東京都現代美術館で開催中の「アートと音楽」展を見てきたという話が思いがけずも
続きモノになってしまいましたけれど、まあそれだけ面白かったということで。
先に触れた展示「クリナメン
」の後にはしばし「曰く言い難し」な作品が続きますが、
その先に登場するのが何と!カンディンスキー
、共感覚つながりでありましょうか。
ただ展覧会入口のご挨拶にある坂本龍一さんの言葉に出てくる「共感覚」と
以前引いた生命誌研究者の中村桂子さんの言っておられる「共感覚」とは
必ずしもイコールでない気がしますが。
ともあれ、絵画の中に音楽を見てしまう、
極端に言うと音楽を聴いてしまう(まさに共感覚でしょう)ような
カンディンスキーの作品ですから、ここに登場したとて違和感無しでありますね。
会場内の解説にはカンディンスキー自身のこんな言葉が引用されてましたですよ。
私は音楽家たちをうらやましく思ったものです。彼らは芸術をして“現実的な描写抜き”で語らせることができる。
絵画は元より対象を写し取ることから始まったのでしょうから、
まさに「現実的な描写」こそが絵画であったと言えるのかもですが、
一方で音楽はといえば(標題音楽というものもあるものの)
「ここのところは何かを表したもの」ということが無くても
作品として何の問題もなく(例えば抽象画が意味不明と捉えられるようなこともなく)成立しますですね。
そうした点をうらやましがる。
いかにもカンディンスキーらしいところであるなぁと思ったりするところではないでしょうか。
そして、展示されたカンディンスキー作品のひとつ、そのタイトルが「活気ある安定」であるとは。
そも「活気ある状態」と「安定している状態」とは相反しているように思われますけれど、
それがまた違和感無く成立するのも、音楽の世界でありますね。
例えがあまりに卑近過ぎるかもしれませんが、マーチ、行進曲を思い浮かべてみますと、
「ズンタ、ズンタ、ズンタ、ズンタ」と活気ある伴奏が主旋律の出てくる瞬間を準備するとき、
伴奏の調子は活気あるものでありつつも、安定している。
だから、安心して主旋律のメロディが乗っかってこられるのですものね。
と、こうした極めて音楽的な動きを想起させるタイトルでもって、
カンディンスキーは描いてもいるのですねえ。
そして、この「活気ある安定」という作品は明らかに五線譜である形態のものや、
もしかすると現代音楽の楽譜だったらこんなのあるかも?!という形が見られるという。
(ちなみに「Animated Stability」で画像検索をすると出てくると思います)
で、カンディンスキーを見ながら「現代音楽の楽譜だったら…」云々と思ったところへもってきて、
同じ展示室の中にまさに「現代音楽の楽譜」、
一般的な五線譜から考えたら「これで演奏ができるかいね」という楽譜が
展示されているのですなあ。
どうやら図形楽譜と言われるようなんですが、武満徹による作曲作品。
こうなると、音を鳴らす以前に造形作品に思えてしまうところです。
どんなものかをうまく説明しにくいのですけれど、
例えば、四角い形をした楽譜が何枚かあり、円形をした楽譜もまた何枚かあり、
演奏に際しては四角形と円形を1枚ずつ任意に選び出すのだそうです。
この取りだした四角と丸を組み合わせて譜読みし、演奏するのだと。
普通の五線譜でしか演奏したことのない者の目には、
「これで演奏ができるのか?!」というふうに見えるのですけれど、
それはともあれ(バリエーションに限りはあるものの)演奏の度に違った組み合わせで
演奏が可能というわけですね。これもある種の偶然性の音楽であろうかと。
で、ようやっとジョン・ケージ
に関する展示部分にたどりつくわけですが、
またまた長くなってしまいましたので、再度続くということにしておこうかと。
あ!てなこと言ってるうちに、パウル・クレー
に触れることを忘れてしまった。
まあ、クレーの絵画に見るリズミカルさはそのままたっぷり音楽でもありますよね。

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