…ということで、栃木県宇都宮市の美術館・博物館を廻ったその合間、

通りすがりにちょこっと撮った写真で落ち穂拾いをしておこうかと。


まずはJR宇都宮駅から栃木県立美術館 に向かい、レンタサイクルで西へひた走る途中、

ちょっと右側の住宅街に入り込んだのですね。

たちどころに迷ってしまいましたが、ちと見てみたいと思った建物にようやく到着しました。


聖ヨハネ教会@宇都宮

日本聖公会 の宇都宮聖ヨハネ教会であります。

宇都宮美術館 でも使われていた名産の大谷石を組み上げた味わいある壁面がいいですよね。


国の登録有形文化財に指定されているそうです。

門がばっちり閉ざされていたので、外観だけなのがいささか残念ですが。


お次もやはり教会。

栃木県立博物館 から駅前に戻る途中で立ち寄ったのですけれど、

ぱっと見、ここは日本か??…と。


松が峰教会@宇都宮


間違いなく宇都宮、それも東武宇都宮駅からほど近い繁華なあたりのすぐ裏手といったところに

カトリック松が峰教会はありました。


やはり大谷石をふんだんに使っていまして、

なんでも大谷石建築としては現存最大級なのだとか(Wikipediaに書いてありました)。

そして、やはり国の登録有形文化財に指定されているそうな。


松が峰教会その2


夕暮れになってきて、堂内に柔らかな灯りが灯ったところは「雰囲気あるねえ~」と思うのですが、

もそっと回り込んでしまうと…。


松が峰教会その3


あ!ホーンテッド・マンションになってしまった!?


と、この程度の写真なんですが、落ち穂拾いだったら、こんなのもいいですかね。


餃子像@宇都宮駅前


俄かには何だか分からないでしょうけれど、

JR宇都宮駅前にある有名な(?)「餃子像」でありますよ。


例によって大谷石でもって餃子が擬人化されてます。

右側に見えるひだひだでもって、辛うじて餃子と判別できようかと。


餃子で町おこしをした宇都宮ですから、こうした像があっても不思議ではないながら、

後から作られたであろう駅コンコースに直結するペデストリアン・デッキの下になって

すっかり日陰の存在。


ついついお江戸日本橋 を思いだしてしまうところですが、

もしかすると「餃子像」をこのように扱ってしまったことが餃子消費量日本一の座を

浜松市に奪われることになったのでは…。


餃子像のたたり?…かどうかはともかくも、

餃子像は食べられませんから、やっぱりこちらの方がいいですね。


宇都宮餃子、12個それぞれ全部味が違うのですよ。


宇都宮餃子


ま、そんなこんな、いろんな意味でお腹いっぱいになった宇都宮歩きでありました。

…とまあ、宇都宮の美術館・博物館を廻ってみましたけれど、

最後に少々時間をかけて!と思って訪ねたのが、宇都宮美術館。


宇都宮駅前からバスで30分ほどの市街地から離れた高台にありますので、

あたりは木立ちに囲まれ、美術館へのアプローチにはこんな広々とした芝地も。


宇都宮美術館前の芝地


少ないながら彫刻が置かれ、天気の良さも相俟って開館待ちの時間もいい気分です。

そのひとつが、こちら。サンドロ・キアという方の「ハートを抱いた片翼の天使」という作品。


サンドロ・キア「ハートを抱いた片翼の天使」


片翼となってしまった彼が見上げる青空の果てには何があるのか…

そんなことを考えてしまいますですねえ。


開館時刻に合わせて美術館へと向かいます。

申し遅れましたが、開催中の企画展は「マックス・エルンスト フィギュア×スケープ」。

横浜でやっていたのを見逃して、ここまでやってきたわけでありますよ。


「マックス・エルンスト フィギュア×スケープ」展@宇都宮美術館


エントランスに近づくと、

そこには栃木県名産の大谷石の石積みがあたかもキャンバスのようになって、

中に見える屋外彫刻を縁取っておりました。


クレス・オルデンバーグ「中身に支えられたチューブ」


クレス・オルデンバーグ作「中身に支えられたチューブ」。

何とも美術館らしく、そしてユーモアに溢れた楽しい造形作品に、

当然館内の展示にも期待が高まるのですねえ。


さて、お目当てのマックス・エルンスト との対面に及ぶといたしましょう。


「マックス・エルンスト フィギュア×スケープ」展@宇都宮美術館 フライヤー

展覧会の正式名称は先にも触れたとおり、「マックス・エルンスト フィギュア×スケープ」。

「フィギュア」という形象と「スケープ」という景観に焦点を当てて、

会場内そこここにある解説はいささか晦渋な…と思われたりもするところながら、

全体的な印象を簡単に言ってしまいますと、

「ずいぶんとエルンストの『きれいな絵』を集めたものだな」と。


フライヤーにあしらわれているのが「ユークリッド」だというのもエルンストに特徴的な、

つまりはシュルレアリスム 的なと言いますか、デ・キリコ の形而上絵画のようなといいますか、

(両者の線引きをきちんとできるほどの知識は持ち合わせていませんが)

