1年とちょっとぶりで、またエマニュエル・パユ のフルートを聴いてきたのですね。

こたびの「Program Notes」にはこんなことが書いてありました。

世界的に注目を浴びるCDをリリースして、そこに収められた曲を目玉にすえたプログラムでツアーを行う。・・・まるでポップスのスターみたいな話だが、そんな華麗な芸当がクラシックの世界で許される限られたプレーヤーのひとりがエマニュエル・パユともいえよう。

・・・なんだそうです。

業界事情(?)にあんまりアンテナを張っておらないものですから知りませんでしたけれど、

要するにCDの最新盤「ファンタジー~オペラ座の夜」なるものの販促ツアーかと思ったり。

なにしろ今回のリサイタルのタイトルは「華麗なるオペラ・ファンタジー」だったものですから。


エマニュエル・パユ「華麗なるオペラ・ファンタジー」


とまあ、のっけから揶揄ってる感ありですが、

そんなことはともかくとして、音楽を生で聴くお楽しみ此処に極まれり!てな感じでしたねえ。


会場の東京オペラシティ・コンサートホールはオーケストラの演奏会を始め度々足を運んでいて

フルート一本にはいささかでかいよなぁと思ったんですが、

およそ気になることは全くなしと言ってもよろしかと。

(もちろん、も少しこぢんまりが望ましいとは思いますが…)


煌びやかで華々しいイメージのあるフルートの音色ですけれど、

パユの出す音と言えば、そんなイメージでは語れないほどに、

太いというのか幅広いというのか、厚いというのか。


それでさらに陰といいますか、翳りも含むものですから(ただとことんドライですが)、

時に尺八のよう(というのは容易に想像しうるところながら)に、

時にはサクソフォンのようにさえ思えてしまうところなのですね。


でもって、プログラムの最後に置かれた「カルメン・ファンタジー」に至ってようやっと

「ああ、マリア・カラスの声なんだ」と気が付いたのでありました。


カラスの声は一度聴いたら忘れられない「えぐみ」のようなものがありまして、

逆に、だからこそくせになるみたいなところがあるのではないかと。

例えが適切かどうは別として、「カルメン・ファンタジー」で気付くあたり近似性はあるのかも…。


しっかしまあ、オペラのメロディによるパラフレーズなだけに技巧的な見せ場もふんだんで、

「すっげえなあ…」と思うこともしばし。


ではあるものの、オペラのメロディというのが元々かなり濃厚(!)であって、

それのいいとこを取り出してアレンジすると、ともすれば「濃過ぎて、濃過ぎて」ともなりがちなんですね。


それが幸いにもフルート一本(ピアノ伴奏はあるにしても)ですから、

なんとかほどほど度合いが保たれてるという気はいたしました。

これが先に発売されているCDではオケ伴ですので、

どんなふうになっているのか気になるところではあります。


ところで、元々濃厚といったオペラのメロディをさらっと素敵に聴かせてくれる

ちょうどいいCDがあったのですけれど。

ネヴィル・マリナー指揮のアカデミー室内管による、その名も「オペラ・ファンタジー」なる一枚。

中古CDショップで見かけましたら、ぜひお試しください。

(って、そうは見かけませんよね、きっと…)

竹久夢二美術館 に行くにあたっては、場所が東大のすぐ裏だしなぁと思い、
それでは東京大学総合研究博物館では何をやってるのかな?と検索したところ、
「うおぉ、これは?!」という代物に出くわしたのですね。


さりながらよく見れば、この「うぉ!」という展示は同館の小石川分館とやらで開催中ということで、
いささか離れてるわけですが、会期が9月25日までとあって、
気付いてしまったからには(本館の方の鰻の研究展示をさておいても)行かねばならぬと言う次第。


ということで、弥生町からてくてく歩いて小石川分館を目指したのでありました。
その目指したもの、それが「BIOMECANICA 河口洋一郎の異形博物誌」展であります。


