いやはや、曲の終結部で久しぶりに身にゾゾゾ!の感覚が走る演奏会でありました。

ワレリー・ゲルギエフ指揮、マリインスキー歌劇場管弦楽団の公演を

埼玉県所沢 市のホールで聴いていたら、ゾゾゾと。


マリインスキー歌劇場管弦楽団公演@所沢市民文化センター


ロシアのオケの来日公演は、ほとんどお決まりのようにチャイコフスキー をはじめとした

いわゆる「お国モノ」であるロシア音楽 のプログラムになる(させられる?)ようなところがありますですね。


実際、先に行われたサントリー・ホールの公演では

リャードフの小品、ラフマニノフ のピアノ・コンチェルトの3番、

そしてショスタコーヴィチ の交響曲第5番という、

いかにもプログラムが組まれていたようです。


ですけれど、ゲルギエフくらいの大物になるとかなりプログラミング が自由になるのか、

サントリー・ホールでの別の公演ではドニゼッティ の歌劇「ランメルモールのルチア」を

演奏会形式でやるといった、歌劇場のオケらしい演目を披露しているという。


そして、北は札幌から南は熊本まで日本のあちこちを回り、

おそらくは最終公演と思しきこの所沢での演奏会は、

グリーグ の組曲「ホルベアの時代から」、ブラームス の交響曲第2番、

そしてベルリオーズ 幻想交響曲 という内容でありました。


どうやら特別プログラムということなんですが、

一見したところ曲相互の関係にまとまりがあるわけでなし…てなふうに思ったものの、

聴き進んでいって「こりゃ、オケの実力を存分に聴かせたい」という意向なのだなと。


最初の組曲「ホルベアの時代」では人数を絞り込んだ弦楽の合奏で演奏されたわけですが、

これはまず弦楽部のちらり顔見世興行的なところかと。


それでも緩急取り混ぜた5つの小品からは、

北欧のモリエール と言われたホルベア(1684-1754)の時代、

つまりはバロック期の香りが立ち上るようでもあり、アンサンブルの洗練を思うわけですね。

とりわけ、チェロ・パートの深い響きと音色には、この曲の後も演奏会全体に渡って惹かれました。


こうした弦の小出しに続くブラームスの2番シンフォニーでは

「さあ、たっぷり弦の響きを聴いてもらいましょう」と始まって、

だんだんと管楽器が混ざり出し、最後には金管の咆哮で締めるというふうに
「木管、金管交えたマリインスキーはこうですよ」となるのですね。
そして、最後の幻想交響曲では打楽器も含めたフル・オケのパワー全開のほどをご堪能あれと。


ところで、ここでは咆哮とかパワー全開とかいう言葉を使いましたけれど、
予想に反して?粗野なところはいささかもなく、全体を通しておどろくほどにしなやかな印象。
フォルティッシモの強奏部分であっても、全く耳障りにならないのでありますよ。


では、完璧な演奏なのかというと

速いパッセージで時にヴァイオリンが流れてしまいそうであったり、
ブラームスの途中楽章でも管のあたりで「おや?」と思われたりするところながら、
むしろそれが思わぬ苦味になっているかもしれません。


コーヒー にしてもウィスキーにしてもブレンドをする場合に
非の打ちどころがない結果を期待しつつも全て丸く収まってしまっていると何だか物足りない。
少しは「おや?」という部分があって、むしろ個性化するといったようなところかも。


ブレンドの例えを出したところでさらに言いますと、オーケストラの音、
つまりはいろいろな楽器の個性的な音が集まってひとつにブレンドされた音というのは
こういう音だよなぁと思ったのですね。


小さな弦楽アンサンブルから大きな編成のベルリオーズまで、
指揮台も使わず、指揮棒も使わずに指揮者のゲルギエフ自身がオケに混じり込むようになりながら、
テルミンを演奏するかのように手をひらひらさせながら、個々の奏者の音を
マリインスキーというひとつのブレンドに仕立てているという。
そう度々は味わえないものを巡り合った、そんな気分になった演奏会でありました。