そうした作品として意識されてのことでしょう。


けれど、そうした不思議絵として頭をひねってみる以前に

一目して「お、きれいではないか!」と思えてしまう作品がそこここに。


マックス・エルンスト「偶像」


マックス・エルンスト「海と太陽」


ここでは例えばとして傾向の異なる二作品を取り上げてみましたけれど、

上が「偶像」という作品、そして下が「海と太陽」というタイトルです。


方やシュルレアリスム的で、方や記号化されたような抽象っぽさがありますですね。

ですが、いずれにしてもごくごく単純に「きれい」といったのが分かっていただけようかと。


そんなエルンストの作品群の実物を前にして(きれいはきれいとしてですが)何より面白いのは、

エルンストが試みた数多の技法の痕跡を見ることなのではなかろうかと。


以前、エルンストの探究を少々試みたときに触れたような、

コラージュ、フロッタージュ、デカルコマニーといった技法。


さらには「海と太陽」には、フロッタージュの応用とされるグラッタージュがはっきり見てとれますし、

オッシレーションと呼ばれる「絵の具を入れた缶の底に穴を開け、キャンバスの上から吊るして

振動させ、その軌跡を写し取る」技法に至ってはジャクソン・ポロック の先駆けではないかと思ったり。


とまあ、実物でこそ感じ取れるエルンストの技法のほどを堪能したわけですけれど、

続いて足を踏み入れた同館所蔵のコレクション展がまた、たいそう刺激的でありましたねえ。

よもやここでマグリットの「大家族」が見られるとは思ってもいなかったもので。


ルネ・マグリット「大家族」


あまりに有名な作品だけに普段はあんまり何を思うでなく見てましたけれど、

やはり本物を前にしますと、ぱっと見の奇抜さをよそに曇天の海辺に佇むと明るい青空を想い、

重苦しさから解放されたいイメージははばたき飛翔する鳥を思い浮かべるのかもしれんなぁ…

とまっとうな感懐を抱いたりするのですね。


マグリットのもうひとつの作品「夢」も感ずるところ大ですが、

見落とせないのがクレー の「上昇」かと。


パウル・クレー「上昇」


簡略化された人物が登っている梯子自体がいったいどこに立脚しているのかと思うと、

そもそも上昇しているのは何のかと考え始めてしまいますが、

それに加えて左下にある署名の上のところに切り込みが見て取れ、

「こりゃあ、クレーがまた何か企んでいたな」と思えてくるあたり、やはり実物ならでは。


基本的にはエルンスト展がお目当てで出かけた宇都宮美術館でありましたけれど、

こうまで一粒で二度おいしい状態であったとは、

まさしくアーモンド・グリコ顔負けであったなと思うのでありましたよ。


先に訪れた栃木県立美術館 しかり、

こりゃあやっぱり日本の美術館もくまなく訪ね歩かないと悔いが残りそうですね、きっと。

太平記 」を読んでいたのと同じころ合い、やはり痛みを背負いつつある時期ですが、

三鷹市美術ギャラリーで「フェアリー・テイル~妖精たちの物語」展という展覧会を見たのでありました。


「フェアリー・テイル~妖精たちの物語」展@三鷹市美術ギャラリー


あいにくと展開会のことを書き記すことのできにくい体調だったわけですたけれど、
その展示物の中に「うつのみや妖精ミュージアム」所蔵と記載されているものがまま見受けられて、
そんなミュージアムがあるんだあね…と記憶に残っていたのですね。