「BIOMECANICA 河口洋一郎の異形博物誌」展@東京大学総合研究博物館小石川分館


なんでも河口洋一郎さんというのは、東大の先生ですけれど
「コンピュータ・グラフィックスの分野において世界的に高い評価を得」ている方らしいのですね。
でもって「昨今ではCGで作ったイメージを基に、意欲的に立体造形の制作も行ってい」るのだそうで。
その成果がこの展覧会というわけなのでありましょう。


先の台風で手酷く被害を受けたせいか臨時休園中であった東大小石川植物園の、

その一角にある会場に到着して、まず「うぉ!」っと。


なんでも、旧東京医学校本館を利用した建物ということで、実にレトロな雰囲気。
そこにやおら河口先生の制作による異形の造形(「神秘的銀河」というものらしい)が鎮座して、
出迎えてくれました。


東京大学総合研究博物館小石川分館


中に入りますと、その展示の異形ぶりはさらに増すのでありまして、
上のフライヤーを飾る奇妙な生物まがいの造形がでんと置かれているわけです。


フライヤーですといかにもイラストめいてますが、
金属で作り上げたことがありありとした、むしろメタリックさを強調したかのような展示には
驚きを禁じえないところなのですよ。


さりながら、機械文明が織りなすレトロSFチック な雰囲気と同時に、
古代生物を思わせるぬめっと感を抱かせるところがあるものですから、
個人的には少々気分が悪くなりそうな気配を感じてしまったものであります。


例えばキアヌ・リーヴスの出た「マトリックス」がある種レトロSFチックであって、
その中にコクーンというか、あたかも胎内から生まれ出てくるかのような

ぬるっと感を伴う場面がありますが、あの手の感じが痛く苦手だものですから。

(「エイリアン」なんかもそうかな…)


かてて加えて、この建物の中では常設展として「驚異の部屋」(ヴンダーカンマー ですな)展が
今回の特別展と同居する形で展示されておりまして、
いかにも「ヴンダーカンマー」らしい動物の剥製やら、古い顕微鏡など実験器具の数々が置かれた中で
こうした展示物を見ますと、あまりのシンクロニシティに驚くばかり。
マッド・サイエンティストの実験室もかくやの思いなのですね。


立体造形の展示の傍ら、

CG映像でその異形の生物(?)が動くさまを見せてくれたりもするのでして、
「宙魚」「宙蟹」「宙貝」と海がらみの生物が多いせいか、
やはり言葉としては「うぉ!」しか出てこないという…。


河口洋一郎「宙魚」


テラスにも一体の展示物(「宙魚」のひとつ)がありましたけれど、
借景として小石川植物園の緑が手に取るようですが、こうした風景を眺めることで
いささか精神の安定を取り戻したというと大げさですかね。


テラスより小石川植物園を望む


いやはや凄いものを見ました…。

以前からそこにあることは知っていたものの一度も訪れたことがなく…といった書き出しですと、

まるで昨日書いた中近東文化センター のようではありますが、
そちらの方は行く機会を窺っておりつつもという状況でして、
これから書く方は「どうも趣味ではなさそうな…」、つまり実は行こうという気になっていなかったという
大きな違いがあるわけです。


趣味ではないとか、行こうという気になっていなかったとか、さてそれは?と言いますと、
東京は文京区、東京大学に程近い竹久夢二美術館なのでありますよ。


たまたまにもせよ、竹久夢二 が関東大震災に際して新聞に寄せた

「画信」を読むことになったものですから、それならこれも機会であろうと、出向いてみた次第。
「センチメンタル・ビューティー 夢二式美人画」展という、

体のそこここがこそばゆくなりそうなタイトルの展覧会の最終日でありました。


「夢二式美人画」展@竹久夢二美術館


でもって結果的な感想としては、
大正期には確かにこの「夢二式美人画」が絶大な人気を誇ったという歴史的事実があり、
今なおそのロマンティシズムに魅了される方々がおいでだということは分かるものの、
やっぱりちと好むところではないなぁと(極めて個人的見解ですが…)。


