結局のところ、リヒャルト・シュトラウス
(1864-1949)は親ナチだったのか、そうでないのか…。
先日見た芝居「コラボレーション」
では、
シュトラウスがユダヤ系オーストリア人であるシュテファン・ツヴァイクとの共作によって
歌劇「無口な女」を作り上げ、上演に漕ぎ着ける中で生じたナチスとの確執を描いていましたけれど、
根本的な問題には敢えて深入りせずにおいたような気もしないではない。
ナチス政権下にあるドイツに留まり、帝国音楽院総裁ともなり、音楽活動をしていたことは、
これすなわちナチスに加担したのではないかという見方がある一方で、
帝国音楽院総裁の職は、欧州が一気にきな臭さに包まれていくオーストリア
併合(1938)よりも以前に
辞めて(辞めさせられて)おり、ただただ音楽に携わっていたかっただけなのだという見方もあるわけですね。
先の芝居での描かれ方は後者に近いように思いますけれど、
表面的に印象を受けたところを言えば「無垢に過ぎる」とも思えるのでして、
「でもって、本当のところどうなのよ?」となるという。
そんなもやっと感を持っていたところ、出くわしたのがこの本、
「第三帝国のR.シュトラウス 音楽家の〈喜劇的〉闘争」であります。
(1933年)三月二十日、ベルリン・フィルハーモニーの指揮をする予定になっていたユダヤ系のブルーノ・ワルターが、当日出演すれば劇場を破壊すると脅迫され、ベルリンを去る。オットー・クレンペラーがライプツィヒで同様の手口を用いて解任されたこともあり、一連のユダヤ系音楽家の迫害に対して外国の音楽家たちから抗議の声が上がった。トスカニーニを筆頭とするアメリカ在住の指揮者が四月一日、ヒトラーに抗議の電報を送るが、ヒトラーは電報署名者のレコードのラジオ放送を禁じる。
1933年1月に政権に執るや直ちにこうした状況が展開しますけれど、
ワルター
の代わりに指揮をしたのも、バイロイトを振るはずだったトスカニーニ
の代わりを
務めたのもリヒャルト・シュトラウスだったのでして、
どうも見た目の事実の積み重ねは不利な状況証拠と言えそうです。
ところがこの時期、歌劇「無口な女」のツヴァイクとの共作が進行中なのですけれど、
ナチス側からすれば、
当時ドイツのみならず世界の大作曲家であったシュトラウスの利用価値は大であり、
先の指揮の代役を引き受ける状況からしても従順そうに思えたところから、
帝国音楽院総裁への就任を要請するわけですが、
これを受けた頃シュトラウスはツヴァイクにこんなことを書き送っているのですね。
この任務(帝国音楽院総裁就任)は辞退すべきではないと考えています。新ドイツ政府による音楽と劇場振興政策は、実際に好ましい結果を生むと思いますし、私自身も多少の役には立ち、不幸な状態を避けることに貢献できました。ところで、そろそろ新作について考える必要があります。私自身の身体はまだまだもちそうなので、《無口な女》を最後の作品にしたくはないのです。
ナチス政権の音楽に関わる政策を持ち上げ、自身の寄与をほのめかす点で、
この手紙もまた不利な証拠になりそうですけれど、ここで肝心な点は
ひとつに「不幸な辞退を避けることに貢献できた」という部分というところでしょうか。
例えば指揮の代役にしても、コンサートをキャンセルして団員の収入が無くならないよう
ワルターから直々に頼まれたと言いますし、
バイロイトの方もナチスのためというよりバイロイトそのもののためと考えていたようで、
こうしたことがナチスに加担していると取られるなどとは思ってもみないようなのでした。
そして、一読したところではナチス政権称揚ともとれる文面ながら、
これがユダヤ系のツヴァイクに送られた点、
さらには「無口な女」の上演自体どうなるか分からない状況下で
ユダヤ人
と分かっているツヴァイクに新作の話を振っている点は見逃せないところでありますね。
一方で、ナチスの側から見ても、
シュトラウスが親ナチなどという御しやすさを持ち合わせていたものではない
ということを伺える史料が残されています。
ナチスにおいて絶大な権力を振るった宣伝相ゲッペルスの日記には、こんな記載があるといいます。
残念ながら、われわれはまだ奴を必要とする。しかし、いつかわれわれが独自の音楽を入手すれば、このデカダンの妄想狂とおさらばできるだろう。
ここで「奴」と言われ、「デカダンの妄想狂」とまで言われているのがシュトラウスなわけですが、
いかなナチスと言えども当代一の世界的作曲家は何とか懐柔して利用していかざるを得なかったのでありましょう。
そして、いささか不用意で甘い見通しかもしれませんが、シュトラウスにすれば、
相手がナチスであろうとうまく立ち回って音楽に貢献したいという思い一途であったような。
また、シュトラウスとしては、自分はいろんな政権、政体にも仕えて
自分なりの音楽を貫いてきたという自負があったようなのですね。
例えばヴィルヘルム2世のもとドイツ帝国
にも仕えてきたというふうな。
いささか強行される形でプロイセン中心にまとめられたドイツ帝国が、ヴィルヘルム2世の親政下、
英仏に負けじと拡張政策と取って第一次大戦にも繋がるところとなっていきますが、
このあたりは、先日の記事ではありませんけれど、夏目漱石
あたりは
ドイツの帝国主義はとどのつまり世界制覇までやむ所がないのではないかと
はっきり嫌悪を表したりしています。
こうした国、こうした君主に仕えるのは機嫌を損ねればどうなるか分からないものながら、
シュトラウスにしてみればそうした中でもしのいできたことを実績と思っていたのかもしれません。
後世から見れば、歴史のそれまでと同一にナチスを見たのは甘すぎるとも思えますけれど、
それはやはり結果論と言うべきやもしれません。
そして、そもそもの話になりますが、ツヴァイクと作りあげた「無口の女」のストーリー。
これが、シュトラウスの求めてやまなかった(ホフマンスタールに求めて叶わなかった)
オペラ・ブッファであって、ドニゼッティ
の「ドン・パスクワーレ」
に似たふうながら、
実はそのストーリーがナチスを揶揄する暗示と容易に知れるというのですね。
かつてボーマルシェが、そしてダ・ポンテ
とモーツァルト
が
時の王侯社会に対する痛烈な風刺ながら「フィガロの結婚」
の上演を成功させたように、
穴のあいたオブラートで核心を包みこみ、分かる人には分かるたっぷりの隠し味を
たっぷり味わってもらおうということでありましょうか。
だとすれば、なんとまあ際どい作戦であったことかと(後世からみれば)思わざるをえませんね。
こうした諸々を考え合わせると、とてもシュトラウスがナチ寄りであったとは考えにくい。
今となっては本当のところは藪の中であるとしても…。
そうそう、ここで紹介いたしましたのは本書のほんの一端でして、
「ドン・キホーテ」
を巡る話のあたりなどは著者本来の研究領域なのでしょう、
とても掘り下げてあるような。とても興味深い本でありました。