コーヒーの銘柄ではないのでして…ブルー・マウンテン「ズ」でありますからして。


と敢えて説明するまでもなくご存知の方が多いのやもしれませぬ。
何せユネスコの世界自然遺産に登録されているといいますから。
もっとも、個人的にはシドニーに行くとなるまで全く知らなかったのですけれど。


ということでシドニーの街中 から離れ、車でならば2時間半から3時間というところでありましょうか。
ひたすら西へ西へと向かい、ブルー・マウンテンズを目指したのでありました。


絶景のお楽しみポイントとしての展望台は、

木々の間の山道を辿ると忽然と絶壁の上に姿を現すところやら、
土産物店やレストランがあって賑わっているところやら、あれこれあるようですが、
いちばん有名なのは「シーニック・ワールド」というところのようですね。

シーニック・ワールド


一見したところ、なかなか立派で近代的な施設でありまして、
ここから谷底方面に下りるRailway、遊歩道を巡ってまた登ってくるためのCableway、
そして切り立った崖と崖を結んで空中散歩を楽しむためのSkywayという3種の乗り物全ての

発着駅になっています。


まずはRailwayに乗って遊歩道まで降りるわけですが、
もともと遊歩道となっているエリアでは石炭採掘が行われていて、
その採掘した石炭を運び上げるためのものとして作られたのがこのRailwayだそうで、
Railwayというからには「鉄道なんだよね?」と思うところが、

実体は斜面にへばりついたトロッコといったふう。


しかも、人間でなく石炭用ですから急坂を迂回してなんつう配慮はなく、
最大斜度50度あまりを「落ちる」ふうなのですね。
言ってみればジェットコースターみたいなもんです。

ちなみに下ってきた崖を仰ぎ見ると、こんな感じになりますね。

見上げれば崖


遊歩道沿いにはかつて炭鉱であったことを説明するいささかの展示もありますけれど、
基本的には鬱蒼とした森の中。オゾンたっぷりの印象です。


でもって、ここの森にはコアラの大好きなユーカリの木がいく種類も生育しているそうで、
油分を多く含んだユーカリが多いために自ずとここで放出される空気には油分が多く、
それがプリズムになって青っぽい霞が生ずるのだとか。
ですから、ブルー・マウンテンズの言われの元はユーカリにあったわけですね。


で、そのブルー・マウンテンズの景観はといえば(お待たせしました!)、

CablewayやSkywayで堪能させてもらえるのでして、こんな具合です。

携帯のカメラでは青霞の様子までは詳らかにはならないでしょうけれど。


ブルー・マウンテンズ


一番奥に見える山並みの向こうにシドニーの町があるわけですが、
山々も見事ながらその足元の鬱蒼とした森がまた見事ですね。
青木が原の樹海を思い出したりしますけれど、

やはり同様に入ったら出てこられなくなるてなこともあるようです。


スリー・シスターズ


こちらは「スリー・シスターズ」と言われる岩峰。

アボリジニの伝承から名づけられたようです。


ところで、こうした景観にひと役買っているユーカリの木でありますけれど、
先に言ったとおりに油分が多いとなると、乾燥している時期などには自然発火することもあるのだとか。

オーストラリアのどでかい山火事の話は何とはなし聞いたことがあるように思うんですが、
原因はユーカリであったとは。


しかし、しかしですよ、ユーカリが元で起こった山火事は一面の木々を焼き払ってしまうものの、
ユーカリだけは中まで焦げずにしっかり生き残るのだそうで。
つまり、ユーカリのみが生き残るという、実にしたたかな生命力をもっておるようです。