ということで(?)山梨県の石和温泉につかってきたのですけれど、

行きがてらに途中下車で立ち寄ったのが、塩山でありました。


塩山といえば、

中里介山の大長編小説で有名な「大菩薩峠」(全41巻だそうで)の登山口にあたるわけでして、

甲府方面へ向かうたびにいつか登ってやろうと思いつつそのままになってますが、

ともかくこたびはその塩山駅で下車したのですね。


紅葉もだいぶ山里に降りてきているだろうと思うところですが、

思いもよらずこの塩山でまっかな秋に囲まれたかの景色に遭遇したという。

そして、そのまっかの元はといえば、実は紅葉ではない…。


塩山駅を北口に降りて目の前に「甘草屋敷」という施設があるのですね。

重要文化財 に指定されている、このあたりの名主であった高野家の住まいであった建物ですが、

駅前のここを見てすでに「おお!」と。


甘草屋敷@甲州市塩山


ただこの写真では「おお!」の意味が不明やもしれませんけれど、

ここの傍らにあるサイクルステーションでレンタサイクルを借り、

こぎ出して先で見たものをご覧いただくと「おお!」の正体が判明することでしょう。


塩山の枯露柿


もうお分かりと思いますが、数珠つながりにぶら下げられた柿、柿、柿。

所謂「干し柿」作りの真っ盛りなのですけれど、ここいらでは「枯露柿(ころがき)」というようで。


渋柿の皮をむいて吊るし、三週間ほど天日干しするのだそうですね。

そうすると、水気がとんで枯れたようになり、「おお、甘露、甘露!」という味わいになる。

「枯露柿」の命名はそうしたことなんでしょう。(wikiによれば、砂糖の1.5倍の甘さになるのだとか)


もういちど甘草屋敷に戻ってよくみれば、柿の干してあるようすが窺えましょう?

