まずは左手の甲を上にして「パー」を作っていただきます。
「パー」の状態から、中指、薬指、小指の三本だけくっつけ、
中指と人差し指の間、そして人差し指と親指の間は自然な感じに開いた状態に。
(もしかすると、この状態を保つのが困難な方もおいでとは思いますが…)


この形がざっくり言ってシドニーの街の中心部ということになりましょうか。
中指の爪の先にはハーバー・ブリッジ が北へ伸び、
人差し指の先端にはかの有名な奇想建築、オペラ・ハウスが鎮座しています。


人差し指が短めの人だとなおぴったりなんですが、
親指の先にはミセス・マッコーリーズ・ポイントと言いまして、
オペラ・ハウス越しにハーバー・ブリッジを望める絶景ポイントとして知られているという。


人差し指と中指の付け根がサーキュラー・キーと言う、
各所に向かうフェリーの桟橋がいくつも突き出している場所でして、観光客が絶えないところ。


サーキュラー・キー


そのまま中指沿いに降りていけば、ハイド・パークとビジネス街、
やがてセントラル・ステーションにたどり着く…とまあ、こんな具合。


でもって、囚人を労働力としての開拓を前提に
はるばる英国から移住してきた(連れてこられた)人たちがまず町づくりを始めたところ、
それがロックスと呼ばれる場所なのですね。


先ほどの指の例でいえば、中指の第一関節から下のあたりになりましょうか。

ところで、ロックスの謂われはと言いますと、小指の外側を下ったあたりのダーリング・ハーバーから
フェリーでサーキュラー・キーに回り込むときによく見えるんですが、
要するに岩だらけの土地ゆえということであります。


ということで、西洋史観では歴史が浅いとなるオーストラリアにあって、
由緒あるお土地柄とも言えますかね。


ただ、囚人も混じりつつ、荒くれ者が集う港町でありますから(と、かなりステレオタイプな理解ですが)、
風紀は乱れ、建物は荒廃し…と大変な状態であった時期もあるようです。


それでも、やっぱり歴史が浅いからこそ(?)「大事にせにゃあ、いけん!」ともなるのか、
今ある建物をスクラップ&ビルドすることはできず、外部はそのままに(塗装を直したりはしますが)
内部だけをうまくうまく使っていろいろな用途の建物として使われているそうでありますよ。


そのおかげか、石造りの建物が建ち並ぶ雰囲気はなかなかのもので、

やはり観光客でにぎわっておりました。


ロックスの賑わい


そんな中にあって、1816年に建てられたカドマンズ・コテージは
シドニーに現存する最古の住宅のひとつとされているのですね。
史跡として公開される一方、部分的にはツーリスト・インフォメーションになってます。


カドマンズ・コテージ


今では海からちょっとひっこんだ場所ですけれど、
当時は目の前まで海だったそうで、ボートをつないでいたといいますとおり、
コテージというと少々体裁がいいものの、ボート小屋といった方が当たってるのではないかと。


ちなみにここにその名を残すカドマンさんですが、
馬泥棒で島流しを宣告され、当時としては地の果てどころか海の果てのこの地に流されたとか。


よほど開拓のための労働力が必要だったのかもですが、
江戸時代の日本なら佐渡とか八丈島あたりでしょうか。
世界に冠たる大英帝国ともなると、流刑地も世界規模であったということですねえ。


空は世界中つながっているけれど…

こたびのシドニー行き に際しては、
予備知識的にはお手軽に新書の「オーストラリア物語 」(といってもなかなか内容豊富でしたが)を読み、
旅の友としては、都合3回にわたる大航海を行ったキャプテン、ジェームズ・クックの、
第1回目の航海を扱った「船がゆく」を読んでみたのでありました。


船がゆく―キャプテン・クック支配の航跡/多木 浩二


オーストラリア東海岸沿岸を航海し、
ここをニュー・サウス・ウェールズとの命名し英国王の領土と宣言したクックでありますけれど、
そも旅立ちの目的は何であったのでありましょうや。


