芝居をひとつ見てきたのですけれど、
なんともはや刺激に満ちたといいましょうか、考え方によっては驚くべきといってもいいかもしれんと。
劇団昴による「石棺-チェルノブイリの黙示録」という芝居であります。
「石棺」という言葉は文字通り石でできた棺のこととして古代史で出てくるわけですが、
今では、というよりチェルノブイリ以降は拡散する放射性物質を封じ込めるために
事故のあった4号炉をコンクリートで覆った構造物を指して言う言葉として定着してしまったかのよう。
ですので、あえてこの時期でもあり(?)「石棺」と言えば、
副題による補足を待つまでもなくチェルノブイリ原発事故絡みのものだなと思うのではないかと。
1986年4月26日未明のモスクワ放射線安全研究所。
旧ソ連邦下ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起こった爆発炎上事故によって、
重度の被曝を受けた人たちが次々と運び込まれて来ます。
原発の作業員、消火にあたった消防隊員、原発調査に出向いていた物理学者、
近くで農作業をしていた農婦などなどが起伏の波を繰り返しながらも、確実に死に近づいていく中、
モスクワでは原因究明の査問官を派遣し、彼らにレポートを求め、聞き取りを行っていくのですね。
こうしたことからこの事故が「人災」であることが浮き彫りにされていくところもすごいですが、
「人災」であるが故に爆発してしまった原子炉をまるで美しい芸術品であったかとのように
回想する作業員の言葉(つまり原子炉、原子力は悪くないと感じられる…)は強く印象に残ります。
印象に残るという点では、こんなところも。
「大事な雌牛の乳が張ってしまうから絞ってやりに帰らなくては。鶏にえさをやらなくては」
見えもしないし、臭いもない放射能に被曝しているという実感のない農婦のクラーワは
ひたすら家畜のことばかりを気にかけながら、こと切れていくという。
チェルノブイリといっただけで、福島のことを思うであろう中では、
こうしたひとつひとつの断片が極めて鋭利なものに思えてきます。
そうした鋭利さにえぐられた事柄はいちいち挙げることができないくらいに込められたこの芝居、
驚かされるのは芝居そのものの成り立ちでもありましょうか。
作者ウラディミール・グバリェフはロシアのジャーナリストで、
自らが事故直後のチェルノブイリを訪ねて生まれた話なのですけれど、事故が起きた1986年は
ペレストロイカとグラスノスチを合言葉にしたゴルバチョフ政権下であったとはいえ、
ソ連であったことには間違いない。
そのソ連にあって、こうした芝居が事故の4カ月後には
プラウダの姉妹誌である月刊誌に公表されていたことをどう考えたらいいでしょう。
単純な比較が馴染むものではないせよ、日本という国はどんな国…と感じてしまいます。
芝居としては、チェルノブイリ事故前から別の被曝で研究所預かりになっていた患者が
狂言回しとしてはいささか鼻につきすぎる嫌いがあったものの、
最後の最後でこれまたインパクトの強い発言を散発することになる目の離せなさも加わります。
ただ、英語翻訳版から起こした日本語台本には、
「何々だと思うね、彼がそう考えたのは」といった倒置的な言い回しが山ほど出てきて、
スムーズな理解を妨げている(ロシア人の人名の聞き取りにくさと相まって)ことが難ですが、
それはそれとしても、やはり「石棺」が凄い芝居であるいことは間違いないと思われますですね。