So Beautiful

So Beautiful
by Terry MacAlmon
以前ご紹介したテリー・マックアルモンのWorship song。
日本でもCDの購入が可能。
こちらへ動画を見れば分かるけど、このまま霊性のある礼拝。
私は夕べもテリー・マックアルモンの音楽を流してお祈りした。
聖霊様が語られる方法 6
私達の口から言わせてくださる
わたしたちは弟子たちを探し出して、そこに七日間泊まった。
彼らは「霊」に動かされ、エルサレムへ行かないようにと、パウロに繰り返して言った。
使徒言行録 / 21章 4節
聖霊様に動かされ、このように言う時がある。
お祈り中、またはある問題で考えている中、
聖霊様が突然あなたの口から語られたことはあるのか?
驚くべきことにそのとおりになることを経験したことはあるのか?
しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、
あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。
その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、
また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。
ヨハネによる福音書 / 16章 13節
聖霊様は時々私達自分の口を通して語られ、
そのことを遂げられる。
わたしたちは弟子たちを探し出して、そこに七日間泊まった。
彼らは「霊」に動かされ、エルサレムへ行かないようにと、パウロに繰り返して言った。
使徒言行録 / 21章 4節
聖霊様に動かされ、このように言う時がある。
お祈り中、またはある問題で考えている中、
聖霊様が突然あなたの口から語られたことはあるのか?
驚くべきことにそのとおりになることを経験したことはあるのか?
しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、
あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。
その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、
また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。
ヨハネによる福音書 / 16章 13節
聖霊様は時々私達自分の口を通して語られ、
そのことを遂げられる。
聖霊様が語られる方法 5 - 2
2.聖霊様は耳で聞く御霊の御声で語られる。
一緒にいた人々は、その光は見たのですが、
わたしに話しかけた方の声は聞きませんでした。
使徒言行録 / 22章 9節
音のある御霊の御声は自分は聞こえられるが、他人は聞こえられない音声だ。
しかし、「霊」は次のように明確に告げておられます。・・・
テモテへの手紙一 / 4章 1節
彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。
「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。
わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」
使徒言行録 / 13章 2節
聖霊様はこのように実際に私達の耳に語られる。
神様は旧約時代には主にこの方法をお使いになった。
しかし、新約時代、特に聖霊様の時代には
使徒、フィリポ、コルネリオ、アガボなど
小数の人だけにこの方法でおっしゃった。
時代的にみれば、
使徒時代以来段々聖霊様が直接おっしゃることは
少なくなった。
一緒にいた人々は、その光は見たのですが、
わたしに話しかけた方の声は聞きませんでした。
使徒言行録 / 22章 9節
音のある御霊の御声は自分は聞こえられるが、他人は聞こえられない音声だ。
しかし、「霊」は次のように明確に告げておられます。・・・
テモテへの手紙一 / 4章 1節
彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。
「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。
わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」
使徒言行録 / 13章 2節
聖霊様はこのように実際に私達の耳に語られる。
神様は旧約時代には主にこの方法をお使いになった。
しかし、新約時代、特に聖霊様の時代には
使徒、フィリポ、コルネリオ、アガボなど
小数の人だけにこの方法でおっしゃった。
時代的にみれば、
使徒時代以来段々聖霊様が直接おっしゃることは
少なくなった。
聖霊様が語られる方法 5 - 1
聖霊様は霊の御声で語られる。
だから、聖霊がこう言われるとおりです。
「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、
ヘブライ人への手紙 / 3章 7節
聖霊様は私達の霊の耳で聞けるように語られる。
聖霊様が一番よく使う方法の一つが御霊の御声。
聖霊様の御声は2つに分ける。
1.聖霊様は音が無い御霊の御声で語られる。
