早いもので2月になりましたですね。
暦の上では立春も間近ですけれど、先月半ばにご機嫌伺い?をして以来でございます。


その時は「7~8割は回復…」てなふうに聞かされたりものしたものですから、
今しばしの辛抱か…と思っておりました。


長らく♪三歩進んで二歩さがる…みたいなふうでしたので、

そのままじわじわ回復を待つてな構えでいたのですけれど、
その後「こりゃあ、悪化しとるな…」と感じられるに至って仁術の求める先を変えてみたりしたという。


夜に寝ようとするとどうも肩甲骨の辺り痛みがじんわり増大してくるものですから、
横になって眠られず壁に凭れたままでうつらうつらしつつ「夜は長いのぅ」と思い始めて早やひと月半。


ただようやっとここへ来て、

枯れ切った枝にも芽吹きの兆しのようなことが感じられるようになってきたような、
そんな気がしているところであります。


先日来のように気分的にも滅入っておりますと

「マンネリ感」だとか「やめちゃおか」とかそんなふうにも思うところですが、
疼痛を紛さむと本を読んだり、音楽を聴いたりしておりますと(もっとも疼痛にしてやられることもありますが)、
やっぱりインプットがあればアウトプットをせずにはおけんねと思ったりするわけです。


いささか落ち着いて考えてみますと、

この「アウトプットせずにはおけん」を原動力にして書いていただけなのに、
いつのまにか「こんなこと書いても、読む人はつまんなかろうなあ」とか言ったことを

不遜にも考えてしまうという気負った勘違いがあったなあと思うのですね。


いまさらながらそこんところに思い至ったからは、
アウトプットしたいことができたときにアウトプットしたいなりのことを書いていく…
実はそれが自分の精神衛生上はいちばんよろしいと思ったようなわけであります。


