ちょっと前に栃木県立美術館 に出かけた当初のお目当ては

高橋由一 と言いながら余り触れてもいず、
さらに前に府中市美術館で「デルヴォー」展 を見たときに

常設展「明治・大正・昭和の洋画」も覗きながらこれにも全く触れていなかったので、

ちと両者を絡めて日本の洋画のそもそもは…といったあたりに立ち入ってみようかと。


高橋由一(1828-94)はその生没年を見ても分かりますように

明治の人というよりは江戸期の人であって、
日本の洋画(つまりは油絵ということになりましょが)の幕開けでは
相当な先駆者の一人ということになりましょうね。


先にもこの部分だけは言及したとおり由一は佐野藩江戸邸で生まれたわけですけれど、
もともと高橋家は武家であって、しかも佐野藩の剣術指南のようなところを担う家柄だったようです。


当然、由一もその役割を継承すべき立場でありましたけれど、

どうやら体が弱かったらしく叶わず、好きだった絵の道に進むことを許されます。


されど、武家の人間としてはいくら好きな道を許されたとはいえ、

無念!の思いを胸に秘めていたのか、絵画を極める思いであったそうな。


そうした気負いを持って絵の世界に臨もうとした矢先、

由一はヨーロッパから伝わった石版画を見る機会を得、
驚きを隠せないほどの衝撃を受けたそうでありますよ。
そのときの由一の言葉が伝わっています。

嘉永年間、或ル友人ヨリ洋製石版画ヲ借リ受ケ観タリシニ、悉皆真ニ逼リタルガ上ニ一ノ趣味アルコトヲ発見シ、忽チ習学ノ念ヲ起セル

後(1877年頃)にあの有名な「鮭」の絵に

それまでの日本画とは全く異なるリアリティを描き出した洋画家・高橋由一が

はじめの一歩を踏み出した瞬間でありますね。


もちろん由一以前にも、

司馬江漢ですとか亜欧堂田善ですとかが洋風絵画を試みていたようですけれど、
さきほど触れたような気概を持った由一ですから、見よう見まねでは我慢ならず、
横浜にイギリス人の画家がいると聞き及ぶや、弟子入りを願い出るという。


このイギリス人画家というのがチャールズ・ワーグマンでありまして、
本職は「イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ」の特派員なのですね。
ですから、報道画家であったとは言えるにしても、本職の「画家」とは言い切れないような。


それでも、ワーグマンは由一や五姓田義松ら日本洋画黎明期の画家たちに油彩を伝授したことで、
日本の美術館ではその作品を見ることができますですね。


ところで由一ですけれど、
ワーグマンの教えを乞うために江戸からせっせと横浜まで歩いて通ったのだとか。
未だ維新の声を聞かぬ頃で岡蒸気もない時代ですから、みんな歩いていたのかもですが、
由一の気概が伝ってくるような話ではないかと。


こうしたことを経て迎えた明治。
画塾を開いて洋画の魅力を伝えていきながらも、自らの精進もまた惜しまず続ける由一は
1876年(明治9年)に開設された工部美術学校(工部省附属のということですね)に招かれた
御雇外国人教師の教えを受けることになります。


この御雇外国人がイタリア人画家のアントニオ・フォンタネージ で、
フォンタネージ作品もまた日本の美術館ではままお目にかかるところではないでしょうか。


フォンタネージはイタリア人ながらバルビゾン派 の影響を受けた人物らしく
風景画を得意としたようですが、デッサンを基礎に置く指導は
本格的な油彩画を日本に定着させる役割を十分に果たしたようでありますよ。


こうした教えをきっちりと身に付けて由一は後進の指導に当たっていったと言いますが、
体が弱く藩の武術指南の役どころを継げなかった由一は、
さしずめ剣を筆に持ち替えて多くの者に洋画の指南を施したというべきでありましょうか。


精進の賜物としての作品は、先に触れた「鮭」の絵を見た当時の人々が
あまりのリアルさにまるでトロンプルイユ を見るかのようであったそうな。


また、「鮭」よりももう少し前に描かれた「花魁」では、
江戸期の役者絵のようなものとは全く違う写実的な描き方だったこともあってか、
モデルになった小稲花魁は「あちきはこんな顔じゃござんせん」と泣いて怒ったという話が
伝わっているのですね。