聖霊様の御声は大体音無しで聞こえて来る。
イエス様は聖霊様について
わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、
すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、
その方がわたしについて証しをなさるはずである。
ヨハネによる福音書 / 15章 26節
その方が来れば、罪について、義について、
また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。
ヨハネによる福音書 / 16章 8節
とおっしゃった。
この場合、聖霊様の「証しや明らかにする」ってことは
すなわち内的な証しと内的に明らかにするということ。
聖霊様の御声は肉の耳では聞けないが、霊の耳では聞ける。
聖霊様の御声には良心(Conscience)が聞く御霊の御声もある。
バウロは、すなわち「自分の兄弟や親戚を救いなさい」と
聖霊様の御声を聞いた。
その御声はバウロの良心が聞いていたのだ。
良心は肉に属するが、新生した人の良心は聖霊様の御声が聞ける。
しかし、新生した人の良心も罪を犯した時は聖霊様の御声が正確に聞けない。
良心は羅針盤と同じだ。
羅針盤は南北を正確に示す。
しかし、金属を近くに置くと、羅針盤の針が金属の方に傾く。
聖霊様の御声を聞こうとする人はホーリー(神聖で清い)に
ならなければいけない。
潔くないことがあれば、聖霊様の御声が正確に聞けない。
新生した人の良心も聖霊様の御声を正しく分別していても、
物欲または情欲ができたら、分別力が鈍る。
新生してない人の良心(燒き印を押された良心)も
聖霊様の御声は聞けないが、
あるほど正しいことと間違ったことは知ってる。
一般的に聖霊様は新生した人の良心に語られて、
サタンは新生してはい人の良心に語る。
しかし、サタンは新生した人の良心にも語るし、
清くない良心をもっと利用する。
預言者ミカヤは聖霊様からの正しい預言をしたが、
堕落した預言者たちは僞りを言う霊からの僞りの預言をしたと
聖書に記録されている。 (列王記上 / 22章 10- 25節)
聖霊様は私達が神聖で清ければ、御心を知らせてくださる。
しかし、私達が欲で間違ったことを願っても許してくださる時もある。
バラムがそのケースだ。
バラムが純粋な心で「モアブに行きましょうか?」と神様に聞いた時、
神様は「行かないで」とおっしゃった。
しかし、バラムが神様の御心を分かりながら、
物欲と名誉欲にかられてもう一度聞いた時は「行きなさい」と許された。
結局バラムが行った時、天使が止めて、ろばの口を通して、バラムを責められた。
(民数記 / 22章)
聖霊様は良心を通して無音で語る。
故に、私達は良心の火を消してはいけない。
良心は神様が人間の心に設置してくださったアラーム。
聖霊様はこの良心を通して、警報を鳴らされる。
聖霊様は良心を通して御心を知らせてくださり、正しいことや間違ってることだけではなく、
私達への愛も知らせてくださる。
それで、この良心を捨てないで、
信仰と正しい良心とを持って。
ある人々は正しい良心を捨て、その信仰は挫折してしまいました。
テモテへの手紙一 / 1章 19節
だから、聖霊がこう言われるとおりです。
「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、
ヘブライ人への手紙 / 3章 7節
聖霊様は私達の霊の耳で聞けるように語られる。
聖霊様が一番よく使う方法の一つが御霊の御声。
聖霊様の御声は2つに分ける。
1.聖霊様は音が無い御霊の御声で語られる。
聖霊様の御声は大体音無しで聞こえて来る。
イエス様は聖霊様について
わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、
すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、
その方がわたしについて証しをなさるはずである。
ヨハネによる福音書 / 15章 26節
その方が来れば、罪について、義について、
また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。
ヨハネによる福音書 / 16章 8節
とおっしゃった。
この場合、聖霊様の「証しや明らかにする」ってことは
すなわち内的な証しと内的に明らかにするということ。
聖霊様の御声は肉の耳では聞けないが、霊の耳では聞ける。
聖霊様の御声には良心(Conscience)が聞く御霊の御声もある。
バウロは、すなわち「自分の兄弟や親戚を救いなさい」と
聖霊様の御声を聞いた。
その御声はバウロの良心が聞いていたのだ。
良心は肉に属するが、新生した人の良心は聖霊様の御声が聞ける。
しかし、新生した人の良心も罪を犯した時は聖霊様の御声が正確に聞けない。
良心は羅針盤と同じだ。
羅針盤は南北を正確に示す。
しかし、金属を近くに置くと、羅針盤の針が金属の方に傾く。
聖霊様の御声を聞こうとする人はホーリー(神聖で清い)に
ならなければいけない。
潔くないことがあれば、聖霊様の御声が正確に聞けない。
新生した人の良心も聖霊様の御声を正しく分別していても、
物欲または情欲ができたら、分別力が鈍る。
新生してない人の良心(燒き印を押された良心)も
