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お母さんに届いた主様の愛



私は全く家族を伝道しようと思っていなく、

小学校の頃から一人で神様を信じ、教会へ行っていたが、

大学の時だったかな・・・

お母さんがお友達の誘いでカトリック教会に行き始めた。



人間である司祭に自分の罪の告白をし、赦しを得る「告解の秘跡」が

どうしても苦手で嫌だと言いながら、カトリック教会には行っていたが

神様を信じる強い信仰は持てず、14年前から教会へ行くのを辞めた。



あの頃、私も神様から離れていた時期があったので、

お母さんに何も言えなかったが、

神様の愛でその方のところに戻ってきてから、

「親に何とか神様のことを知らせないと」と、

まずお母さんを教会へ一緒に行こうと誘い始めた。

お母さんと2人で教会へ行き、

一年後にはお父さんも一緒に教会へ行くことになった。



お母さんは私と一緒に教会へ行くと、

「昔カトリック教会では何も感じなかったけど、

プロテスタント教会では賛美をするとなぜか涙が出る。

何かが違う」と言った。

これは聖霊様のタッチだと思い、その恵みだけでも感謝した。



しかし、お母さんの信仰は進行しないまま、

どんなに証や良い本を紹介し、お母さんに読ませても、

「不思議だね」と言いながら、

「神は本当にいらっしゃるのかどうか分からない」と

半信半疑の状態でずっと固まっていた。



家庭に大変なことがあると、

自分は祈りが出来ないからと言い訳し、

いつも私に家庭のための祈りを頼んで来るお母さん。



宗教的に礼拝に行くだけで

聖書を読んでも、賛美歌を歌っても

キリスト教はただ人間が作った宗教であると

神の存在を信じなく、何も変わらないお父さん。



親のわがままな信仰に疲れて、

周りに「祈りのお母さん」がいるクリスチャン達を見て、

羨ましかったし、

なぜ私のお母さんは祈りも出来なく信仰が浅いか、

切なくて切なくて、主様の前で泣いた日が多かった。



涙の祈りを神様は聞いていらっしゃったのでしょうか。
 
5年間何の希望も見えなかったのに、

そのお母さんに異言と異言で賛美する賜物が与えられた。

私の属する教会へ一緒に行って、

牧師先生の祈りの導きに従い、

「神様がいらっしゃるなら、私にも何かしるしを見せてください」と

純粋な心で聖霊様の働きを求めたお母さんに

ついに神様が応じてくださったのだ。



泣いてるお母さんに

「今神様がお母さんの心の傷を癒していらっしゃる。

家に帰ったらお母さんと30分くらい一緒に異言で祈ってください」と

牧師先生に言われ、

家でお母さんと2人で祈りの時間を持った。



祈り中、お母さんは急に胸を掴んで胸が痛いと、

大声で泣き始めた。

その後、誰が言い出したころでも無いのに、

二人で異言で賛美を初めたが、

楽譜でも見ながら、歌ったように

とてもハーモニーのある賛美であった。



祈った後、お母さん曰く、

胸がこんなに痛いのは生まれて初めだと

誰も分からない、自分だけの体験、

神様と人格的に出会う経験をしたようだ。



今まで神様がお母さんを愛してるとずっと言ってあげたのに、

それを信じてなかったお母さんが、

「神様に感謝します」と自然に口から告白していた。

私もお母さんに神の愛を教えてくださった神様に感謝します。



それから、一ヶ月が経ったこの最近。

お母さんは変わった。



毎日1時間くらい散歩行く時異言で賛美をして来たお母さん。

最初は気付いてなく、

ただただ異言が与えられたことだけで喜んでいたお母さんが、

毎日異言で賛美をしてたら、

「環境は何も変わってないのに、神様の平和を心から感じて、

気持ち良い」と。

お母さんは周りのクリスチャンに自分の証を伝えたくなったと、

神様の愛を伝えたくてたまらないみたい。

周りの人が気付くほど、お母さんの顔が明るくなった。



主様もそのお母さんを見られるのがうれしいなのか、

お母さんの教会である伝道師さんに出会わさせてくださって、

その方が異言を解き明かすことができるようで、

「神様、私の魂を知ってるんですか?」と

お母さんが異言で語ったと解き明かしてくれて、

さらに、神様の愛に感激。

神様の愛を語るたび、涙のお母さんになった。



「キリスト教は体験しないと分からないもんね。

本当に神様は生きておられるんだね」



「だから、今まで私が言ったでしょう。

自分が経験すると分かると。」



以前おすすめした異言についての本をもう一度読んで、

「異言を語る前には分からなかったことが

解るようになった」と。



隣で純粋な心で神様へ近づいていくお母さんを見るのがとてもうれしい。

異言を否定的に思う人もいるが、

異言は自分の霊を起こす「霊の祈り」の始発になる。



異言を語る人はもっともっと語ってください。

異言がまだ出来ない人は求めてください。

あなたにも主様の働き、大きな変化が待ってます。

ジョセファット・ガジマ

 

Josephat Gwajima ジョセファット・ガジマ牧師


アフリカ・タンザニアにリバイバルの風が吹いてる。

4週間ずっと死んでいた人が墓から生き返り、

死から生き返る奇跡が次々起きてる

Glory of Christ Tanzania Church.



