都市と農村、旧教と新教といった対立関係を超越して、スイス人たちは同盟を維持しつづけた。
これまた先に読んだ「ウィリアム・テル伝説
」にあった一節ですけれど、
これってすごいことではなかろうかなと思ったわけですよ。
都市と農村の対立というのはいつの時代にもどこの地域でもあることで、
かつては一揆なんかも起こったりしたものの、何とか折り合いをつけてきたものと思いますが、
旧教と新教の対立とは、個人的には想像を巡らすしかない部分ではありますけれど、
たとえば昔のネーデルラント
がベルギー
とオランダ
になっていったりという背景にも絡んだことですよね。
これをキリスト教の派閥争いからさらに別個の宗教間のことまで思い起こすと、
かつてのユーゴ紛争
あたりも想起されて、やっかいな問題なのだろうと思うわけです。
が、スイス
はこうした対立関係を超越して同盟を維持し続けたとは、
いったいどういう歴史であったのだろうか…とまあ、テル伝説によらない本当の(?)歴史を
紐解いてみるかというわけで、中公新書の物語歴史シリーズ(という言い方するのかな)の
「物語 スイスの歴史」を読んでみたのですね。
さすがに伝承に拠らない歴史であるせいか、
ウィリアム・テルのことなどかすりもせずに原初三邦の盟約が語られることになります。
スイス中部の都市ルツェルンにも接する湖、観光的にはルツェルン湖と言ってますけれど、
正式には「Vierwaldstattersee(フィーアヴァルトシュテット湖)」でして、
四つの森の町の湖という意味であろうかと。
この森に囲まれた湖の周辺にある3つの地域ウリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンが
ハプスブルク家の支配からの自立を掲げて、1291年に盟約を結んだことが
後々のスイス連邦共和国という独立国に繋がっていくわけですね。
もちろん、礎を作った3つの地域の人たちが最初からスイスという国の独立を考えていたわけではなく、
結果的にそうなっていったということではありますけれど。
それにしても、スイスの礎がなぜここから?ということでありますね。
湖の名前にもあるとおり森の町、ありていに言うと山村地域かとも思われますが、
アルプス
の山懐で生産性も高くはないところながら、
交通の要衝としての位置づけが浮上してきたことに端を発するようです。
ドイツ
とイタリア
の間に横たわるアルプス山脈は欧州の南北を分断する形になってますけれど、
これをスムーズに通りぬけられば交易にしても軍事的な面でも大いに利することになります。
イタリア育ちの神聖ローマ皇帝フリードリヒ二世
(在位1215~50)などは、
この直通路線の整備にご執心であったらしいですが、その整備対象となった場所というのが、
ザンクト・ゴットハルト・パスでありました。
原初三邦から南へ下った場所ですが、峠の隘路を開削することでルガーノを経由して
ミラノまでの道がつながる、その北側の入り口のような位置付けに原初三邦があたる。
となればいろいろな権益が生ずるのも当然のことで、単なる山村とは大違い、
そりゃ代官でも置いて上前をはねたくなるのが権力者てものでありましょう。
ところが、これに敢然と立ち上がった!というのがスイスの大元ではありますが、
国としての独立というのでなく、もそっと近しいエリアの自立こそが目的。
この意識が長い間変わることがなかったそうで、今でも連邦制であるのはその名残ですし、
その連邦制になるにも地域の主体性を損ねるとして反対が多く、あれこれの紆余曲折の結果であるといいます。
それにしてもヨーロッパの歴史を見ていく中では、
国と国とで領土争い、王位争いが絶えることがないような状態。
そんな中にあって、よくまあ「おらが村の自立」を掲げてやってこられたものだと思うところです。
これに大きく関わったのが、何故だかはよく分かりませんがとにかく兵隊が強かったということでしょうか。
兵隊といっても元は「おらが村の一大事」に立ち上がる農民兵みたいなものだったでしょうけれど、
これがハプスブルク家の軍隊を蹴散らしたりするのですから、「うぉ、すげ!」となるわけですね。
こうしたことがその後のスイス傭兵の歴史に繋がっていくのですが、
このあたりも少し得心がいくように「物語スイスの歴史」から引かせていただきましょう。
スイスでは十五世紀以降牧畜業が盛んになるが、牧畜は土地面積に比して働き手の数をそれほど必要としないうえに、十五世紀末ごろより人口は増加傾向に入り、労働人口は過剰気味になった。傭兵出稼ぎが過剰労働人口の捌け口になった。しかも牧畜業の伸展は農耕地の少ないスイスにさらに深刻な穀物不足を嵩じさせた。この穀物不足を解消するためには輸入に頼るほかに道はなく、そのために輸入資金の確保が必要であった。
兵隊が強いから「貸して!」と言われても、そうそう分かりましたとなるはずもないと思ったわけですが、
こうした事情があってのこと。持たざる国の方便でもあったということでしょうか。
輸入資金の確保というところをちょっと補足すると、自邦の領域内での傭兵徴募を認める契約によって
相手国から年金が入る仕組みとなっていたのっだそうですよ。
そうはいっても個人的に傭兵になるというようなことでなく、
組織的に傭兵を送り込んでいるに等しい状態とあっては、他の国々の間で戦争が起こった場合、
まず自分たちの側(この際、スイスという国名で言ってしまいますが)、
スイス側としてはどこにも肩入れしてませんよと宣言をするのですね。
そして、実際に戦闘やら軍隊の通過やらというとばっちりを防ぐために、
自前で国境警備を万全にする。
これがスイスの「武装中立」ということなるわけですね。
そして、どこにも肩入れしないことの別の形の証しとしては、
例えば三十年戦争(1618-1648)では新教側のスウェーデン
軍にも
旧教側のフランス軍にもスイス傭兵がいたと言いますから、
スイス人が敵味方になって戦ってるなどという場面も多々あったものと思われます。
このことは三十年戦争だけの話ではありませんが。
その後もスイスは大国間の均衡の狭間にあって
独自性を貫いてきたわけですけれど(と一気に端折ってますが)、そのための犠牲も払いつつ、
また外からみれば「悪いことにも手を染めてんでないの」ということもやりながら
(中立であるが故の、あるいは中立を維持せんがためのナチスとの関わりとか)現在に至る過程は、
どこの国もやってこなかったひとつのあり方を見せてくれたようではあります。
そして、それぞれの足場に根ざした地域主義と緩いアライアンスとしての国家とのバランス、
さらに国としても永世中立国であることと2002年に加わった国連加盟国であることのバランスを
どのように取っていくのかということも、これから先の「ひとつのあり方」として気になるところでありますね。