何でも目的は3つあったようです。
ひとつは天文学からの要請で、1769年に金星が太陽面を横切るのを南洋のよく見える所で観測すること。
もうひとつは、予て存在が伝えられる「テラ・アウストラリス・インコグニタ」(未知の南方大陸)を探索すること。
そして、最後に航海途上で出くわすさまざまな動植物などに関する博物学的な資料収集をすること。


最後の点は当初から目的ではなく、

なんでも金持ちのバンクスとかいう人が趣味が高じた?珍しい物好きから、
海軍にかけあって自分が集めた博物学チームを同乗させることに成功したが故であるとか。
おかげでエンデヴァー号は超満員の状態で船出することになったそうでありますよ。


このエンデヴァー号というのが400トン足らずですので、

箱根 の海賊船(遊覧船)のもちょっと大きいサイズでしょうか。
これでもって、芦ノ湖遊覧はおろか、3年ほどを費やす大航海に出たというのですから、

船乗りの度胸たるや大変なものですね。


航路は英国を出発して、大西洋を南下、

南米に立ち寄った後に先端のホーン岬を廻って太平洋に出るコース。
当然穏やかな毎日ばかりではなかったものの、

第一の目的たる天体観測はなんとかタヒチで成し遂げます。


そこで次に、というよりクックにとっては一番の目的ではなかったかと想像しますけれど、
未知の南方大陸の探索に向かって西へ向かうことになるわけですね。


しかしまあ、この「テラ・アウストラリス・インコグニタ」ですが、
存在するであろうと伝えられた理由というのが、なかなかに凄い。


ヨーロッパはじめ北半球にはアジアへと続く巨大な陸地が存在するのだから、
南半球にもなんか無いと「バランス、悪いじゃん」というものなんですからねえ。
何だか徳川埋蔵金探しのような感じでありましょうか。


歴史的にエポック・メイキングな出来事として1492年のコロンブスの航海で新大陸が発見されたことから、
いわゆる「大航海時代」が始まるわけですけれど、クックの航海はそれから300年近く後になりますね。


その300年の間には今まで知られていなかったこと、

つまり世界地図上の空白地帯がどんどん埋まっていったものの、
この南太平洋は最後の秘境状態になっていたようであります。


クックの航海以前の地図を見ますと、現在のオーストラリアの西側から南にかけての海岸線の途中まで、
そして同じく西側から北にかけての海岸線(途中からニューギニアと合体している)の途中までは
なんとなく今のオーストラリア大陸をイメージできる線で描かれていますけれど、
東側は何も書かれていないのですよ。


タヒチからニュージーランドに至り、ここが北島と南島に分かれていることをクックは確認しますが、
(北島と南島の間の海峡がクック海峡であります)
クックはこの北島も南島もぐるり一周ずつわざわざ廻っているのですね。


つまりクック以前には、従来から知られてはいたニュージーランドは
もしかすると「テラ・アウストラリス・インコグニタ」の一部ではないかという考えを確かめるために
ぐるりまわってみたらば「大陸ではなかった!」というがっかりな発見をしたという。