となれば、宇都宮を訪ねたからには立ち寄ってみようと思うところでして、
いささかの気恥ずかしさ(?)を感じつつも覗いてみたという次第。


うつのみや妖精ミュージアム


名前だけで想像すると観光地によくあるいささか「てきとー」な展示の施設かなとも思ったですが、

どうやらそうではないようす。


入り込んでみると来場者は他におらず、

入口脇に控えた係りの方に「三鷹で見て来てみようと思ったんですよ」と軽口を叩いてしまったら、

いたく喜ばれ、「どうぞどうぞ!」と歓待されてしまいました。


いろいろと話しかけてくれるので、

ついこちらからも「宇都宮と妖精に何か関係があるんですか?」と聞いてみたところ、

比較文学者で妖精研究の第一人者である井村君江さん(明星大学の名誉教授だそうで)が

宇都宮の出身であった縁からたくさんの資料が寄贈され、また名誉館長に就任してもらい、

開館の運びに至ったのだそうでありますよ。


という辺りから、展示室をめぐりながら質疑応答のお時間のようになってしまったのですが、

ここで実は先に訪れた栃木県立美術館 で思いついたことを投げかけてみますと、

「ちょっと待ってください。学芸員を呼んでまいります」と。


「おお、学芸員がいらっしゃる?!」

これは観光地の施設とはやはり違う…と思っているところへ、学芸員登場であります。


ところで、県立美術館で思いついたことと言いますのは、

ミルトンの「失楽園」につけられたドレ などの挿絵版画を見ていてのこと。


これまた今さらの感ありですが、天からの使い(つまりは天使ですが)は鳥の羽を背負い、

冥界からの使いにはコウモリ状の羽を背負っているのは、見る者に誤解を与えない手段でもあろうかと。


ここでふと思いついたのは、「そういえば妖精についてる羽は、昆虫の羽だったよなぁ」ということ。

トンボのような薄い透けた羽だったり、はたまた蝶のようであったり。

(例えば、「ピーター・パン 」に出てくるティンカー・ベルとか…)


で、実際に妖精ミュージアムの展示を見てみると「やっぱりな」と思ったわけで、

この点を尋ねてみたところ、学芸員の方にご足労いただいてしまったという。


お話を伺って「そうだよね」と思いましたのは、

いわゆる「妖精」としてイメージされるものはケルトの伝承によるものだということですね。

ゲルマン系の伝承にもやはりあろうかと思いますが、つまりはキリスト教のものではないと。


話のもって行き方からしてそもそも

「天使は鳥の羽、悪魔はコウモリの羽、それに対して妖精は…?」とは

土俵の違うものをいっしょくたにしてしまっているわけですね。


さりながら、このことは間違いのようであって、間違いではないとも言えそうで。

妖精はキリスト教のものとは違うんだから、同じ土俵で語れないことでもある反面、

キリスト教のものとは違うんだからという意識があると、自ずと対比させて、

図像化にあたっても「違うもの、違うもの…」という考えが出てしまうのではなかろうかと。


展示されているものの多くが、

いかにもラファエル前派 あたりの雰囲気を醸すものだったわけですけれど、

学芸員の方も「ヴィクトリア朝 の時代に多く図像化がなされた」てなことを言ってました。

三鷹の展覧会の説明に、こんな一節があったことが思い出されます。

厳格な道徳的規範が求められたヴィクトリア朝の日常生活に対して、妖精は抑圧されていた人間の創造性と自由の象徴であったのかもしれません。

こうした背景の下にたくさん描かれた妖精のイメージが、

その後の要請の姿を決定づけたような気もしますですねえ。


こうなると、ヴィクトリア朝以前の妖精の図像はどんなふうであったのかが気になるところですね。

なにしろヴィクトリア朝の手にかかっては、シェイクスピア の「夏の夜の夢」に登場する妖精の女王、

ティターニアもまたティンカー・ベルのような姿で描かれたりするわけですが、

果たしてシェイクスピア(や同時代の人々)がイメージした妖精の女王の姿とはどんなであったか。


ちなみに展示室は非常にコンパクト(入場無料だけのことはある)で少なめですが、

お隣により大きなスペースの市民ギャラリーがありまして、

折にふれてはこちらのスペースを使って企画展が開かれるのだとか。

そうしたときにはもそっとたくさんの資料が見られることでありましょうね。

宇都宮に出かけるにあたって、

また何かしら宇都宮とか栃木県とかに関連のある本でも読もうかと思いましたときに、

どうやら背景に宇都宮が使われているらしいと知って図書館から借りてきた一冊、

宮部みゆきさんの「火車」でありました。


火車 (新潮文庫)/宮部 みゆき


読み進むうにちに確かに宇都宮は登場するのですけれど、全編がそうだというわけではなく、

作中の宇都宮市銀杏坂町はどうやら架空の町名らしい…。


宇都宮市には市の天然記念物に指定されているいちょうの巨木があって、

それに面して「いちょう通り」というところはあるのですが、

銀杏坂ということになると、むしろ茨城県水戸市にあるようです。

(このあたり、U字工事が知ったらどう思うのか…)


