以前からそこにあることは知っていたものの一度も訪れたことがなく…といった書き出しですと、

まるで昨日書いた中近東文化センター のようではありますが、
そちらの方は行く機会を窺っておりつつもという状況でして、
これから書く方は「どうも趣味ではなさそうな…」、つまり実は行こうという気になっていなかったという
大きな違いがあるわけです。


趣味ではないとか、行こうという気になっていなかったとか、さてそれは?と言いますと、
東京は文京区、東京大学に程近い竹久夢二美術館なのでありますよ。


たまたまにもせよ、竹久夢二 が関東大震災に際して新聞に寄せた

「画信」を読むことになったものですから、それならこれも機会であろうと、出向いてみた次第。
「センチメンタル・ビューティー 夢二式美人画」展という、

体のそこここがこそばゆくなりそうなタイトルの展覧会の最終日でありました。


「夢二式美人画」展@竹久夢二美術館


でもって結果的な感想としては、
大正期には確かにこの「夢二式美人画」が絶大な人気を誇ったという歴史的事実があり、
今なおそのロマンティシズムに魅了される方々がおいでだということは分かるものの、
やっぱりちと好むところではないなぁと(極めて個人的見解ですが…)。


「S字にくねるほっそりとした肢体に大きな手足、愁いを帯びたうりざね顔…」
こうしたことが特徴と言われる夢二美人でありますけれど、
夢二自身が「女がS字に体をくねらせたら、要注意」てな発言をしているようで、
かなり恣意的な夢二なりのエロス表現だったのでしょうねえ。


ところで、こたび訪れた竹久夢二美術館は弥生美術館に併設された施設であって、
むしろ弥生美術館の方が本筋らしい。


その弥生美術館の方で開催されていた展覧会の方でこそ、

匂い立つ大正浪漫をむせ返らんばかりに浴びることになったのでありました。

やっていた展覧会というのが「永遠の華宵 麗し乙女のロマンティック・イラストレーション」展。
これまたタイトルで、体じゅうボリボリと掻きたくなってしまうところですが。


「永遠の華宵」展@弥生美術館


大正から昭和初期 にかけて、夢二もその系列のひとつでしょうけれど、
以前少々探究した蕗谷虹児 やこの高畠華宵、そして中原淳一に至る乙女画の流れが大流行したようで、
ひとえにもふたえにも女性が伸びやかさを手にしていった時代背景と相通ずるものがあるのでしょう。


多くは少女向け雑誌の挿絵といった形で高畠華宵も大人気を博したそうでありますが、
夢二よりはいささか遅れた時期に位置するのか、和装よりも洋装、結髪よりも断髪の
モダンでスポーティな女性像が現れてきます。


また、当時「エス」という言葉が流行ったそうで(どうやらシスターの意らしい)、
女学校の先輩後輩、二人の親密な関係構築をこう呼んだということですけれど、
華宵の絵にも二人組みで描かれる女性が多くあるのは、そうした世相を反映してのことのようです。
(華宵は少年向け雑誌に美少年画も描いたそうですが、それも二人一組だったりするのは・・・・)


そんな雑誌向け挿絵とは別に華宵が描いたカット入りの便箋というのも大流行したようですが、
雑誌では編集の希望を容れなくてはならないのに対して、

便箋の方では作者の自由な題材で描けたことから華宵にとっても

意欲的に取り組めるところがあったというのですね。
そして実際に、注目すべきはその便箋用のカットではなかったかと(これも極めて個人的感想ですが)。


高畠華宵「人魚」「願ひ」(弥生美術館ポストカードより)


高畠華宵「絢爛」「サロメ」(弥生美術館ポストカードより)



ご覧になってお分かりになりますように、ビアズリー をよりはおとなしい「サロメ 」があるかと思えば、
「人魚」に描かれた流れるような髪は「
世紀末の赤毛連盟 」で読んだヴィクトリア朝の雰囲気そのまま。


ここまでの耽美的雰囲気はさすがに雑誌向け挿絵にはないものであるとともに、

主にイラストレーターとして仕事をしながらも、
画家の領分を自身の中では持ち続けていたのかなと思ったりもするわけですね。
そういえば、蕗谷虹児の方もかなりファイン・アート指向が強かったような。


てなことで、匂い立つ大正浪漫の陰にはヴィクトリア朝的な耽美性が隠れていたというのか、
併存していたというのか…。


見て廻るにもいささか気恥ずかしい場所ではありましたけれど、
結果としてそれなりに面白かったかなとは思うのでありました。


弥生美術館