これも昨日の文化財のお話 と同じ出所の「ギャラリー・フェイク」の文庫版14巻、
ここにギャラリー・オーナーである藤田の、こんな言葉が出てきたのですね。

ひとことで言えば、ハルスってのは“笑顔”の画家だ。
…実は、名画と呼ばれる絵には案外、笑顔が見られない。大画家というのはわかりやすい笑顔より、複雑微妙な表情がお好みなんだな。その例外ともいえる画家がレオナルド・ダ・ヴィンチと、このハルスだ。

ダ・ヴィンチ の方は、確かに「モナリザの微笑み」なんつう言い回しが使われたりもしますけれど、
笑顔という点ではそれこそ藤田の言葉ではありませんが「複雑微妙な表情」な気がしないでもない。


ですが、もうひとり言及されているハルス、
17世紀のオランダでもっぱら肖像画家として著名なフランス・ハルスは

言われてみれば「なるほどぉ」と。


もとより「笑いの画家」を言われているようですけれど、言われるまで分からないのが、

なんともぼんくらな見方をしている証拠でありますね…。


それでも、先ごろ訪れたストックホルムの美術館 で何点かのハルスに出くわしたのを思い返しても、
やっぱりなるほど笑顔であったようなと思い当たったりもするわけです。


ただ、肖像画に関して個人的には、ようやっと少しずつその味わいのほどを
感じるようになって来つつあるというところですので、
たくさん絵が並んでいるところで出くわす肖像画にはまだまだ見方が杜撰になりがち。


ですが、ダ・ヴィンチほどに微妙でない笑顔を目の当たりするというのは、
確かにハルスを例外にすれば珍しいことなのかもしれぬと。


ということで、フランス・ハルスの笑顔特集を試みようという思いつきでありますよ。
まずは明らかに「笑顔」をとらえることが目的と思われる作品から。



フランス・ハルス「笑う少年」


フランス・ハルス「笑う騎士」


上の作品は、東京から神戸に巡回している展覧会に来ているでしょうか。
そういえばマウリッツハイス で見たよなと思われる「笑う少年」(1620-25年頃)。
下はこれまたロンドンウォーレス・コレクション で見たなという「笑う騎士」(1624年)です。