高橋由一「花魁」


とまれ、高橋由一が関わった日本の洋画のそもそもは、波乱の幕開けであったことでしょう。


・・・と、由一のことだけで長くなってしまいましたので、
他の人たちのことはまた折に触れて記すといたしまする。

しばらく前に「ロード・オブ・ザ・リング 」3部作をもう一度まとめて見てみよう、

つられて「ハリー・ポッター 」シリーズ8作も続けて見るとしよう、

ついでに(傾向はずいぶん違うものの)「ダイ・ハード 」シリーズ4作も…てなふうな

一気見を展開しておりましたけれど、このところ続けて見ていたシリーズがようやく終了。

「007」シリーズ、22作+1作という長丁場を3カ月ほどかけて見終わりました(ふぅ)。


ここで22作+1作と申しましたのは、

いささか番外編めく「ネバーセイ・セバーアゲイン」を「+1」としているものですから。


ただ、こうした番外を併せてということなら、

1967年版「カジノロワイヤル」(007がたくさん出てくるパロディ映画)も思うところですが、

ここでは007本来のスパイ・アクションものだけということにしておきましたですよ。


ということで、以下にずらぁり「007」もののDVDジャケットが並んでおりますが、

どの辺りを懐かしく思うかで自ずと年代が知れようというものの。

とまれ、初代ショーン・コネリーのシリーズから見ていったわけであります。


007 ドクター・ノオ (デジタルリマスター・バージョン) [DVD]/ショーン・コネリー 007 ロシアより愛をこめて (デジタルリマスター・バージョン) [DVD]/ショーン・コネリー,ロバート・ショー,ダニエラ・ビアンキ 007 ゴールドフィンガー (デジタルリマスター・バージョン) [DVD]/ショーン・コネリー,ゲルト・フレーペ,オナー・ブラックマン 007 サンダーボール作戦 (デジタルリマスター・バージョン) [DVD]/ショーン・コネリー,アドルフォ・チェリ,クロディーヌ・オージェ


007は二度死ぬ (デジタルリマスター・バージョン) [DVD]/ショーン・コネリー,ドナルド・プレザンス,浜 美枝 女王陛下の007 (デジタルリマスター・バージョン) [DVD]/ジョージ・レーゼンビー,テリー・サバラス,ダイアナ・リグ 007 ダイヤモンドは永遠に (デジタルリマスター・バージョン) [DVD]/ショーン・コネリー,チャールズ・グレイ,ジル・セント・ジョン