ジョセファット・ガジマ牧師は

タンザニアで一番大きくなった教会である

Glory of Christ Tanzania Churchの主任牧師。



現在10万人の信徒の大きい教会で、

あまりにも早速のリバイバルで成長していくので、

教会の屋根だけあって壁がない。



何故ならばずっと早いスピードで信徒数が増えているので、

壁を建てればすぐ崩さなければならないから

初めから屋根だけずっと引き続いて壁を建てていない。



広い原野でジョセファット・ガジマ牧師が

メッセージを伝えている。

この教会はあまりにも早く成長して



ガジマ牧師は4歳の時事故によって脊椎損傷になり、

10歳の時全身麻痺で6年を横になって過ごしたが、

夢でイエス・キリストに出会って全身麻痺から奇跡的に癒しを受けた。



その後、1996年教会を開拓してタンザニア最大の教会に成長したし、

タンザニアだけではなく海外にも教会を開拓した。

行く所ごとに癒しと奇蹟が起きているし、

特に死亡者を生き返らせることで有名で

現在まで150人の死亡者が生き返えった。



信徒数が2人だけの時死んだ赤んぼうを初めて生き返らせて

当日信徒数が200人になり、教会が急成長した。

あまりにも多い死亡者を生き返らせて、

マフィアが殺した死体を生き返らせて

マフィアの殺人行為が現われるようになって

マフィアが牧師を殺そうと人を3回も送るなど笑えない事が起っている。



ムスリム信徒たちの集まりに命をかけてムスリムに装って入って行って

その場でイエス・キリストの名によって死亡者をの生き返らせたので

ムスリム信徒たちが主様に戻って来ることが起きている。

それでキリスト教新聞のみならず

一般新聞でもこんな奇蹟が特筆大書になっている。



この間には屋根だけあって壁がない教会に

人を殺すことができる毒を持った蜂の群れが飛んで来て

礼拜を差し上げた人々が驚いて肝をつぶして逃げだそうとした。



その時、 ガジマ牧師が「イエス · キリストの名によって命じた。

2分以内にすべての蜂は方向を変えてこの場所から消えて!」

と命じると、蜂の群れが一斉に空中に方向を変えて消えて、

この事件が一般新聞1面に

「キリストの名に蜂の群れも従う!」というタイトルで記事化され、

TVで録画された場面を見せてくれて、

多くの人々が神様に戻って来る事が起こった。



タンザニアはアフリカで例外的に戦争がなくて平和な国で

国民の宗教はムスリムが50%、キリスチャンが50%。



ところである日、

ムスリムである大統領が自分の妹さんをガジマ牧師に送った。

妹さんが病気にかかってドイツへ行って6年間治療を受けたが

回復されなく死ぬようになったと癒してくれと言う内容の大統領の手紙と一緒に。

ガジマ牧師はイエス・キリストの名によって彼女の病気を癒した。

そしてムスリムである妹さんのみならず大統領もイエス様に導いた。



そのガジマ牧師の聖会の動画を観た。

面白くてシンプルで誰にも分かりやすいメッセージ。

しかし、強力な宣布のメッセージ。

油の注ぎがある。



Believe: 心から信じる。

Confess: 口で告白する。

Think: 頭でずっと思う。


すると、主様は奇跡を起こされる。



日本にもいつかガジマ牧師の聖会が開催され、

あなたが奇跡の現場に招待されますように。




 

