社会人になったら読んでほしいブログ -2ページ目

社会人になったら読んでほしいブログ

社会人生活も20年目。20年間の雑言プラス転職2回に海外赴任2回の経験をつらつら書きます。若い社会人の方の役にたてば良いと思います。そのほかは住んでいるシンガポールネタなどを書いていきます。

2016年2月初旬から2週間のシンガポール出張だった。

1週間出張は過去にもあったが、さすがに2週間は長い。

前半に大きな仕事は終わったので、後半は気楽に過ごせたが、空いた時間を使ってシンガポールの街を見て回った。

この機会にシンガポールについて紹介したい。

 

ご存じだと思うが、シンガポールは綺麗で緑の多い国。年中暑くて、スコールが降る。

街の人の装いは暑さを避けるため男性だとTシャツに短パンとサンダル、女性はワンピースのようなものが多いように思う。

でも、オフィスはエアコンでキンキンに冷やされているので、風邪をひくなんてことはしょっちゅうある。

この国にはカジノがあるが、インフルエンザもある。

 

シンガポールは多様性という言葉がぴったりの国だろう。

基本は中国系の人がマジョリティではあるが、マレー人、インド人などもいて、この国の首相は3ヶ国語を話す。

 

一方で、教育システムは厳しめで、幼いころから選抜されているとのことである。

学歴が職に直結する。

最も優秀な学生はシンガポールの国立大学に進学、次の優秀な層は海外に留学という順番だ。

親は必死に留学資金を捻出するという。

 

街は綺麗である一方、いたるところに監視カメラが設置されているので、それで景観や治安を保っているのだろう。

日本と違って、事故の写真だとか生々しいものもすぐにwebに流れる。

だから、法律を守ることにやたらと敏感であると思う。

 

住んでみるといろいろなことがわかる。また新たな発見があれば報告したい。

会社生活も長くなってくると、上司にもいろいろなタイプの人がいることがわかってくる。

もちろん、会社によってマネジメントだけをやっている上司もいるだろうし、プレイングマネージャーとして実務を持っている上司もいるだろう。

僕は、マネジメントの仕事はいかに部下に気持ちよく仕事をさせるかだと思うということを前にも書いたが、そう思えるような上司に出会えたことの方が少ないと思っている。

この頃に僕の上司だった人は年齢はほとんど変わらない転職組の人だったのだが、読み物が好きな人でいろいろと知識はあるはずなのだが、こちらが質問しても良いか悪いか言ってくれない。自分で考えた仮説が絶対で、周りの意見も組み込まない。そんな感じの人だった。

 

実はこの上司の態度が前年のブログに書いた同僚の退職の一員にもなっていて、この頃は課員全員が部長に対してこの上司の問題点を直接話したり、メールしたりとボトムアップで上司(=課長)の交代を望んでいた。

この課長は部長がつれてきた人。

部長の立場からすれば自己否定になりかねないが、部長は僕たちの意見を受け入れていた。

 

2015年になってすぐにシンガポールへの出張があり、初めて部長に同行した時に、今思えば伏線とも思える話があった。

当然その時は何が起きるかなどわかっていない。

帰国後の月末に課長交代のニュースはやってきた。

 

同僚が抜け仕事が舞い込んできたことに加えて、目の上のたんこぶであった課長も交代となった。

思いもよらない二つの出来事によって、僕はここから息を吹き返すこととなる。

人生には偶然もあるし必然もあるのだろうと思う。

一つだけ言えることは、チャンスが来たら、必ずそのチャンスをものにする努力をすべきだということ。

転職にしてもそう。昇進試験にしてもそう。

でも、仮に失敗してもあきらめないこと。

また必ずチャンスはくる。

若い人ほどチャンスは多い。

一度や二度の失敗くらいでめげずに頑張りましょう。

 

 

 

人生2回目の海外赴任で、今回は単身赴任をしている。

1回目の海外赴任の時は寂しさを感じなかったのに、今回はコロナの影響もあってか、日本の故郷や東京での生活をやたらと思いだす。

シンガポールは日本から5000キロ以上。

先日、東京、サンフランシスコ、シンガポールをつないでZoom飲みをやって見て楽しいとは思ったものの、友人も含めてやはり自分の大切な人に直接会えないというのは寂しいものだなと思う。