本書を手にしたきっかけからすると「なあんだ…」とは思うものの、

そんなこととは全く関わりなく物語の方はほとんど一気読み状態で読んでしまったのですね。


これまでとんと宮部みゆき作品に接したことがないものですから、

Wikipediaによれば、この「火車」という作品は「このミステリーがすごい!ベスト・オブ・ベスト第1位、

つまり2008年に賞創設から20年間の1位に輝いたという、そんな凄い小説だとは思いもよらず。


で、確かに面白かったんですが、

ふと思ったのは「このミス」でかほどに評価されるミステリーなのかなと。


誤解のないように繰り返しますが、小説としての評価に疑問をもっているわけではないのですね。

この作品で山本周五郎賞も受賞しているそうで、その点は「なるほどな、そうだろうなあ」と

思っていますし。


要するに、この小説が「ミステリーなのか」という点にちとこだわっているだけでして、

ミステリー風味は濃厚で、全編にわたってある人物を追いかけていくというあたり、

本格推理とは言わずともミステリーのジャンルに入れられるサスペンスには当たるかと。


ですけれど、この小説の「お!」と思うところは、人間を描けていると思われる点ですよね、きっと。

そういう意味では、小説の形態というか、外構は手段の問題になろうかと。


ですから、紆余曲折は交えられつつも比較的一直線に核心に向かって進んでいくという。

その点がミステリ風味と言い、ミステリーそのものとしてはどうかなと思う由縁なわけです。


かといって、この作品をいっかな貶めるつもりはなく、書かれたものを読んでみれば、

「うむう、およそ日常では気にもかけんけれど、人間ってのはそういうとこ、あるのかもねえ…」

といった要素があれこれ出てくる。


評価の定まった作品に関して何をいまさらではありますけれど、

自己破産を背景に「人間」のもつ一面をあぶりだしたこの「火車」、

久しぶりに唸る一冊でありましたよ。

ちょうど去年の暮れでしたですかね「忠臣蔵 」を話題にしていたのは。

話はまずその頃のことからになりますが…。


日本の古典芸能にとんと疎いものですから、

「仮名手本忠臣蔵」といってもそもそも赤穂事件との違いは何?てなくらいなものでしたが、
「仮名手本忠臣蔵」の設定は
室町時代 となっていて、いわば「太平記」の世界に移してあるのだそうで。

となれば!ですよ、やっぱり「太平記」が気になっても当然かと。


楠正成やら足利尊氏、新田義貞 といった

名前だけは知ってる人物たちが登場するものということくらいしか知らないもので、
こりゃあいささかてっとり早く知るためにはと、

中公新書の「太平記」という一冊に頼ってみたわけでして…。


太平記―鎮魂と救済の史書 (中公新書)/松尾 剛次


すると、「太平記」というのは魑魅魍魎の世界であったのだなぁと思うわけでして。

何しろ後醍醐天皇や楠正成、新田義貞らもことごとく無念を抱えて亡くなり、

それが怨霊となって現世に異変を巻き起こすてなことしばし。


争いごとばかりの世では、親分に従う(従わされる)子分の死は数えきれないでしょうし、

そうしたことは世の不穏さと結びつき、感覚的に増幅もされましょうから、

関わる一切合財を「これは、亡き後醍醐天皇が怒っておられるに違いない!」みたいな

結び付け方もされたのでしょうね。


…というあたりへきたところで去年は思わぬ痛みに苛まれる日々に突入してしまい、
やがてしばしの休業をいただくという状態に陥っていたのですけれど、

何するとてなく痛みの出ない姿勢で本を読むことはしていたわけで、
気紛らしに没入するためにはこの際長尺ものでも厭わずに…と考えたときに

手にとったのが吉川英治版「私本太平記」全8巻だったというわけです。


私本太平記(一) (吉川英治歴史時代文庫)/吉川 英治 私本太平記(二) (吉川英治歴史時代文庫)/吉川 英治 私本太平記(三) (吉川英治歴史時代文庫)/吉川 英治 私本太平記(四) (吉川英治歴史時代文庫)/吉川 英治
私本太平記(五) (吉川英治歴史時代文庫 (67))/吉川 英治 私本太平記(六) (吉川英治歴史時代文庫 (68))/吉川 英治 私本太平記(七) (吉川英治歴史時代文庫 (69))/吉川 英治 私本太平記(八) (吉川英治歴史時代文庫)/吉川 英治


