門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。
羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。
自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。
羊はその声を知っているので、ついて行く。
しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。
ほかの者たちの声を知らないからである。
ヨハネによる福音書 10章3節-5節
ブログで引用される聖句はすべて
日本聖書協会『新共同訳 聖書』より
I have a heart for Christians in Japan.
クリスチャンなら、誰でもWelcomeです。
まず、
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【国境を越えた友情が起こした奇跡】その2
前回、ご紹介させていただいた
べー・チェチョルさんの証も感動的な証ですが、
その奇跡な証の裏には
彼の歌声を大切にして立ち直ることができないかと
色々調べたり、横からサポートしながら、
助けてくれた友達、
日本人の輪島東太郎さんの特別な支えがありました。
初めに日本にベーさんをご紹介した輪島東太郎さん。
厳しい家庭環境で育てられ、
音楽が唯一の励ましだった輪島東太郎さんさんは、
音楽プロヂューサーとして
ボイスファクトリーという会社を立ち上げました。
そして、イタリアからお呼びするオペラ公演を企画した時、
テノール歌手が必要となり、
ベー・チェチョルさんのテープを聞いて、
最初は「まあ、刺身のツマや」と思って
べーさんをお呼びしたようです。
しかし、リハーサルでべーさんの歌声を聞いた瞬間、
「生きてる間にこれほどのテノール歌手は
二度と会えないな」と
べーさんの歌声に惚れたらしいです。
その後、二人は国境を越えた友情で結ばれています。
ベーさんは証しする度、こう言います。
「私には大切な友達がいます。
今のマネージャーである日本人の輪島東太郎さんです。」
ベーさんに電話した時、
あまり声が出ないベーさんが声を失った事実を聞き、
涙を出した輪島さん。
どうすれば彼の声を取り戻すことができるか、
声帯の回復手術の権威である一色信彦教授に
連絡をした人も、
手術費用を募金した人も輪島さんでした。
ベーさんがヨーロッパで長い間リハビリする時も、
最後まで彼を捨てずに、彼のリハビリを見守り、
心配し、サポートしてくれた日本人。
ベーさんの失われた声を機に、
二人の友情の絆はもっと深くなりました。
声を失ったにも関わらず平安なベーさんを見て
最初は「嘘だろう」と思ったらしい輪島さん。
横から見たベーさんの強い信仰と
輪島さんのための毎日の執り成し祈りのおかげで
輪島さんも数年前洗礼を受け、クリスチャンとして
神様をすごく愛しながら生きています。
日本と韓国。
両国は政治家もお互いに非難し、
国民の考えまでゆがめ、悪い感情を持たせますけど、
それに屈することなく
人間としてお互いを信頼している二人。
二人は前はイタリア語で会話したみたいですが、
今はベーさんが日本語もしゃべるようになったみたいです。
あまりにも美しい友情ではありませんか?
二人の深い友情は
2012年、日本で「ザ・テノール」というタイトルで
映画化されました。
他人が何を言おうが気にせず、
許しと和解、そして愛でお互いの国のために祈りましょう。
なぜなら、
それがクリスチャンの私たちの
信頼する神様のおっしゃる真の愛ですから。
輪島東太郎さんはとても話が上手な方で
面白くメッセージを伝えていますので、
ぜひ聴いてください。
【国境を越えた友情が起こした奇跡】その1
ベー・チェチョルという韓国のテノール歌手をご存じでしょうか。
アジアで100年の一人のテノール歌手と呼ばれたほど
世界的にも珍しい、最高のテノールを意味する「リリコスピント」、
その素敵なボイス持ちの声楽家でした。
2003年、日本でも初めての公演を皮切りに多数のファンができました。
プラシド・ドミンゴからも絶賛)されたベー・チェチョルさん。
ヨーロッパのオペラの舞台を牛耳った2005年のある日。
公演中声の異常を感じ、病院で甲状腺がんと診断されて、
手術を受けましたが、手術の中、右の声帯の神経が
切断されてしまい、声を失いました。
プロの世界は厳しい。
もう歌うことができない彼は
誰も望まない悲運のテノール歌手に転落しました。
彼は友達の助けを借りて、2006年日本の一色信彦教授から
声帯機能回復手術を受け、歌声を取り戻しました。
以前のような歌声に完璧に戻りませんでしたが、
2008年奇跡的に声楽家として舞台に復帰してから、
神様から与えられた第二の声で人々に希望と愛を伝えています。
クリスチャンであるべーさんはがんと診断されたた時、
