およそ一週間のご無沙汰でございます。


この間は、あすなろの木にでもなったようで気分でありましたよ。

「明日はヒノキになろう、明日はヒノキになろう…」でなくって、

「明日はゲンキになろう、明日はゲンキになろう…」という具合。


さりながら、とても元気なのは風邪くんのようでして、

どうにもjoshんちの居心地がよろしいのか、「明日はゲンキに…」も目論見倒れの状況という。


さしあたり「生きてますよ」的なお知らせと、

そのうちまた何か書くと思いますということと、

でも書くことはかなりゆるいだろうなぁ…ということと

この間におこしいただいた方に遅ればせの感謝の気持ちとを伝えたいばかりに

カキコしておる次第でございます。


では、またそのうちに…

(明日、何か書こっかなぁ…)

♪くしゃみ三回、風邪なぁのねぇ~

とは、メンデルスゾーンの「歌の翼に」にのせて歌われる某風邪薬のCMソングでありますが、

いささかの兆候もなしに、ゾクっときて大くしゃみを連続8回。

見事に風邪に取りつかれたようでございます。


思考能力はほぼゼロですので、これにて失礼いたしまする。

みなみなさまもお気をつけあそばされまし。

「驚異の部屋へようこそ!」展 が開催中の町田市立国際版画美術館から

駅へと戻る道沿いには町田市民文学館がありまして、
以前にも安野光雅展 を見に来たりしたことがあったものですから、
「はて、何か企画展はやっとるかいな?」と思って足をとめたのですね。


すると、「孤愁の詩人・画家 蕗谷虹児」展なるものをやっていたものですから、

こちらも覗いて来た次第であります。


「孤愁の詩人・画家 蕗谷虹児」展@町田市民文学館ことばらんど


蕗谷虹児
と言いますとちょっと前に見た竹久夢二 、というより高畠華宵 などに近いのでしょうけれど、
昔むかしの少女向けの挿絵で一世を風靡した画家でありますね。


…ということをしばらく前に一度探究しましたので、てっきり画家だとばかり思っていたのでして、
文学館で企画展が開催されるということは?という謎には

「孤愁の詩人・画家」というタイトルが答えてくれてるように、
どうやら詩人としても活躍されておったのだとか。


少女雑誌の挿絵とは別に、もっぱら詩画集の形で作品は発表されていたようです。

蕗谷の詩作の中には曲を付されて楽譜として出回るものもあったということで、
その中で最も有名と思しき作品が「花嫁人形」という歌であろうかと。

♪金襴緞子の帯締めながら 花嫁御寮は何故泣くのだろ

これですね。これなら知ってる!という人も多いのではないですかね。


蕗谷虹児「花嫁人形」(本展フライヤーより)


ところで、先の探究であれこれの蕗谷作品を見たときにはそれほど考えなかったのですけれど、
詩とそれに付された画、あるいは画とそれに付された詩というべきか、
いずれにしても双方とも、そして双方のコラボレーションで尚のこと「悲しさ」がかなり濃いなと思うわけです。


実際、蕗谷自身が詩画集「孤り星」のあとがきにこう書いているのですね。

私が絵を研究し出して以来、又さし絵をかき出して以来、たゞの一度も、笑顔の人や面白さうにしてゐる人の絵をかいた事が有りません。私は淋しい運命にだけ育って来た、悲しい画家だったのですもの。

最愛の母を早くに亡くし、のんだくれの父親には手酷い扱いを受けるもこちらもまた死に別れ。
幼い弟二人の面倒は一身に虹児が負うことになるのですね。


画家を目指しながらも当座の生活費のためにはやむなしと続けた挿絵の仕事が成功したのはいいとして、
次から次へと舞い込む仕事をこなす中では、画家への道は遠のくばかり…。

一念発起してパリで留学するも、帰国を余儀なくされ…

とこのあたりは、先の探究の時にも書きましたっけ。

パリで描いた作品はサロン・ドートンヌに入選したりと、

もしそのままパリに残れたなら…という無いものねだりもその時書きましたけれど、

どうも帰国後の蕗谷作品はそれまでとはいささか趣きが異なっているような。


自分の言葉として引いた中にも「悲しい画家」という言葉がありますけれど、
どうやらそうしたふうばかりでは無くなってきたような気がしないでもない。
それほどにパリの刺激は強烈だったのではなかろうかと想像するところでありますよ。


例えばですけれど、ファイン・アートの仕事ではないにしても、
戦後になると講談社や小学館が発行する子供向け絵本や

世界名作童話集の装丁や挿絵を手がけるのですが、必ずしも悲しいお話ばかりではないわけで。


「船乗りシンドバッド」とか「孫悟空」とかは冒険ものでしょうし、

もしずぅっと「悲しい画家」をひきずったままであったならば仕事として受けないような作品かもと

思えるところでありますね。


とまれ、不遇な生い立ちであった蕗谷でありますけれど、

かの「花嫁人形」は、全国「花嫁人形」合唱コンクールというイベントを生むまでになり、

絵画作品も回顧展が開催されることを知ったらば

少しはニコリとしてくれるのではなかろうかと思うのでありました。

先週出掛けた日本フィルのコンサートでは、シューベルト の交響曲第3番、
ボリス・ベルキンをソリストに迎えたブラームス のヴァイオリン・コンチェルト、
そしてR.シュトラウス の組曲「町人貴族」が演奏されたのですね。