そもそもどの役者がジェームズ・ボンドらしいのか。

イアン・フレミングによる原作をさほど読んだことはないのですけれど、

少なくとも「「Who are you?」と問われたときの「My name is Bond, James Bond.」と応え方で

もっとも板についているのはショーン・コネリーのような気がしますですねえ。


そして、ボンド・シリーズには「ボンド・ガール」などと呼ばれる女性の登場人物が必須なわけですが、

それとの関係においていちばんボンドらしい(?)のもショーン・コネリーではないかと。


ただし、この頃の女性の描き方というのは、

今から考えると非常に女性蔑視的なものであるのは論をまたないところかと。


どの作品だったかすでにごちゃごちゃになってますが、

「あなたとベッドをともにした女はみな良心にめざめるとでも思っているのでしょう」

という辛辣な言葉が投げかけられる場面もでてきます。


実際、「ゴールドフィンガー」に出てくるプッシー・ガロア(オナー・ブラックマン)などは

そのネーミングのどっきり度合いをともかくとしても、

ボンドに無理無理組み敷かれたかと思うと、当然のようにボンド側に寝返ってしまうわけで

先の言葉とおりの描かれて方をしているわけです。


これがピアース・ブロスナン の頃になると、

ミス・マニーペニーから「セクシュアル・ハラスメント」という言葉が出てくるようになるのですね。

ボンド・シリーズにあっては驚異的なひと言なんですが、

そういう言葉を使わずともそうした考え方が映画に反映するのはかくも遅かったのかと。


日本においてさえ「1989年の新語・流行語大賞の新語部門・金賞を

『セクシュアル・ハラスメント』が受賞」(Wikipediaより)したということですから、

ピアース・ブロスナンのシリーズ開始が1995年とはいかにも遅い気がしないではないですなあ。


007 死ぬのは奴らだ (デジタルリマスター・バージョン) [DVD]/ヤフェット・コットー,ロジャー・ムーア,ジェーン・シーモア 007 黄金銃を持つ男 (デジタルリマスター・バージョン) [DVD]/ロジャー・ムーア,クリストファー・リー,ブリット・エクランド 007 私を愛したスパイ (デジタルリマスター・バージョン) [DVD]/ロジャー・ムーア,クルト・ユルゲンス,バーバラ・バック 007 ムーンレイカー (デジタルリマスター・バージョン) [DVD]/ロジャー・ムーア,ミシェル・ロンズデール,ロイス・チャイルズ


007 ユア・アイズ・オンリー (デジタルリマスター・バージョン) [DVD]/ロジャー・ムーア,ジュリアン・グローヴァー,キャロル・ブーケ 007 オクトパシー (デジタルリマスター・バージョン) [DVD]/ロジャー・ムーア ネバーセイ・ネバーアゲイン [DVD]/ショーン・コネリー,クラウス・マリア・ブランダウアー,キム・ベイシンガー 007 美しき獲物たち (デジタルリマスター・バージョン) [DVD]/ロジャー・ムーア,クリストファー・ウォーケン,タニア・ロバーツ


ところで(と、ジョージ・レーゼンビーの存在を端折ってますが、基本的にはコネリーの延長線上か?)、

1970年代に入るとロジャー・ムーアの時代になりますですね。


実のところ、ショーン・コネリーの勇退を受けて登場したロジャー・ムーアですが、

年齢的にはコネリーよりも上であったのですよね。


実はこのときすでにボンド役としてのオファーを、ティモシー・ダルトン は受けていたのだとか。

ただリアリティーにこだわりがあったようで、ボンド役に魅力を感じつつも、

「ジェームズ・ボンドの人となりから考えてと30代後半あたりであるのに、自分では若すぎる」と

辞退したそうな。


そこでロジャー・ムーアが演じたボンドはといえば、

かなりコメディ風味をちりばめた、それはそれで面白さを満載したものになったような。


年齢が結構いってるわりにはおちゃめなキャラを立てて、

「死ぬのは奴らだ」、「黄金銃を持つ男」と続けてペッパー保安官(クリフトン・ジェームズ)という

ボケ役を登場させたりする小細工も駆使して、笑えるボンド映画を作りだしてましたですねえ。


007 リビング・デイライツ (デジタルリマスター・バージョン) [DVD]/ティモシー・ダルトン,ジョー・ドン・ベイカー,マリアム・ダボ 007 消されたライセンス (デジタルリマスター・バージョン) [DVD]/ティモシー・ダルトン


そして、80年代の最後になって本当にロジャー・ムーアがくたびれてしまった頃、

満を持してティモシー・ダルトンがボンドを演じます。


先にも触れたとおり、リアリティー志向ですから、

笑える要素はいささかかげをひそめて、ボンド・ガールにしてもダイナマイト・ボディ的なところよりも

かわいらしい系であんまり水着になったりしないわけです。


ただロジャー・ムーアが思いの他頑張って長く演じたこともあってか、

ティモシーの出番は2作にとどまり、演ずる側のリアリティー志向も絡んででしょうか、

「消されたライセンス」といういささか重苦しい作品で次回作までは6年ほどの時間が空くことになりますね。


007 ゴールデンアイ (デジタルリマスター・バージョン) [DVD]/ピアーズ・ブロスナン,ショーン・ビーン,イザベラ・スコルプコ 007 トゥモロー・ネバー・ダイ (デジタルリマスター・バージョン) [DVD]/ピアーズ・ブロスナン,ジョナサン・プライス,ミシェル・ヨー 007 ワールド・イズ・ノット・イナフ (デジタルリマスター・バージョン) [DVD]/ピアーズ・ブロスナン,ロバート・カーライル,ソフィー・マルソー 007 ダイ・アナザー・デイ (デジタルリマスター・バージョン) [DVD]/ピアース・ブロスナン,ハル・ベリー,トビー・スティーブンス


