このあいだ、画家・東郷青児 の探究をした折に、

作家・宇野千代との恋愛をモデルに宇野千代自身が小説とした作品があると知って、

ぽつりぽつり読んでいたわけです。
タイトルが「色ざんげ」。何と申しましょうか・・・


Chain reaction of curiosity


一人の洋画家と三人の女性の話。
解説から少々引用してみると、こんな具合です。


「色ざんげ」のなかには、三人の若い女性が登場する。いずれも健全な情感の持ち主とは云いがたい。その美しさも蝕まれた病的な美しさであって、太陽の下よりも、月光のなかに置かれた方が一層に魅惑的であるような人々である。

だいたい想像ができる女性像かもしれません。


女性Aは、洋画家・湯浅を勝手に見初めて、

毎日のように「ドコソコで何時に待っている」といった付け文を送りつけ、
相手にされないとわかると行方をくらましてしまうという。


女性Bは、女性Aの友人として湯浅と知りあって、お互いに惹かれあうようになり、

両親に仲を裂かれること再三再四に及ぶも忘れられないという。


女性Cは、女性Bと会えなくなった湯浅の前に、湯浅のファンとして登場し、

両親ぐるみで結婚へと持ち込んだものの、女性Bを忘れられないようすの湯浅に愕然として去るという。


いったい湯浅という男は何なんだ?!という気もしてくるところではありますけれど、
目を瞠るべきは、これらの恋愛が展開するのが昭和初期という時代であることでしょうか。


この小説は、昭和9年(1934年)から翌年にかけて、雑誌「中央公論」に連載されたものだというのですから。

新潮文庫の初版(1949年)以来の河盛好蔵の解説には、こんな記載があります。


わが国の女性もこのようなひた向きな恋をした時代がある。しかもあまり遠くない以前(1949年時点から考えて)に、ということを考えて、読者は、恋愛小説の一つの古典を読んだときのような感銘を与えられるであろう。

ひた向きと言われれば、あまりにひた向き。
これがどうにも、昭和初期という時代イメージにそぐわない気がして仕方がないところでしたけれど、
この解説にもあるように、そうした時代が確かにあったということですから、
認識を改めなくては!ですね。


そして、あたかも西洋の恋愛小説を読んだかのような、実に濃厚な恋愛の顛末には、
やはり昭和初期の時代にこのような小説があったのだねえ・・・という点でも、
認識を新たにしなくてはならないなと思ったのでありました。

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