって言われなくてよかったです。椿さんの紹介の霊視が先ほど終わったばかり。時間がないので、少しだけ書きます。のっけから涙でちゃった。話し…リンクameblo.jp

 

 

そんなもん、色々ありすぎるわ…とワンサカ思い出してみた中で


これだけは笑い話に出来ない

どうしても許せない

と思ったことは、みっつほどある。


 

 

●ひとつめ。

仕事をしていない専業主婦だったが、ハチャメチャで男優先の生活をしていたということを、すっかり棚にあげて、

 

「自分の子育て時代は食品添加物を使ったりせずに、

マヨネーズなどもすべて手作りのものを子ども達に食べさせていた、

服や園バッグなども手作りしていた・・・」と、

子育て人生を図々しいほど美化して語りだすこと

(実際に、ケーキ、マヨネーズ、セーター、園バッグを手作りしたことは、ある。長姉が小さかった一時期ドはまりしたらしい。次姉が生まれた後は、そのマイブームはあっさり去っていた。)

 

 

●ふたつめ。

そんな母であるが、、、私が初めての彼氏ができた頃から私のことをなぜか「性悪女」と呼び、

セックスができないために、2か月以内に別れてしまう私のことを

「次から次へと彼氏を変えて、相手がかわいそう」と言い、

そして、こともあろうに自分のことを「品行方正でマジメなカタブツタイプ」とのたまうこと。

 

 

 

●そして、みっつめ。

 

次姉を巻き込んで、傷つけたこと。

 

母が人生で一番ハマった男性Aがいる。

私が小6の頃から24才くらいの間家にいたバツイチ男性で、母とは別の女性とずっと二股だったが、母を捨ててその女性と結婚するまで、我が家に住んでいた。

そのAが、当時中学生だった次姉に手を出したことがある。

 

次姉は、「Aは母の知人だけど、自分に会うために家にせっせと通ってきている」と思っていた。周りは、もちろん、Aは母の恋人だと思っていたのだが。

 

Aは次姉と母のふたりを、数年かけて二股かけていた。


次姉が中2から高3くらいまでの、長い期間の話である。

 

 

そのことが発覚してAは我が家を出禁になり、家に来るのは二番手だった男性Bに変わった。

我が家を出禁になったあと、Aは、次姉を迎えによく、私と次姉が通う高校にきていて、次姉とAは親に隠れてこっそりと続いていた。

 

が、しかしその後、母がになり(のちの摘出で良性であった)、精神的な支えが欲しくなった母は、Aと再び連絡を取りはじめて、男性Bはあっさり二番手に降格。(それから10数年後にBは自死で亡くなった。)

母の癌騒ぎに乗じて、Aはまた我が家に入り浸るようになり、次姉は、母の方をとったAから、捨てられた。

私は、毎日自分の部屋でひとりでワンワン泣いていた次姉を慰めた。

 

よりが戻った母とAは、次姉の前で、それまでのように変わらず過ごしていた。

 

 

その頃は、他の妙な下宿人や転がり込んできた人間も、入れ替わり立ち替わり住み着いており、私は身の危険を感じることもあったために、ほぼホームレスとなった。

友人の家や、廃墟のような空き家や空きビルなどに身を寄せた。

結局、別の危険に晒されることとなっただけだったが。

 

 

私はこの時、15才だったけど

その次姉の件以来、母のことを決定的に許せていないのだと思う。

 

 

自分自身が傷ついて刺さった矢と

最も大切な人が踏みにじられたと感じて傷つき刺さった矢。

 

後者の矢による傷は、少し厄介だな、と思う。

 

 

 

当事者である次姉の方が、母とは心理的な距離を置きつつ、既に怒りなどを持たない境地に達観していて(そうせざるを得なくて)、穏やかな関係を築いているように見える。

 

 

しかしその次姉も、過去のことで今でも苦しいと語るのは

妹である小さかった私がお腹を空かせていて泣いているのに

何も食べさせてあげられなかったことで

 

自分の子ども時代の苦労話ではプンプン怒るが、私の子ども時代の話になると、途端に涙を流す。

 

 

私も自分の子ども時代のことや、同じ親になった立場から母がしたこと(又はしなかったこと)を考えると、プンプン怒ってしまうのだが

 

母とAが、当時まだ中高生だった次姉にした仕打ちと、実家でのあの歪つな日々を思い出すと



息ができないくらいに腹が立ち、涙が滲んでくるのである。