また、ユーカリといえばコアラということになりますけれど、山火事なんかが起こった日には

のんびりもののコアラはひとたまりもなく往生してしまうそうで、
それでもユーカリだけ生き残るということは、

自分を食べてしまう天敵?コアラに対する報復攻撃ではないか?!
と穿ったことまで考えてしまうところでありますよ。


それでは、最後に別の展望スポットから見たブルー・マウンテンズの景観。

ご堪能いただけましたら何よりです。


これもまたブルー・マウンテンズ


あっそうそう、シドニーでの各人各様の服装のこと は先に触れましたけれど、

ここははっきり言って寒いです。

日本の夏休みに出かけるとすれば、

ここでは完全冬装備が必要と思っていた方がいいですよ。

先に覗いてみましたハイドパーク・バラックス の辺りか

シドニーの街なかをぶらりと歩いてみるとしますかね。


本当はそこから北に続くマッコーリー・ストリート沿いには

歴史的建造物がしばし続くようなんですが、
すぐ南隣にある聖メアリー大聖堂が威容を誇って聳えておりましたので、

ついついそちらの方へ。


聖メアリー大聖堂

なんでもオーストラリアで初めて出来たカトリック教会ということですけれど、
英国植民地なればこそアングリカン・チャーチとの対抗上?

カトリックの荘厳なところを示したかったのですかね。


残念ながら1865年の大火で消失してしまったものの再建ということで、

確かにいささか新しいような。
ただ、裏手に廻ると土台近くに煤けたと思しき部分があり、

なるほど焼けたのか…と思うわけですよ。


と、教会の正面入り口側でこんなものに出くわしました。


聖メアリー大聖堂前の青空アイススケート・リンク


何とまあ、青空アイススケート ・リンクなのですね。

一昨年11月にウィーンに行って、やっぱり青空アイススケート・リンクを見ましたけれど、

そこはそれ、やっぱりそれなりの冷たい空気があったわけですが、とても同じ状況でないような…。


やっぱり冬だったんだぁと思いを新たにする一方、

だあれもいなくて、いつオープンするんだろうと思ったりしてしまいました。


さて、公園の中央を横断するパーク・ストリートを渡ってハイド・パークの方に目を向けますと、
わりとそこここにあるいろんな像の中でひときわ子供たちに人気らしいのを発見!
なにしろ、何人もの子供たちがよじ登って肖らんと必至の様子。


シドニーの子どもたちよ、キャプテン・クックを目指せ!

まあ、肖ろうとしているとは勝手な想像ですが、

この人物こそキャプテン・ジェームズ・クック でありますよ。
本当に人気があるのかどうかも定かではありませんけれど、

少なくともこのときにはそう見えたということで。


ここからハイド・パークを離れて、パーク・ストリートを西へと進んでいきますと、
これまた由緒正しいと思われる建物に遭遇します。


シドニー・タウンホール

1881年に完成したというタウン・ホールでありますが、この辺が街中の中心部。
建物の前を南北に通るジョージ・ストリートがシドニーの目抜き通りというところでしょうか。


タウンホールのお隣には、またひとつ立派な教会が。
聖アンドリュース大聖堂でありまして、
近づき過ぎてしまったために建物の方はまともに撮れなかったですが、
こちらは内部を撮影してよさそうでしたので、ちと雰囲気だけお裾分けということで。