「S字にくねるほっそりとした肢体に大きな手足、愁いを帯びたうりざね顔…」
こうしたことが特徴と言われる夢二美人でありますけれど、
夢二自身が「女がS字に体をくねらせたら、要注意」てな発言をしているようで、
かなり恣意的な夢二なりのエロス表現だったのでしょうねえ。


ところで、こたび訪れた竹久夢二美術館は弥生美術館に併設された施設であって、
むしろ弥生美術館の方が本筋らしい。


その弥生美術館の方で開催されていた展覧会の方でこそ、

匂い立つ大正浪漫をむせ返らんばかりに浴びることになったのでありました。

やっていた展覧会というのが「永遠の華宵 麗し乙女のロマンティック・イラストレーション」展。
これまたタイトルで、体じゅうボリボリと掻きたくなってしまうところですが。


「永遠の華宵」展@弥生美術館


大正から昭和初期 にかけて、夢二もその系列のひとつでしょうけれど、
以前少々探究した蕗谷虹児 やこの高畠華宵、そして中原淳一に至る乙女画の流れが大流行したようで、
ひとえにもふたえにも女性が伸びやかさを手にしていった時代背景と相通ずるものがあるのでしょう。


多くは少女向け雑誌の挿絵といった形で高畠華宵も大人気を博したそうでありますが、
夢二よりはいささか遅れた時期に位置するのか、和装よりも洋装、結髪よりも断髪の
モダンでスポーティな女性像が現れてきます。


また、当時「エス」という言葉が流行ったそうで(どうやらシスターの意らしい)、
女学校の先輩後輩、二人の親密な関係構築をこう呼んだということですけれど、
華宵の絵にも二人組みで描かれる女性が多くあるのは、そうした世相を反映してのことのようです。
(華宵は少年向け雑誌に美少年画も描いたそうですが、それも二人一組だったりするのは・・・・)


そんな雑誌向け挿絵とは別に華宵が描いたカット入りの便箋というのも大流行したようですが、
雑誌では編集の希望を容れなくてはならないのに対して、

便箋の方では作者の自由な題材で描けたことから華宵にとっても

意欲的に取り組めるところがあったというのですね。
そして実際に、注目すべきはその便箋用のカットではなかったかと(これも極めて個人的感想ですが)。


高畠華宵「人魚」「願ひ」(弥生美術館ポストカードより)


高畠華宵「絢爛」「サロメ」(弥生美術館ポストカードより)



ご覧になってお分かりになりますように、ビアズリー をよりはおとなしい「サロメ 」があるかと思えば、
「人魚」に描かれた流れるような髪は「
世紀末の赤毛連盟 」で読んだヴィクトリア朝の雰囲気そのまま。


ここまでの耽美的雰囲気はさすがに雑誌向け挿絵にはないものであるとともに、

主にイラストレーターとして仕事をしながらも、
画家の領分を自身の中では持ち続けていたのかなと思ったりもするわけですね。
そういえば、蕗谷虹児の方もかなりファイン・アート指向が強かったような。


てなことで、匂い立つ大正浪漫の陰にはヴィクトリア朝的な耽美性が隠れていたというのか、
併存していたというのか…。


見て廻るにもいささか気恥ずかしい場所ではありましたけれど、
結果としてそれなりに面白かったかなとは思うのでありました。


弥生美術館

前々から一度は行こうと思っていたのが、東京・三鷹にあります中近東文化センターでありまして、
学術的なアナトリア 考古学研究所と三笠宮記念図書館、

それに博物館が併設された複合施設なのですね。
こたびはその博物館を覗きに行ったのでありますよ。


中近東というだけで、どうしてもイスラム世界であるとの前提に立ってしまうところですけれど、
常設展に展示される史料の数々は、西暦での7世紀頃に始まるイスラムの以前、
遥か紀元前に遡る長い長い歴史を持つ地域であって、深い深い文化を持った地域であることに
今さらながらに気付かされるのですね。


