ちょいとばかり駒込方面に出向いたついでに、旧古河庭園というところに立ち寄ってみたのですね。
名前は知っておりましたが、「はて、旧古河庭園とは何ぞや?」ではありますので、
入園時にもらったリーフレットからちと記しておこうかと。
この土地はもと明治の元勲・陸奥宗光の別邸でしたが、宗光の次男が古河財閥の養子になった時、古河家の所有となりました。現在の洋館と洋風庭園の設計者は、明治から大正にかけて、鹿鳴館、ニコライ堂、旧岩崎邸庭園洋館などを手がけ、日本の建築界の発展に多大な貢献をした英国人建築家のジョサイア・コンドル(1852-1920)です。
本来は、バラの庭園として有名なだけに花の見ごろに訪れるところなのでしょうけれど、
暑いさなかにあっても見学者は多少来ていたのは、国の名勝に指定されているが故でしょうねえ。
というところで、花のない洋風庭園、心字池の設えられた和風庭園もひと回りはしましたけれど、
どうしても目はジョサイア・コンドルの手がけた洋館に向いてしまうのでして、
その重厚な造りは大きな敷地に緑を湛え、庭園を配した中にあってこそ、
ポツンと東京の街中にあったら「馴染まんなぁ…」と思ってしまうかもしれません。
とりわけ真鶴から持ってきたという新小松石という安山岩に覆われた姿は、なんとも言えぬ味わい。
よく観光地なんかで、西洋の様式だけそれっぽく真似して、しかも今の建材で造ってしまった建物に
出くわすことがありますけれど、「紛い物と本物の差は歴然だあね」と思ったり。
ここは周囲を車がばんばん走っているとはいえ、いささかなりとも隔絶された別世界なるが故に、
ちいとばかりロンドン郊外にでもぶらり脚を伸ばした感じで、なかなか良い気分なのでありました。
ところで、こうした建築物に接しますと、もそっと見たいと思うのが人情というものではなかろうかと。
先の解説にありましたコンドル作品の中で鹿鳴館はとうに無くなっていますし、
旧岩崎邸でもいいですが、この際邸宅とは違うものとなれば、俄然ニコライ堂が浮上しますね。
ですから、行ってしまうわけです、ニコライ堂にも。
御茶の水駅から歩いて5分と掛からない場所に、ニコライ堂なる建物が建っていることは
昔々から知っておりましたけれど、いっかな立ち寄ったことがない。
遠めにドームの天井部分を眺めやったことはありますけれど。
で、出向いてみるとこれが思いも寄らぬほどに狭い敷地に建っていることが分かりました。
かつてはもっと広々してたんじゃなかろうかと想像するところですが、
都心の一等地ではすぐ近くまで大きなビルが迫り、
かつては東京の一景観として遠くからも望まれたであろうドームが
いささか息苦しそうにしている気がしたわけです。
ちなみにこの建物は、ギリシア正教とかロシア正教
とかいうあの正教会の施設でありまして、
正式名称は東京復活大聖堂というのだそうです。
しかし、コンドルさんはイギリス人で(絶対とはいえないですが)
おそらくは正教徒ではなかろうと思われますが、
そういう宗派の違いみたいなのはあんまり関係ないのなかと思っておりましたら、
入るときには見落としていた案内表示にこんなふうに書かれていたのですね。
この聖堂は明治十七年三月に起工し工期七年を以って同二十四年二月完成したもので、
設計者はロシア工科大学教授シチュールポフ博士、工事監督は、英国人コンドル博士です。
日本最大のビザンチン式建造物として知られております。
日本ハリストス正教会教団
そうだったのか?!
ジョサイア・コンドルは工事監督?!
言われてみれば「そうなんだぁねぇ」と思ってしまうところであります。
でも、そういうことなら旧岩崎邸に回れば良かったかなと思わないではないですね、
唐突に始めたとはいえジョサイア・コンドル詣でとしては。
ま、立派な建物を間近で見られたからいいかなと思うところですが、
それにしても、聖堂の入口の上部にキリストの絵が描かれ、
手に携えた聖書に文字が入っているのですけれど(画像では判然としないものと思いますが)、
これが日本語というのは何だか妙に怪しげに見えてしまうような。
日本なんだから当たり前といえば、そのとおりなんですが…。



