芝居を見てきたのでありました。
加藤健一事務所による公演「滝沢家の内乱」という演目。
しばらく前に見た「コラボレーション
」では
リヒャルト・シュトラウス
とシュファン・ツヴァイクそれぞれの葛藤が舞台化されていたわけですけれど、
「有名人にもこんな葛藤があった!」シリーズということでもないでしょうが、
タイトルにある滝沢家とは滝沢馬琴、またの名を曲亭馬琴、
かの「南総里見八犬伝」の作者でありますね。
(かの!といっても、ほんのさわりをNHKの人形劇で見たことがあるだけですが…)
その滝沢馬琴にも家族絡みの葛藤に苦しめられ、
あわや「八犬伝」の途中で筆を折られるか…という事態にも度々陥っていたのだとか。
そうした滝沢家の様子が、
長男滝沢宗伯に路(みち)という嫁を迎えたところから語り起こされるという物語であります。
どうやら滝沢家のご当主はえらく著名な方らしい…そんなことを親に吹き込まれたのか、
路は滝沢家の状況を詳らかに知ることも無く、当主の長男のところへ嫁にやってまいります。
さりながら、どうも夫は虚弱な体質で人嫌いの内弁慶、
おまけにその母親は大変な癇症持ちで臥せり勝ち。
この二人が毎度毎度うめいたり喚いたりするものですから、馬琴先生はちいとも筆が捗らずじまい。
それだけでに、馬琴先生が唯一まともな話相手になれるのはお路ただ一人…
滝沢家とはそんなところでございました。
話相手とはいえ、
元武家とばかりに気位の高い馬琴先生は「ものの道理」を弁えてと路に相対するものですから、
先生のひと言ひと言は全部が全部、叱られているようにしか思えないという毎日。
一度は里に逃げ出したものの言い含められて出戻ったりするお路でござました。
そうこうするうちに、
お路は馬琴先生が夜な夜な家を抜け出してはどこかへ出かけることに気がつきます。
不審に思って密かに後をつけて見ますと、なんと梯子を渡して屋根の上に登り、
ひとりぼんやり佇んでいるではありませんか。
息子のこと、妻のこと、捗捗しくない作品の出来…
強がってはいるものの、馬琴先生もたった一人でぼんやりしたい時間が欲しいのだと悟るお路でありました。
やがて早々と夫が亡くなってしまいますが、お路は里に帰らない。
その後、手を焼かされ続けた義母が亡くなっても、やはり帰らないお路。
折りしもそこひを患って目が不自由になり、ひとりで書き物のできなくなった馬琴先生に代わり、
書けない漢字を一字一字教わりながら、口述を書き取っていくことがお路の仕事になりました。
こうしてようやっと「八犬伝」を完成させた馬琴先生、
嘉永元年(1848年)11月、82才の大往生を遂げますが、
これを見取ったのもやはりお路であったそうな…。
なかなかにやっかいな家庭環境にも思えるところながら、
こうしたやっかいさはもしかすると、今でも普通にそこここのご家庭にあったりするのかなと思ったり。
さりながら、そんな渦中に置かれた嫁の行動としてはおよそ尋常ではないような。
なんだか岡本太郎
と敏子のようなつながり
(男女関係を馬琴の妻は疑っていたようながら、実際はともかく)、
つまりは作品を完成させるために必要なパートナーシップだったのかなと思えたりするのですね。
ただ、そうした作品を間に置いた緊密な関係にいつ変わっていったのか、
馬琴の側は屋根で佇みつつ(いささか邪な?)お路の夢を見るという挿話がありますけれど、
お路の側がどうだったのかは少々読み取り難いかなと。
こうしたことは、たまたま先日「深読みシェイクスピア
」を読んで、
演劇的な動きの意味を素人ながら考えてみるようになったからでありましょうか。
とまれ、普遍的な話としても興味深いところではありました。