変わらなければいけない 1


すべての栄光と尊貴と賛美を私たちの全心と私たちの霊と

私たちの命を尽くして差し上げなければならない方が

イエス・キリスト、万王の王、全能な神様である。



皆さんの意識の中で皆さんの心と考えの中で神様の存在を

絶対に忘れではいけない。



私たちは神様から生まれた。

神様の御心臓から生まれた。

その愛の中から出てこの地で生きている。



神様とまったく同じかたちを持って神様と一つになって

神様の栄光を享受してその光栄を永遠に経験させるため、



神様が私たちを創造されて、

神様がおられなくては私たちは存在することができない。



神様が一緒におられるということを見つけることができない

その瞬間、その時間、その日々はすべて意味がない。



神様のことが思い出さないで、 神様が感じられない時、

皆さんは生のすべてのものを畳まなければならない。

それは外れたこと。 離脱されたこと。

その状態で進めるのはいけない。

脱線したからそのまま進めたら、破滅されてしまう。



それで、皆さんが神様が感じられないで、

心と考えの中で神様が去ったと発見したなら、

まさにその瞬間に皆さんのすべてのものを止めてください。



神様を捜さなければならない。

神様に皆さんの心と考えを集中しなければならない。



そして、また神様が感じられて神様によって

心の中にあるすべての心配と懸念と心配が消えて

平和が皆さんに臨んだ時生を進めなければならない。



皆さん、自分を察することを怠ってはいけない。

窮極的に私達の生きる理由は神様と一つになって、

永遠になるようにその方を楽しがって

その栄光を共に享受するためだからだ。



それで、私達の生の重要な目的で生きて行く理由である神様を

皆さんの中で感じて見つけなければならない。



神様によって導かれることがよくできているのか、

もし問題が起こったのではないのかを察しなければならない。



自分をチェックすること、自分の中で神様を見つけること、神様を捜すこと、

その事を絶対に怠らないように。



毎年一年の間に皆さんが主様にあっていくら変わったのか、

新しくなったのか、それを必ずチェックしなければならない。



歳月が流れるそのままに世の風潮に従い、

あちらにこちらに滞りながら世の中が搖れ次第に付いて行く、

そのような生を暮してはいけない。



私はちょっと小心で敏感な性格なので

何か心配されることがあれば、

その次の仕事を進行することができない。

その問題が解決された後、その次に進める。



これが良くないところもあるが、

神様にあって神様の御心に適う神様と正しい関係を持って

神様の御心に適い、神様を嬉しくする生を生きるため、

私が心配してそこに沒頭することは

私達を霊的に発展させる。



私のそんな気質的な部分により、 世俗的なことに縛られていて

そこに深く沒頭してそこに執着したなら、

私に大きい害を及ぼすが、

幸いに私の生の方向が、私の心と考えが、神様の恵で転換されて

私の中心が、フォーカスが主様に合わせられているから、

私を発展させることにむしろ役に立つ。



問題があれば、よく眠れなくて、 ご飯もよく食べなくて、

その中で私に向けた神様の御心を見つけて、

またその問題を通じて神様が私にくださろうとする教訓を得る前までには

ずっとその問題を持って取り組む。



祈って悲しくて痛みながら、そんな過程を経ると、

私自分が結構成熟していることが分かるようになる。



そんな問題にぶつかって私が止めなかったら、止めないでずっと進んだら、

見つけることができなかった私自分と神様の御計画と御心に対して

見つけるようになって、また生のターニングポイントになる。



信仰生活にもターニングポイントになって、方向が新しくなって、

もっと高い段階でもっと上のものを見るようになって

もっと広く見るようになる結論にいつも到逹する。



最近もある問題があって私が取り組んで痛がって苦しがったが、

それを通じて私が逃していた神様の国の計画、私に向けた神様の計画、

また皆さんに向けた神様の驚くべきな計画を見つけるようになった。



そして、そのことを成すために私が止めなければならないことが何か、

捨てなければならないことが何か、

私の中で変化されなければならないことが何か分かるようになった。



問題がある時、その問題の中で無駄な消耗ばかりしていてはいけない。

無駄な消耗戦をしながら脱力されて落望して後に退いて沈滞する

そのような結論を得れば、大変な事になる。



問題にぶつかった時、その問題を持って取り組んで心痛がって心配して、

祈って切に求めるところ、皆さんが発展しなければならない。

新しくならなければならない。



そして、皆さんはご自分を知らなければならない。

自分の問題点、自分がまだ解決されることができずに

変わられてない腐った品性、性向が何なのかを見つけて、

それが解決されるように悩みの時間や痛みの時間を持たなければならない。



そして、ぶつかった問題を自分の考えで、自分の方法で解決しようと思うとか、

人に助けてもらって、人の知恵を借りて解決しようと思う習慣を捨ててください。



私達が子供である時、

前後見分けができなくて一人で立ち上がることができない時、

あの時は仕方なく助けを借りる。

周辺にいる先に行った信頼の先輩たちとリーダーたちの助けを借りる。

しかし、私達を一番よく分かって正確に正しく導いてくださる方は

聖霊様である。



神様がまさにそのことをなさるために神様の御霊、

聖なる霊、 聖霊様をうちの中に送ってくださった。

それで聖霊様の前にその問題を持って行って皆さんが切に求めてください。



そして周りの人々の助けを竝行して受ければ良いが、

それはあくまでも参考に。



皆さんの問題に対して一番正確な応答を得るのを願うなら、

それを持って聖霊様の前に、主様の前にその問題を持って行って

取り組んでください。



皆さんが本当に自分をまともに分かるのを願って、

そしてそれが変化されることを願うそんな真実の心、

本当の心で聖霊様に進んでください。



聖霊様が皆さんに過ちを指摘して

皆さんのそんな短所が分かるようになると、1

人は100%納得する。

アーメンが自然になる。 そして感謝する。



なぜなら、聖霊様の中にある愛が先にその心を溶かすから。

それで、皆さんがいつも問題を持って

他の人に先に行こうと思う習慣を捨ててください。


主様に持って行って真実で真の責望を受けて教訓を受けて訓戒を受けて

「私が真に主様の人にならなければならない。

私が本当に新しくならなければならない」と

心から主様に行けば、主様が皆さんを変化させてくださる。


つづく・・・   


キム・オクキョン牧師のメッセージより

奇跡の生還物語


1ミリの誤差も許さず、正確な方程式だけを信頼して、

金と名誉と地位を、最高の価値と信じ、

自分が持っている力と能力だけに頼っていた電子工学者がいた。



神様の存在を認めることは、人間の脆弱さを認めることだと信じていて

イエス・キリストを全く知らなかった福重隆さん。



突然の脳梗塞で21日間の昏睡状態の中で

死を目前にしていた彼をイエス様が訪ねてくださり、

イエス様と対話をした彼は神様は生きて働いておられ、

天国と地獄も明らかにあるという事実を発見し、

奇跡の新しい命をいただいた。 



イエス様を知らなかった福重さんは

クリスチャンが少ない日本で、生きておられる主に会ったということは

驚くべき奇跡中の奇跡と言う。



死から生き返ってきた福重さんは

その驚くべき神様の御愛と奇跡の体験を通して

霊の働きと御言葉の真理を悟ることができ、

すべての考えや価値観、人生の方向が瞬時に変わり、

こうメッセージを伝えている。



「神様のひとり子であられるイエス・キリストを正しく知ることによって、
      
人生の目的と価値観が変わり、本当の幸せとはどういうことかを

知ることができます。


こうして私たちはこの神様の御手の中で確かな平安と喜びと感謝の生活を

堪能することができるようになります。


『その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、

あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。』ヨハネ17:3



ここで「知る」ということは、ヘブライ語で体験するという意味です。

あなたもわたしもイエス・キリストを体験するようにして、

その自由を私たちは体験しましょう」



福重隆さんの証しとメッセージ(音声メッセージもあり)は 右矢印 こちらへ 


「肉が死んで霊が生きた人」という本で出版される予定の福重隆さんの

イエス様と出会った証しをぜひ読んでください。 右矢印 こちらへ

 
  

