ブログ記事の冊子化は12分冊目を編集中が終わって、ついに完了に。


取り掛かり始めた頃は8分冊くらいにもなろうか…と頭を抱えたわけですが、結果的には12冊。
さすがに過去6年分の記事は大層なボリュームでありましたよ。


ところで、1分冊ごとにPDFファイルで「仕上がり見本」を見ることができたものですから、
「なるほど、こんな感じになるのかぁ」と想像する助けはありましたものの、
実際の仕上がり状況はまた印象の異なるものかもと知れぬと、
取り敢えず最初の2分冊だけ印刷オーダーを出していたのですね。


そして、待つこと、10日ほど。来ました、来ました!出来てきました。





Chain reaction of curiosity


…と、携帯で撮った写真がボケボケですが。


Chain reaction of curiosity



一冊あたりのページ数の上限が480ページで、

上限ぎりぎりに記事を突っ込んでいかないと分冊が増えてしまうものですから、
届いたのはB5判480ページの本が2冊といったところ。これが実にずしりと重い。
寝ころんで読んでいて、とり落としでもしようものなら、確実に病院行きではないかと。


ただ、思いのほか外見はしっかりと、中身はくっきりと仕上がることが分かりましたので、

このほど残りの分冊を印刷オーダーに回した次第。
後は出来上がりを待つばかりということで、感無量でございます。
 
と、差し当たり目指したところには到達したとの報告に出現した次第でございます。

ではでは…。

ちいとばかり変わったことをやってみようかと、

これまではブログに記事として書いていたようなことをいくつかまとめて

最初から冊子のようにしておくことにしてみました。


PDFになってるので、クリアにご覧いただけよう!と思ったものの、

その実アメブロにはPDFを直に貼り付けるすべはなく、

さしあたり画像化して貼り付けてはみたものの…。


このままでは中身を読める状態ではないでしょうし、

実際の画像はもっと大きいので画像をクリックしてもらえれば少しは判読可能になるのか…、

記事をUPしようとしている現段階では不明であります。


あれこれ検索すると外部のどこかにPDFデータをアップロードして、

そのURLでもってリンクを貼るという手法もあるようですので、今後試してみたいと思います。


とはいえ、最初からブログに記事を書けばいいものを、

書く方ももどかしく、ご覧になる方にはもっと面倒で、

というよりご覧になる気も失せるというところではありましょうねえ(苦笑)。



Chain reaction of curiosity



Chain reaction of curiosity


Chain reaction of curiosity



Chain reaction of curiosity



とりあえずの4頁もの、ご覧いただけるようであれば何よりなんですが…。


こそっとお邪魔いたしましたのは、joshでございます。


月日は夢のように流れ去りまして、早や四月でございますねえ。

このひと月ほどの間は、三寒四温とも思えぬ奇妙な暖かさと酷寒の戻りとが繰り返されておりましたが、

皆さま、ご健勝にお過ごしでしたでしょうか。


joshはと申しますれば、先にお話いたしましたとおり過去記事の編集作業にいそしんでおりました。

当初はどんな形で冊子化を実現するか、ああでもないこうでもないと考えたりもしましたが、

やはり最も安直な(そして最も費用がかかるんですが)手法をとることにしまして、

つまり「アメブロde本」というやつですが、結局のところこれに依頼することにしたわけです。


要領を得ないこともあって、かなり無駄な作業を繰り返したりもしましたけれど、

このほどようやく「Vol.1」の編集(大袈裟ですが「アメブロde本」の用語です)が終わったものですから、

つい安心してこのようなところへ(臆面もなく?)顔を出してしまったという。


しかしながら、この「Vol.1」ですが、

「1冊には480ページまでしか入りません」ということで目論見としては「相当入る」と思っていたのが、

実は2008年3月半ばまでしか入らないことが分かり、前途を思って途方にくれてもいるところです。

最低でも8分冊くらいになるのではなかろうかと。どこの大全集だ?!って感じ。


とまあ、作業はこの先も長らく続くことになりましょうけれど、

記事更新を停止しようという際にもいろいろな方からお言葉を頂戴しましたように、

体調が悪いとかそういうこともでもないのに、6年がた続けてきたことをぷっつり…とすると、

やっぱりほどなく「うずうず」してくるというのが実情のようで。


ですので、もしかするとまたこそっと出没してしまったりするかも・・・。

グッドバイ!とまで言っておきながら?・・・ですよねぇ(笑)。




とにもかくにも今日もまた、内容はともかくこうして記事をUPしたことで
書き始めてから丸6年が満了しました。

いささか大袈裟な行いでしたけれど、カウントダウンも終了です。


10日前に先触れいたしておりましたとおり、
この後はこれまで書いてきたものを取りまとめる作業期間に入りますので、
このブログの更新は本日をもって停止いたします。


この10日ほどの間にも自身の過去記事を振り返ることしばしでしたけれど、
「冊子状のものに…」などと申し上げたものの、冊子どころじゃあないな…と。
今さらではありますが…。


こうした膨大かつ取り留めもない内容であるにもかかわらず、
これまでお立ち寄りいただいた皆様には心より感謝いたしております。

お礼の言葉を言い尽くせるものではありません。


また何らかの形でお目にかかれることがありましたら…云々とまあ、
あれやこれや別れ話のようなことをぐだぐだと書いてしまいそうな気配になってきてますが、
おや、どこかしらから、トカトントン!と音がした気がしますですね。


そろそろ潮時でしょうか。
それでは、グッドバイ!

