個人的な受け止め方でしかないのでありましょうけれど、
「拡散」という言葉からあんまり良いイメージがないのですね。

どうも散り広がる「何か」には
どうも「良くないモノ」のような気がしてしまうからやもしれませぬ。
あくまで個人的な受け止め方でありますが…。


ところで、一昨日の夜に計画停電でしっかり電気が止まりましたけれど、
昨日もまた夕刻(16時前から18時半くらいまで)やっぱり止りました。
一回は一回とはいかなかったようです。

一昨日のとっぷり暮れた時間帯と違って、じわじわと暗くなっていくのに、
いつもはそれに逆らって点灯するあかりがないというのは、
これはこれでなかなかに侘しさを伴うものでありますね。

そうしたときにはラジオを耳を傾けて時間を過ごしたりしますけれど、
ラジオからはやおら子供向けのアニメ・ソングが流れてきたのですね。

知っている曲ではあるものの、普段気にかけるような歌という意識もありませんが、
取り巻く状況、特に被災地の方々のことを思ったりしつつ聴いてみれば、
なんとこれらの曲の食い入ってくることか。
感極まって、涙が出そうに(と、これは老人力のたまものですが)。

なんでも阪神淡路大震災のときにも、これらの曲が被災地のラジオから流れると
怯え疲れ、沈みこんでいた子どもたちが静かに歌い出したのだとか。
そして、それを見た大人たちは勇気づけられるとともに涙したのだとか。

ですから、最初に言ったようにネガティヴ・イメージの「拡散」でありますが、
元気と勇気の拡散ならば、自分でも納得づくで流せるかなと。

それでは、「アンパンマン・マーチ」と「忍たま乱太郎 勇気100%」、
2曲続けてどうぞ!!







ツイッターで計画停電に対するお国柄の違いといったものが載っていたそうでありますね。
笑い話の類いでありましょうけれど。


その中では日本人の反応として

「計画していながらやらなかったことを怒る」というのがあったようですが、
今回の計画停電でいちばんのクレームとなっているのは、「はっきりしろよ」という点なのでしょう。

この辺の話が被災地ではないところのことであることは言うまでもありませんけれど。


もちろん「やられちゃ困る」という思いはあるにしても、
取り巻く状況を考えればそこんところは仕方がないと割り切って、
それなりに備えて送電が途絶えるとされた予告の時間を待ち構える。


「あら?電気、来てるね」
「でも、まだこれからかもよ」


身構え続けて、緊張しながら待つこと3時間余。
気付けば、該当するグループに予定された計画停電の時間は過ぎていた…。
さすれば、「なんだよなぁ」というひと言を発してしまうかもですね。


まあ、そんな肩透かしが続いた状態で迎えた昨3月16日(水)であります。
自宅近辺の地域が割り当てられたグループの停電対象時間は18時20分から22時まで。


週初めから朝の鉄道事情の混乱を避けて、せっせと自転車通勤に勤しんでおりますが、
折りしも帰路は大変な向かい風と格闘しながら、自転車を飛ばして帰宅し、
早々に入浴を済ませ、食事に取り掛かったわけです。


すぐ手の届くところには、大小の懐中電灯とアロマが香る蝋燭をひとつ。
とりあえずは煌々と輝く電燈の下で食事を終えて迎えた18時20分。


「おや?電気、来てる。ま、これからかな…」


と、どこでも隣近所のどこでも思っているようなことを考えつつ30分余りが経過すると、
「こりゃ、今回もパスかな」という油断が生じるわけですね。


ですが、面白いことにとは適切でないでしょうけれど、
そういう思いが過ぎったところで、フッと真っ暗闇に閉ざされた次第でありますよ。
時に、19時ちょっと前でしたでしょうか。


さすがに寝てしまうには早い刻限ながら、
「さてどうしたものか…」と思ったのでありますね。
普段、電気を使ってやっていることは何もできないわけですし…。


では、何をしていたかといえば、
ワインを飲みつつ、ラジオに耳を傾けていた…ただそれだけなんですね。


ようするに、電気を使わずにできる何かの選択肢が実に狭い(ほとんどない)と思うくらい
電気のある生活を当たり前に思ってしまっていたということでありましょう。


結局、予定よりも1時間ほど早く21時前くらいには復旧したのですけれど、
たったの2時間ほど電気がない状況に置かれただけで、
何をすることもままならないということがよくよく分かったという。


さすがに電気を全く使わない生活にはおそらく戻れないであろうものの、
電気が当たり前にあると考えることにも戻れないように思います。


化石燃料頼みの発電が恒久的なものであり得るはずもなく、
さりとて原発への依存を継続してよいとも思われませんし…。


となれば、自給自足、地産地消の考え方ではありませんが、
それこそ自転車漕ぎのような運動をすることで見られるテレビとかが
あってもいいのかなと。


電力会社から供給される電気をどうしても使わざるをえないのかどうかの
プライオリティを電気器具に付けて、そこからはみ出してしまうものには、
何らかの自家発電装置(自転車漕ぎもそうですが)で対応するとか。


商品開発としてはそんなことに目を向けてもらってもいいのかもしれんなぁてなことを、
暗闇でワインをちびちび舐めながら、拙くも考える計画停電の一夜でありました。

嘘はバレなければいい? ブログネタ:嘘はバレなければいい? 参加中
本文はここから



どうもものごとを包み隠さずありのままに言わないことがまんま嘘であるかのような・・・。
うまい言い方が見つからないですが、
「必ずしも本当でない」けど「かといって嘘ではない」ことってあるんじゃないですかね。