このようにタイトルに「笑う」とあれば笑顔が描かれているのは当然としても、
単に当時の市井の人々を描くにあたってもハルスはやはり笑顔をもってきてますですね。


フランス・ハルス「ジプシー娘」


フランス・ハルス「Portrait of a Man in a Slouch Hat」


上の「ジプシー娘」(1630年頃)は当然にジプシー を描いているわけで、

一概には言えないかもですが想像するに、仲間内ならまだしも

そうそう笑顔を見せていられる扱いではなかったのではと思うところですが、

はにかみつつも笑顔ですねえ。


下は手にした古い画集によれは「ソフト帽を被った男」というタイトルですが、

検索してもこの日本語タイトルを使っている様子が見当たりませんでしたので、

英語のタイトル「Portrait of a Man in a Slouch Hat」(1660-1666年頃)も記しておきましょう。

で、やっぱりこちらもにんまり。


さらには、タイトルがずばり人名である場合でも同様なのですね。

ばっちり人名がタイトルの場合は、ハルスが描きたくて描いたというよりも

依頼を受けて描いたとも思われるわけですが、もしかするとモデルの笑顔を引き出すのに

長けていたのかもと思えてくるような。


ハルスは笑顔が人間の素敵な面を見せてくれるものと知っていたのでしょうね、きっと。

考えてみれば、街角で見知らぬ人とすれ違うときでさえ、しかめっ面や苦虫かみつぶしより

ほのかな笑顔(えへらえへらしてるふうなのは別ですが)とのニアミスは

こちらも和む気がしますし。


ところで、17世紀のオランダ絵画といえば例えば静物画に顕著ですけれど、

非常に細密な描写がされている作品が多いわけでして、

それこそ筆あとなど残さない伝統的な技法で描かれてますですね。


さりながら、あれこれのハルス作品をご覧になってお気づきのように、

ハルスはその後のドラクロワマネ 、そして印象派 あたりにも連なるようなすばやく

見ようによって雑にも見える筆致があるのではなかと。


上の作品の中で二番目の「笑う騎士」あたりは装飾的な上着が

とても細かく描かれているではないかと言えるものの、

いざ袖のあたりの塗り具合に目をやってみると、

なんともパパパっとやってる様子がありありなのですよ。

う~む、先駆者なのか…。


…といささか訳知りに語ってるものの、

なんだかフランス・ハルスの絵に臨む準備が少しばかりできたかなと

ようやっと思ったところなのでありました。

パラパラと「ギャラリー・フェイク 」の文庫版第14巻を読んでおりますと、

「KYOTO POP」という一章に行き当たりました。


ギャラリーフェイク number.014 (小学館文庫 ほB 24)/小学館


京都の町屋の佇まいを残すあたりに高層マンションが建築されることになって、

その開発業者とは絵の取引を通じて旧知であったギャラリー・フェイクのオーナー藤田が

街並み保存への働きかけに(いつもながら何気なく)一肌ぬぐ…というお話。


で、その方法はと言いますと、

お気に入りである「アメリカン・ポップアート に比べて、何と京都のあれこれの辛気臭いことよ」と仰る

相手の社長さんに対して藤田は「京という町はアメリカなんかよりよほどポップに満ちている」と言って

「京のポップ」を堪能させる町歩きに連れ出すという。


小さな街角の鳥居に始まってあちらこちらを連れまわり、

最終的には鹿苑寺金閣のド派手さに「ポップ以外になにものでもない」ものを感じた

社長さんは京の魅力を再発見し、マンション建設を思いとどまり、めでたしめでたし。


ま、あまり深いつっこみは無用と思いますけれど、

とどのつまりが金閣で締めるというのが、いささか大味かなと。

決して金閣がどうのこうのというつもりは毛頭ありませんんが。


でも、京のポップさ加減を知るには、

折々覗かせていただいているGabiさんのブログ こそ打って付けと思ったりするのですよね。

拝見していると、京の町を徘徊したくなること間違いなしですし。


ところで、先ほどの漫画のお話は、実はあれでめでたしではなくって、

先の開発業者は計画を取りやめるものの、その場所の地主のおばあさんは別の業者でも

とにかく土地を手放すつもりであることが示されているのですね。