聖霊様の御声は聞けないが、
あるほど正しいことと間違ったことは知ってる。
一般的に聖霊様は新生した人の良心に語られて、
サタンは新生してはい人の良心に語る。
しかし、サタンは新生した人の良心にも語るし、
清くない良心をもっと利用する。
預言者ミカヤは聖霊様からの正しい預言をしたが、
堕落した預言者たちは僞りを言う霊からの僞りの預言をしたと
聖書に記録されている。 (列王記上 / 22章 10- 25節)
聖霊様は私達が神聖で清ければ、御心を知らせてくださる。
しかし、私達が欲で間違ったことを願っても許してくださる時もある。
バラムがそのケースだ。
バラムが純粋な心で「モアブに行きましょうか?」と神様に聞いた時、
神様は「行かないで」とおっしゃった。
しかし、バラムが神様の御心を分かりながら、
物欲と名誉欲にかられてもう一度聞いた時は「行きなさい」と許された。
結局バラムが行った時、天使が止めて、ろばの口を通して、バラムを責められた。
(民数記 / 22章)
聖霊様は良心を通して無音で語る。
故に、私達は良心の火を消してはいけない。
良心は神様が人間の心に設置してくださったアラーム。
聖霊様はこの良心を通して、警報を鳴らされる。
聖霊様は良心を通して御心を知らせてくださり、正しいことや間違ってることだけではなく、
私達への愛も知らせてくださる。
それで、この良心を捨てないで、
信仰と正しい良心とを持って。
ある人々は正しい良心を捨て、その信仰は挫折してしまいました。
テモテへの手紙一 / 1章 19節
聖霊様が語られる方法 4
聖霊様は霊の意志を通して語られる。
あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、
行わせておられるのは神であるからです。
フィリピの信徒への手紙 / 2章 13節
霊の意志を通して、聖霊様は御心のままに
聖霊様が私達の心に望ませてくだされば、
行ってくださるのも信じなければいけない。
私達にお祈りの望みをくだされば、
それは応答されるきざしだと信じなければいけない。
しかし、ある時は聖霊様が望みもくだされないで、
行わせておられた後悟らせてくださる。
私達が聖霊様の導きを知らずに行って、その道に着いた後分かる時がある。
聖霊様が行わせておられるのが真理の道であるのかチェックする。
聖霊様が行わせておられるのは自由があるべき。
真理の中で行うと心に自由があるからだ。
あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。
ヨハネによる福音書 / 8章 32節
その道が大変で苦しませても心が混乱しないで平和になる。
神様の御心のまま道を行くと、心に平和がある。
この時はその道が聖霊様の御心に適うのだと思えばいい。
肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。
ローマの信徒への手紙 / 8章 6節
しかし、聖霊様の御心に適う道ではないと、真理(聖書)にもとるため、
心に自由と平和がなく、混乱する。
これらのことの後で、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。
「恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。
あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」
アブラムは尋ねた。
「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。
わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」
アブラムは言葉をついだ。
「御覧のとおり、あなたはわたしに子孫を与えてくださいませんでしたから、
家の僕が跡を継ぐことになっています。」
創世記 / 15章 1-3節
神様はアブラハムにまず夢をくださって、その後信仰をくださり、
その希望を果たされた。
神様が行うとおっしゃったことは神様が全部果たされる。
私達は自分が願う夢じゃなく、神様が私自分を通して行いたがる神様の御夢を
私達の夢として持つべきだ。
創世記 11章に対照的に人間の夢が出る。
バベルの塔の話がでる。
人間的には可能なことに見える。
しかし、神様は喜ばないで人間の言葉を 混亂させた。
それで、人間は散らばって、バベルの町の建設をやめた。
これが人間の夢だ。
私がしなきゃいけないと思うのも、私達がしようとするのも
そのまま果たされない。
しかし、神様が行うとしたのは全部果たされる。
聖霊様は私達の霊に人格的に語られる。
私達の霊が悟って、感動して、意志が動くように語られる。
今日も
今日も一日祈ります。
笑いを伝える一日になるように。
幸せを与える一日になるように。
一緒になる一日になるように。
気配りする一日になるように。
我慢する一日になるように。
手伝う一日になるように。
愛する一日になるように。
感謝する一日になるように。
主様の香りを伝える一日になるように。
渴望する心
皆さんはいつ震えますか?
いつ苦しみますか?
神様の前で考えて見てください。
他の人達が誤解する時ですか?
願わない事が起こる時ですか?
お金が必要なのにお金がない時ですか?
ただ体が痛い時ですか?