年をとったということなのかな。

海外で暮らすということは、なかなか簡単なことばかりではない。

我々日本人にとって、日本での暮らしが体に染みついているのだから、生活するだけで、どこかにストレスを抱えてしまうのだと思う。

寂しいと思うと更に寂しくなる。

帰りたいと思えば更に帰りたくなる。

でも、みんな歯をくいしばって頑張っているのだと思う。

海外に出ると日本の良さを改めて感じる。

コロナが収束して日本に帰れる日が待ち遠しい。

 

8時過ぎには出社して20時近くまで調べものが続く日々。

上司と同僚は海外出張を頻繁に行うが、自分の仕事はそのロジ周りの調整や資料作成。

新規事業と言えば聞こえは良いが、立ち上げ段階では実に地味な仕事が続く。

そうこうしているうちに2015年も半分ほど終わったのだが、出来る同僚君とひょんなことで仲良くなった。

彼は彼なりの疑問や悩みを抱えていることがわかり、業界経験や実力から見ても自分は下なので、彼が仕事をしやすくなるように動こうと思うようになった。

そうなると楽なもので、コミュニケーションも増えて、必要な資料の準備や調べもに、自分も役にたっている感が出てくる。

愚痴ばかりこぼすのは簡単なのだが、なかなかこのように切り替えられることは少ないのではないかと思う。

そういう意味で僕はラッキーだったと思う。

ひょんなことというのは実にくだらない話で、たまたま僕らは同じ大学の出身で、学生時代は似たような生活をしていたことがわかって、お互い九州出身であったということなど、共通点が多いことに気が付いたということにつきる。

そんなこんなで2015年も終わりが近づいてきたころ、シンガポールに拠点を作るプロジェクトが具現化しそうになっていた。

僕は相変わらず出張もないし、やることは変わらなかったのだが、ある日、同僚君が辞めると言ってきた。

同僚君は、今いる会社よりももっと規模が大きく、海外展開も進んだ会社からM&Aを進めるためにこの会社に来ていたのであるが、残念ながら会社は積極的なM&Aを進めないという結論になったことで見切りをつけたようだ。

思い返せば秋に入って間もないころから前の会社に戻らないのかとかやたらと言われていた気がするが、彼自信も転職活動を始めていたのだなと思われる。

そんなこんなで彼の仕事は僕が引き継ぐという流れとなり、思いもよらず僕にチャンスが巡ってくることとなった。

今の自分があるのは彼の退職によるところが大きいし、人生にはこのようなサプライズもあるのだなと思った。

 

転職に失敗した!と思った僕はもとの会社への出戻りを画策することとなる。

もといた部署の上司と飲んでみたり、別の部署で募集がないかなどを調べてもらった。

シンガポールにいる人からも話を聞いたりしていた。

しかし、一旦退職した身だし、期間もまだ経っていない。

そんな僕を喜んで迎えるような部署はなかった。

毎日が苦痛と後悔の日々を送ることになる。

今の会社には何人かもとの会社から移ってきている人がいて、僕の部署には部長の他にもう一人同じ境遇の担当部長がいた。

その人はこの会社に移って15年以上の経歴を持っている人で、率直に話ができる人だったので、何度も相談したことを覚えている。

他に移ろうにもこの会社での勤務経験は短いし、当初の志も全く実現できていないし、ここだという会社も思い浮かばない。

そのような状況にあっても、自分に任された仕事はあるので、会社にはちゃんと行かなければならない。

しかも、前職では労働裁量性で一定時間分の残業代が固定支給されていたが、この会社に移って時間単位の残業代支給に変わったので、さっさと帰ってしまうと所得がマイナスになってしまう状況だったので、生活のための残業をせざるを得ず、仕事が忙しいかのような振る舞いもしていた。

華々しい転職を決めたはずが、トラウマ的に忘れられない思いを引きずりながら2015年を迎えることとなった。