館内には持ち帰り自由の資料として、中近東の歴史を地域別に並べたものがあって、
現在ある国々と対比させて一覧できるものが置いてあったのですが、
世界史で受験されたような方々には、ひどく懐かしいような古代王国の名前が山のように記載されています。


少々書き出してみるとしますか。
シュメール 、アッカド、ヒッタイト 、バビロニア、アッシリア、アケメネス朝ペルシアなどなどなど…。
どうです?懐かしいでしょう。


こうした古代の歴史は、その後の西欧をメインとした歴史の陰に隠れてしまうわけですけれど、
遺跡から発掘された様々な品々を見るにつけ、豊かな独自文化を育んでおったのだなと思いますし、
またそれがいったいどんな年代のどういう王朝のものなのかといった考古学が

積み重ねてきた研究の苦労が偲ばれたりもするわけですね。


そして、本物は大英博物館にあるロゼッタ・ストーンのレプリカを始め、
所謂楔形文字が刻み付けられた遺物の展示からは、

取り分けその解読に携わった人たちには畏敬の念を抱き、
ついつい頭が下がろうというものであります。


その後に興ったイスラム世界はそうした文化的土壌の上に、
さまざまな分野でヨーロッパ地域を凌ぐ文化水準にあったことも知られていますし、
どうも現今の状況だけを見てしまうとそういった点を忘れがちだなとも思うわけでして、
ひとつ、良い刺激になったかなと思ったりするのでありました。


と、今回唐突に行ってみようと思いましたのは、
「咖啡がやってきた」という特別展がまもなく会期終了であったからでして、
中近東起源(エチオピアとも)と言われるコーヒーがヨーロッパに伝わり、
ひとつの文化の担い手ともなったところがあるだけに、いささかの興味を持っていたわけです。

(コーヒーの漢字当て字は普通「珈琲」かと思ういますが、ここでは「咖啡」、曰くまでは分かりませんが…)


「咖啡がやってきた」展@中近東文化センター附属博物館


コーヒーが発見された切っ掛けはもはや昔話の伝承の域を出ないようで
いくつかの地方に残されているようですけれど、ひとつこんなのがありました。


あるときヤギが木に実った赤い実を食べると、そのヤギが踊りだしてしまったそうな。
それを見ていた人が試しに食してみると、これが元気溌剌!
ということで、修行に居眠りは禁物のイスラム僧が眠気覚ましに使った…
これが、コーヒーの実であったというのですね。


最初はコーヒーの実と水を一緒にポットに入れて火にかけ、煮出していたのだそうですが、
やがてコーヒー豆(タネの部分)を砕いて濾してというふうに変わっていったらしい。


そして、淹れ方(飲み方ではないです)の点で洗練させたのは欧米人であったそうで、
フランスでドリップ方式が考案され、イギリスではサイフォン、
アメリカでパーコレーターといったものが生み出されていったという…。


ちなみに、エスプレッソなんつう淹れ方も考案されたもののひとつですけれど、

てっきりイタリアのものかと思いきや、フランス人が考えたのだとか。

そして、エスプレッソは濃いという印象がありますが、
急速抽出な分カフェインは少なめになるそうで、「へぇ、そうなんだぁ…」と。


コーヒーはよく飲みますが、以前「コーヒーの真実 」なる本を読んだくらいで、
特段の知識も蘊蓄もないところではありますが、それなりに面白く見てきました。
そして、中近東というエリアに対しても興味深さを改めてというところでありました。