皆さんが思ったとおり人が動いてくれない時ですか?
計画した事が成就されない時ですか?
それだけではダメです。
本当に身悶えしなければならない時は
渇望が消えた時です。
いつからか神様を切実に求めることが冷えたのか、
いつから命の主であるその方を慕うのが冷えたのか、
神様だけが満たすことができることを分かるのに、
いつ私の心がこんなに冷えたのか、
どうして私が停滞されているのか、
このため切望しない人は、
このような哀痛がない人は
死んでいるはずです。
主よ、私達を許してください。
さまざまなことのため
渴望することを忘れてしまった私達を許してください。
服を裂かないで心を裂かせてください。
神様を捜させてください。
主にお会いしなくてはたまらない渇望を注いでください。
お父さんの心臓から出るその渇望を注いでください。
イエス・キリスト様の心臓から出るその渇望を注いでください。
皆さん、 どうして私達が渇望しないのか知りますか?
神様を知らないからです。
神様が私達に向けていくら悲しくて痛いのか、
どれほど私達と一つになることを願うのか,
失った魂に向けて、 この地に向けて
どれだけ哀痛しているのか、
その御心を知らないから
私達は切望しないです。
どれほど主様の御心に適うように完全に立つのを願うのか、
どれほど主様と連合するのを願うか、
私達がその方の御心を知らないから
その方が十字架を負うしかなかったし、
鞭に打たれるしかなかったのに、
その渇望を知らないから、
神様を知らないから渇望しないです。
神様が分かれば、渇望するしかないです。
渇望は私達の作り上げる感情ではないです。
真の渇望は
私達が心を注ぐ時
神様が新しい渇望を注いでくださるんです。
それでそんな人を主様が捜しています。
神様の御心が分かる者
神様の見方になる者
そんな人を捜しているんです。
神様、私達に渇望をください。
ーある牧師のお祈りより
あなたが体験すれば人生が180℃変わる
子供の頃からクリスチャンだったのに、
自分の信じる神様について知らないことが多かった。
2004年春、
霊的に生まれ変わってから私はずっと求めて来た。
神様を知ることを。
神様と個人的に親しい交わりができることを。
ここで言う神様は神様・イエス様・聖霊様の三位一体の神様。
その神様を体験し、解り始めると
今までの信仰から180℃変わる。
イエス様への何の熱情も無く
ただ人間との交際を求めて教会に来る人がいれば、
熱情はあるが、その熱情の動機が神様の御心に適わなく、
自分の才能を見せたい驕慢から奉仕をする人もいるし、
聖書のことに関してすごく頭の知識は持ってるが、
自分なりに保守的で聖霊様の導きを信じなく、
聖霊様との個人的な交わり自体も理解してない人もいるし、
主日礼拝だけで自分の信仰生活に満足し、
それ以上霊的に成長しようとしない人もいる。
以前の教会で青年部のリーダーや幹事を頼まれ、
奉仕させてもらった4年間、
私は上に書いた類型の兄弟姉妹を見る度、切なくて
自分が霊的に生まれ変わってから
新しく悟ったこと、求めなきゃいけないことを語り続けた。
そして、私に与えられた1時間のグループタイムはいつも足りなかった。
もっと色々なことを伝えたいから時間を無視して話し続ける私を
グループの兄弟姉妹は同じく神様を慕う心から
分かってくれるだろうと思った私。
その考えは甘かった。
ある日、グループの中で一人の姉妹に
「今度からはちゃんと時間を守ってください!
この時間後、私は他グループの兄弟姉妹とも交際の時間を持ちたいので。
いつも遅く終わるから、彼らとあまり話ができないじゃないですか!」
と言われたのだ。
私はただもどかしかった。
みんながもっと神様のこと知りたがることを願ったのに。
霊的な交わりを求めてほしかったのに。
まだ分かってない。
まだ霊的に起こされてないから。
私はその時ただ彼女のために祈るしかできなかった。
それからはなるべく与えられた時間に間に合うようにした。
数ヵ月後、その彼女に異変が起きた。
彼女はたまたま他の姉妹の誘いで違う教会の礼拝に行って、
礼拝中、神様の臨在の中で、
聖霊様のタッチによって聖霊様のバプテスマを受け、
霊的に生まれ変わったのだ。
彼女は私にやって来て自分に起こったことを話して、
以前のことも謝ってくれた。
「今になって、あなたの言ってること、
あなたがそんなに神様のことを伝えようとしたこと、
今になって分かるような気がする。
前は知らなかった。
私、クリスチャンファミリーに生まれ、育てられて、
ちゃんと毎主日は礼拝しに教会に来たし、自分の信仰に問題ないと思ったの。
だから、あなたのこと、
何でいつも一人でそんなに神様のことを熱く言ってるの?
