いやはや昨日の台風はすごかったですね。

日本にいて台風は必ずしも珍しいものではないとは思いますけれど、

目の前を行き過ぎる風があれほど凄まじいのは初めて見たような


関東地方を通り過ぎるのが夕刻だったりしましたから、

ものの見事に電車が止まり、しばし3月11日の再来のような状態に。

ということで、動かない電車の中でつらつらと考えたわけです。


2009年の統計ということでちと古くはありますけれど、

日本で仕事をしている人の85%以上が雇用されている者なんだそうですね。

つうことは、15%未満の雇い主層が85%以上の人を使っている?


いえいえ、雇用されてない側の15%未満の中には個人事業主の方々もおいでとなれば、

ほんのひと握りの雇う側にその他大勢が雇われているという構図でありますね。


これが1953年の統計では、雇われ者は全就業者の4割程度だったのだとか。

つまり6割ほどは、個人商店にしろ何にしろ、自分で事業をやってる側にあったそうな。


ちなみに雇われ者比率が5割を超えるのは1960年だそうで、

高度成長期の足並みを聞こえてきそうな頃合い。

経済の成長につれて、経営の大規模化によるスケール・メリットの追求が

行われたのだろうと思うわけです。


その過程で、いわゆる自営業、家族経営、個人商店というのがどんどん消えていった。

シャッター通り商店街に至る道筋でもありましょうか。


東京の場合には、かつて商店街であったろう痕跡の見られる場所は単に住宅地になり、

ペンシル・ビルが立ち並ぶ町になったりという具合で、

住宅地になったその住宅には会社に通勤する勤め人(要するに雇われ者ですな)が住まい、

ペンシル・ビルには何から事務所が入ると、そこにも勤め人が集うことに。


要するに、歴史を振り返れば地場での自営から都心の会社への就労形態のシフトなわけですね。

そこに大きな役割を果たしたのが、鉄道でありますね。


都心を目指して、周囲から放射線状にJR・私鉄が路線網を展開してます。

そして、例えば朝の運転間隔たるや他の国では真似のできない神業的ダイヤグラムでありましょう。


高校や大学を出て、そうした通勤電車に揺られての会社通い、

何とか持ちたいマイホームはなおのこと長距離通勤になったりもする。

こうしたライフスタイルに疑問を差し挟む余地はなかったんでしょうか。


たまたま電車が止まったからと、あれこれ言っても詮無いことではありますが、

その土地その土地で八百屋があって、魚屋があって、本屋があって、クリーニング屋があって…

というのがみぃんな系列化された大型店になって、かつては個人商店だった家の人も

せっせと長距離通勤の雇われ者になっている…。

そして、大自然の脅威に電車が待ったをかけられると、山のような帰宅難民が出るという。


効率を追求した経済システムの中では多くの人が雇われる側となって、

一朝ことが起これば、会社に泊るなり、歩いて帰るなりせざるを得ない立場になるしかないですかね。
大自然の脅威がそうそうあるわけでもないでしょうし、あっても困るということはあるにせよ…。


てなことをつらつら考えているうちに、電車は動き出したのでありました。

もういささか日にちが経ってしまいましたけれど、
先日両国界隈 を廻ったときに東京都慰霊堂の復興記念館では

特別展としてやっていた「竹久夢二 震災スケッチ」展を見たのですね。


竹久夢二といいますと、

少々朧なふうの(つまりは幸せ薄そうな印象もある)美人画と直結しているイメージですけれど、
ここでは関東大震災直後の東京の街中を、時には親友であった有島生馬と一緒に見て回って、
庶民が震災後の茫然自失とした状態から逞しくもまた健気にも立ち直っていくさまを写し取り

「東京災難畫信」として新聞連載した、そのスケッチはどうもイメージが違う…。


ささっと筆を滑らせて描いたペン画からはおよそ美人画の竹久夢二と結びつきませんし、
それぞれのスケッチには現場の短信として文章が寄せられていて、

じっくり読むには図録を買ってかえって…と、しばらくそのままになってましたので、

今ごろになってご登場願った次第。


関東大震災のあった1923年当時、

渋谷 は宇田川町と言いますから今では東急本店通りに近いあたりでしょうか、
夢二はそのあたりに住まっていたそうで、もちろん大きな揺れは感じたであろうものの、
住まいが潰れてしまったりということはなかったそうです。


ですが、大きな揺れを自ら体験したときの動揺と言いますか、そうしたものは
今年3月の大地震でいささか震源から遠くその分震度も小さかった東京にいてさえ、
想像に難くないところなのですね。