歴史ミステリというのでしょうか、時代設定は昔々で
場合によってはその時代を生きた著名人がやおら探偵役を勤めてしまうようなお話。


たまたま手に取った「未完のモザイク」なる一冊はまさしくそうした範疇に入るものでして、
中世イタリア 、花の都フィレンツェを舞台にした殺人事件の解決は、
なんと!ダンテ・アリギエーリ の手に委ねられるということに。


未完のモザイク (二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション)/ジュリオ・レオーニ


とはいっても、1300年当時のフィレンツェでは市の行政官の最高位(プリオーリ)を占める

数人のうちの一人がダンテその人であったことからすれば、

県知事だか副知事が自ら犯罪捜査をしてるてな感じでしょうかね。


むしろ警察機構が行政と未分化ですから、ダンテにも市の警護隊を司る面もあったようで、
あまりに無理無理の設定というわけではないのかもしれませんですね。

おっと言い忘れてましたが、紛れもないフィクションでありますが…。


事件は、フィレンツェ郊外にある修復中の教会堂の中で

モザイク画を手がけていた親方が何者かに殺害されたことから始まります。


遺体の状況が余りに異様なことから、初動捜査に当たった警備隊長は
プリオーリの中でも取り分け博識で知られるダンテの意見を聞きにくることに。
ところが、思索を邪魔されたダンテはけんもほろろの対応なのですよね。


実際のダンテの人となりなど伝わっている話があるのかどうかですが、
ここでのダンテは実に気が短く、常にイライラし、何かと悪態を吐き、借金取りにびくびくし、
ワインをぐびぐび飲み、娼館にも出入りして…とまあ、全くもって良い人ではなさそうな様子。
よくまあ、プリオーリに選ばれたものだと思ってしまうところではあります。


それだけに、先の警備隊長や他の人とのやりとりにおけるダンテの居丈高でぞんざいな姿は
いささか読み手の意気を挫くところにもなるのでして、それならばむしろコメディ的な設えにしてくれれば
良かったのになぁと思ったりするわけです。

気が短くて「わかったぁ!!!!」とか言いながら、ハズレを繰り返す警部といった人物像がよくあるように。


それはともかくとして、話のスケールは結構大きいんじゃないかなと。
そもそもプロローグとして置かれているのが、1291年のアクレ(アッコンとも)陥落なのですから。


そして、フィレンツェでの黒党と白党の争い(ダンテは後者)、イタリア内での教皇派と皇帝派の確執が絡み、

さらにはホーエンシュタウフェン朝の後継者はいるのかいないのか、

いるとすれば「よもやあの者がぁ?!」といった想像も加わってくるのですよ。


最も凄いのは、こたびの殺人に至った理由が分かる大団円。
ある秘密が白日の下に曝されるかどうかが問題として殺人まで起きてしまうわけですが、
最終的にダンテにはその秘密が明かされ、証拠書類までが手に入ることに。


その秘密はもちろんここでは触れませんけれど、ほんとにそんなことがあったのならば、
世界の歴史の進み方はもう200年がた早まっていたのかもしれん…とは言えるのかも。

そしてまた、その秘密を知ったダンテの処し方というのが何ともはや…。


作中では教会側から異端者扱いされるダンテではありますが、
秘密の秘密たる由縁を知ったダンテが取った行動は実にストイックであって、
ここへ来て何となくダンテなるものがイメージできるかもと思ったりしたのでありました。


…と、秘密、秘密と言うばかりで歯切れの悪さを感じられたやもしれませんが、そこはご容赦を。
気になる方はお読みいただくしかないですけれど、歴史的な予備知識があった方がよろしいかと思われ、

その点では「訳者あとがき」を先に読むのが手ですなぁ。


ただ、冒頭に歴史ミステリと書きながらなんですが、

純然たるミステリと思ってしまうと肩透かしを食うと思いますので、

やはり「訳者あとがき」にあるとおり、衒学小説としてでもご覧になれば「ほぉ!」となるかも。

当時の医学、薬学、天文学、さらには錬金術にまで触れられておりますゆえ。