聖アンドリュース大聖堂の内部


そして、ステンドグラスも少しだけ。


聖アンドリュース大聖堂のステンドグラス


タウンホールを間において、聖アンドリュース大聖堂と反対側にも

QVB(クィーン・ヴィクトリア・ビルディング)という歴史的建造物があるのですね。

ビルの名前が名前ですから、当然登場しちゃいますね、この人が。


Chain reaction of curiosity


QVBを背にして、堂々たるヴィクトリア女王 でありますよ。

ヴィクトリア女王を目の前に置くハイドパーク・バラックスのところから始めて、

たどりついたところでまたお目にかかるヴィクトリア女王。

ということで、シドニー街なかのそぞろ歩きもお後がよろしいようで…。

さすがにシドニー話ばっかり続きますと、

ご来訪の方々も飽きてこられるのでは…と思ったりもするわけでして、

いま少しシドニー話が続くと予想される中では、ちょこちょこと違うことも織り交ぜつつ。


というわけで、東京都現代美術館で開催中のフレデリック・バック展を見てきたというお話であります。


フレデリック・バック展@東京都現代美術館


もっとも予備知識的には「フレデリック・バックってだれ?」と思っていたのでして、

上のフライヤーに見るとおり、「木を植えた男」のイラストを描いたのがこの人かいね…という具合。


木を植えた男/ジャン ジオノ


かつて読んだこの絵本についていた挿絵、

これがフレデリック・バックだったということになりますけれど、

ただそもそもフレデリック・バックが作ったのはジャン・ジオノ作「木を植えた男」の

アニメーションだったのですね。


展覧会では、入ってすぐのところから9枚のモニター・パネルを順にたどりつつ、

30分弱のアニメ版「木を植えた男」を見ていくことから始まります。

そして、展示のすべてを顧みたときに思うのは、

「木を植えた男」がやっぱり最高傑作なんだぁねぇということ。

ジャン・ジオノの「木を植えた男」は、フレデリック・バックの「木を植えた男」になったのではと。


展示の最初は、純然たる(?)画家を目指した絵画作品から始まります。

が、こういってはなんですが、あんまりぴんと来ない…。


途中で1枚、少年時代にディズニー のキャラクターを描いた紙片が展示されてましたけれど、

このあたりのことからしても、もともとグラフィカルな、デザイン的な方向が向いていたんではないかと。


ちなみに、ここに描かれたのは指揮棒を振るミッキー・マウスと楽器を奏でる動物2体。

「これは『ミッキーのオーケストラ』ではないかと?!」と。

スッペの「軽騎兵」序曲に挑む指揮者ミッキーとオーケストラの面々。

ところが、グーフィーの大失敗からほとんどの楽器がポンコツ状態となり、演奏もメタメタ。

見守るプロデューサーのマッカローニ氏(実はピート)が頭をかきむしる…というお話。


ただし、アニメ「ミッキーのオーケストラ」は1942年公開だそうですから、

1936年と記載のあるバックの紙片は、アニメ化以前の何かから書き写したものでしょうかね…。


おっと、ミッキー話が長くなってしまいましたが、

画家の卵であったフレデリック・バックはこうした素質に加えて、

レンヌ美術学校師であった画家マテュラン・メウの「身の回りを観察し、記録せよ」との教えに

字義通りの忠実さで応えたがために芸術作品としては「うむむ」の域を抜け出せなかったのかもです。


さりながら見方を変えてみれば、

その観察記録はむしろジェームズ・クック のエンデヴァー号に同乗し、

博物学的に新奇な動植物を写し取り記録していったパーキンソンの仕事を思わせるところがあるかなと。


とまあ、画家としては一頭地を抜きん出ないフレデリック・バックの作品は

(展示フロアも1階から3階に変わり)レストラン・メニューやポスターといったデザイン的なもの、

そしてアニメーションに手を染めるに至って、俄然面白いものになってくるのですね。


3階フロアでは手がけたアニメーションを初期のものから、

そのダイジェスト映像も含めて見られますけれど、この辺はあたかもアニメの歴史をたどるかのよう。


絵自体はそのままにカメラの動かすことで、絵の動きをイメージさせたり、

飛び出す絵本にあるような、人を描いた下絵の切り込みに別の紙で差し込まれた腕を動かしてみたり、

やがて粗いながらもぱらぱら漫画のような動きが作れるようになっていくという。


そうした少しずつの進化を経て、フレデリック・バックは「木を植えた男」にたどりつくわけですね。

ここに至って、フレデリック・バックの絵に芸術性が宿るのは不思議というか、皮肉というか…。


1924年生まれで87歳になるフレデリック・バック。

生涯のうちで「木を植えた男」のアニメーションを送り出してくれたことに感謝しつつ、

男が植えた木々のように健在であれかしと思うのでありました。

ジェームズ・クック の来航した1770年から18年後、

1788年になってようやく英国からの総督がニュー・サウス・ウェールズに派遣されました。


開拓のための労働力は繰り返しになりますけれどもっぱら流刑囚なのでして、
先に触れたロックス のあたりを含めて街づくり、そして食料自給のための農地開墾のために使われたそうな。