何で聖霊様の御声を聞くように求めてっと言い張るの?と、
私達、神様を信じてるから別に問題ないし、このままでも良いでしょうと、
せっかく教会に来て人との交わりもしたいのに、
いつも長く語るあなたのことに良い思いをしなかったわ。
でも、今は十分あなたの心が分かるの。
神様との交わりが大事って事も。
本当にごめんなさい。
まだ分からないことが多いから、これからも色々教えてください。
あなたに出会えて本当によかった。
私、神様と人格的に会うことができて、
今すごくうれしいし、幸せです。」と。
何より
彼女と神様との霊的な、個人的な交わりが始まったことが
一番うれしかった。
こうやって人が神様を求め始めるのを見るととてもうれしい。
きっと神様も喜ばれるでしょう。
キリスト教の秘密に目が覚めるのはそこから始まる。
霊的に目を覚ますと、霊的に耳を傾けると、
神様が個人に個人的に悟らせてくれるのだ。
彼女は変わった。
180℃変わった。
2004年以来の私のように。
それから彼女は信仰のことを相談しに来たり、
霊的な深い話ができる同役者であり、一番私の応援者になってくれた。
教会で誰よりも大声で異言を語り、大きく泣きながら祈るし、
その大きな変化で周りの人々にどう思われるのか気にしない。
YWAMのDTSを受けて、神様を知ることならどこでも行って学んだし、
霊性のある祈りの人々が集まり、神様の御心に適うことを
何時間も祈る特別な「とりなしの祈祷会」も参加し続けて、
いつの間に私より霊的に成長し、祈りの勇士になっていた。
現在、彼女は神様の御声を従って、神学校に通っている。
このブログを読んでいるあなたの中にも
彼女のように同じく思っている人もいるかもしれない。
なぜ聖霊様のことばかり話すのか、
なぜ聖霊様の御声を聞くのが大事だと話すのか、
まだ個人的に神様との霊的出会いを体験しなかった人は
理解できないかもしれない。
でも、いつかはあなたにも聖霊様のタッチで
「あ、これなんだ。このことを話してたんだ」
と解る体験をする日があるでしょう。
その時のため、
このブログを通して
あなたに
神様との霊的な交わりを慕う心を持たせたくて、
神様の御顔を、聖霊様の臨在を求め続け、祈ってほしくて、
私は神様のことを書き綴る。
聖霊様が語られる方法 3
聖霊様は霊の直観を通して語られる
なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。
コリントの信徒への手紙二 / 5章 14節
三位の神様の品性を持つ者は
主様との愛の感情が神秘というぐらい敏感で速く交流される。
神様の愛が霊的な直観を通して
まるで電流が流れるように伝達され、悟るようになるのだ。
あなたが聖霊様を受けて
「解りました」と告白することがあるんじゃないでしょうか。
イエスは言われた。
では、どうしてダビデは、霊を受けて、メシアを主と呼んでいるのだろうか。
マタイによる福音書 / 22章 43節
バウロも
そして今、わたしは、「霊」に促されてエルサレムに行きます。
そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。
使徒言行録 / 20章 22節
と言った。
ここで、「霊」に促されたということは
聖霊様の强勸に促されたという意味だ。
拒否できないほど強く聖霊様を受けて従う時が無いでしょうか?
聖霊様によって神の御心に適った悲しみから悔い改める時があるでしょう?
時々心が苦しんだり、喜びが満ち溢れたりする時があるんでしょう?
聖霊様に促されて心に温もりを感じた時があるでしょう?