でもって、90年代に入りピアース・ブロスナン登場となります。

が、こうした流れの中ですでに「オクトパシー」の段階でボンド役のオファーがなされたのが

アメリカ人のジェームズ・ブローリン なのですけれど、

制作側に最終的には「アメリカ人ではどうよ」という思いがあったにせよ、

強く強く本人が望んでいたどうなっていたことか。


ちなみにブローリンのスクリーン・テストの映像がDVDの特典で入ってたりしますけれど、

演じるところはといえば「ロシアより愛をこめて」のワン・シーン。

制作側としては、「ロシアより愛をこめて」の出来を評価していたんでしょうか。


実際、コネリー=ボンドと殺し屋グラント(ロバート・ショー)が

オリエント急行のコンパートメントで闘うシーンのオマージュと思しき場面が

少なくとも二度はその後のシリーズに登場しますですね。

(「死ぬのは奴らだ」と「私を愛したスパイ」だったでしょうか)


ところで、ブロスナン=ボンドですけれど、何につけ揺り戻し的なことはあるわけでして、

またまたいささかの笑いに返ったふうが無きにしも非ず。


「ダイ・アナザー・デイ」などは「いったいどこが笑えるのだ?!」と突っ込まれるかもですが、

かつてに比べると当然のように時の流れを経て映像のハイテク化が進んだために、

いろんなシーンがなんともいえず大げさなのですよ。

これを笑わずしてどうしようというくらいに。


007 カジノ・ロワイヤル [DVD]/ダニエル・クレイグ,エヴァ・グリーン,マッツ・ミケルセン 007 慰めの報酬 [DVD]/ダニエル・クレイグ,オルガ・キュリレンコ,マチュー・アマルリック


というふうに、実に雑駁に振り返ってきてたどりつくのは

現在進行形のダニエル・クレイグによるシリーズです。


振り子が右に左に触れるように、

ここへ来てまたティモシー・ダルトンが作ろうとして続かなかった方向に振れ戻ったような。

しかもそれをさらに突き詰めたようなボンド像が作られつつあります。


それぞれの作品の最後にお決まりのように表示される「James Bond will return」。

ほどなく新作の「スカイフォール」が公開されますけれど、

この先にジェームズ・ボンドはどうなっていくのでありましょうか。


実のところも「もういいかも…」と思いつつも

(もはやジェームズ・ボンドを主人公とすることに、ストーリー上どれほどの意味が?という点で)

やはり気になるところではありますねえ。

先頃に塩山石和勝沼 と山梨県を訪ねたわけですけれど、
山梨県、甲斐国となれば、どうしたって武田信玄ということになりましょうから、
旅の往復に関連本を読んでいたのですね。


そのときにちと読み余していたのが読了したところで、ちいとばかり武田信玄のお話を。
読んでいたのは岩波新書の「武田信玄と勝頼-文書にみる戦国大名の実像」という一冊です。


武田信玄と勝頼―文書にみる戦国大名の実像 (岩波新書)/鴨川 達夫

先に栃木県立博物館で足利尊氏展 を見たときにも思いましたけれど、
歴史研究が進むと以前の教科書では当たり前だと思っていた歴史もあっさりひっくり返ることがあり、
そうしたことは常に現在進行形なのだということですね。


著者は信玄、勝頼の二代に武田家から発せられた文書を丹念に読み込むことで、
両人の人となりを浮かびあがらせることを試みているわけですけれど、
まずは文書を読むに当たっての注意点・留意点を、実例を参照しながら語り聞かせてくれるあたり、
あたかも著者の講義に出席しているような気になります。


大きな注意点のひとつとして、文章が漢文調で書かかれているということ。
これを読み下すには、まさに漢文同様に行ったり来たりして読まなくてはならないことになりますが、
返り点のような便利なものはいっかな付いていない。


ですから、読み方の可能性が幾通りか生ずることがあり、
時には主語と目的語とがどっちがどっちか判別しかねるとき、
過去なのか未来なのか時制を判別しかねるときなどは、
読みようによって文章から読み取れる内容が正反対の意味になってしまうのだとか。

(例えば、「出陣した」のか「出陣する」のかは大きな違いですよね)


さらに、文書が手紙である場合には日付は書いても年号を記すことはなかったことから、
後世の者が読むにはいったい何年に書かれた手紙なのかを判断しなくてはならないのだそうです。