「神様が私に欲することがあるんだ」と思ったそうです。
「神を知らなかったら、悪いことを思ったのかもしれません」と
告白しました。
「あなたと私の関係をやり直しましょう。
あなたに新しい人生を私が作ってあげる。」
神様からその言葉を聞いて、
心が穏やかになったようです。
「いつかは 神様が私を舞台に戻させてくださると信じました」
とも証しました。
彼は証で
「当時、成功への道を歩いていましたので、
もしがんに襲われなかったら、
神様とは何の関係もない人生を
生きたかもしれません。
神様が私をストップさせてください、
自分の人生を考え直すことができました。
今はその人生を生きています。」と告白しました。
声帯機能回復手術の中、
教授に歌を歌ってみてくださいと言われた時、
彼が音声で歌い出した歌。
それは賛美歌でした。
声を取り戻し、2年半ぶりに戻って歌った舞台は
劇場ではなく教会でした。
再び歌うことができた彼は涙で賛歌を歌いました。
人生に大きな試練が来た時、
神様を恨まないで
「その試練には何か意味があるんだろう」と
思った彼の信仰は素晴らしいですね。
べー・チェチョルさんが手術台の上で
取り戻された声で初めに歌い出した賛美歌。
そして、手術後初めて教会で歌った時の讃美歌。
べーさんは同じ賛美を教会で涙で歌いました。
その賛美を歌う動画をご紹介させていただきます。
*この讃美歌の日本語バージョンは「輝く日を仰ぐとき」です。
歌声を取り戻し、日本語で歌った「愛の歌」と
甲状腺癌前の最後の歌声で歌った「フェデリコの嘆き」も
是非聴いてください。
つづく
日本へ送る手紙 1
日本のヤクザの息子に生まれたダニエル・キム宣教師。
10代の時、クリスチャンとして心強い熱情を持って
日本で5年間毎週妹と路上伝道をしました。
その後、主の軍師として訓練を受けるために
西洋人も手ごわいという
アメリカのミリタリー·カレッジに単身で入学しましたが、
学校で人種差別と孤独に苦しんで何回も諦めようとした時、
神様からの励ましで耐え続け、
4年生の時には全校生の信仰を指導する宗教隊長になった
鉄人伝道者です。
ミリタリー·カレッジの後は神学校へ行き、卒業した後、
中国宣教を目指して中国に行きましたが、
神様の導きで全世界を回りながら、
メッセージを宣布している宣教師です。
今も日本への心を持ち、
ユーチューブで日本への手紙を送っております。
日本の聖徒を思い、話している途中涙がごぼれそうになった
ダニエル・キム宣教師からの日本へ送る手紙。
ご紹介いたします。
【証:ヨハネ福音書3章16節の奇跡】
【 小さな、けれど素直な証3 】
【小さな、けれど素直な証 2】
数年間日常生活に疲れて霊的に沈滞し、
恥ずかしいことに礼拝を捧げるだけで寝る前ちょっとだけ
神様を呼ぶ以外に 聖書読みとお祈りはほぼしませんでした。
だから、職場でクリスチャンとしての役割をよく果たしていませんでした。
仕事中他の部署の同僚とぶつかることがあると不満、
批判が多くなってきてクリスチャンである他の同僚に吐露することが
頻繁になりました。
ある日、その同僚と一緒に夕飯を食べていた時、
変わらず不満を呟いた私の話を聞いていた同僚が
「一緒に祈りましょう」と話を出しました。
それで、6月3日、同僚と二人で祈り会を始めました。
最初は週に1度、30分程度の祈りをしました。
オンラインでお互いに祈りたいことをシェアした後、 同僚が照れてたのでオフラインで各自の部屋で祈りました。
二人の祈り会を始めてから、
私は少しずつ祈ることに慣れて祈り会を待ちきれないほど
霊的にも回復してきました。
会社で不満があっても批判しないようになりました。
同僚も以前にはそんなに祈りを長くしなかったようで
「二人で祈るのがとても良かったのでもっと一緒に祈りましょう。」と
連絡が来る回数が増えて週2〜3回のように祈るようになりました。
ある日、
私:「電話を繫いでいるまま、一緒に祈るともっといいよ。」
同僚;「やったことがないけど、あなたと一緒にやってみたい。」
私は主の臨在を求めながら、祈りをリードした後、
二人それぞれの祈りの後、同僚が祈りを終えました。
彼女はこのような祈りの方法を初めて経験したみたいで、
「あまりにも良かったのでまたこうやって祈りたい。」と喜んでくれました。
それからは、私達は毎週彼女がお祈りを始めたたり、私が始めたりして、
お祈りを続けてきました。
夕べは祈りの後、私は「神様がどのような感動を私達の心に与えてくださるのか、
どのような御言葉を与えてくださるのか耳を傾けてみる時間を持ってみましょう。」と提案しました。
同僚はこういう時間も初めだったみたいでまだ何の感動があるのか分からないと言いました。
私には神様が彼女をとても愛していることを感じ、
「エペソ人への手紙 2章13」の聖書の一節が心の中に書かれたように浮かびました。
その聖書の内容が何なのか知らなかったので、
その場で聖書を調べて彼女とシェアしたら、彼女は「不思議だ」と驚きました。
