ドレの昔話 」、というよりは本当はペロー童話集なんですが、
この間読んだ中に「シンデレラ」があったものですから、「そういえば見てなかった…」という映画、
「エバー・アフター」を見たのでありました。


エバー・アフター [DVD]/ドリュー・バリモア,アンジェリカ・ヒューストン,ダグレイ・スコット


「…とまあ、このような顛末で結ばれた二人は、その後末永く幸せに暮らしましたとさ」てな言い回しは
おとぎ話に特有のものですけれど、日本語だとこのあとさらに「めでたしめでたし」を加えたくなります。


英語の「ever after」は、意味合いとしては上の言い回しの「その後末永く」に相当するのでしょうけれど、
やはりおとぎ話の最後に登場する決まり文句のようなものということからすれば、
むしろ「めでたしめでたし」に当たるのかもしれませんね。


ということで、この「めでたしめでたし」という名の映画ですけれど、
「なんと!シンデレラの物語は実話だったのだぁ!!」という「フィクション」なのでありまして、
フランスのとある城館にグリム 兄弟が呼びつけられるところから始まります。


彼らを前に王家の血筋の老嬢(ジャンヌ・モロー!)が本当のシンデレラの物語を

語って聞かせるという形ですが、語られる時代背景は、フランソワ1世治世下のフランス。
レオナルド・ダ・ヴィンチがフランソワ王のお抱えとしてイタリアからやってくる場面がありますから、
間違いのないところだと思います。


ところでフランスのお話ということにしてあるのに、呼び出されるのはシャルル・ペローでなくして、
わざわざドイツからグリム兄弟を呼ぶことにしたのはどうして?と。
ペローはルイ14世の時代の人ですから、先祖の話を語って聞かせるに不足はないはずですが、
やっぱりグリムの方が有名だからですかね。


さて映画は全編英語(フランスなのに…)ですので、
王様はフランシス王となり、王子はヘンリーですがこれは後のアンリ2世のことですね。


で、物語は親がもってきた縁談であるスペイン・ハプスブルク家の王女との話を

拒んだアンリ王子の嫁探しとなっていくわけです。


アンリ2世の実際のお妃はかのカトリーヌ・ド・メディシスで、
この輿入れこそがイタリアの最先端宮廷文化 の数々をフランスに移植することになったわけですから、
これを変えてしまうというのは、なかなかに大胆なことをしたものです。


基本的にはいつの時代の誰に仮託しても良かったのだとは思いますけれど、
何せ「実話」として描きだすからには、おとぎ話に出てくるかぼちゃの馬車もねずみの御者も

魔法使いもないことからすれば、お話をまことしやかにするにはどうしても

魔法に代わる何らかが必要になる(そのくらいのファンタジー要素は必要でしょう)。


で、当時の人々には魔法使いにも等しい?レオナルド・ダ・ヴィンチの登場となるわけですね。
ならば、フランソワ1世の時代しかない!となりますねえ。


それにしても、映画の中でシンデレラに当たる人物はダニエル(ドリュー・バリモア)になりますが、
アンジェリカ・ヒューストン演ずるいかにも手厳しそうな継母から女中扱いこそされるものの、
かなりきままに外出してたりして、おとぎ話の方がよほど酷い扱いを受けているように思うのと、
嫁選び舞踏会以前にアンリ王子とダニエルは顔見知り(というだけでないですが)というのも
一発大逆転ホームラン的なところに乏しいような。


ただまあ、「シンデレラ」みたいなもはや今さらとも思える昔話でも、
こうした加工が可能なんだなという点では「なるほどね」と思いましたけれど。


お、そうそう、語り手の老嬢がグリム兄弟に実話の証しとして見せる証拠物件。
それが(日本でいうところの)「ガラスの靴」でありましたが、英語では「slipper」と言っておりましたね。
なるほど示されたのは、かかとのない代物。でも、これだと結構誰でも履けますよねぇ…。

これまた街中で撮った一枚であります。


立川駅北口ちょい先の交差点



JR中央線の立川駅北口から真っ直ぐ伸びる道をしばし進んで、最初に出くわす大きな交差点です。
道路上の横断歩道の塗装に変化はないものの、いつのまにやらここがスクランブル交差点になっておりました。


ですので、信号が青になれば対角線上の歩道に向けて「いざ、進まん!」と思うわけですけれど、
ふと見やると傍らの中央分離帯にある標識が妙に気になるのですね。

すでに判読されているとは思いますが、拡大してみましょう。


スクランブル交差点での斜め横断はやめましょう?