当時は手紙のやりとりにそれなりの時間が掛る一方で、

1年以上かかって到着することもないであろうとして、手に落ちた手紙の日付だけ見れば、

どのくらい前のことだか分かるというのが常識だったのでしょう。
だから、敢えて年号を書くまでもない(と、これは推測ですが)。


当然、何百年も後の人間が読み解こうとするなど、

当時の人たちの考えも及ばないことでしょうしね。


こうしたことの解決方法としては、

読めない部分、分かりにくい部分に仮の解釈を与えてみて全体に齟齬を来すことはないか、
日付の近い手紙や他の文書との関連に違和感はないかなどなどから探るようです。


書かれた年が分からないものの、内容から推測した上で、
近い年月に書かれた(ことはおよそ判明している)他の文書の記載と付き合わせてみるといった

作業が必要となるようですね。


で、こうした丹念な読み解きを施していくと、どうやら先行の研究者が下した解釈を
それこそひっくり返すような指摘があれこれ生じているようなのですよ。


そうした結果として、武田信玄は、勝頼はどういう戦国武将であったか、
その実像は?という話に繋がってくるわけです。


極めて単純にですけれど武田信玄のイメージは?となると、「豪の者」といった印象でしょうか。
この間山梨県に出かけたときにJR塩山駅の駅前に鎮座ましましている信玄像を見ましたが、
この単純な印象を裏付けるものであったような。ちなみに、その写真です。


武田信玄公之像@JR塩山駅前


父・信虎から武田家を奪い取り、嫡子・義信を自らへの謀叛の科により追い落とした信玄。
周囲の大名が誰しも恐れた風林火山の旗印を掲げた武田騎馬軍団の総帥。
とにもかくにも武田信玄は、戦国武将をそのまま絵に描いたような「豪の者」ではないかと。


さりながら、先程来触れたような文書の丹念な読み解きを行うと、
実に実に意外な姿が浮かび上がってくるのですね。


普段から文書は右筆に書かせているとはいえ、

自ら書かないときなど一通を認めただけでくたびれてしまう信玄。
信濃の武士に動員をかけたものの、受け入れられるかが身悶えするほど心配で、

実情調査を報告させようとする信玄。


「今、信長に見放されたら、やっていけん…」てなことを漏らしていたりもするようです。

時の状況は北に上杉、南に今川 、これで西側が不穏になったらたまらん…

ということだったにしても、弱音を吐く信玄とは…。


こうしたことに併せて、
近年の研究で最も信頼できる信玄の顔立ちとされる肖像画(東京都・浄真寺蔵)が

掲載されていたのですが、「鎧をまとう人びと」(内容は読んでないので不明)という本の表紙に

なってますから、それを引用してみるとしましょう。



どうでしょう(といっても小さいので、Amazonの頁で拡大イメージをご覧いただくとか…)。


例によって受け止め方は人それぞれと思いますが、
個人的に武田信玄=「豪の者」と思っていたイメージは大きく揺らぐことになりました。
なんだか神経質そうだなと。


一方で勝頼はといえば、

結局信玄の遺産を引き継ぐには(と、ここでの信玄は「豪の者」イメージとしてですが)
いささか荷が重い、そしてそのことに気付いていないような人物と思っていましたが、
どうやらそれだけではなさそうな。