最もすばらしい主よ、あなたの愛に感謝します。



一ヶ月ぐらい霊的に漂う自分がいた。

属していた開拓教会の牧会者が宗教人ビザが下りなく、

急に母国に帰ることになって、

私も急に居場所がなくなったのだ。

まだまだ霊的に教えてもらわないといけないことが多いのに、

すっと神様のこと知りたがって祈り、求め続けたのに、

祈りで霊的に支えてくれて、一緒に神様の臨在のある礼拝を捧げた

大好きな牧会者と離れさせる神様の計画が理解できなくて、

神様に捨てられ、ひとりぽっちになったと思い込んで、

涙で眠れない毎日を過した。



こんな私を周りの人は理解してくれなかった。

「他の教会に行けばいいじゃない?」

違うの。

私はもうただの教会には行きたくない。

宗教的な儀式が神聖だと勘違いしてる多くの教会の形だけの礼拝じゃなく、

聖霊様の御声を聞き、従う牧会者の導きの下で

聖霊様の働きがある礼拝、

神様の臨在がある、

神様が喜ばれる礼拝、

私を変わらせ、少しずつイエス様に似てるように聖化させてくれる

そのまま生きてる礼拝を捧げたい。



神様の臨在が強い霊的な教会はなかなか見つからない。

属していた教会に導かれるまで4年間

私は以前の教会で形だけの礼拝で心苦しんだので、

またそのようなことを繰り返したくなかった。



なのに、神様は私を独りぼっちにさせた。

神様が私を捨てたなら、私も神様を捨てよう。

これから私もノンクリスチャンのように世俗的なことをやって生きよう。



祈ることを辞めた。辞めたと言うか心の傷が大きかったので、

口から祈りがまったく出なかった。

聖書読みも辞めた。

礼拝も休むと宣言した。



牧会者夫婦はもうお祈りも出来ない私を心配し、

早く私が霊的に回復されるように毎日涙の祈りをしてくださった。



しかし、自分から離れようとしたのに、

毎晩眠れないで神様に「なぜ私を独りにさせたの?」と

聞き続ける自分がいた。



でも、胸が苦しいのに

口は堅く塞がって祈りも出来ない、

世俗的な生き方もできなく、

中途半端な自分がいた。



牧会者はなぜ急に教会を諦めるように状況が変わったか分からないが、

神様にはそれなりに理由があると信じ、

どんなことでも神様に感謝すると言いながら、

2週間後母国に帰った。



本当に独りになった。

これからどうすれば良いか。



神様を諦めたいのに、完全に諦められない。

ずっと頭の中で神様のことばかり考えている自分が

なんか悲しかった。



私は祈ると心の苦しみがなくなり、神様から与えられた自由を感じる人。

なのに、お祈りも出来ないので、

息が詰まるほど苦しくてなった私は

一人では祈ることが出来ないから、

結局ある日、6年前から知っていた霊的な教会の

支教会が私の住む国に4年前出来たので、

その教会なら、神様の臨在があると思い、

そこで祈りたいと金曜聖会へ向かい、走った。

が、その教会は外部の聖会のために閉まっていた。



こんな中途半端な気持ちで

神様が喜ばれる礼拝を捧げることは出来ないと思ったので、

主の日教会へ行かず、休んだ。



その私を見たお母さんが

「私の信仰は弱いから、礼拝に行かなくてもいいかもしれないけど、

あなたは礼拝に行くべきよ」と礼拝に行くことを勧めた。



「そうなら、お母さん、私と一緒に行こう。

礼拝が死んでるお母さんの行く教会(2年前までの私の母教会)じゃなく、

違う教会へ行きたい」

と金曜聖会に行けなかったその支教会へもう一度行った。



その教会の礼拝は強く神様の臨在のある礼拝だったので、

神様が私の口を開いてくれてまた祈ることが出来たし、

「これからはここで私に思う存分に叫びなさい」と神様の御声も聞いた。


しかし、この支教会は私が前から行きたかったけど、

今まで神様が許してくれなかったので、

「前はこの教会に移ることを許してくれなかったんじゃないですか?」と

神様に聞いたら、「あの時はあなたにまだ移る時期じゃなかったんだ」と。



ただ自分がその教会が霊的な教会だから行きたいのか、

神様の導きか分からなくて、決心が出来なかった。

私は神様の御声を聞き、従いたいので、

以前教会を移った時も祈って神様から回答を頂いてから移ったのて、

今回も何か神様からの確証をくださいと次の主の日にもその教会へ行き、

礼拝前に祈った。



牧師先生が説教の中

「教会に登録しようかしないか迷ってる方がいるなら、

登録しなさい」と話した。

私はそれを聞いて、「こんなのじゃく、御言葉で確証をください」と

神様に文句を言った。

(後で教会の信徒たちに聴いたけど、担任牧師先生は今まで登録のことを

説教の中でしない人なので、その日登録を勧めたのが不思議だと思ったって)


