「驚異の部屋へようこそ!」展 が開催中の町田市立国際版画美術館から
駅へと戻る道沿いには町田市民文学館がありまして、
以前にも安野光雅展
を見に来たりしたことがあったものですから、
「はて、何か企画展はやっとるかいな?」と思って足をとめたのですね。
すると、「孤愁の詩人・画家 蕗谷虹児」展なるものをやっていたものですから、
こちらも覗いて来た次第であります。
蕗谷虹児
と言いますとちょっと前に見た竹久夢二
、というより高畠華宵
などに近いのでしょうけれど、
昔むかしの少女向けの挿絵で一世を風靡した画家でありますね。
…ということをしばらく前に一度探究しましたので、てっきり画家だとばかり思っていたのでして、
文学館で企画展が開催されるということは?という謎には
「孤愁の詩人・画家」というタイトルが答えてくれてるように、
どうやら詩人としても活躍されておったのだとか。
少女雑誌の挿絵とは別に、もっぱら詩画集の形で作品は発表されていたようです。
蕗谷の詩作の中には曲を付されて楽譜として出回るものもあったということで、
その中で最も有名と思しき作品が「花嫁人形」という歌であろうかと。
♪金襴緞子の帯締めながら 花嫁御寮は何故泣くのだろ
これですね。これなら知ってる!という人も多いのではないですかね。
ところで、先の探究であれこれの蕗谷作品を見たときにはそれほど考えなかったのですけれど、
詩とそれに付された画、あるいは画とそれに付された詩というべきか、
いずれにしても双方とも、そして双方のコラボレーションで尚のこと「悲しさ」がかなり濃いなと思うわけです。
実際、蕗谷自身が詩画集「孤り星」のあとがきにこう書いているのですね。
私が絵を研究し出して以来、又さし絵をかき出して以来、たゞの一度も、笑顔の人や面白さうにしてゐる人の絵をかいた事が有りません。私は淋しい運命にだけ育って来た、悲しい画家だったのですもの。
最愛の母を早くに亡くし、のんだくれの父親には手酷い扱いを受けるもこちらもまた死に別れ。
幼い弟二人の面倒は一身に虹児が負うことになるのですね。
画家を目指しながらも当座の生活費のためにはやむなしと続けた挿絵の仕事が成功したのはいいとして、
次から次へと舞い込む仕事をこなす中では、画家への道は遠のくばかり…。
一念発起してパリで留学するも、帰国を余儀なくされ…
とこのあたりは、先の探究の時にも書きましたっけ。
パリで描いた作品はサロン・ドートンヌに入選したりと、
もしそのままパリに残れたなら…という無いものねだりもその時書きましたけれど、
どうも帰国後の蕗谷作品はそれまでとはいささか趣きが異なっているような。
自分の言葉として引いた中にも「悲しい画家」という言葉がありますけれど、
どうやらそうしたふうばかりでは無くなってきたような気がしないでもない。
それほどにパリの刺激は強烈だったのではなかろうかと想像するところでありますよ。
例えばですけれど、ファイン・アートの仕事ではないにしても、
戦後になると講談社や小学館が発行する子供向け絵本や
世界名作童話集の装丁や挿絵を手がけるのですが、必ずしも悲しいお話ばかりではないわけで。
「船乗りシンドバッド」とか「孫悟空」とかは冒険ものでしょうし、
もしずぅっと「悲しい画家」をひきずったままであったならば仕事として受けないような作品かもと
思えるところでありますね。
とまれ、不遇な生い立ちであった蕗谷でありますけれど、
かの「花嫁人形」は、全国「花嫁人形」合唱コンクールというイベントを生むまでになり、
絵画作品も回顧展が開催されることを知ったらば
少しはニコリとしてくれるのではなかろうかと思うのでありました。

