※児童虐待、性虐待に少し近い話、自死という単語も出てくるので
傷を抱えている方は、これ以上読まないでください。
そうそう、この記事で書いた↑
元夫の両親と母の対面、結婚(入籍)の挨拶の席でのこと。
子どもを産むとは聞いたが
結婚するとは聞いてない
と盛大に驚いた母であったが
その席で、元夫のご両親に
「こんな性悪女で、いいんですか?」
と言い放ったのには
私の方が、盛大に驚いた。
再びドン引きしていたご両親と元夫であった。
なんか、私に恥をかかせたいと思ってるに違いない、、、と思いました。
お母さんのことで何が嫌だったのか、
何が許せなかったのか、
紙に書きだしてもいいから
「本人にぶつけろ」という意味でなく
一度とことん吐き出してみて
霊視鑑定で、まゆみさんにそう言われた。
そんなもん、色々ありすぎるわ…とワンサカ思い出してみた中で
これだけは笑い話に出来ない
どうしても許せない
と思ったことは、みっつほどある。
●ひとつめ。
仕事をしていない専業主婦だったが、ハチャメチャで男優先の生活をしていたということを、すっかり棚にあげて、
「自分の子育て時代は食品添加物を使ったりせずに、
マヨネーズなどもすべて手作りのものを子ども達に食べさせていた、
服や園バッグなども手作りしていた・・・」と、
子育て人生を図々しいほど美化して語りだすこと。
(実際に、ケーキ、マヨネーズ、セーター、園バッグを手作りしたことは、ある。長姉が小さかった一時期ドはまりしたらしい。次姉が生まれた後は、そのマイブームはあっさり去っていた。)
●ふたつめ。
そんな母であるが、、、私が初めての彼氏ができた頃から私のことをなぜか「性悪女」と呼び、
セックスができないために、2か月以内に別れてしまう私のことを
「次から次へと彼氏を変えて、相手がかわいそう」と言い、
そして、こともあろうに自分のことを「品行方正でマジメなカタブツタイプ」とのたまうこと。
●そして、みっつめ。
次姉を巻き込んで、傷つけたこと。
母が人生で一番ハマった男性Aがいる。
私が小6の頃から24才くらいの間家にいたバツイチ男性で、母とは別の女性とずっと二股だったが、母を捨ててその女性と結婚するまで、我が家に住んでいた。
そのAが、当時中学生だった次姉に手を出したことがある。
次姉は、「Aは母の知人だけど、自分に会うために家にせっせと通ってきている」と思っていた。周りは、もちろん、Aは母の恋人だと思っていたのだが。
Aは次姉と母のふたりを、数年かけて二股かけていた。
次姉が中2から高3くらいまでの、長い期間の話である。
そのことが発覚してAは我が家を出禁になり、家に来るのは二番手だった男性Bに変わった。
我が家を出禁になったあと、Aは、次姉を迎えによく、私と次姉が通う高校にきていて、次姉とAは親に隠れてこっそりと続いていた。
が、しかしその後、母が癌になり(のちの摘出で良性であった)、精神的な支えが欲しくなった母は、Aと再び連絡を取りはじめて、男性Bはあっさり二番手に降格。(それから10数年後にBは自死で亡くなった。)
母の癌騒ぎに乗じて、Aはまた我が家に入り浸るようになり、次姉は、母の方をとったAから、捨てられた。
私は、毎日自分の部屋でひとりでワンワン泣いていた次姉を慰めた。
よりが戻った母とAは、次姉の前で、それまでのように変わらず過ごしていた。
その頃は、他の妙な下宿人や転がり込んできた人間も、入れ替わり立ち替わり住み着いており、私は身の危険を感じることもあったために、ほぼホームレスとなった。
友人の家や、廃墟のような空き家や空きビルなどに身を寄せた。
結局、別の危険に晒されることとなっただけだったが。
私はこの時、15才だったけど
その次姉の件以来、母のことを決定的に許せていないのだと思う。
自分自身が傷ついて刺さった矢と
最も大切な人が踏みにじられたと感じて傷つき刺さった矢。
後者の矢による傷は、少し厄介だな、と思う。
当事者である次姉の方が、母とは心理的な距離を置きつつ、既に怒りなどを持たない境地に達観していて(そうせざるを得なくて)、穏やかな関係を築いているように見える。
しかしその次姉も、過去のことで今でも苦しいと語るのは
妹である小さかった私がお腹を空かせていて泣いているのに
何も食べさせてあげられなかったことで
自分の子ども時代の苦労話ではプンプン怒るが、私の子ども時代の話になると、途端に涙を流す。
私も自分の子ども時代のことや、同じ親になった立場から母がしたこと(又はしなかったこと)を考えると、プンプン怒ってしまうのだが
母とAが、当時まだ中高生だった次姉にした仕打ちと、実家でのあの歪つな日々を思い出すと
息ができないくらいに腹が立ち、涙が滲んでくるのである。