なんだかこれまでに習った歴史というのはひっくり返されるためにあるような、
そんな気のしてくる今日この頃でありますよ。

近隣の東京都立川市にある昭和記念公園 は何度も訪れたことがあり、
記事の中にも関わりが紛れ込んでいたりしますけれど、

ここは1977年(昭和52年)に返還されるまで米軍基地(キャンプ・フィンカム)の

一部であったのですね。


一部というからにはその他の部分があるわけですが、

自衛隊の立川駐屯地として使われている部分、
そして立川広域防災基地という仰々しい名前のもと、
警視庁や東京消防庁、

海上保安庁などの建物、農林水産省の倉庫、国立病院機構の災害医療センター、

赤十字社の血液センターなどなどが集まっている部分があるという。


なんでも「広域的な災害が発生した場合、人員・物資の緊急輸送の中継・集積拠点として、
災害王宮対策活動の中枢を担」う場所なんだそうです。


ところで、これに近接しておよそ防災とは関わりのなさそうな国絡みの

施設のある区画もありまして、ここで比較的大きめな敷地を持つのが自治大学校。


といっても何をやってるところかよく分かりませんで、

この際ですから役割のほどを調べてみました。

高度な研修や専門研修を通じ地方公共団体の幹部となる職員の総合的な政策形成能力や行政管理能力を育成する

そうでしたか。
地方から立川にたくさんの公務員の方々が研修にくるのですなぁ。


自治大学校のほかには、国の研究施設の類いがいくつかあるようですが、
その研究施設で一般人向けの展示やイベント等があるということを、

つい先ごろになって知ったのでありました。
研究成果の国民への還元てなところなんでしょうかね。


と、思い切り長い前置きでしたけれど、ようやっと本筋にたどり着きました。
その研究施設の一つで開催中の展示を見に行ったというお話です


出かけた先の正式名称が実に長い。

「大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館」


とまれ、その資料館で開催している研究展示

「江戸の表現-浮世絵・文学・芸能-」を見てきたのでありますよ。


「江戸の表現-浮世絵・文学・芸能-」@国文学研究資料館


海外との門戸を閉ざした日本にあって江戸期の文化が独自の発展を遂げたことは
いろいろな展覧会を見たりしたときに毎度思うことですけれど、
思うことの中に「のびやかさ」といったものもあるのではないかと。


これは滑稽なことを受容するゆとりにもなろうかと思いますが、
今回の展示でもそうした面が感じられるものが見られましたですねえ。


ですが、何も江戸期になって突然遊び心が湧き起こったというわけでもなく、
例えばですが十六世紀末の作とされる「阿不幾集(あふぎしゅう)」という絵巻が展示されていました。


橋の上に白い鳥と唐傘が描かれている扇面を持つ扇の絵、これが何を意味するのか?

答えとして、白い鳥は「鷺」で傍に「傘」がありますから「傘、鷺」=「かささぎ」となって、

それが橋の上にいますから「かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける」
という百人一首にもある大伴家持が詠んだ歌を言い当てれば「正解!」というなぞなぞ遊びなのだとか。


これなどはかなり品のいい遊びでしょうけれど、

判じ絵や地口の類は多分に庶民感覚に近いものかと。


判じ絵は絵を文字として読み解くもの、

地口は今でいうダジャレ、おやじギャグと言われてしまうような
「その手はくわなの焼き蛤」といったものですね。


展示では隈取りも鮮やかな役者の顔が描かれた傍に小さく置かれた

絵文字を読み解くものがありましたが、幅の狭い階段と濁点のついた侍の姿、

そして蝋燭が描かれており、最後の蝋燭から「~郎」という役者の名前だろうと思うものの、
その前の階段と侍がさっぱり?


幅の狭い階段はすなわち半分の階段のことで、階段の半分だから「段」なるという。
侍の姿はよほど当時の文化に詳しくないと分からないのでしょう、
どうやら仮名手本忠臣蔵 の一場面らしく「忠」を導き出して、

それに濁点が付いているから「ぢゅう」と読ませるらしい。
みっつ合わせて「段」「ぢゅう」「郎」=「団十郎」だとは、これいかに。


とまあ、いくら面白いからとあれこれ挙げては切りがありませんから、
もうひとつだけ「東海道五十三駅鉢山図絵」というもののことを。


盆栽と箱庭がお得意の日本らしい趣向のような気がしますけれど、
東海道五十三次の各宿駅のようすを盆栽のような鉢の上に再現するという趣向で、
広重 の作品に影響を受けたとされる宿駅のようすを鉢ともども描いて冊子になっています。