個性的な登場人物数多のこの時代、

足利尊氏という人は室町幕府の開いた人物であって、

その後15代にわたる足利将軍家の祖でありながら、
後醍醐天皇に弓弾いたせいか、どうもその評価は釈然とするものではなく、
例えば楠正成が忠臣として持ち上げられていることに比べるとかなり分が悪いような。


吉川版太平記はわざわざ「私本」とうたっているだけあって、

むしろ尊氏はメイン・キャラなんですが、そうしたことからも足利荘に行ってみるかな…

てなことを引き摺っていたわけですね、長らく。


このほど宇都宮に行くにあたっては、

そうした関心の矛先から足利市にも立ち寄ってみるかてな思いがあったんですが、
同じ栃木県内ながらあんまり移動の便がよろしくないと気がついたところへもってきて、
宇都宮市内の栃木県立博物館で足利尊氏に関する展示をやっとることを知ったものですから、
今回のところは宇都宮一点集中でいいかと思ったのでありますよ。


とまあ、長あい前振りでもって、

ようやく宇都宮で出向いた栃木県立博物館の話にたどりついたですが、

その展示とやら、「足利尊氏 その生涯とゆかりの名宝」展というものでありました。


「足利尊氏 その生涯とゆかりの名宝」展@栃木県立博物館


全体のざっくりとした構成は、折々に尊氏やその弟・直義が発した書状をたどることで

太平記の流れを追ってみるといったふうな仕立て。


まずもって関心したのは、14世紀前半のものがよく残っていたものだねえ、紙なのに…ということ。

実にたくさん残されているわけです。


と、ここで思うことは(そういうところを見てほしいわけではないと思いますが)

「尊氏はあまり字がうまくない…」ということ。


昔のものに限らず書状の文字は判読しがたいところではありますけれど、

悪いことにはっきりした楷書体で書かれた写経が残っている。


さらに悪いことには、最初の方を禅僧・夢窓疎石が書き、続いて尊氏が、

最後の方は直義が書くという具合に並んでしまっているのですよ。


夢窓疎石が達筆なのは一目瞭然。

そして、直義もきっちり実直な性格そのままにかちっとした楷書を書く。

それに比べて尊氏は…というわけです。


小学校の漢字の書き取りだったら、

「足利くん!漢字の角の部分は、丸くないんだよ」と注意されてしまいそう。

(ここは自分の体験でもありますが)


ただ、こういっては直義がかわいそうかもですが、

「ものごと、何もそうきっちりとばかりはいかないこともあるよね」」とおおらかに構える

尊氏の姿勢にこそ大将の器があったと言えるのかもしれませんですねえ。


でなければ、負けても負けても敗者復活戦を勝ち上がるように尊氏が再起を図るのに、

付いてくる将兵も味方する軍勢もいなかったのではと思われますし。


ところで、かつては中学の歴史の教科書にも「足利尊氏像」として掲載されていた肖像

(兜無しで馬に跨っている場面の有名なもの)がありますけれど、

これも「騎馬武者像」(京都国立博物館蔵・重要文化財)として展示されておりました。


騎馬武者像(かつて足利尊氏像と信じられた…)


今では尊氏本人ではなく、尊氏に仕えた高師直かその息子・師詮の像とされ、

馬具に同家の家紋が記されているのが見てとれるのだそうです。

(最初にこれが尊氏像でないと知ったときには、鎌倉幕府の成立年の話 同様に仰天しましたが…)


ですが、本展フライヤーの中央に鎮座する足利尊氏坐像(大分県国東市・安国寺蔵・重文)は

もっとも初期に造られた尊氏像ではないかと言われているものでして、

これを見ると左右の目の大きさが違う(左目だけ一重か奥二重)なのですね。

で、例の「騎馬武者像」を見返すと、やはり左右の目の大きさが違うように思われなくもない。


展示の中には、いくつかの尊氏坐像がありましたけれど、

どうも表情には移り変わりが(時に非常に大きく)ある中で、

この特徴には「え?!」と思ったわけです。


かつて教科書でそういうふうに刷り込まれたことで

どうしても「騎馬武者像」を尊氏だとしたいわけではありませんが、

歴史研究でも後から後からいろんな発見がありましょうから、

この後もまた大どんでん返しは無きにしも非ず。


まだまだ「え?!」と思うことがたくさん出てくるのだろうなぁ…てなことを思いつつ、

栃木県立博物館を後にしたのでありました。