ここまでの発見でもって、クックは帰途につくことにします。

あまりに航海が長くなるので、ニュージーランドが噂の大陸ではないと確認したところで一旦帰ろうと。

これはクックの船長としての人となりをうかがわせるのではないかと。

新大陸発見の功名よりも航海の安全、乗員の安全まで考えてます。


ちなみに、日本では明治になって脚気対策を学びに森鴎外 を洋行させてますが、

クックの船ではこの当時から脚気予防の食事に気を使っていたのだとか。


ところで、ここで帰途につくということからすると、

この後にたどり着くニュー・サウス・ウェールズと命名する土地(現在のオーストラリア東海岸)は、

最初から「テラ・アウストラリス・インコグニタ」とは考えられていなかったようですね。


もっと太平洋の真ん中の南の方にどっかりあるものと思われてたんでしょうか、

せいぜいニュージーランドあたりならぎりぎり想定内と思ってたのかもですね。


にもかかわらず、後には「テラ・アウストラリス・インコグニタ」にちなむ「オーストラリア」を

国名にしてしまうのですから、不思議なものではありますねえ。

大きな都市というのは、人が集まるからこその大都市でありまして、人が集まればモノも必要になる…

さすれば交通の要衝は大都市になる前提条件のようなものでありますね。


物流の手段として、陸運よりも水運の方が「いっぱい運べるじゃぁないの」という時期が

歴史的にはあったわけでして、そうなると海(といっても、船が入れる穏やかな入り江ですが)や川を

間近に控えたところに繁華な町が現れるのも道理でありましょう。


そして、川や入り江があるとなれば、そこには「橋」が架けられるのもまた必定かと。

東京の隅田川しかり、ロンドンのテムズ川しかり、パリのセーヌ川 しかり、ウィーンのドナウ川しかり…

と、川の方には枚挙に遑なしでありますが、海ともなると簡単にはいかない。

かなり大がかりな工事が必要になりますものねえ。


ということで、海をまたぐような大きな橋というのは、実に実に魅力的ではないかと思ったりするわけです。

東京にレインボー・ブリッジがあり、横浜にベイ・ブリッジがありと、新しい橋もまあいいんですが、

歴史的な重み、重厚さを併せ持っていたとしたら、もういてもたってもいられないくらい「渡りたい!」と

なるわけですね。


そうした思いから、サン・フランシスコのゴールデン・ゲイト・ブリッジ(これは徒歩と自転車で2度)、

ニューヨークのブルックリン・ブリッジ (これは自転車で。イースト・リバーに掛かってますが、海みたいなもの)を

渡ったりしてるのですけれど、シドニーに来たならばまずしておかなきゃいけないのは、

ハーバー・ブリッジを渡ること。今回は徒歩で横断いたしました。


サーキュラー・キーから遠望するハーバー・ブリッジ


ハーバー・ブリッジは1932年に完成したものでありまして、

シングル・アーチの橋としては世界で2番目の1149mという長さを誇っとります。

(と、まるでガイドのようですが)


北に向かって右側(外洋側)歩行者専用路、反対側はどうやら自転車専用路のようす


アーチの手前に建つ石造りの大きな柱、パイロンというらしいですが、

ここには「パイロン・ルックアウト」という展望台もあります(が、怖いので登りません…)。


そればかりか、パイロンよりも高いアーチの最上部(海抜130m)まで登っていく

「ブリッジ・クライム」なるアトラクションもあるんだそうですよ。

ご興味ある方は、どうぞガイドブックをご参照くださいまし。どれでも出てると思います。


こうしたまどろっこしいご案内は(度々ご訪問いただいてる方はご存知のとおりですが)、

個人的にプチ高所恐怖症気味だからなのですね。

それなら「そもそも海抜52mの橋を渡れんだろう」と思われるかもですが、

そこはそれ「プチ」とか「気味」とか言ってる所以であります。


ハーバー・ブリッジ 湾内から遠望


それでも海抜52mでもなかなかのもんです。

これは後に湾内を行き来するフェリーから撮ったものですが、左側に大きなタンカーが見えましょう。

これが、橋の下をくぐってきたわけですからねえ、十分に高いです。


渡り切ったところで岸辺に降りて行きますと、橋を下から見上げる形になりますけれど、

このあたりの重厚さ、たまりませんね。スタイリッシュな新しい橋にはない重々しさ。

その様子をご覧いただくと同時に、今までもったいぶって出し惜しみしておきましたが、

「シドニーといえば、これ!」というのも一緒にご覧いただくといたしましょう。


ハーバー・ブリッジごしにオペラ・ハウスを望む


ハーバー・ブリッジごしに望むオペラハウスでありますよ。

そっちの方にはまた別途向かうことになりますが、やっぱり奇想建築物でありますなぁ。


ところで、橋の上には鉄道の線路もありますので、街の方に戻るにはそれでもいいのですが、

ここはひとつ、フェリー(まあ、渡し船でさぁね)で参るとして。


そのフェリー乗り場の前に実にレトロは遊園地「ルナ・パーク」があるんですね。

入口からして、この感じ。

ルナ・パーク


いやあ、実に怪し楽しげではありませんか。

ただ、こたびは遠慮しときましたけれど。


ということで、サンフランシスコ、リオデジャネイロとともに「世界三大美港」とも言われるシドニー港に

アプローチしたところから「シドニー見て歩き」は始まったのでありました。

毎度ご贔屓を賜っております皆さま、ご無沙汰いたしました。
たまたまお立ち寄りいただいた方には藪から棒でありますけれど、
ともあれオーストラリアはシドニーから帰ってまいりました。