日本フィルハーモニー交響楽団第634回東京定期演奏会@サントリーホール


かつて井上道義 さんをダンシング・マエストロと言いいましたけれど、

今回初めて広上淳一さんの指揮ぶりを見て、
それを遥かに(?)上回るパフォーマンス交じりのシューベルトに驚きもしましたし、
ボリス・ベルキンの地金のように太い音にも「ほお~」と思ったものであります。


されど、聴き慣れていないことも一因なのか、日フィルはもちろん上手いのですけれど、
なんだかどうも音楽が余所余所しいなという印象。


これが何故だか分からないうちに小編成の「町人貴族」に至って、俄然楽しくなったような。
独奏ヴァイオリンの艶やかさもよろしく、個人的にはこの日一番であった気がしたのでした。


そんなようなわけでちょっと「町人貴族」に興味が出てきたものですから、
まずはモリエール の原作を読んで見るということに。


町人貴族 (岩波文庫 赤 512-6)/モリエール


金持ちの町人ジュールダン氏は、背伸びをして貴族に認められ、
あわよくばお仲間に加えてもらうことこそ生きがいとしている人物。


音楽、バレエ 、フェンシングから果ては哲学に及ぶまで
貴族の嗜みと思い込んでいるあれやこれやの先生を呼んできては、
金にもの言わせて習おうとするのですよ。


ジュールダン氏には妙齢の娘リュシルがおりますけれど、
当然のように貴族に嫁がせることを夢見ておりまして、
相思相愛の相手クレオントには「絶対娘はやらん!」という具合。


そんなにお偉いさん贔屓ならとクレオントの従僕(フィガロ よろしく従僕は才気煥発!)が一計を案じ、
クレオントを
トルコ の王子様との触れ込みでジュールダン氏に紹介すれば、
あれよあれよという間にリュシルとの婚儀が相調ってしまうという。


ま、簡単に言ってしまえば、こうした実に他愛もない笑いを提供する

「笑劇」ということになりましょうけれど、気になる点がなくもないのですね。


いろいろな習い事の先生たちとのやりとりは常に頓珍漢で「学の無さ」が強調されますし、
最新貴族モードとして仕立師に着せられてしまう服は小間使いに大笑いされるような服ながら
「これが貴族流」てな話にいとも簡単に騙されてしまいます(この辺「裸の王様」を思い出しますね)。


後半では、偽者のトルコ王子を崇めて奉っていんちきなトルコ語にも感心しきり。

全ては笑わせる材料とはいえ笑われるのはジュールダン氏ばかりでありまして、
この話のというのがそもそもルイ14世の宮廷での上演用に作られたとなると、
いささか「うむむ…」とも思えてきたりするのですよ。

ジュールダン氏を笑い倒すのはもっぱら王侯貴族の側ではなかろうかということで…。


そうそう、音楽の先生とダンスの先生が交互にジュールダン氏にこんなことを説いて聞かせていましたっけ。

音楽とダンス…音楽とダンスは必要欠くべからざるもので。
音楽ほど国家に役に立つものは何一つありません。
ダンスほど人間に必要なものは何一つありません。
音楽がなければ、国家は亡びてしまいます。
ダンスがなければ、人間は何もすることができません。

こうした台詞には、ルイ14世も音楽好き、踊り好きなればこそ

さぞやしたり顔で聞き入っていたのではありますまいか。


モリエールと言えば、コメディの人。
コメディと言えば諷刺であるはずなんでが、どうもその対象が成金町人の貴族趣味となると、
「そりゃ身の丈に合わない振るまいをするからだ」と庶民も笑ったかもしれませんが、
先ほどの台詞などにも窺えるように、どっち向きで作ったんだろうなぁと思ってしまったものですから。


同じモリエールでも「ドン・ジュアン」あたりとは趣きの異なる気がしないとなれば、
今後もいささかの探究が必要でありますねえ。


ところで、この「町人貴族」は台詞で音楽やダンスを持ち上げてるばかりでなく、
実際の上演にあたってバレエの入る設定、音楽が入る設定が予め組み込まれた音楽劇でもあるのですね。

そしてこの音楽に携わったのが、フランス・バロックの大御所(?)ジャン・バティスト・リュリであります。

(といっても、元々はイタリア人で、その後フランスに帰化したようで)


何でも当時リュリとモリエールは、

共作によって宮廷用の音楽劇を次々と生み出していったうゴールデン・コンビだったようでして、
後の
モーツァルト ダ・ポンテ 、R.シュトラウスとホフマンスタールてな感じでありましょうか。
そして、このリュリとモリエールによる「町人貴族」を奇しくも