「斜め横断はやめましょう!」スクランブル交差点なのに?
交通量が多く幅の広い道ですから、言うまでもなく「信号の無いところで渡るな」という意味でしょうけれど、
こんなにスクランブル交差点の近くに立てとかなくても、と思うのですが…。

…メアリは思わずびくっとして、「え!亡くなったの!」と、声をあげてしまった。前に読んだことのある「巻き毛のリケ」というフランスのおとぎ話を思い出したのだ。それは、哀れなせむし男と美しいお姫さまの話で、メアリはアーチボルド・クレイヴン氏のことが気の毒になってきた。

唐突に引用しましたけれど、先に読んだバーネット「秘密の花園 」の一節であります。


美しい妻が丹精込めて手入れをしていた庭園。

アーチボルド・クレイヴン氏はその最愛の妻を亡くしたことから庭園には鍵を掛けて
立ち入ることもしなくなり、それが「秘密の花園」と呼ばれるようになったわけですけれど、
どうやらクレイヴン氏は背が曲がり気味だったようで、

そこからメアリは「哀れなせむし男と美しいお姫さまの話」を思い出したようです。


とはいえ、この「巻き毛のリケ」なるフランスのおとぎ話が

どんな内容なのか知らなかったものですから、読んでみることにしたのですね。


近所の図書館で蔵書検索をしてみますと、どうやらシャルル・ペローの童話集に所載とのこと。
児童書を中心に幾種類か本は見つかったものの、

どうせならギュスターヴ・ドレの挿絵入りにしようかと思ったわけです。
題して「ドレの昔話」。これでは、シャルル・ペローが浮かばれない気がしないでもない…。


ドレの昔話/シャルル・ペロー


とまれ、早速に「巻き毛のリケ」を読んでみますと、
メアリが(実は作者バーネットが)言った「哀れなせむし男と美しいお姫さまの話」という

言葉から受けた印象では「美女と野獣」みたいなものかなと思っていたのですが、

どうやら「割れ鍋に綴じ蓋」のお話でありました。


方や見た目はよろしくないが聡明な王子様。
その聡明さ故に立派な王様になるものと目されながらも、あまりの見た目にお妃候補が現れない。
方や見目麗しくもかなりおっとりした隣国のお姫様。

美しさに惹かれる者は数多ありながら、あまりのおっとりが知恵足らずとも受け取られ、

婚儀が調う気配もない。


あるときこの二人が森の中で出会い、

お互いがお互いの欠点を気にかけずにむしろ労わりあうことができるところから、
トントントンと…(実際の話の展開は、これほどトントンは進みませんが)。


ところで、この「ドレの昔話」には「巻き毛のリケ」のほかに

「眠り姫」、「赤頭巾ちゃん」、「あおひげ」、「長靴をはいたネコ」、「シンデレラ」、

そして「親指小僧(本書では親指トム)」が収録されておりました。


どちらかというと、ペローというよりは

グリム童話 として受け止めている作品があったりしますけれど、
そこはそれヨーロッパは地続きでありますから、

ペローやグリムがまとめる以前から民間伝承の過程で広まりを見せていたのでしょうね。


それだけに話の細部や時には結末までもバリエーションがあったりするところですし、
「本当は怖い…」などと言われる怖さの部分、

あるいは後世から見れば下品と思われる部分がそぎ落とされもしたでしょうし。


ちなみにペローの「赤頭巾ちゃん」は手もなく狼に騙されて餌食にされてしまうのでして、
「狼には気をつけましょう」との教訓であるとはあまりにストレートかなぁと。


ただ、以前にダンテの「神曲」 でも見たギュスターヴ・ドレの挿絵は、怖い話にこそ合うのかも。
本書の表紙にある、カッと目を見開いたような「赤頭巾ちゃん」はそれだけで十分に怖いのですから…。

街中を歩いていて「?」と、思わず撮ってしまった一枚。


レディース&ジェントルマン?