しかも、夢二の場合は街を歩き、取り分け下町方向を見通すにおいては
火災の炎や煙のおさまりやらぬ様子なども目にしたことでしょう。


そうなると、その炎の先、煙の先では
いったいどんなことになってしまっているのだろうと思ったとしても不思議ではない。
好奇心などというよりも、スケッチを含む一連の行為はむしろ衝動的だったのやもしれません。

第一報では、夢二自身の戸惑いが偲ばれます。


昨日まで、新時代の伊達男が、所謂文化婦人の左の手を取って、ダンシングホールからカフェーへと、ヂャック・ピックルの足取りで歩いてゐた、所謂大正文化の模範都市と見えた銀座街が、今日は一望数里の焦土と化した。

自分の頭が首の上に着いてゐることさへ、まだはっきりと感じられない。

地震の避難者がその後の火災に巻き込まれた数多くの命が失われた陸軍被服廠跡
(その場所に今、東京都慰霊堂があるのですけれど)にも夢二は足を運んでいます。
それこそ、東京じゅうを歩き回ったのではないでしょうか。


竹久夢二「東京災難畫信」より


そうした中で、見聞きする街の姿、人の姿はこんな具合です。


氣狂い日和の黒い雨雲が低く垂れて死體を焼く灰色の煙が被服廠の空地をなめるやうに匍ってゐる。人間の命の果敢(はかな)さを感じるには、まだ私達はあんまり凶暴な惨害の渦中にゐるのだが、諸々に高く積まれた白骨の山を見ると、今更のやうに、大きな事實を感ぜずにはゐられない。
(浅草)観音堂の「おみくじ場」に群集して、一片の神に運命を託さうとしてゐる幾百の人々を私は見た。…その隣で賣ってゐる、「家内安全」「身代隆盛」加護の護符の方が賣行が悪いのを、私は見た。この人達には、もはや家内も身代もないのであらう。今はただお御籤によって、明日の命を占ってゐるのを私は見た。

余りにも短絡的なといいますか、思い込みだったのでしょうけれど、
美人画を描く人というだけで何とはなしなよやかな人物像を想像してしまうところながら、
こうしたジャーナリスティックな面にも触れてみると、

