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社会人になったら読んでほしいブログ

社会人生活も20年目。20年間の雑言プラス転職2回に海外赴任2回の経験をつらつら書きます。若い社会人の方の役にたてば良いと思います。そのほかは住んでいるシンガポールネタなどを書いていきます。

がむしゃらの突っ走っていたら病気になりました。甲状腺機能亢進症。いわゆるバセドウ病というやつです。僕はバセドウ病眼症も発症し、右目が左目に比べて飛び出してしまいました。バセドウ病になったことする全く気付いておらず、たまたま日本に出張した翌朝に、左足がベッドの下に落ちているのに上がらない、手足が動かないんです。(後に四肢麻痺という症状であることがわかりました)。机の上の携帯電話を這うようにしてなんとかつかんで、中国にいる上司に国際電話をしました。幸い上司の奥様が近くに住んでいらっしゃったので、救急車を呼んでもらい病院に運ばれたのですが、そのころには手足も動くようになっていてついた診断は強度の筋肉痛。。。お医者様の言うことですし、体も動くようになっていたので信じてしまいました。

その後、長期休みを利用して日本に再度帰国する機会があり妻に会ったところ、一瞬で甲状腺の病気の可能性があることを告げられました。妻は看護婦でした。休みの間に血液検査の結果は間に合わず、僕は中国に帰国しましたが、出てきた検査結果はやはり甲状腺機能亢進症。そこから日本での治療を選択し、2週間ほど入院して結局1ヶ月ほど会社を休むことになりました。その後は5年ほど薬を飲み続けて一応完治したことになっています。

バセドウ病は気づかないうちに進む病気で、何もしていないのに体は常に100メートル走をしているようなエネルギーを消費しています。なので、やたらと食欲が増します。今思うと、毎晩2つのお弁当を食べたりしていました。当然全部は食べられないんですが、食欲が増すんです。

当時の体重は68kgだったのが、病気が発覚したころには58kgで、食べても食べても体重が減っていたことがわかりました。

手足が動かなくなったのも、エネルギーを消費しすぎてカリウムが足りなくなってしまったからでした。

別にこれは海外だから起こったということではなくて、日本にいたって起こっていたかもしれない出来事だと思っています。

人生、どこで何があるかわからない。だから健康には注意して働くことを心がけています。

 

 

赴任した子会社は500名規模の製造子会社だった。お昼は食堂で当時1食4元(当時のレートで50円ほど)の食事だった。

ご飯、スープ、おかずを4品選んで食べる。ご飯の大盛は自由。

郷に入っては郷に従えというが、なかなかこの食事にはなれなかった。

たまに外に出て食べる日本食やサンドイッチは格別だった。

食べ物の好き嫌いはいけないし、食わず嫌いも良くないと思うが、やはり根っからの日本人だし、日本食が食べたい。

今住んでるシンガポールは外国ではあるが、日本食という点では全く不自由がない。

一人暮らしだけに、余計に食事の大切さを感じる。

日本から5000キロ離れたこの地に進出してくれた日系スーパー、飲食店の方々に本当に感謝している。

もしシンガポールで起業するなら、日本人向けの定食屋さんが良いと思う今日この頃です。

中国に赴任すると国際線に乗る機会が当然ながら増えた。

いつもJALを利用していたので、そこでマイルをためるという発想になるのだが、Frequency Fryer Programでステータスを得るには相当ハードルが高いことを感じた。。。上海成田線では回数を稼がないとダメ。

当時は夢のまた夢だったステータスだが、これまでにダイヤモンド、JGCプレミア、サファイヤは達成し、JGCに入会している。

やはり長い路線を高い運賃で飛ばないとなかなか厳しいと思う。

サファイヤ一歩手前で、次の国際線出張が控えている中、どうしても早くラウンジが使いたかった僕は、始発の羽田小松往復というのをやったことがあります。降りてすぐに搭乗。。。クルーのCAさんも同じで恥ずかしい思いをしましたが、JGCに加入した時は本当に嬉しかった。

出張の多い人、チャンスは逃さずにつかみましょう!

 

 

赴任してからの1年間は若くして海外に出してもらった前例もなかったことから、自分が出来ないと、次からの若手が海外に行けなくなる。なんて思いのもと仕事に取り組んでいた。実は赴任と同時に結婚し、子供も授かったために一人で仕事のことだけを考えれば良い環境だったが、プライベートでは妻と子供に会いに強硬日程で日本に帰ったりしていた。僕はなぜか妻と子供を手伝いたいと思う人間だったので、自然とそうしていた。その後、1年半の単身赴任を経て、妻と子供を帯同することとなった。日本と異なり外国人向けの医療も充実していない当時の蘇州に乳飲み子をつれてくることの心配は多かったし、連日の接待で帰りが遅くなることへの不安もあった。でも、不安よりも家族は一緒にいた方が良いと思っていたし、子供の成長を一番近くで見たかった。このころは仕事も家庭も両立できて楽しかったな。

転勤して1年が経過すると、仕事にも、生活にもだいぶなれてきた。するとSARSが蔓延した。今のコロナのよう。でも、中国国内の話なのに、詳しい情報は入ってこない。発生源は広東省とのことで、身近に危険が迫った感じもしなかった。日本に帰りたい感情と、留まらなければならないと思う感情に揺れたことを思いだす。今もシンガポールで同じような状況にある。でも今は正直、守るものも増えて、日本に帰りたいとばかり考えている。昔は駐在員は親の死に目にも会えない覚悟で行くものだと言われていた。でも今はテクノロジーの進化で働き方も変わろうとしている。年を重ねると自分の生まれ育て上げた国こそ最もパフォーマンスを出せる環境だと感じてならない。

 

via 転職ラウンジ
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