店の名前が「レディース&ジェントルマン」かぁ。

いかにも場末のカラオケ・スナックふう。


ほんとは「Ladies and gentlemen!」なのに間違えちゃったんだぁね、日本人っぽく…
とまあ、そう思ったですよ、最初は。


でも、後からじわじわと考えてみるとですね、「こりゃ、きっとわざとかも知れん」と。
おそらくは飲んで歌って女性が付いて…みたいなお店なんでしょうけれど、
「お一人にたくさんの女の子、つきますぜ。だんな!」つうことを訴えてるような。

だから女性は複数形、男性は単数形。


こうなると、いささか「やるじゃん!」と思ったりしますが、
通りすがりにお店の名前を見て、そういう意図を即座に嗅ぎつける人っているのでしょうかね。
こういうお店が好きな人たちには、それなりの嗅覚があるのやも…。

しばらくは年末以降にアウトプットしてなかったことをちょこっ、ちょこっと書き出そうかと思っておりますが、
これまで安静というと大袈裟ですが、大人しく養生に努める間には本を読んだり、音楽を聴いたり、
そんなあたりから思ったことを記してみることに。かつてよりは些か短めに…(たぶん)。
何せ未だ皆様のところへお邪魔するほどの時間だけPCに向かってられないこともありまして。
(その辺りは何卒ご容赦のほどを)


昨年末にTV放送の映画「借り暮らしのアリエッティ 」を見て、

原作の「床下の小人たち」を読んで…という話をしましたけれど、

映画の中の登場人物である少年・翔が部屋で本を読んでいた場面がありましたですね。


その時に「はて、何を読んでおるのか?」と思ってよく見てみたわけですが、

これがどうやらバーネット作「秘密の花園」。


もう二十年くらい前になりますか、

この「秘密の花園」をミュージカル化したものをニューヨークの劇場で見たことがあるものの、
(素敵な音楽だったのでCDを買いましたが、何度も再演されるようなヒット作にはならなかったようで…)
ストーリーをしっかりつかんでいたわけでもなく、

「まあ、これも何かの縁でしょう」と「秘密の花園」を読んでみたわけです。


秘密の花園 (光文社古典新訳文庫)/バーネット


こたびは光文社古典新訳文庫で読んだのですけれど、児童書としてもたくさん出ていますですよね。
でもでも、読んでみて何より思うことは「これって、必ずしも子供向けではないんでないの?」ということ。
実際、訳者あとがきにも「むしろ大人が読んでこそ胸に響く作品なのではないかという気がする」とありました。


ま、子供心にもメアリやコリンの「わがまま極まりないお子様ぶり」には

「これじゃ、いけん」と思うかもしれませんし、また植物や動物といった生き物ですとか、

自然の移り変わりですとかに目を向けることの楽しさに気付かされるということはあるかもしれません。


でも、時折ハッとさせられることに気付くのはむしろ大人の方なのではなかろうかと。
例えば、メアリ付きの女中マーサが母親の言葉として、こんなことを言う場面があります。

お母ちゃんが言ってたけど、子供にとって最悪なのは、ひとつは何も望みどおりにならないことで、もひとつは何でも望みどおりになっちまうことだって。どっちのほうが不幸かわからない、ってお母ちゃんは言うよ。

この言葉をこのまま投げられて「子供向き」ですとはいえないですよね、きっと。
教育論とまで言っては大仰ですけれど、

こうした点ではこのマーサのお母ちゃんは極めて重要な登場人物でありますね。
実際に当人が登場するのは一箇所くらいしかありませんが。


全体としては、小さな暴君になっていたメアリやコリンが

秘密の花園でこれまで知らなかったようなあれこれに接するとしても、
あまりに簡単に?いい子になっていってしまうのは「現実的でない」のかもしれませんけれど、
それでも「やっぱり、人間、捨てたもんじゃあないかもね」と思わせてくれるものであったという予想外の印象。


しばらく前にサローヤンの「人間喜劇」 を読んで

「人間、捨てたもんじゃあないかも」と思った効果が経年劣化する中で、
またそんな思いを甦らせてもらったのでありました。

もしかすると、「アリエッティ」の翔も「秘密の花園」から前向き気分をもらっていたのかもしれませんね。