されど、ロックスのあたりに作られる住宅が最初から宛がわれるはずもなく、
早い話が収容施設が必要になるわけですね。


ハイドパークの北端から通りを隔てて建っているハイドパーク・バラックスは
そうした収容所のひとつだということで、今は資料館になっているという。


ハイドパーク・バラックス


1819年から1848年までは男性囚人が平均して600名詰め込まれていたそうですが、
囚人の輸送が廃止された後には、女性移民の滞在所などにも利用されたといいます。


ところで、囚人が詰め込まれたといってもイメージが湧きにくいとは思いますが、
寝室を再現した部屋を覗いてみますと、部屋の中にずらり並んでハンモックが吊ってあるのですよ。

外側から見ると、煉瓦積みの三階建てでなんだか由緒を感じるような建物なんですが…。


ハイドパーク・バラックス外観


たまにごろりとなるのならば、ハンモックも乙なものですけれど、
前後に短く、隣との間もほとんど開いていない状況で毎日睡眠をとるとなれば、
果たしてどれほどの疲れが取れたものか…。


という言い方をすると「妙に囚人に気を使ってるんでないの」ともなりましょうけれど、
先に見たカドマンズ・コテージにその名を残したカドマンさんは馬泥棒の罪で流刑になったのですし、
それ以外の人たちもジャン・バルジャン みたような罪を犯して流されてきた者も多いときけば、
いささかの同情は禁じえないところではないかと。


1階部分では、建物の昔の基礎部分を掘り起こしたところが見られますが、
同時に掘り出されたものも並ぶ中にねずみのミイラ化した死骸があったりします。


基礎部分にはねずみが齧り、トンネル化して巣にしていたようすなども窺い知れるとなれば、
衛生状態もどれだけのものであったか、想像されるところではなかろうかと。


しかしまあ、そうした来歴を持つ建物の目の前にヴィクトリア女王 の像があったりしますと、
なんだか複雑な気持ちになるものではありますよ。

ハイドパーク・バラックス前のヴィクトリア女王像

先にハーバー・ブリッジ の橋桁下から覗き見るシドニー・オペラハウスをご覧いただきましたけれど、

これだけ風変わりな建築物ともなれば、見る場所が変わればそのたびに違った面持ちを見せてくれて、

余りに有名なだけに「いまさら」感を抱きつつもいろんなところから見てしまう…

やっぱりなかなかに大した代物ではありますね。


シドニー・オペラハウス(サーキュラー・キーから)


まずこれは、サーキュラ・キーからの遠望。

後姿って感じでしょうかね。続きまして…


シドニー・オペラハウス(ハーバー・ブリッジから)


ハーバー・ブリッジを渡りながら眺めやると、

横顔から正面がだんだんと見えてきます。

そして、やおらぐぐっと近づいてみると…


オペラハウス クローズアップ


真っ白と思っていた屋根は、実はタイルをたくさん敷き詰めて文様が浮かびあがってました。

近づいてとくと眺めれば、貝殻にも喩えられるのもなるほど!ということがよく分かるのですね。

ところで、屋根のとんがり部分を見ていると…


オペラハウスの屋根のとんがり


ひっくりかえった船の舳先にも見えますけれど、

海の目の前で「ひっくりかえった船」は縁起がよろしくない。

もそっと見ておりますと、「おお!東南アジアの高床式の!」と思ったわけですね。

インドネシアあたりで見られるトンコナンのようにも思われないではない。


先住民であるアボリジニの方々は遥か昔に東南アジア方面から現在のオーストラリア大陸に入り、

徐々に南下しつつ拡散していったとかいうことからして、

そうした記憶の一端が込められておるのやもしれぬ…と、まあ勝手な憶測をしてしまいました。


とまれ、建築物として歴史的背景が極めて薄い部類の世界文化遺産ではないかと思いますが、

なかなかどうしていろいろと想像をめぐらさせてくれちゃう点でも、一見の価値ありということでしょうか。


出来うるならば、ここでオペラの一つの鑑賞して…というところでありますが、

オペラというものも万人が興味を示すものでもありませんすからねえ、

こたびはひとまず外側だけを堪能したということで、うむ。


夕暮れどきのオペラハウス