タイトルが「シドニー見て歩き紀行」とは、
「どんな旅でも『見て歩き』ではないかいね?」と突っ込み遊ばしますな。

ぶらり一人で出かけたときよりも観光色が強い…
そういう意味でつけたものでありますからして、
その程度にご理解をいただけますれば幸甚なわけでありますよ。


ということで、これまで赤道近辺のシンガポールやらバリやらには出かけたことがあるものの、
どっぷり南半球というのは初めてのことでありまして、
シドニー見て歩きのあれこれに、しばしご一緒願えればと思う次第でございます。


まずはやおらこたびの歩き回りで抱いたところの雑感をもって、
シドニー見て歩き紀行の導入編と参るといたしましょう。


地図で見る限り、北と南の差こそあれ、
シドニーと東京は共に緯度で35度あたりのところにあることが分かりますね。


北と南では季節が逆転していることくらいの予備知識はありますから、
東京の夏(8月)はシドニーの冬(2月?)ということになろうかと思いますし、
ガイドブックなどにも「冬なんだから、服装などもあなどっちゃいけん!」と書いてあります。


が、シドニーのキングスフォード・スミス空港に着いてみるとですね、
朝8時頃ですけれど、確かに肌寒いかなと思うものの「これで冬?」という印象。


なにしろ出発地の気温が30度になんなんとするわけですから、
夏のズボンに半袖ポロシャツ、それに一枚長袖のシャツを羽織るくらいの姿で出かけたのですけれど、
そんな恰好で空港の外に出ても大きな問題はないのですね。


日本の2月の朝に、そんな恰好でふらふらしてたらたちどころに悪寒のとりことなってしまい、
風邪を引くは必定!ではないかと思うんですが…。

緯度が同じくらいというようなことはちいとも判断材料にならんなぁということですね。


さりながら、朝早いながらホテルに直接入るべく市内(空港から20~30分と至って便利)へ移動すると、
街中を歩く人々の姿かたちというのが、千差万別なんですなぁ。


がっちりコートを着込んでいる人もいれば、Tシャツ・短パン姿の人もいる。
服装だけを見るとあらゆる季節が混在しているように思えてしまう不思議なところなわけです。
もっとも海外へ旅して回ると、なんだか薄着で「平気なんかいな?」と思う人たちがたくさんいますね。
皮下脂肪がばっちりなんですかね…。


滞在中のだいたいの気温は、最高で20度を超えるかなという程度、朝晩の最低気温は7度くらいでしょうか。
日本でいえば春先、ともすれば花冷えくらいな感じがシドニーの冬ということになりましょうかね。
ですから、市内の真ん中にあるハイド・パーク(ロンドンより断然小さい)の中にも、
花の咲きそろう花壇があったりするのでして、「なんだかやっぱりイメージ狂うなぁ…」と。


ハイド・パーク@シドニーの花壇


ところで、往路の飛行機でもそうでしたし、市内でもよく見かけたんですが、
日本の高校生くらいの団体(といっても、学校中で来てるような大人数でないですが)を
結構見かけたものです。


中には制服姿でぞろぞろとレストランにやってきたりする場面も。

オーストラリアに修学旅行というのがあるのか、はたまた短期の語学研修か。
しかしまあ、思った以上に「Aussie English」というのがそこここに感じられる中で、
「語学研修かい?」と思わないでもない。
まあ、先生は話すのは「Queen's English」だったりするのでしょうけれど。


それからそれから、物価が高いですね、ここは!
何をするにも、何を買うにも「え?」と思ってしまう…のでありましたが、
導入のくせにちと最初から長くなってしまったので、
物価の話はまた別途の機会といたしましょう。


次からはちゃあんと観光ポイントに皆さまを誘うことといたします。

帰って来ました。
シドニーの待合室から通算12時間くらいぶりの一服は、やはりぐでんぐでんになりそうです。
それでは皆さま、またあした~!(^^)/~~~