竹久夢二という人の印象もかなり見方も変わる気がするように思われますね。

東京・新宿の損保ジャパン東郷青児美術館で開催中の「モーリス・ドニ」展を見て来ました。

「いのちの輝き、子どものいる風景」という副題が示すように、

主に家族を描いた作品が多々飾られた展覧会であります。


「モーリス・ドニ いのちの輝き、子どものいる風景」展@損保ジャパン東郷青児美術館


人にはそれぞれの好みがありますから、こうした内容に惹かれる方々もおいでの反面、

個人的には「どうしよっかなぁ。ま、押さえてはおくか…」的に見に行く程度で臨んだところ、

予想に反してじわじわと、そしてぐぐぐっと引き寄せられてしまうという内容だったのですね。


モーリス・ドニ(1870-1943)と言えば、その作品の見てくれからしても

すぐに「ナビ派 」というのが浮かんでくるところでありますね。


会場の解説に曰く「自然を模倣するだけでなく、純粋な色彩と単純な形態によって

人間の心の奥深くを描こうとしたゴーギャン の影響」とありましたように、

ちょうどゴーギャンの「アリスカンの並木路、アルル」が常設展示されている美術館だけに

見比べるにはちょうどいいかなとも思っていたのですが、

ま、敢えて見比べるまでもなく近しいものを感じるところではないかと。


そうは言っても最初の方は、その画風の試行錯誤に

画家が独自性を見出す過程を見るのもお楽しみと言えそうでして、

点描を試みたかと思えば、アンドレ・ドランやオディロン・ルドン かなと思えるふうもありという具合。


ナビ派の結成は1888年頃と、ドニは18歳くらいですからかなり早い時期だったわけですが、

後に「ナビ派らしい」という画風に到達するにはいささかの時間を要したのですねえ。


という具合に、始めのうちは画風やら筆致やらといった点にばかり目が向いていたのですけれど、

だんだんと主題に目が向くようになってしまいます。


単純に、ああ子供の絵だな、奥さんの絵だな、家族の絵だなと思っていると、

それらの人物をモデルに宗教画を仕立ててしまうドニ。

純然たる宗教画と言わずともそれらしい雰囲気を醸す作品があったりもします。


あまりにはっきりと家族がモデルともなると、

「何だか不遜なのでは…」とも思ってしまうところながら、

どうもそうではなさそうだ…と。


宗教画が本来持つ凛とした威厳は、例えばラファエロ がいくらな柔和な感じに描こうとも

こちら側(人間の側ということですが)とは一線を画しているなと思わせるのですね。

もちろん、そうだからこそ畏敬の念にもつながるのかもですが。


ところが、ドニに描かせると、もっともっとこちら側世界との親和性が強く感じられ、

畏敬とか威厳とかいうことと別の感じで、慈愛やらを感じるという。

ひとえにドニ自身が家族に抱く愛情、ドニも含めた家族相互の親密さが絵にも表れるのでありましょう。


本展のフライヤーを見たときには、

「家族の肖像」(1902年)というタイトルがいかにもな絵だなと思っていたものが、

展覧会を眺めていってまたこの絵のところに戻ってくると、

「聖家族」と言われてもおかしくないように感じてしまうのが不思議なところです。



さらに、こうした印象には「ナビ派らしい」と思われる画風も

またひと役買っているなと改めて思ったりしますが、

どうやら若き日にはピュヴィス・ド・シャヴァンヌの研究などもしたらしく

「なるほどなぁ」と思える個性であるなと思うところでありますよ。


こう言ってはなんですが、全てが全て「愛らしい子供」や「麗しい女性」というわけではないにせよ、

その等身大さの点でもまたこちら側との親和性が強いと思われる中で

むしろ宗教っぽいような「普遍の慈愛」みたいなものをよくまあ、かほどに表わしたものよ!

と思ってついつい唸るのでありました。


モーリス・ドニ「子どもの身づくろい」

いちばん映画好きだったと自称できるのは中学生の頃かもしれないなぁと思うのですけれど、
当時はレンタルもなく、そうは映画館に行っていられるほど潤沢な小遣いもありませんから、
TVの洋画劇場をもっぱら見ていたように思うのですね。


そうなると、図書館に出向いては映画関連本のコーナーをあれこれ眺めるわけですが、
なにしろ中学生では映画芸術論みたいな本は実に敷居が高く、
どうしたもんだろうと思っているときに出会ったのが和田誠さんの「お楽しみはこれからだ」のシリーズ。


お楽しみはこれからだ―映画の名セリフ/和田 誠


この本を読んでからは、それこそ古い映画も見逃してはならじ!との思いが強まり、
だんだんと名画座にも足を運ぶようになっていったという。
手元にあったのは、近頃その使命を終えたと言われる「ぴあ」でなくして「シティロード」でありましたが。


そんな映画好きをヒートアップさせるのにひと役買った和田誠さんでありますけれど、
その頃ずいぶんと読んだ遠藤周作 のエッセイやら星新一 のショート・ショートの、
カバーには和田誠さんのイラストで飾られていたなと思い出したりするのですね。


そんなふうにして昔々の思い出が続々湧き起こるところですが、
世田谷文学館で開催中の和田誠展「書物と映画」をようやっと見てくることができました。


和田誠展「書物と映画」@世田谷文学館


展示では、まず和田さんが装丁に携わった書物(と原画少々)がずらり。
中でも関わりが深いという丸谷才一さん、井上ひさし さん、村上春樹 さん、谷川俊太郎さんとの仕事が
中心になっていましたけれど、村上さんとはお互いのジャズ好きが絡んで
仕事自体がコラボレーションになってたのですね。


ジャズと聞いて、いかにもありがちな紫煙とバーボンという夜のイメージとは別に、
和田さんが描くジャズ・プレーヤーたちは明るくユーモラスで、
ジャズ・ビギナーにもずいぶん敷居が低く門戸は開かれていると感じさせるようです。


きっとこのことは映画でも全く同じだったのでしょうね。
硬そうな映画、重そうな映画、少々趣味とは違うかなという映画、どんな映画も
和田さんのほんわか風味のイラスト付きで紹介されると「見てみようかな」という気がしたものです。


会場には「お楽しみはこれからだ」の本が置いてありましたので、
何十年かぶりに手にとって頁を繰ってみましたが、
紹介されたタイトルをメモに書きとめて次々見ていくつもりが、
どうやら未だに見ていないオールドマスターが多々あることに気がつきました。


ここでそのタイトルを挙げていったら「映画好きが聞いて呆れる」となるのは必至ですので自重しますが、
それならそれで、これから改めて「お楽しみはこれからだ」と言えるなぁと。
何とはなしに映画館に足が向いていない今日この頃ですけれど、
和田さんご推奨を見ていく楽しみがあるのですよね。

欧米に倣って?日本も夏の間は
イベントものを除いてオフシーズンになるクラシック業界でありますけれど、
9月に入ってようやっと定期演奏会も再開されるようになりましたですね。