礼拝の最後に祈る時、私の中で

「登録しなさい。以前の教会であなたを養ったように

ここであなたを違うことで養う。私があなたと共にいる」と

神様からの御言葉が強くはっきり聞こえた。



その週に聖書読みを再開して、

心からヘブライ人への手紙を読むように感動があったので、

それを読んだが、その中で

「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、

心をかたくなにしてはならない」 

ヘブライ人への手紙 / 4章 7節


を頂いたし、この教会の担任牧師先生が私に説教をする夢など、

教会に関して2回夢を見たので、

思えば、もう何回も神様は私にこの教会へ導きを知らせてくださった。



帰国した牧会者の夫人からメールがあって、

牧会者のお父さんが一年前から胃癌で手術して治療をしていたが、

ずっと元気だったのに、帰国して一週間後、

急に調子が悪くなり、病院に入院し、意識不明になり、

家族の賛美を聞いたら目を開け、神様を賛美していたけど、

2週間後天国の故郷に行かれたことを教えてくれた。



そのメールで、私は神様のご計画と大事なことを悟り、

なぜ祈りの勇士たちを呼んで神様の教会にすると

おっしゃってくださった開拓教会を散回したか、

なぜ私を愛する伝道師夫婦から離れさせたか、

納得できなくてずっと神様を恨んでいたことを悔い改め、嗚咽した。



神様は神様の御声を聞き従う伝道師夫婦のことを相当愛しておられる。

そして、伝道師さんのお父さんも牧師であるが、

主様はその牧師先生も、伝道師さんも愛しておられるから、

牧師先生を天国に呼ばれる前、

一週間でも家族の時間を作らせるために

急いで伝道師夫婦を帰国させたんだと。



今度急いで帰らなかったら、3年間離れていた牧師先生と伝道師父子は

永遠に再会できなかったんだろう。



神様にはその方の教会も大切だけど、

神様には教会という形体より、

ひとりひとりのことをもっと大切にしておられる。



だから、御自分が建てようとした教会より、

御自分の愛する子達のことを先考えられ、

彼らが悲しまないように、

最後一週間でも父子の時間を持つようにさせてくださった。



実は私、やっと一人で家でも一時間以上

聖霊様の導きの中祈ることが出来、一週間後になって、

伝道師夫婦が急に帰ることが分かったけど、

思えば、神様は私に2年間伝道師夫婦の下で神様のことを学び、

求めるようにしてくださり、

伝道師夫婦の執り成し祈りの支えがなくても私一人で祈れるように

成長したからもう大丈夫だろうと思われ、

急いで伝道師夫婦を帰らせられたんでしょう。



そして、神様はまたも私が霊的にもっと成長するように

色々教わることができる霊的な教会に導かれる計画を持っておられたんだ。



神様は本当に優しい仁愛の方であった。

私はこの一ヶ月の間伝道し夫婦に起きたこと、私に起きたことによって

やっと神様の最高の愛を分かって、

泣くしかできなかった。



一度伝道師夫婦のビザのことで祈った時、

「伝道師夫婦がいなくても一人で大丈夫か?」と神様に聞かれ、

「ダメです」と自分が不吉な考えをしたのではないかと

神様の御声を無視したことがある。



その時、もっと神様の御声に耳を傾けたら、

その方が今度のことについておっしゃってくださったかもしれないのに、

私が神様との対話を一方的に切ったので、

一ヶ月神様のことを知らず、恨んでいた。

すべてが自分のせいだ。



これからは主様の一言で喜ぶことで止まらないで、

もっともっと神様と長く話したい。

もっともっと神様の愛が知りたい。

もっともっと神様のことが知りたい。

もっともっと神様のことを求めたい。

もっともっと神様のことを多くの人に知らせたい。



神様は本当にあなたを愛しておられる。

本当にすばらしい方である。

あなたは気付かないかもしれないけど、

神様はずっとあなたに御手を出しておられる。

あなたのことをずっと見守っておられる。

それをあなたにも生の中で経験してほしい。



神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、

万事が益となるように共に働くということを、

わたしたちは知っています。

ローマの信徒への手紙 / 8: 28

東京近辺の方へ


前回、大阪の集会について知らせていただきましたが、

東京でも同じ集会が行われることを知ったので

もう一回ご紹介させていただきます。
 

世界中の国を巡って神様の愛を伝えているこの集会に参加し、

「人生や信仰が変わった」と多くの証しが出ています。

聖霊様の臨在と油の注ぎがあるなかなか出会えない集会なので、

神様への渇望がある方、

時間が出来る方はぜひ行ってみて下さい。

神様があなたを励ましてくださいます。


日本語の通訳はもちろんあります。


日本のリバイバルは

一人の魂のリバイバルから始まります。



東京では


執り成しの集会

日時: 2010年6月7(月)、8(火)、9日(水)、10日(木)

   毎日午後1時 30分 ・ 午後7時 (2回)



場所:東京大信仰教会

住所:東京都豊島区池袋2-57-1 かわしまビル1F

電話:03-6914-1973

www.gfcjapan.org



交通: JR 山手線、湘南新宿線、西部池袋線

地下鉄: 有楽町線、丸の内線、福都心線

東上線、成田エクスプレス



池袋駅西口より徒歩約10分


地下鉄福都心線C6出口より徒歩約5分


執り成し祈りはリバイバルの秘訣だ。 - トミ・テニー牧師


  
_ Happy Time with God _

_ Happy Time with God _

大阪の方へ

突然ですが、

大阪のクリスチャンの中に


神様の御心と御涙が知りたい方、

神様が喜ばれる心は何か知りたい方、

神様の愛が良く分からないと思う方、

私自分も聖霊様と親しい関係になれるかと疑う方、

神様の臨在の中にいたいと思う方、

私も聖霊様のタッチに触られたいと思う方、

神様からの励ましがほしい方、

自分の信仰も成長したいなと思う方、

自分への神様の計画が知りたい方・・・


いますか?


話したいことはたくさんあるけど、

あなたの信仰に転換が起きるかもしれない

ステキな集会があるので、

ご紹介します。 



タイトルは「執り成し祈りの集会」だけど、

キム牧師が執り成しミニストリーの担任なので、

そのタイトルで集会し、

上に書いたように一人ひとりの信仰に関して、神様の愛を伝えてくれる。




私はこの牧師の説教を聴く度、

もっと神様を求めるようになり、

利己的な自我の発見から悟ったことを悔い改めるし、

神様のことを、神様の愛をもっと知りたいと

祈り求めるようになるので、

自分の経験からおすすめする集会です。

多くの牧会者もこの牧師の説教を聞きに集会に来るのです。



キム牧師は韓国から初め、

アメリカ、カナダ、オーストラリア、アフリカ、

イギリス、ロシアなど

世界中の国を巡って神様の愛を伝えています。



とても忙しい方でこの牧師に会うチャンスはなかなかないので、

大阪の方には凄くいいチャンスだと思うので、

この集会があることを分かって、すぐ紹介したかったです。



時間が出来る方は逃さないように。

一度だけでも行ってみてください。

あなたの心に神様への渇きがあるなら、

ぜひ神様の恵みに出会います。

神様の臨在の中でその方の愛を体験してください。



教会の方に聞いたら、

牧師の説教の時、日本語通訳があります。



周りの友達にも伝えてください。


執り成しの集会

期間: 2010年6月1日(火)午後1時 ・ 午後7時30分

         6月2日(水)午後1時 ・ 午後7時30分

         6月3日(木)午後1時 ・ 午後7時30分


場所:大阪大信仰教会

住所:大阪市浪速区恵美須西2丁目8-18ー201号

電話:06-6633-3934、 090-3357-1530

www.gfcjapan.org



境筋線の恵美須町駅4番出口
 
タマデスーパーの向こう側



御堂筋線の大国町駅4番出口 

東方(国道25号 奈良方面)徒歩で10分 

タマデスーパーの向こう側



JR大阪環状線の新今宮駅東出口(スーパーワールドが見える)