「東海道五十三駅鉢山図絵」より(「江戸の表現-浮世絵・文学・芸能-」展フライヤーの一部


これは上のフライヤーから一部を拡大したものですけれど、

ご覧のとおり日本橋 の情景が鉢植え状態になってます。

これが東海道の宿場ごとに続くのですから、面白楽しい本だなと。

もしかしたら、当時は実際に鉢の上でそういうことをした人がいたかもしれませんですね。


最初の方で「研究成果の国民への還元」てなことを言いましたが、
当然?入場は無料でもって、展示内容に関する実に詳しい冊子までもらえるのですよ。


近くにあるのに資料館の存在にちいとも気付かないでいましたが、
これからはイベント情報を気にかけておくといたしましょう。


ちなみに、これも知らなかったことですが、

資料館と同じ建物にある国立極地研究所には南極・北極科学館という施設があるそうな。
当日は休館してましたが、今度開いている日に覗いてみようと思っておりますよ。

石和でたっぷりと温泉に浸かり、さぞやデトックス効果もあったことであろうと思いつつも、
そうした場所の近くにワイナリーがたくさんあるというのは、いかがなものか…。


出がけにも書きましたように、石和温泉のある笛吹市では
ちょうど「ぶどうEXPO2012 」なるイベントの期間中ですので、

ワイナリー巡りといった企画もあったわけですが、
折しもどんどん悪天候へと向かっていると思しき空模様を見ては、

少々思案が必要になるという。


結果としては笛吹市には申し訳ないながら、

お隣の甲州市に浮気(移動)させてもらうことにしたのですね。


甲州市には何があるか言いますと、

ぶどうの産地としては石和よりさらにさらに有名な勝沼があるのでして。
JRの駅名まで「勝沼ぶどう郷」となっているくらいですし。


で、空模様がよろしくない中でワイナリー巡りをするのなら、

石和でも勝沼でも一緒ということになりますが、
勝沼には「ぶどうの丘」(地名でなくって、施設の名前)という所がありまして。


ここでは地下のワイン・カーヴでは約180銘柄のワインを試飲できるというのですね。

工場見学的な要素は無いにしても、飲み比べならばここで存分にできてしまうわけです。


まずは気分からソムリエにということでしょうか、
入場券代わりのタートヴァンを購入するところから始まります。


「ぶどうの丘」のタートヴァン


地下に降りて行きますと、こんな具合にずらりとワインが並んでおりまして、
ワインを寝かしてある棚の間にはワイン樽の上にコルクを抜いたワインが何本も。
一つとして同じラベルがないという。


「ぶどうの丘」の試飲用ワイン


入口側から奥に向かって、まず白ワインが辛口から極甘まで順に並び、
もうひとつの列には赤ワインがフルボディからライトボディ、奥にロゼが置かれているという並び。

さらには、つい先日解禁になったボージョレー・ヌーヴォーならぬ勝沼ヌーヴォーのコーナーも。


「ぶどうの丘」のワイン・カーヴ


ちなみにタートヴァンの購入は1,100円ですので、

ボトル半分くらいは飲まないと思うわけですが、
タートヴァンを使ってティスティングするということと「元を取る」というのは

本来馴染みませんですね。


ですが、こうしたところに集っている人の多くは

「もう十分に元をとっているだろうよ」という人ばかり。
赤ワインより顔の方が赤いよと。


ただ、そうなってしまってから入浴するのはどうかと思いますが、
「ぶどうの丘」には「天空の湯」という温泉もありまして、

ぶどう畑を見下ろす丘の上の露天風呂は驚くほど肌がつるつるするお湯でもって、

かなりしゃきっとした心持に戻してくれるところでありますね。


「ぶどうの丘」からの眺望

これは露天風呂からではありませんけれど、

「ぶどうの丘」の天空ぐあいを何とか感じていただけようかと。


天気さえよければ、さぞ見晴らしのきく景色であろうと思うのですが、あいにくの空模様。

駅に戻って「ぶどうの丘」をかえりみると、
丘があるはずのあたりはすっかり霧に包まれてしまっていました。


「ぶどうの丘」は竜の巣に隠されて


この写真をご覧になっても「何のことやら?」でしょうけれど、

本当は正面にこんもりとした丘があるのですよ。
「天空の湯」という温泉の名前とすっぽり雲に隠された状態とを見ると、

ついつい「天空の城ラピュタ」を思いだすところかと。
(と、ここになってこの記事タイトルに「竜の巣」と出てくる由縁にお気づきかと思います)


駅のホームから丘と反対側をみれば、やっぱりぶどう畑。
ぶどうの木も色づくのですなあ。


色づくぶどう畑@山梨県甲州市勝沼

ここまで天気が悪くなるのなら、

前日のうちに撮っておけばよかったと思いましたが、後の祭りということで。

てなことで、雨の中ワインを5本抱えて帰途についたのでありました。