ということで、兆しを大事にしつつ、

ゆっくりと芽吹きを育んで参ろうかと思っている今日この頃でありますよ。
今少しで開店6年目に突入することでもありますし…。

2012年となりまして、早や半月にもなろうかというところ。

どうやら「7~8割は回復」てな話にもなっておりまして、遅まきながらちとご機嫌伺いに。

この間にもちらりお訪ねいただいた皆様には、改めて厚く御礼申し上げまする。


気分的には「書きたいこと山ほど!」ではあるんですが、

休みつつ冷静に振り返ってみますと、「さすがに5年もやってると、マンネリ感あるよね」という気も。

送り手の側がかように思うとすれば、受け手の側においてをやと思わざるを得ないところでありますよ。


しばしの後には回復にも至ろうかと思うわけですが、

そのときには「再開した方が、はて、いいのやら…」とも思う今日この頃。

黙って退場することだけはしないつもりでおりますが、

その辺りも含めて、今しばしのお暇を頂戴する次第でございます。

少々のお暇をいただいております。

「首を動かしてはいけん」と言われるまでもなく、動かすと十二分に痛いわけですけれど、

「大掃除なんかもしてはいけん」と言われると、「はいはい、そのようで…」と神妙に従ったり(笑)。


ということで、PCに向かう姿勢というのも難儀なものでお暇をいただいておりますが、

なんかの拍子にせよ、先の「しばしお休み」というお知らせをいつまでもお見せしておくのも

「なんだかなぁ」ですし、せめて過去記事をご覧になっていただこうとしても、

そのよすががありませんでしょうし…と思うところです。


そこで、自分で書いた記事を振り返ってみて、「まあ、よく書けた方かな…」というものを

自分でチョイスするという、実に手前味噌的なものですけれど、

2008年2009年 、そして昨2010年 もやりましたから、こたびもやっておこうかと。


それでも昨年までのように「My best」などという不遜な姿勢はやめにしまして、

謙虚に自分の書いたものと向き合うことにいたしました。

すると、どうもレベルの下がった一年であったことが感じられること頻り。

来年に向けての励みにするいたしましょう。


・・・ということで、おおつごもりにはちと早いながら、

しばしのお暇をもそっといただくべく、年末のご挨拶がわりとさせていただきまする。


今年2011年も皆様にご覧頂けたことを感謝いたしつつ、
来る2012年を皆さまが心安らかに迎えられますよう、心より祈念致しております。

よいお年をお迎えくださいませ。

年の瀬の深まりに歩を一にしてまた、

寄る年波とやらも大波となって押し寄せた感、夙に感じておりまする。


ただただ寝違えたと思しき首筋より背にかけて疼くさまは早や七日に渡り引きも切らず、

むしろその度を増すばかりにて、このままでは自ずと治まることあらんと仁術に頼りてみれば、

頸椎に異状ありとて、疼きの元はこれならんとの由。


PCに向かうだに難儀を致すところなれど、

ほどなく大つごもりなれば、せめてそれまで書き継がんと思いしが、

ここは文字通りの骨休めが肝要ならんと思い到らむ。


書かまほしきことごと多々あれども、

まとまりつかぬ様にてご覧いただくは礼を失すところなれば、

しばらくはご縁遠くなるやもしれず、はたまた僅かばかりの繰りごとを呈ずるやも知れず。

ご承知おき下されたく御願い奉りまする。

この間、師走と言えば「忠臣蔵」と「第九」 てなことを言いましたけれど、

今度は「忠臣蔵」でなくって「第九」の方の話であります。

と言いますのも、昨日読売日本交響楽団の演奏会でいわゆる「第九」を聴いてきたのものですから。


第九演奏会2011 読売日本交響楽団


とはいえ、年の瀬に「第九」を聴きたいという欲求も心理もまるでないのでして、

「毎年毎年、第九でなくてもいいけどなぁ…」と思いつつも、

ただただ読響の年間プログラムに入っているものですから、出かけていくという。


ですので、去年も第九を聴いてきたあと書きました ように

「第九ったって、ベートーヴェン の専売特許じゃないでしょうに」

と思ったりもするところでありますね。


これに加えて、個人的には止むを得ざる仕儀とは感じつつも、

どっぷり睡眠不足の状態で臨んだものですから、

同行の友人に「第3楽章でいびきをかいたら、起こしてくれ」と頼んだりしたわけで、

このような不遜な態度・状況で聴きに行ってはベートーヴェンに失礼てなことでもありましょう。


ちょうどこの第3楽章のAdagio molt e cantableは、

アダージョとかカンタービレとかいうことで想像がつくものと思いますけれど、

実に穏やかにゆったりと歌われる楽章ですので、爆睡ポイントの筆頭と予想したのですが、

体調的にはそれを待つことを許さず、すでにして第1楽章で夢幻境に到達してしまったという。


とまあ、個人的に体調を長々書いても詮無いことでありまして、

ようするにそうした体調で臨んだベートーヴェンの交響曲第九番ニ長調作品125ですが、

「やっぱり『第九』には何かある!」と再認識させる結果となった…ということが言いたいのでして。


第1楽章での夢幻境を潜り抜けたのちは、

第2楽章はもとより第3楽章でももはや深みに落ち込むこともなく、

ダンテ の「神曲 」天国篇のように(例えが大袈裟ですが)高みに登る一方だったような。


これは多分に指揮をされた下野竜也さんの、時に「えっ?」と思うような新鮮な聴かせようと同時に、

実に実に小気味よくきびきびとした、エネルギッシュな指揮ぶりと相まって、

「第九」の魅力再発見につながったからだとも思われます。


「第九」はベートーヴェンの専売特許じゃないばかりでなく、

ベートーヴェンの作品の中でも、「第九」は交響曲の専売特許じゃない。

それこそ、弦楽四重奏曲にもピアノ・ソナタにも第9番はあるわけですね。


それでも「第九」といえば、

ベートーヴェンの、それも交響曲である!という理解が通用する「何か」を持っているのですな、きっと。


だからこそ、そんなに易々と聴きにいくふうではないような気も。

どういうときに聴けばいい(聴ければいい)と規定したりするものではありませんけれど、

それでもやっぱり日本の年末の状況は、「第九」の年末大売り出しに見えてしまう。


指揮者の下野さんはプログラム・ノートでこの状況を「いいこと」とは言っておられましたが、

どうも個人的な一年の総決算的な程度のものでない、それくらいとんでもない曲だなと思うわけで。

というより、年末大売り出し的な一環に乗っかって聴いてみたらば、

そんなふうに思ったという矛盾に満ちたお話でありました。