新宿でちょうど映画一本分くらいの時間調整が必要だなと思ったところで、
目にとまったのがこの映画、「よりよき人生」でありました。


映画「よりよき人生」

それにしても「よりよき人生」とは付けも付けたりというタイトルだと思ったわけですが、
原題が「Une vie meilleure」で(フランス語が分からないものが何とか検索してみた結果としては)
どうやら的外れな邦題でもないのだなと。


ただ「よりよき人生」とまで言われると大仰に思えもするので、
「よりよき生活」くらいかなとは思いましたけれど。


学校給食の調理人として働いているヤンは、
自らをシェフとしてレストランに売り込みいっては断られることの繰り返しのようで、
またしても…というところがファースト・シーン。


世の中いかないことばかり…てな展開を予期させるはわけですけれど、
たまたまレストランの入り口は送り出すことをマネージャー(らしき人)から仰せつかった女性従業員ナディアに、
タバコを勧め、ひとしきり愚痴り、ついでに仕事が終わったら飲みに行こうと誘うヤンには、
極端に酷い状況下とは見えません。


そしてここからの展開の速さは、実はこの映画の中でいちばん驚いたところかも。
(日本人だからというのか、個人的に保守的?いや奥手?いや常識人?何と言おう…)
夜になって、先のレストランで仕事を終えたナディアを待ち受け、

連れ立って歩き始めて最初の角を曲がったところで、
空腹の人が食べ物にかぶりつくようにキスを始め、ナディアも拒むことはない。


次のシーンはベッドになり、目覚めると彼女には子供がいることを知るヤン。
転じてさらに次のショットでは、ヤンはナディアの子スリマンと湖畔で遊んでおり、
ナディアは草地に横になって彼らの姿を幸せそうに眺めやっている。


湖畔の森の中に分け入ったヤンとスリマンは古びたコテージを発見。
ナディアもやってきて、「ここでレストランが出来たらいいね」と。


続いてはコテージを買い取る金策の話になって、銀行に融資を申し出る場面。
頭金がしっかりあることを前提に融資は認められるわけですが、
大した蓄えなどあるはずもない二人には、自前の頭金と偽って
いくつかの消費者ローンから借り出すことにするわけです。


このあたりで速い展開は落ち着きを見せてはきますけれど
「レストランさえ開業できれば返せる」と成功を全く疑わないヤンは、
あの手この手の無担保借財を探し求めることになっていくのですよね。


確かに手に職を持つものが自前の店を開けるというのは、
大きな夢でぜひとも実現したいと思うところではありましょう。
ですが、そうであっても無理なことはやはりあるのではないかと。
頭金すらない中で、無茶とは思わないのですかね…。


映画のオフィシャル・サイトにはこうした言葉で映画の紹介がされていました。

人生において大切なものとは、“よりよき人生”とは何か、が浮かび上がってくる。
過酷な現実に翻弄されながらも、明日を信じ、心を折ることなく前進していく「新しい家族」の姿に、見る者は熱い感動につつみ込まれることだろう。

確かに「過酷な現実に翻弄」されているとは言えないながらも、

自ら招いたものであるとすると「翻弄」とはあまりにも被害者然…。


昨晩のNHK-TV「花鳥風月堂」で取り上げられていた歌舞伎「天守物語」は、

妖怪の世界と人間の世界という、交錯してはならない世界が交錯したがゆえに生まれる悲劇

というようなお話だったわけですけれど、単に人の住む世界だけを考えても「世界が違う」といった

ことがありますですね。


それを飛び越えよう(もっぱら上方にですが)とするような向上心というのか、

出世欲というのか、そうしたものが人間にはあって、階層移動がないわけではない。

ですが、誰にでもできるものではありませんし、うまくいくとばかりも言えない。


だから、今に安住してなさいというつもりはありませんが、

冒険とか挑戦とかいうこととは別の無理、無茶は破綻につながると想像することは必要かも。

しかも、自分以外の人も巻き込んでという場合には、一層の熟慮がいるのではないかと。


ただ、そこらへんの熟慮ぐあいにはそれこそ個人差があるわけで、

手堅く手堅くいく方もあれば、勢いに任せる方もありましょう。


ヤンの場合は後者だったのかもしれませんけれど、

その後の展開(ここまでは語ってしまわないようにします)までをご覧になったときに

はて、どう思われるでしょうか。


こうした部分だけでない感慨もないではないですが、

オフィシャル・サイトに紹介されるような「見る者は感動に包まれるだろう」ということに

なりますかどうか、これまた個人差ということやもしれませぬ。