R.シュトラウスとホフマンスタールが甦らせたということになりますかね。


R.シュトラウスの音楽は、リュリの書いたものの編曲も含めた組曲にも仕立てられて、
先日聴いたのはその組曲での演奏でありました。


シュトラウスの持ち味の一つと思われる諧謔風味が程よく効いて、
しかも初演がウィーン のさる貴族の館であったこともあって小編成アンサンブルによるもの。

これがまた「ルイ王朝の宮廷でもこんなふうだったんかいね」と思わせてくれたりもするわけです。

さりながら、シュトラウス版「町人貴族」はその成立過程であれやこれやがあったようですが、
これはまた別の話ということで…。

片倉公園で彫刻を見て回るのはこれまた実は「ついで」でありまして、
町田へ出るオン・ザ・ウェイだったものですから立ち寄ったのですね。
町田のお目当て、国際版画美術館で開催中の「驚異の部屋」展を見に行ったわけです。


「驚異の部屋」展@町田市立国際版画美術館


驚異の部屋、ドイツ語で言うところの「Wunder Kammer」(英語だとWonder room)に関しては、
ちょっと前に東大総合研究博物館小石川分館 で異形の展示を見たときにも触れましたけれど、要するに

「とにかく珍しいと思われるものは何でもかんでも集めてしまい、できるだけたくさん飾りつけてしまおう」

という「トンでも部屋」がヴンダーカンマー ということになろうかと。


展示室に入ってすぐのところには、フェッランティ・インペラートという人が

自室に作ったヴンダーカンマーの様子を描いた版画がありますけれど、
もう壁から天井からびっしりと標本の類いが飾られているのですね。


とりわけこの方は生物に興味があったようで、
まず目を引くのが天井に腹をぺったりつける形でへばりつけられたワニの剥製でしょうか。


それを取り囲むように魚介類が埋め尽くしており、

天井の右手側をよく見るとトカゲの仲間と思われるも頭が一つで胴体部分が二つに分かれ、

それぞれに脚が付いている標本までありました。
こうした畸形種などは自慢の展示物であったことでしょうねえ。


実際、左手下には観客と思しき人にインペラートさんご本人(?)が長い杖で何かしら指し示し、
得意げに話をしている様子が描きこまれているのですから。


このインペラートさんはナポリで薬種商を営んでいたとのことですが、
薬の材料は交易によってもたらされるわけで、

その交易との関わりは「変わったもの」の入手を容易にしたのでありましょう。


この版画の制作年は1599年、大航海時代の幕が切って落とされてから100年余り。
交易船(中には海賊船なんかも)が大洋を越えて行き来をしていたからこそ、

ワニなども手に入ったのでしょうね。


そういえば、ダンテ・アリギエーリ も薬屋さんの免許を持っていたと言いますから、
さぞ立派なヴンダーカンマーを持っていたのかもしれませんですね。


とまあそんな具合に、コレクションの方針は個々の趣味嗜好も絡むところでしょうけれど、
とにかく膨大な何かしらを集めて人に見せる場所ということなれば、

今日の博物館の原型とも言えましょうけれど、
集めるものが絵画や彫刻であれば、これはこれで美術館の原型かと。


本展の展示の中にも「ルーヴル宮の王立アカデミーの絵画・彫刻サロン」という

1800年頃に制作された版画がありました。
美術館になる前のルーヴルの一室というわけですが、

これがまた展示の様子ときたら、先ほどのインペラートさんの部屋と
変わりがないほどぎっしりの展示なのですよ。


壁面は隙間なくびっしりと絵が掛けられているのはもちろん、

窓がはめ込まれた枠部分のちょっとした奥行きあるところまで小品が掛けられているというのは、

今日の美術館ではありえない話ですけれど、
貴族の館を描いた絵画にも同じような様子をよく見かけますですね。


ところで本展のその後の展示はといいますと、
ナポレオンのエジプト遠征(
ロゼッタストーン を発見した、あの遠征!)に同行した学者たちが
研究成果として残した「エジプト誌」から鉱物類、魚介類、動物などなどを描いた標本画がたくさんあり、
さらには細密な植物図や人体解剖図、はたまた怪物が登場する絵の数々、
そして踊る骸骨という「死の舞踏」に絡む絵のコーナーへと続いていました。


ここで模刻とはいえホルバイン のシリーズ版画「死の舞踏」が見られたのは

何よりだったのだでありますが、「はて、ヴンダーカンマーらしい展示は最初の方だけ?」と思いかけて、

遅まきながらようやっと本展の意図に辿り着いたという。


本展の正式名称は「版画でつくる-驚異の部屋へようこそ!」であったなと。

つまりは「版画の展示によって『驚異の部屋』を再現してますから、どうぞおいでませ」

ということだったのですね。


まさに見終わらんというその頃になってようやっと気が付いたのでありました。
だから、あんなに標本画があったのね…。


それぞれに面白い作品もありましたけれど、
「驚異の部屋」の再現というからには先に版画で見たような「所狭しと」感がありませんとねえ。
…などと、これだけ気付くのが遅いのに言われる筋合いではないやもしれませぬなぁ。
でもやっぱり、怪しさの点では東大博物館小石川分館の雰囲気に敵わぬような…。