日本橋方面に向いて徒歩で7分、恵美須の交差点から右側30M。


_ Happy Time with God _

命の神霊様

 わたしはイエス様が大好きです。

私は、皆様が、主だけを愛して 愛せるように願っています。

神様は愛を受けるべきの方であり、愛を受けるにふさわしい方です。

神様は私たちからのあがめを受けなければなりません。

私たちは主を高めなければ、主は、高めを受けられません。

主が私たちからあがめを受けることを願っております。

神様には私たちが神様にとって愛するすべてです。

神様には命になる、私たちからのあがめを受けることを願っております。

私たちが愛をすることで神様は愛を受けられます。

私たちがあがめをささげることであがめられることが出来ます。

私たちが喜びをささげる時に真にイエス様が喜ぶことを信じて下さい。

私たちが賛美をささげることで主は喜びます。

私たちがイエス様をあがめる時、主は幸せで満足します。

神様が私達のために、私達ゆえに受けたすべての苦難、苦しみ、痛みを

お忘れになる時間がまさにこのような時間です。

私たちが神により喜びを楽しみながら主を賛美する時、

主の御前に私達の心を注ぐ時、私たちのすべてをささげる時、

その時、主は慰められます。私達が主を慰める方法は、あまりにも簡単です。

難しいことではありません。

私達が心で願って、本当に神様を愛しするように願って、

あがめる願いがその心にあって、それを持って私達が一言、言う告白、

歌う賛美、また私達が手をあげあがめる、私達が喜んで踊る踊り、

これらのものを通して主は慰めを受けることを信じてください。

主は喜び、幸せでおられます。



私は、賛美の時間に、本当に私達の心がイエスの御前に

持ち上げられることを求めています。

心を尽くして歌う歌になることを望んでいます。

イエス様は美しく高貴でおられます。

命であり、すべてだと告白の歌を主が受け取ることを願っておられます。

だからいつも心を尽くし賛美して、私たちの心をすべて出させる時間に

なれますよう願っています。

その時、天がこの所に降り来るし、天国がこの所に臨在します。

父が御座から、ここに臨在して、私たちを受け入れます。

その愛の力で私たちを包み、その愛の中に私たちを入れてくれます。

愛の力で私たちを包み慰めを注いで下さいます。

私たちに喜びを与えてくれます。主がここに臨在するために、

主の中にあるすべてを自分の物として取って下さい。

私たちは正当、イエス様で満たされるものです。

その方だけが私たちの命になりますので、

神様が私たちのすべてになりますので、私たちが神様の中でいっぱいに

主がいらっしゃるように私達が受け入れるのです。それは、賛美と、

真な私達の愛の告白を通して、イエスを来させることです。

臨在させることです。私の中で、主が止まることができるように

させる方法になるでしょう。

いつでもここで本当にあがめられる住まいになることを望んでいます。



知っていますか?主がここに止まることを喜びます。ここには、

本当に主を愛することを願って、主の喜びささげることを願って、

主をあがめることを願って、主の名を世界の中に流れ出すことを願う、

世界のすべての人々がイエスキリストの名を聞くことを願う、

真の主の花嫁たちが集まっているので、主の花嫁たちがここに来て、

熱心に主を捜し求めるから、主は、ここに来られることを喜んでいます。

楽しくありませんか? 

主が私たちを喜んでること、

それがどのくらい素晴らしいことか分かりません。

私達が何であり、だれで、私達が主を求めるこで、王の王がそのことによって、

喜んで満足していることはどんなに興奮することでしょう。

わたしは主が私たちの人生を喜んで、私を喜ばれることがあまりにもすごい。

いかに私達をあんなに喜ぶことがあるか、私達をそのように

大切にあつかうことがあるか、私たちはそのような小さなことで感激し、

感動することを主は見ていますです。

そしてそのような者たちと一緒におられます。

この時間にも続けて主を見逃さないで下さい。主を続けて霊で呼んで下さい。

私たちの霊が主を探し求めなければなりません。

その愛で渇きその命で渇き求めると求めるほど与えられ,

求める分だけもらって帰ります。満たされますように、



この前ワンチゴ宣教師が北朝鮮の実状についてお話をしていただきました。

主がこのように恵みの時間を与えて下さって、

恵まれるよう恵みのチャンスを与えて下さいしました。

私達はいくらでもその方の名前を呼ぶことが出来るし、

その方を賛美し、礼拝をささげることができます。

声を出してして心を尽くして喜び踊りながら主を準備し、

礼拝することができる私達は恵みのチャンスがあります。

このチャンスと時間を無駄に過ごしてはいけません。

心をこめて、その方をあがめ、愛さないといけません。

その方からの素晴らしく召されたことに対して達成出来るように献身し、

つかえるものの人生を生きるにです。

なんと素晴らしいチャンスを私たちに与えられていますか?