おばあさんは、こんなふうにつぶやきます。

いろんな方々が、京を大切にせえ、京の美や伝統を守れ、と言わはります。言うのはタダや。

美しいもの、伝統のあるものを大切にする、守るというのは

「タダ」ではできないのだという、当たり前のことにただ見る側は気が付かないのですよね。

自分自身からしてそうですけれど。


ですから、先日宇都宮 で写真に収めたふたつの教会が

「国の登録有形文化財に指定されている」てなことを書くたときには、

てっきり何らかの保護(漠然と金銭的にあ補助も含めて)があるんだろうと思っていたわけです。


ところが、これまたつい先日、東京ローカルのテレビで

立川市にある国の登録有形文化財に指定されている建築物が解体されることになった

というニュースを見たのですけれど、「国からも自治体からも援助はなく…」と

建物の所有者が語っておられることに「そうなんだ…」と。


古いからこそ文化財に指定されるとして、

古いからには維持・補修に当然費用が係ることでしょうけれど、

国からは固定資産税など税金面での優遇措置のほかは

「保存・活用に必要な修理等の設計監理費 の2 分の1」 を補助するというもの。


言わでもがなですが、補助してくれるのは設計監理費の半額ですから、

実際の修繕費用は全くの所有者持ち。

文化財に指定しているのは国ですから、自治体には関係ない。

こりゃあ維持するのは大変だろうなあ。


とまあ、こういうふうに書いてくると、「なんで国は金を出してやらんのだ!」と言いたいのだと

思われるかもですが、実は必ずしもそうではないのですよね。


改めて文化庁のHPを見て、これまたびっくりしたですが、

「すでに8,000 件を超える建造物が登録され、現在も年間数百件の割合で増えています」

と、これに税金から補助を出すのは大変なことだという現実がありましょうし。


おそらくは重要文化財、国宝と指定のグレードが上がれば上がったなりの対応が

別にあるものと思いますが、そうではないものがかくもたくさんあるのですよね。

その中で何を残していくのかは、非常に現実的ですけれど、

残したいと思う人々の懐具合によることになりましょうか。


文化財に指定されている建物が解体されるというときに

「残念だ」と思うのは誰しもでしょうけれど、「けど、仕方ない」と思う人もいましょうし、

「残すべき!」と声をあげる人もいましょうね。


でも、言いにくいながら「言葉はいらない、金をくれ」でないと、どうともならない…。

「ギャラリー・フェイク」のおばあさん発言が思い起こされるところです。


こうしたらよい!という作戦を披露できるほどに考えがまとまっているわけでなないですが、

先ほどふれた立川市の解体されることになったという建物を見てみますと、

こうしたプレートが付いているのですね。


登録有形文化財プレート


プレートに刻まれた言葉はといえば

「この建造物は貴重な国民的財産です 文化庁」

というものでありまして、こうまでいうなら(実際、援助は少なく規制は多いようですが)

やっぱり援助を方を考えてやってもいいのかなと思ったり。


でも、8,000件かぁ…。

ちなみにこれまで解体等によって登録抹消となった建造物は67件あるそうです。

アメリカ大統領選 が先頃あったから…というわけではありませんが
(と敢えてことわるとさも関係ありげですけれど)映画「ボビー」を見てみたのですね。


ボビー BOBBY  [DVD]/アンソニー・ホプキンス,デミ・ムーア,シャロン・ストーン


1968年、米大統領予備選の最中、人口の多いカリフォルニア州での投開票に注目が集まる中、
ロサンゼルス のアンバサダー・ホテルに選対を構えたロバート・F・ケネディの陣営。


言わでもがなではありますけれど、題名のボビーはロバート・F・ケネディのことですね。
このあたりの呼び方は日本人にはなかなか馴染みにくいものですが。


ところで結果的に高い得票率で同州を制したボビーは、
ホテルのボール・ルームに集まった支持者を前に「次はシカゴで」と挨拶をしたのち、
紛れこんだ暗殺者の凶弾に倒れてしまう…。


このときの惨事には、集まっていた人たちの幾人かも流れ弾に巻き込まれてしまうのですけれど、
この映画で描かれているのは、こうした人たちも含めアンバサダー・ホテルに当日集っていた人々