近くで見るとこんな具合です。


甘草屋敷の枯露柿作り


で、こうした柿を干す風景がですね、レンタサイクルで走る途々、

至るところで見られるのですよ。


これはある意味、絶景であるなと思ってしまいました。

柿という果物は、(個人的印象ですが)とっても日本っぽい気がしますので、

それが山里のあちこちに吊るされた景色というのは、なにやら日本の原風景でもあるかな…

てなことを思ったりしたのでありました。


これは渋柿


それにしても、黙って食べたら渋柿なのに、

こうした加工法を考えた人はすごいですよねえ。


と、あっちこっちに柿の吊るされた風景の中、レンタサイクルで向かった先は

実は乾徳山恵林寺(けんとくさんえりんじ)という臨済宗のお寺さん。

甲斐の国といえばいまでもこの人!という武田信玄の墓所あるところなのですね。


武田信玄之墓@恵林寺


信玄の死を巡っては黒沢明監督の映画「影武者」で狙撃された傷が元といった描き方がありますが、

墓所に置かれた山梨県教育委員会の解説板には、単に「病のため」とあるのでして、

こうしたことの真相もいつぞや詳らかになるのでありましょうか。


ところで、このお寺さんは足利尊氏 の心の師にもあたる夢窓疎石禅師が招かれて

1330年に開山したという古刹。

庭園造りにも定評のある夢窓国師によって造られた庭園は国の名勝になっているという。


ですが、ここに関連して一番有名なことと思われるのは、

武田信玄の心の師(?)であった同寺の快川紹喜禅師が武田方であったがために

織田信長に攻められたときに残した言葉でしょうか。


「心頭滅却すれば火も亦た涼し」

有名ですねえ。

もっとも発言者たる快川和尚にしてもみれば

そんなお気楽なことを言ってられる状況ではなかでしょうけれど。


何しろ焼き討ちのまっかな炎に包まれて…。

そんなことに思いを馳せつつも、こちらはまっかな吊るし柿に囲まれている長閑さに

ほっとする塩山散歩なのでありました。


乾徳山恵林寺@山梨県甲州市塩山

先日の宇都宮行き に続いてまたしても唐突ですが、山梨県の石和温泉に来ております。


この時季の山梨と言えば、すっかりワイン色?とでもいいましょうか。

石和温泉のある笛吹市でもこんなイベントの真っ最中でありまして。


ぶどうEXPO2012


夏の間は暑い暑いと思っていたのが、

いつの間にやらお風呂に入ると「あ~、あったかい!」と思う今日この頃ですので、

基本線は温泉でまったり、ワインでほんのりなのですが、

また旅のお裾分けなどできるようでしたら、後ほどご披露いたすべく。


ではでは…。

先頃うつのみや妖精ミュージアム を訪ねたりもしましたので、

妖精のことを語らせたら日本一(?)とも漏れ承る同ミュージアムの名誉館長、

井村君江さんの「妖精本」を何かしら読んでみようかと。


妖精と言いますと、とかく「こんなふう」といったある程度固定的なイメージがあるものの、

その実、そうしたイメージ(ようするに「ピーター・パン 」のティンカーベルのような)は

「ほんの一部なのだな、本場(アイルランド とかイギリスとか)では」と思ったものですから。


そして、手に取ったのは実に謙虚?に入門書。

ただし、タイトルは「妖精学入門」とありますから、入門は入門でも学問研究への入門かとも。

まあ実際のところは、妖精雑学大全(抄)と言ったところでしょうか。

薄い本ですし。


妖精学入門 (講談社現代新書)/井村 君江


読んでみて思うところは、「妖精」なるものをやっぱりずいぶんと固定的なイメージで

とらえていてしまったのだなあということでしょうか。


日本語にした「妖精」にしても、そしてその英語原語である「fairy」とくればなおのこと、

羽の生えた小人を想像してしまうわけですから。


本書に紹介された「妖精」の仲間、

妖精ではないがそれに近いというのでなくて、妖精という集合に入るものとして

ゴブリンやマーメイドなんかも挙げられていたのですね。


結局のところ、日本でいうところの妖怪や幽霊の類いまでをひっくるめて

「妖精」という集合は成り立っているようです。


とまあ、かように「妖精」とは多種多様なようなのですけれど、

そのイメージがヴィクトリア朝にたくさん描かれた図像でもって代表され、

海を隔てた日本の片隅にいるものでさえ、ヴィクトリア朝期に描かれたような妖精像を

思い浮かべてしまうとは凄いことだなと。


ではありますが、そもそもヴィクトリア朝 の画家たちが

相互に似通ったイメージを持ったのはなぜなんでしょう。

これが!誰あろう、シェイクスピア の影響であろうということなのですよ。


シェイクスピアの芝居といっても、そうそう妖精が何度も登場するものでもなく、

すぐに思いつくのは「テンペスト 」と「夏の夜の夢」ですけれど、

影響度合いは何より後者でありましょうねえ。


何しろ妖精の王様、女王様、とりまきの妖精多数出演。

でもって、妖精とは言われるものの、「妖精」の集合の中でも周辺部に位置していそうな

パックことロビン・グッドフェローも出てきますし。


で、ここに出てくる妖精たちというのが、豆の花やらからしの種、蛾の羽根、

そして蜘蛛の巣の精ということでいかにも小さいものたちばかり。


キリスト教は、というよりカトリックは唯一神を奉ずる宗教でありながら

布教の過程ではその土地土地独自の信仰をある程度許容し、

ときには取り入れてしまったりしたわけですが、

アイルランドへ布教をおこなった聖パトリックなどもケルトの信じるドルイド 信仰に寛容であったとか。


妖精の言い伝えの多くがケルト系の神話から派生しているところからすればなるほどですし、

日本古来の発想としてある八百万の神々よろしく、森羅万象には不思議な力があり、

その力のもとは妖精にありてなふうにケルトの人たちは考えていたという。


つまり、シェイクスピアの「夏の夜の夢」に触発されれば、

豆の花にもからし種にも不思議な力(妖精)があるのなら、