私達が願って、願い求めて、時間を作って私達の心を注ぐと、

いくらでも、主のために生きることができ、共に歩むことが出来る、

主の命を、世界の中で流れ出させることができる、

その美しさを世の中に出させることができる、

そのような恵みのチャンスが私たちに与えられています。

北朝鮮では、そのように自由に礼拝が出来ないし、

賛美することが出来ないから、彼らは心で礼拝を捧げる

その礼拝が主の心にもっともふさわしいのではないかなと思っています。

私たちはその方を礼拝したいと思って、崇めたいと思い、賛美したいと思い、

私たちが霊で求めて求めるこの時間に、

私たちは振り向いてそのこと考えなければなりません。



主が存分に私たちにチャンスをお与えにした時、

本当にイエスを捜して求めているか振り返ってください。

そして私達がしっかりして与えたチャンスを必ずつかまえなければと思います。

最終的な審判の時に私たちは主の前で弁解することが出来ません。

私達が主を礼拝し、賛美し、崇め、主から満たされ自分で

主のために生きる人生に邪魔されないのにただ私達自身が

私達の堕落した頑なな心が邪魔しています。

私たちの貪欲と欲望が、心が私達の心が願わないので、

主がすべてではないので、主が命ではなく、すべてではなく、

自分自身の存在理由ではないので、

主のための人生を過ごすことができないのです。



しかし、私達が望む場合は、全心を尽くして霊とほんねと体で主のために

生きる時間が私たちに与えられました。

祈ることができる時間、愛することができる時間、

互いのためにつかえる時間、キリストの愛を川を流がすことができる時間、

その時間、そのチャンスが私たちに広がっています。

私達がこれを無駄に聞いてはいけません。

イエスキリストの愛に多数の人々を変化させ、

多数の人々を主のもとに引っ張れる美しい時間が私たちに与えられています。

私達は愛しながら生きていく者です。住むべきされるものです。

イエスキリストの愛で、その中で愛で行いながら

その愛で人につかえながら生きていくことを覚えて下さい。

私は、この美しい機会と時間を私たちに与えたのに、

この時間を通して数多くの魂が、

民族が救われるための通路で私達が使われるように願っています。

それをつかんで下さい。本当の心を注ぐその時間の中に入ってください。



私が前の時間に続けて賛美と祈りを導き、休みがなく、

説教の時間に御言葉を伝えようとして来たら、疲れ来てるので、

私が今日はちょっとだけ賛美を導き席に戻りました。

お互いにその時間、本当に主が臨在するように協力して欲しいです。

賛美のメンバだけが頑張って歌うのではなく、

私たち皆が心と霊で主を賛美するのです。必要がなるのです。

全身で主を賛美して、主が臨在すると、

素晴らしい主の愛を体験する方がいるのです。

主の力を経験し、治療の力が臨むことになります。

そして回復の恩恵が臨んで賛美する時に回復なるのです。

生き返させられ、生き返させられると、それで終わるのではなく、

ここから回復して戻ってその回復が家族に流れていくことを家族が、

すでに知っています。

あなたたちが持っている生命を知って、

主の命で満ちていることを彼らが感じられるです。

なぜなら、その命が生きて働いているから、

多くの人々に変化させる命の力が家族にも流れて変させて転移させるのです。

そのため、家族が回復されることになるのです。

私達がこの大事な時間を作って集まったので、

その命で充満に満たされ家に帰って私たちの子供たちと、私の夫が、

私の妻が、私達の親兄弟が回復されることになるため、私達がその時間で、

主の命で充満に満たされように心をこめて、賛美してください。



私が出ても出なくとも関係なく隣を気にせず存分に賛美してください。

主が私を見ておられます。

その時に、主が他人を見ておられることではありません。

私を見て私の心を見て私のたましを見ておられます。

私は今、主に何の愛の告白をしているのか、それを聞こうとしておられます。

だから、あなたたちのたましに、主が焦点を合わせて、

耳を傾けておられるということを覚えて、

そして愛の告白をたくさんしてください。

賛美の時に、主を賛美する歌詞があるじゃないですか?

その歌詞で本当の心で告白してみてください。

私達がよく表現が出来ないじゃないですか?

しかし、その歌詞の中で、聖霊の感動を受けた人々が

そのような表現をしたので、その時にその表現をあなたたちが使うのです。

自分に当たる歌詞を使って本当の心で告白するのです。

そうしてみると一体何が起きるか知っていますか?

本当に主のその告白を受けて、受けておられます。


そして、そして恵まれ、これが回答です。

突然、私達のこころが暗闇が去って、悩みが消え、恐怖が去り、

不安心配が消え、喜びに取り組むのです。

本当にその方の愛で取り組むものです。

主が私を愛することがすぐに分かるのです。

私たち隣りの人々が、神があなたを愛してる、

イエスがあなたを愛している、そのように言っても信じなかったのに、

その瞬間は、誰が何を言っても、神様が私を愛しておられます。

私たちが霊でわかるのです。それはまさに、その愛が注がれ、

その愛の恵みが取り組んで我々が回復されることです。

その愛に接触すると、その愛が私たちの霊をタッチすると、

私たちの霊と心が生き返して、回復してそれからの信仰が、

その中で働くのです。霊が回復し聖霊が私達の中でおられるから、

その生命の法、聖霊が私達の中でおられ、

その聖霊の中には父の中にあるすべてがあるから、

その時からの信仰が発動されることです。

それで信じられることになって、恐怖心がなくなり、

本当に主を信じるので、世の事についての不安や心配、

自分の人生に対する不安や心配、それが本当に溶かされて大胆になって、

私達が回復されるものです。

賛美の時間がこれらのものが実際に起こるのです。

霊だけ回復されることではなく、私達の心の病気にも癒されます。

私たちにどのように多くの傷や痛みがありますか?