それぞれの様子をパッチワークのように貼り合わせた群像劇なのですね。


ですから「ボビー」というタイトルを使いながらも、

俳優が誰かしらロバート・ケネディを演じるというのでなく
基本的には記録映像を巧みに使っているのでありますよ

(時に後ろ姿とか、頭頂部だけとかを誰かが演じてますが)。


で、作りだされた映像をパッチワークと言ってはいささか部分部分の境目がはっきりしすぎですが、
それぞれの描写が流れるように移っていく映像には、

良い意味で?いささかの酔いを感じるところでもあります。


そして場面の移り変わりが速いとしても、何とか付いていけるのは群像を構成する人々が

年代的にマッチする人にとっては十分にオールスター・キャストと言えるようなキャスティングの

おかげでもありましょうねえ。


ハリー・ベラフォンテ、アンソニー・ホプキンス、マーティン・シーン、シャロン・ストーン、

ヘレン・ハント 、ローレンス・フィッシュバーン、ウィリアム・H・メイシー、デミ・ムーア、

イライジャ・ウッド 、そして脚本を書いて監督し自らも出演しているエミリオ・エステヴェス…。


こうした人たちがホテルに集まるさまざまな背景の人物を演じて、

それだけでも「グランド・ホテル」スタイルの話になるわけですが、

それがボビー暗殺の一瞬に向けてぐおっと集まってくるわけです。


群衆劇としてホテルという大きなボウルに放り込まれたそれぞれの素材を活かしつつ

おいしいサラダに仕上げられている一方、ボビー暗殺という大事件との表裏一体性も失わない。

映画ならではの作り方でもあって、エミリオ・エステヴェスもやるもんだねと。


エステヴェス監督作品では、またしても親子共演になっている近作に

先ごろ公開されていて見逃してしまった「星の旅人たち」がありました。

これも折をみて見てみるとましょうかね。


そうそう、ちらりとしか現れず断片的な演説シーンが挿入されるだけであるがゆえに

ロバート・L・ケネディの印象は強く残るわけで、そのためプロパガンダ映画として見る向きもあり、

制作意図にそうした部分が全くないとも言えないようなのですけれど、

その作戦は、少なくとも個人的には巧くいきませんでしたねと。

そもそもこの映画を見る目がそうした部分でないところに向いていたものですから…。

芝居をひとつ見てきたのですけれど、

なんともはや刺激に満ちたといいましょうか、考え方によっては驚くべきといってもいいかもしれんと。

劇団昴による「石棺-チェルノブイリの黙示録」という芝居であります。


劇団昴公演「石棺-チェルノブイリの黙示録」

「石棺」という言葉は文字通り石でできた棺のこととして古代史で出てくるわけですが、

今では、というよりチェルノブイリ以降は拡散する放射性物質を封じ込めるために

事故のあった4号炉をコンクリートで覆った構造物を指して言う言葉として定着してしまったかのよう。


ですので、あえてこの時期でもあり(?)「石棺」と言えば、

副題による補足を待つまでもなくチェルノブイリ原発事故絡みのものだなと思うのではないかと。


1986年4月26日未明のモスクワ放射線安全研究所。

旧ソ連邦下ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起こった爆発炎上事故によって、

重度の被曝を受けた人たちが次々と運び込まれて来ます。


原発の作業員、消火にあたった消防隊員、原発調査に出向いていた物理学者、

近くで農作業をしていた農婦などなどが起伏の波を繰り返しながらも、確実に死に近づいていく中、

モスクワでは原因究明の査問官を派遣し、彼らにレポートを求め、聞き取りを行っていくのですね。


こうしたことからこの事故が「人災」であることが浮き彫りにされていくところもすごいですが、

「人災」であるが故に爆発してしまった原子炉をまるで美しい芸術品であったかとのように

回想する作業員の言葉(つまり原子炉、原子力は悪くないと感じられる…)は強く印象に残ります。


印象に残るという点では、こんなところも。

「大事な雌牛の乳が張ってしまうから絞ってやりに帰らなくては。鶏にえさをやらなくては」

見えもしないし、臭いもない放射能に被曝しているという実感のない農婦のクラーワは

ひたすら家畜のことばかりを気にかけながら、こと切れていくという。


チェルノブイリといっただけで、福島のことを思うであろう中では、

こうしたひとつひとつの断片が極めて鋭利なものに思えてきます。


そうした鋭利さにえぐられた事柄はいちいち挙げることができないくらいに込められたこの芝居、

驚かされるのは芝居そのものの成り立ちでもありましょうか。


作者ウラディミール・グバリェフはロシアのジャーナリストで、

自らが事故直後のチェルノブイリを訪ねて生まれた話なのですけれど、事故が起きた1986年は

ペレストロイカとグラスノスチを合言葉にしたゴルバチョフ政権下であったとはいえ、