ここ何年かは読売日本交響楽団の会員として
およそ月1回はオーケストラ演奏を聴いてはいるもののどうも演奏がピンと来ずに、
プロ・オケに対して失礼は承知の上で「もっと合奏、磨いた方がよくない?」的な物言いをしてました。


以前会員だった東京交響楽団に比べて見劣りするなと感じたものですけれど、
どうもここんところ復調の兆し顕著のような気がするのですね。


特に昨日の演奏会では常任指揮者カンブルラン との相性もようやっと安定したものになってきた…
みたいなこともあるんでしょうか。


まずはプログラムの最初、モーツァルト の交響曲第40番ト短調という「超」の付くこの有名曲を
そつなくこなして好スタートを切り、ベルリオーズ の幻想交響曲は近来の読響では極上の演奏と
言ってもよろしいのではなかろうかと。


このプログラム・ミュージックの物語内容から考えれば

もそっとおどろおどろしさを出してもよいのかもですが、
聴く側としても(作曲者の意図せぬことやもしれませぬが)もはやあまりプログラム性を気にかけずに
純粋に音楽として楽しもうとするときに、ここでの演奏のようなスカッと抜けた感は
多彩なオーケストレーションに身を委ねるのに打ってつけのようにも思うわけです。


というところで、こうした話はクラシック音楽をあまりお聴きにならない方々には

縁のないことであろうなと考えてみると、ハタと気付くことが。


余計なお世話ながら「クラシックを聴いてみるか…でも、何を?」という方がおいでだとして、
もしかすると「幻想交響曲を聴く」というのは、面白い試みになるのかもと思い立ったのですよ。


ツボのその1として、ベートーヴェン やモーツァルトといったいかにも大先生の曲でないところが

敷居を低めるのではないかと。


その2として、全曲が第1楽章から第5楽章まであっておよそ50分かかるという、
いかにもクラシックらしい「長さ」と同時に「交響曲」という名前を持っていること。


その3。
勝手に思いを寄せた女性に相手にされないと阿片による服毒自殺を図るも果たせず、
舞踏会に顔を出したり、野原をほっつきまわったり、断頭台に送られることになったりという幻覚に
悩まされる…という物語性(?)を持っているので、シーンを想像しやすいこと。


こんなあたりが「どうでしょ?!」と思う理由なんですが、

聴き方としても第1楽章から50分あまりじいっと聴くのは全く得策ではないのでして、
ここはディアゴスティーニあたりの週刊「幻想交響曲を聴く」みたいな感覚で、
少しずつ聴き進めていかれたらどうでしょうかと思ったり。


最初は第4楽章「断頭台への行進」から入りまして、いかにも行進曲らしいところを聴いていただき、
曲の最後にある首を刎ねられて、その首が転げ落ちる描写を発見したら、次へ進むことに。


次は第2楽章「舞踏会」。これはもう完全に「ブンチャッチャ」でワルツの3拍子、聴きやすいです。
副教材としてはヨハン・シュトラウス の有名ワルツ(「春の声」あたり)を聴いておくのもよろしいかと。
とまれ、メロディが鼻歌で出るようになるまで聞き込んで次へ。


お次は第5楽章「ワルプルギスの夜の夢」。
ここに出てくるグレゴリオ聖歌「怒りの日」の旋律はぜひ押さえておきたいところですし、
エス・クラ(小ぶりの高い音を出すクラリネット )のキャッキャいう悪魔のダンスや
ヴァイオリンのコル・レーニョ(弓の木部で弦をたたく)といった特殊効果も聴き所かと。


そして、難関の第3楽章「野の風景」を迎えるのですね。
ここ、体調によっては居眠り必須個所なんですが、
それでもここまでベルリオーズらしさを存分に聴いてきてますから、大丈夫でしょう。

ちなみに睡眠学習も効果ありと思われます。


ようやっと最後に第1楽章「夢-情熱」へと進みます。
今まで聴いてきた中で何度か耳にした旋律が出ているではありませんか。
本来的には逆で、最初に提示されたものが後の楽章に出てくるんですけどね。
ここも繰り返し鼻歌が出るまで、ながら聴きということで。


と、ここまでくれば復習ということで、全曲を頭から聴いてみることに。
なんだかストンと、50分もの交響曲を攻略できてしまうわけで、
こうなれば他の曲も!という意欲も湧こうというもの(?)。


こうしたことが今はYoutubeあたりの利用で簡単にできてしまうのですよね。
といっても、こんな聴き方をされる方がおいでになろうとも思いませぬが…。