実際にその傷が治癒され、体も回復されるのです。



世界へ飛び出し、神様の愛を伝える

韓国のキム・オクキョン牧師のメッセージより

聖霊様が語られる方法 11

 
聖霊様は環境を通して語られる


あなたがたの中で善い業を始められた方が、

キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、

わたしは確信しています。

フィリピの信徒への手紙 / 1章 6節




私達を選んでくださった方が神様で

呼んで信じさせてくださった方が神様で、

私達を永遠に到るようにしてくださる方が神様である。

私達のすべての生はその方が導いてくださる過程であることを

信じなければいけない。



私達の人生に起きるすべてが神様の御意に関係がある。

従って、聖霊様が環境を通して語られることを聞こうと、

見ようとするのは大事なこと。



そして、与えられた環境に従うとするのが大事だ。

私達に与えられた環境がどうだろうが従うと決断すれば、

主様は私達を正しい道に導いてくださる。



神様が私の環境を一番適して許してくださったと信じて

従うようにしないといけない。

もし私達が従わないと、神様が出来る方法は一つしかない。

無理矢理引っ立てられる。



わたしはあなたを目覚めさせ、行くべき道を教えよう。

あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。

分別のない馬やらばのようにふるまうな。

それはくつわと手綱で動きを抑えねばならない。

そのようなものをあなたに近づけるな。

詩編 / 32編 8ー9節




私達が持ってる問題は神様が与えられたことに従わないで、

抗するからなのではないのか?

神様が与えられた環境は避けて良くなるのではなく、

受け入れて合わせると良くなるのだ。





聖霊様を忘れないで

ある掲示板で

気になることがあった。



「聖書とイエス様、これだけで良い。」


このような言い方は聖霊様ご自体を否認し、

「父なる神」と「子なるイエス・キリスト」と「聖霊」、

皆尊さが等しく、神は固有の三つの位格であり、

実体は同一であるという三位一体を認めないように思われ、

それこそ異端的な発言になるので、注意しないといけない。



その発言をした人が異端だというのじゃなく、

聖書のことを良く知らないで、

ちゃんと調べてないまま

自分の信じることを断言するのは危ないということ。



現代時代にはA.W. Tozer、ケネス・へーゲン、カルロス・アナコンンディア、

ベニー・ヒンなどクリスチャンの中でよく知られてる多くの牧会者によって

聖霊様の位置や働きが再照明され、

私達のような一般の信徒も

聖霊様の働きの大事さを再認識するようになった。



しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、

あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。

その方は、自分から語るのではなく、

聞いたことを語り、また、これから起こることを

あなたがたに告げるからである。

ヨハネによる福音書 / 16章 13節



聖霊様じゃなければ、

聖書の真理を悟ることができない。



どのような時にも、「霊」に助けられて祈り、願い求め、

すべての聖なる者たちのために、

絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。

エフェソの信徒への手紙 / 6章 18節



聖霊様じゃなければ、

霊を持って祈ることができない。




神は霊である。だから、神を礼拝する者は、

霊と真理をもって礼拝しなければならない。

ヨハネによる福音書 / 4章 24節



聖霊様じゃなければ、

霊で礼拝することができない。



イエス様も私達に聖霊様が必要だとおっしゃった。

しかし、弁護者、すなわち、

父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、

あなたがたにすべてのことを教え、

わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。

ヨハネによる福音書 / 14章 26節


しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、

あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、

弁護者はあなたがたのところに来ないからである。

わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。

ヨハネによる福音書 / 16章 7節




霊である神が聖霊様。

霊である神との交わり。 

それは

人間の霊が霊である神と会うこと。

聖霊様が要らないというなら、

この交わりも不可能なのだ。



私が一々句節を並べる必要もなく

聖霊様について多く書かれた聖書を読むだけでも

聖霊様はどれだけ私達に必要な存在なのか分かるのに、

聖霊様を無視するような言い方をするなんて・・・。

その人の信仰を疑ってしまいそう。



聖書だけでは分かりにくいかもと思い、

聖霊様(の働き、役割など)についてもっと知りたい人は

Malkoushu Publicationの聖霊シリーズ

神の御霊に導かれる方法

聖霊のバプテスマなどの本をオススメする。



そして、もう一つ。

掲示板で「聖書とイエス様だけ」と言ったその方は

聖霊刷新運動は

聖書を根拠とし、牧師さんや神父さんが、

聖霊をイエス様から貰い、病人たちの肩を触ることによって、

電圧・直列で、聖霊を刷新して行く運動と

断定してる。



まず、その定義自体が間違ってると思うけど、

その話はここでしない。



ただし、

人が電圧・直列で聖霊を刷新するって

あまりにも聖霊様を格下げしてる。



霊である神が人間によって支配されるような言い方に

恐れと心配があった。


聖霊様のことをよく知らない人にあまり良くない影響を及ぼすと思ったら、

心配になったので、掲示板に何かを書いた方がいいか悩んだけど、

以前から色々なところにコメントをしているその方の言い方から判断すれば、

正直彼の心から神様の愛が感じられない。



その方は神様への愛は持っているのかもしれないけど、

神様の愛を体験して兄弟姉妹を愛するのかというと

その方の言葉からはそれが伝わって来ない。

自己中心の信仰持ちの人との論争は何の意味も無い。

論争から勝ってもお互いにいいことは何もないのだ。

その論争はきっと神様が喜ばれることじゃないので。



とても気になったので、

掲示板のことを牧会者とも相談したが、

彼らも同じ意見。



自己中心の信仰は神様の御心に適う信仰ではない。

それを分かって、

一人一人がもっと広く心をオープンして、

聖霊様の導きの下、聖書の悟りと霊的な分別力ができるように祈るしか。



聖霊様を頼ってください。

あなたが何をしようが聖霊様を忘れないで、

聖霊様の臨在を求めてください。

あなたに神様による油注ぎがあります。

それは体験しないと分からないもの。