ソ連であったことには間違いない。


そのソ連にあって、こうした芝居が事故の4カ月後には

プラウダの姉妹誌である月刊誌に公表されていたことをどう考えたらいいでしょう。

単純な比較が馴染むものではないせよ、日本という国はどんな国…と感じてしまいます。


芝居としては、チェルノブイリ事故前から別の被曝で研究所預かりになっていた患者が

狂言回しとしてはいささか鼻につきすぎる嫌いがあったものの、

最後の最後でこれまたインパクトの強い発言を散発することになる目の離せなさも加わります。


ただ、英語翻訳版から起こした日本語台本には、

「何々だと思うね、彼がそう考えたのは」といった倒置的な言い回しが山ほど出てきて、

スムーズな理解を妨げている(ロシア人の人名の聞き取りにくさと相まって)ことが難ですが、

それはそれとしても、やはり「石棺」が凄い芝居であるいことは間違いないと思われますですね。

ちょっと前に触れました修学旅行事始め 的なこと、

これは旧新橋駅鉄道歴史展示室を訪ねたところに依るわけでありますが、
そのときの展示の一つに大正時代のものだったでしょうか、

東武鉄道の沿線を紹介するガイドマップがあったのですね。


東武鉄道と言いましても関東地方の人にしか馴染みのないものと思いますけれど、
私鉄の中では鉄道を走らせている線路の距離(営業距離)が

近鉄に次いで全国第二位なのですよね。
ちなみに東武の路線は460km余、近鉄の方は580km余だそうです。


そして、東京・浅草の(地味な)ターミナルを出発するものの、
行き先には日光、鬼怒川温泉という観光地を抱えているのでして、
こうしたあたりが先ほどのガイドブックには紹介されているわけです。

今ならさしずめスカイツリーを大きく配するところでありましょう。

いつの間にやら東武伊勢崎線には

「東武スカイツリーライン」なんつう呼称も使われてるようですし。


が、ともかくこれを見てみて「?」と思いましたのは、

計画線だか予定線だかとして記されていた点線部分。


東京北辺の、埼玉との都県境あたりを東西に

東上線と伊勢崎線という東武の二路線を結んで点線が描かれていたという。

こんなぐあいだったでしょうか(下図では、赤丸を結ぶ赤い線)。


東武西板線はこんな具合?

常々、東武鉄道では何だって東上線だけが池袋をターミナルにして、
ほかの東武路線といっかな結びつくことがないのだろうと不思議に思っていたのですね。


ふたを開けてみれば昔にはちゃんと二つの路線を接続させる計画があったのだなと思うと同時に
なぜこれが実現されなかったのかが気になってこようというもの。


こりゃあ東武鉄道の社史にでも当たるしかないかなと思いつつそのままになってましたが、
つい先日の新聞に「西板線」なる言葉を見つけたのですよ。
(と、そのまま宇都宮関係の記事が続いて、出番が遅れてしまいました…)


記事はそっくりそのまま先の疑問に応えるかのようなことが書かれておりましたよ。

ここに出てきた「西板線」とは、伊勢崎線の「西新井駅」と東上線の「上板橋駅」とを結ぶ路線で、
西新井駅からは西新井大師に繋がる大師線というたったひと駅の盲腸線があるんですが、
これが西板線計画を偲ぶよすがなのだとか。


頓挫した理由としてひとつには関東大震災があり、既存路線の復旧を優先したこと、
そして復興が進むにつれ沿線予定地の宅地化が著しく、地価も高騰していったことなどが
挙げられるようです。


しかしながら、この幻の西板線を思い起こさせるような計画は今でも検討されているようで、
事業主体は東武ではなさそうですが、東京の周りに次々作られる環状道路の鉄道版?として
山手線の外側、武蔵野線の内側にもうひとつの環状路線を求める声は従来からあるとのこと。


そうしたものにメトロセブン(環七に沿って東京の北から東側を結ぶ構想)と
エイトライナー(環八沿いに東京の北から西側を通って羽田に達する構想)とがあるわけですが、
かつて杉並区に住んでいる頃(もう10年以上前ですが)確かにエイトライナーという言葉は

聞いたことがあるような。


何かと移り変わりの激しい世の中ですから

10年放って置かれたら計画は無いも同然のようにも思えますが、
今後の展開や如何に?のようでもあります。


できたらできたで利便性の向上ということになろうとは思うのですけれど、
どうも東京は事業主体の異なる交通網、

つまりは乗り換える度に初乗り運賃が必要になるケースが多くて、
本当に便利なんだかどうだか…という気がしないでもない。


相互に提携して乗継割引を導入している会社もあるものの、それもほんの一部。

まあ、それぞれが別の会社なのですから、まず自前の収益を確保せねばと考えるのは

致し方ないとも言えますが、公共交通機関を標榜するなら

これは何とかならないものかなと思ってしまいますですねえ。

(と、東武西板線の話からとんだぼやきになってしまいました…)