【あなたがた(私と同僚)は、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。エペソ人への手紙 2:13 JA1955】
以前から私の同僚がクリスチャンだと知っていましたけど、
お互いの信仰や神様の話を話したことがありませんでした。
たが、コロナに感染されることを恐れていた同僚をみて「神様を信じるのに
なぜ怖いの、私は全然怖くないよ。」と私が話をしてから、
退勤の時、地下鉄の中や食事の時間に
二人の信仰の話をたくさんするようになりました。
最終的には彼女の提案で、二人の祈りを始めましたが、
これはすでに神様の計画で二人を呼んでくださったことであるのを知りました。
驚くほかはないです。神様は生きておられます。
今日は【小さな、けれど素直な証 1】で書いたように神様の導きで出会ったEri Hiro Hikichiさんのオリジナル讃美歌をご紹介させていただきます。
【小さな、けれど素直な証 1】
7月のある土曜日の朝。
聖霊様の恵みで
「ヨケベデの歌」という曲を知り、
聴いてる途中心から感動ました 。
「あなたの人生の本当の主人であり、親である創造主、
その御手に あなたの人生をお任せするの。」
この歌詞を聞いて私の人生の主人は神様で、
その方は私の父であることがとても私の心を強くタッチし、涙が出ました。
神様にしがない自分が申し訳なくて泣きました。
その曲は韓国語バージョンだったので、
今心が苦しい日本のクリスチャンの友達に「ヨケベデの歌」を紹介したくて探したら、
日本語の字幕付きの動画を見つけたのでシェアしました。
しかし、日本語で歌う動画があればいいのにと思って、
次の日もう一回検索しました。
そうしたら、Eri Hikichiさんという方が歌詞を和訳して歌った動画がありました。
それも、驚くことに私が聴いて感動した同じ日に似たような時間帯に彼女が歌った動画がアップされてました!
これはきっと神様の動きで私とあの日本の方を使い、日本の友達に送る神様からのメッセージだと信じました。
なので、小さな証と共にその曲をここにご紹介致します。
イエス様の血潮のパワー
祈る順番を幕屋構造に準じて、
イエス様の血潮から始め、
自己放棄、悔い改め、求め、異言、霊の祈りの順番で行く祈り方である。
その幕屋祈祷を始めてから
イエス様の血潮を自分のいる場所に振りかけて、
自分の体、頭から足まで注ぎかけて、塗って、覆うことを
以前よりもっとするようになった。
イエス様の血潮を注ぎかけることが重要なことを
今まで分かっていたが、生活化(?)されなかったと言うか、
以前には悪霊を対敵する祈祷をする時以外には
あまり行わなかったのが事実である。
イエス様の血潮を注ぎかける習慣を身につけるようになって
職場でも仕事する前、
先にイエス様の血潮を職場と私自分に注ぎかけて
神様が私に与えられた財政の祝福を阻む悪霊を対敵して祈るようになった。
教会でも悪霊に礼拜と神様の御臨在を邪魔されないように
礼拜が始まる前に教会にもイエス様の血潮を注ぎかけて、
神様の神々しさで教会を覆う祈りをする。
また、家族に会いに行く時や家族との対話の中で
言い争いがあるような時、
横で家族一人一人に
イエス様の血潮を頭から足まで注ぎかけてから対敵する祈祷を
心からしていれば、
言い争いが大喧嘩にならないことを
この頃経験するようになった。
祈りを続けていた私は以前より怒りをあまり出さないようになったが、
もしもお父さんと弟がちょっとしたことで喧嘩を売り始めて
私の中から激動されようになりそうだったら、
すぐ心からイエス様の血潮で注ぎかけて
喧嘩をさせようとする悪霊を追い出す祈祷を始める。
そうすると、相手が段々静かになって怒りを抑えることができ、
どんなにひどい言葉を聞いても
傷つかないことを経験している。
あまり仲が良くないお父さんと弟の間でお母さんがいつもびくびくするが、
最近お互いに怒りを噴き出すようなのに大きく喧嘩しないのが不思議だと
お母さんがこの前私に言った。
私が横で密かに祈っていたことを後で教えたら、
お母さんは「あなたが祈ったんだね」と言うけど、
私はきっとイエス様の血潮の権能と
イエス様の御名にあって悪霊を追い出す対敵祈祷が効いたと思う。
霊的な世界でいつも負けてたと思ったが、
少しずつ勝ってるようになって神様の御権能を実感している。
お母さんにも弟と話す時、弟の言行で胸に傷づかないように
先にイエス様の血潮でお母さんを注ぎかけ、
弟の背後にある悪い勢力の影響が及ばないように
弟にも注ぎかけてくださいと勧めた。
霊的戦いを知ってるあなたへ主様の血潮の権勢がいくらパワーフルだと言い張っても
その権勢を使うことができなければ意味がない。
補血の権勢を日常生活隅々によく活用してください。
主様の血潮の権勢が私たちの生に神様の御能力として現われることは
私達が見せる主様への信仰による。
きっと血潮の権勢と信仰の証拠があなたの生に輝く。