他にもたくさん「何々の精」はありそうだと思うでしょうし、

姿かたちが似たようなものだとも思ってしまうかもしれませんですね。


…てなあたりは、勝手に想像したことがだいぶ入り込んでますけれど、

そんなこんなことあらばこそ(女王様ともなれば小さいだの、かわいいだのとはちと違う気がするものの)ティターニアまでこんなふうに描かれたりするようになるのですよね。


妖精美術館/井村 君江


これは「妖精学入門」の著者・井村君江さんが監修している「妖精美術館」なる本の表紙。

ジョン・シモンズ描くところのティターニアをあしらっていますけれど、

うつのみや妖精ミュージアムで見たところ、「あ、こんなちっちゃかったの?ティターニアは」

と思ったわけです。


だいたい、ティターニアという名前からして

タイタン(巨人族)の娘というようなネーミングのようで、

伝承の中には巨人族が小さくなってしまう謂われもあるようなですが、それにしてもここまで…と。


おそらくは伝承は薄れても、あるいは伝承を薄れさせるほどに

シェイクスピアの影響力が強かったということになりますでしょうか。

何かと腐しがちな物言いをすることしばしでありますけれど、

「素敵な映画を見たなぁ、いい話だったな」という印象が残る作品、

「チキンとプラム あるバイオリン弾き、最後の夢」であります。


映画「チキンとプラム あるバイオリン弾き、最後の夢」

例によってほとんど予備知識はなく、「バイオリン弾き」という副題にあるところから

音楽に関わる映画なのかなと思っただけで見たのですけれど、

素敵な映画だなと思ったのは、そのファンタジックな映像からなのですね。


監督のマルジャン・サラトピという方は、おおざっぱにいえば漫画家であったようで、

自作を映画化して脚光を浴び、本作の制作に至る…といったところのようです。


それだけに(?)映像の作りは極めて自由であって、自在。

実写に紛れてトイ・シアター 状の人形芝居になったり、

そうしたことが子供だましというより、ファンタジーの雰囲気たっぷり。


一方で「いい話だったな」というのは、基本的にラブ・ストーーリーであって、

「叶わない恋は美しい」といいましょうか、そうしたわりと多くの人にそれぞれピンとくるようなことを

思い出させて、しばし夢うつつの気分にさせてしまうところがあるからといいましょうか。


それが証拠にこうした部分に関しては、オフィシャル・サイトを見ても著名人?から寄せられた

絶賛コメントを見ていただければいいので、これ以上触れるまでもありますまい。

ただ(と言って腐しにかかるわけではありませんけれど)付け加えるならば「痛い話」だということも。


バイオリニストのナセル・アリは若き日に恋をした。

相手のイラーヌもナセル・アリを振り向いて恋は実ったかに見えたものの、

二人の結婚は許されることはなかった。


時を経てイラーヌは堅実な家庭を持ち、ナセル・アリの方はといえば、

母に勧められるままに(「愛は後からついてくる」と言われ)ファランギースという女性と結婚をする。


こうしたところに触れただけで、

ナセル・アリとイラーヌの「叶わなかった恋の物語」という部分が浮かびあがりがって、

どうしてもファランギースのことは措いておかれがちになるのではないかと。


映画の中で、ナセル・アリが死を決意するきっかけを作ってしまったのはファランギースで、

しかも当の本人にはその自覚がない。

つまりは全くもって理解できない人の伴侶になってしまったわけです。


なお痛いのはナセル・アリが母の勧めるままの結婚であったのに対して、

ファランギースの方は互いに紹介される以前がらナセル・アリを遠くからみて慕っていたという。


それだけに(それだからこそ)ファランギースには

「こんなはずじゃなかった…」という思いが強くあって、

その焦燥が募れば募るほどナセル・アリに当たることになり、

結果はより悪くなるという繰り返し…。


こうしたことを見るとファランギースの恋はたまたま外圧的に(?)叶ってしまったのであって、

もともと叶うはずでなかった(叶うべきではなかった?)ものだったのかもですね。


そして一方、ナセル・アリとイラーヌの恋の方はさもロマンティックに思えて、

こちらは実際に叶わないものであったわけです。


両者を裏表の関係のように考えてみると、

叶わない恋にはやはりうまくいかない「何か」があるのではないかと。

だから、無理に叶ったように見える恋は思わぬ落とし穴に落ち込むことにもなるといった…。


「恋」というのはある意味、非常に激した感情であって、

それこそ脇目もふらないことも、前後の見境もないということもよくある話なわけです。


でもって、恋のたどりつく先に結婚があるとして、

恋と結婚両者のありようはずいぶんと違うものだとは経験者なら誰もが思うところでありましょう。

ただ、そうしたことに渦中の当事者は気付くことも思い至ることもないのですよね。


その点ではナセル・アリの母親(イザベラ・ロッセリーニ!)の言った

「愛はついてくる」ということもあながち間違いではないと思われるわけですが、

いかんせんファランギースは人知れずナセル・アリを慕っていたのが

むしろ(恋とは係わりなく愛を育むことにならない点で)敗因になっているという皮肉が

隠れていたりするようにも思われます。


別に運命論者ではないのですけれど、叶わぬ恋には何かしらの理由がある。

実らないということは実るべきでない何かがあるといいますか、

実らなかったことが結果的には良かったのだ…という気もしているのですよ。

かなり個人的な(経験による?)思いかもしれませんけれど。


と、どこまでが映画の話か分からなくなってきてますが、

この映画を見てそんなようなことを思い起こさせてもらったりもしたわけで、

月並みな言い方をすれば心の琴線に触れる映画ではないかと。

ただし、その琴線への触れ方にはいろいろあろうとは思いますが…。