それをも「やっぱりそりゃ嘘じゃないか!」というとすれば、
このブログネタのお題は是となるやもしれません。

ですが、それでもやっぱり「本当でない」=「嘘である」とは言いがたいのではないかと。
さりながら、どうもマスコミの方々というのは、
包み隠さず話をしないのは嘘を言っているのだ、悪いことだと思い込んでられるのですかね。
さらに言えば、そうした悪いことに対決する正義感たっぷりな自分たちと酔いどれてるんですかね。

国も東電も心もとなさが感じられなくもないところではありましょうけれど、
そのことを論って、糾弾したりすることに、今、何の意味があるのかなと。
ことさら「大事件」であることを喧伝したいがためにやってるのかなとも思えてくるんですね。

「認めなさいよ!大変なことになってるんでしょ!」

それに、「はい、そうです。手の施しようがないんです」という答えが欲しいんでしょうか。
そうなったら、「ほおら、思ったとおりだ」と得々と書きたてるんですかね。

一方で、マスコミがやってることは電力をだだ漏れさせてんでないの?と思えるところでして、
(ヘリコプター取材なんかも同様ですかね…)
自身の矜持を正すことも無く、勘違いの正義を振りかざして、
攻め立てるというのは全くもって理解に苦しむところでありますね。

これだけの災害ですので、その後の続報が気にもなるところではありますが、
記者会見となると、うんざりしてしまうのでありました。

ということで、例によって御題からズレズレですが、
本当の「嘘」かどうかは別としても、その状況がどうなのかを考える必要はありますよね。
このところの報道に接して、東電の本質が露わになったてなふうに言われますが、
露わになったのはマスコミの品性ではないかと思ったものですから、ついつい…。
何かひとつ 能力をもらえるとしたら? ブログネタ:何かひとつ 能力をもらえるとしたら? 参加中
本文はここから



計画停電が実施されるようなら記事を書くのは遠慮しておこうかな…とは言いましたけれど、
結果的にはそれに翻弄されて、昨日は何もUPせずじまいに終わりました。

大層な言い方ですけれど、日々連載の記事にはっきりした予告もなく穴を空けたような気がして、
あんまりいい気分ではありませんでしたねえ。

実際の停電の方は、夕刻になってから本当に一部(何故そこだったのでしょうねえ)で実施されて、
個人的には職場も自宅も対象外で「電気が来ない!」という事態には陥りませんでしたが、
実にやきもきすると同時に「いかに電気に頼っていることか」と思わざるを得ない時間を過ごしたわけです。

ところで、便利に使っている電気でありますけれど、
最大の難点は備蓄できないことでありますね。作り置きが効かないという点。

しばらく前にTV番組(「夢の扉」だったかな)で大容量蓄電池の開発に携わる方を取り上げていましたけれど、
現在のところ製造コストの面で導入可能性の高まる価格にまで落ち着いていないようなこともあってか、
「電気が貯めておけるものになりました!」とまではなっていない…。

そこで、電気は作ったら作っただけ使ってしまわなければならないことになりますね。
一日の単位でも、一年の単位でも電気需要には多いときもあれば少ないときもあるわけですが、
需要の多いときには多く、少ないときには少なく発電する以外に術はない。

ですから、今このときに最優先して欲しい能力というべきではないかもですけれど、
安価・小型軽量で製造も簡単、使用も簡単という大容量蓄電池を開発できるだけの
能力があればなぁと思います。
さすれば、原発はもちろん要らなくなるでしょうし…。

被災され、寒い中避難所で過ごされている方がたくさんおられるときに、

いささかズレた話になるかもしれませんけれど…。


今回の地震では、東京はまあかなり揺れたなという印象があるものの、

そして交通機関がストップし、莫大な数の帰宅難民が生じたということはあるものの、

一夜明けてある程度の時間が経ちますと、至って普通の生活に戻っているのではないかと。

東京では、ですが。


スーパーに行くと買い出しめいた風景が見られたりもしますし、

微妙に続く余震にも、そして原発のニュースを見聞きするにつけても、

心の動揺に拍車をかけられてしまう思いもあるもののです。


そこで普通の生活と言ってしまいましたけれど、

ちょっと違うのかなと思いますのは、電気のことですかね。


差し当たり停電することもなく、電気は来ていますけれど、

震災以来、節電の呼び掛けが出ていますし、

明日あたりから場合によっては、東京電力では輪番停電をするかもという話になってます。

で、不要不急の電気を使わないことにしようと。


するとですね、休日ということもありましょうけれど、

家族が散らないんですね。


例えば普段は、食事が済むと「ごちそうさま」とそれぞれのテリトリー?に散っていって

好き勝手なことをしてたりするんですが、これが散らない。


誰が主導するでもなく、余分な電気を付けないという暗黙の了解がありますと、

余分の電気を付けないとなれば、皆がひと部屋に籠ってテレビのニュースを見たりする。

さすれば、それなりの会話もまたあるという。

束の間の団欒状態、ちびまる子ちゃんちとかサザエさんちとかの茶の間状態でしょうか。


今では個人的な時間の過ごし方に今や山のようなオプションがあるのですけれど、

それはかなりエネルギーを(余分に?)使う過ごし方だなと今さらながらに思ったわけです。


なんだか昔の家ってこんなだったのかなと思いつつ、

何から何まで昭和30~40年代にタイムスリップとはいきませんけれど、

思いがけずも昔の生活にも利はあったなあと思ったりもしたのでありました。


ですから、というとつながりとして適切かわかりませんけど、

もし計画的に停電が行われるようであったら、

しばしブログに携わるのを遠慮しとこうかなということも思ったりしとります。