私達が聖霊様の喜ばれる善を行うと、心に平安を感じる。
すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、
栄光と誉れと平和が与えられます。
ローマの信徒への手紙 / 2章 10節
私達が聖霊様の思いをすると、神様は平和をくださる。
肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。
ローマの信徒への手紙 / 8章 6節
私達が主様の御言葉のとおり生きると、神様は平和をくださる。
このような原理に従って生きていく人の上に、
つまり、神のイスラエルの上に平和と憐れみがあるように。
ガラテヤの信徒への手紙 / 6章 16節
逆に聖霊様が望まないことを行うと、聖霊様を悲しませる。
聖霊様からの悲しみは私達に悔い改めを生じさせ、
取り返すための悲しみである。
神の聖霊を悲しませてはいけません。
あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。
エフェソの信徒への手紙 / 4章 30節
聖霊様が悲しまれる時は私達にも悲しみや不安など聖霊様からの感情が起こる。
聖霊様は私達にその方の御心を知らせて、その方を従う心をくださる。
しかし、サタンからの悲しみと不安は理由を知らないので、
結局神様に不順從し、背く心を持たせる。
聖霊様は私達を正しく立てるために悲しませるが、
サタンは私達を崩すために悲しませる。
神の御心に適った悲しみは、
取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、
世の悲しみは死をもたらします。
コリントの信徒への手紙二 / 7章 10節
聖霊様が語られる方法 2
霊の人格に語られる
聖霊様は私達の霊の人格に語られる。
聖霊様は霊の知覚を通して語られる。
自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。
その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。
霊によって初めて判断できるからです。
コリントの信徒への手紙一 / 2章 14節
ここで理解できないということは
自然人(肉の人)は経験的に解らないということだ。
聖霊様が一番よく使われる方法の一つが
霊の知覚を通して悟らせるってことだ。
聖霊様によって新生した人はこの知覚を持つようになる。
そして、肉の人は聖霊様の働きを悟られない。
霊の人が霊的に悟って分別する。
霊が生き返った人は神様の知識の品性が回復される。
だから、
造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、
真の知識に達するのです。 コロサイの信徒への手紙 / 3章 10節
と聖書に書いてある。
新しく持つ知識を通して、聖霊様の御心を悟るのだ。
聖霊様は私達が持つ疑問に急に応答をくださったり、
悟りをくださったりする。
私達が質問しなくても聖霊様は私達の霊に知的に悟らせてくださる。
これは人間の知識を超えるのだ。
肉の知識は学んで分かる知識である。
しかし、霊の知識は学んで解るのではなく、
聖霊様が悟らせてくださり、解る知識である。
霊の知識は聖霊様が語られることを全部悟って解る能力だ。
霊が生き返った人は人間の知識では解らない事を
聖霊様が悟らせてくださって解るのを頻繁に経験するようになるでしょう。
しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によって
お遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、
わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。
ヨハネによる福音書 / 14章 26節
ここで「思い起こさせる」ってことは
霊的に思い起こさせるという意味だ。
聖霊様は時々私も気づかなかった罪も思い起こさせて
悔い改めるようにさせたりもする。
聖霊様が悟らせてくださる霊的な悟りは
以前まったく解らなかったことが解るようになることで、
霊的にだけ分別できる。
聖霊様が知的に知らせてくださることは確実で
考えで分かるような微かなこととは違う。
延いては
肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、
霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。
ローマの信徒への手紙 / 8章 5節
この御言葉のように
聖霊様は霊的な考えをするように助けてくださる。
聖霊様は私達の霊の人格に語られる。
聖霊様は霊の知覚を通して語られる。
自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。
その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。
霊によって初めて判断できるからです。
コリントの信徒への手紙一 / 2章 14節
ここで理解できないということは
自然人(肉の人)は経験的に解らないということだ。
聖霊様が一番よく使われる方法の一つが
霊の知覚を通して悟らせるってことだ。
聖霊様によって新生した人はこの知覚を持つようになる。
そして、肉の人は聖霊様の働きを悟られない。
霊の人が霊的に悟って分別する。
霊が生き返った人は神様の知識の品性が回復される。
だから、
造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、
真の知識に達するのです。 コロサイの信徒への手紙 / 3章 10節
と聖書に書いてある。
新しく持つ知識を通して、聖霊様の御心を悟るのだ。
聖霊様は私達が持つ疑問に急に応答をくださったり、
悟りをくださったりする。
私達が質問しなくても聖霊様は私達の霊に知的に悟らせてくださる。
これは人間の知識を超えるのだ。
肉の知識は学んで分かる知識である。
しかし、霊の知識は学んで解るのではなく、
聖霊様が悟らせてくださり、解る知識である。
霊の知識は聖霊様が語られることを全部悟って解る能力だ。
霊が生き返った人は人間の知識では解らない事を
聖霊様が悟らせてくださって解るのを頻繁に経験するようになるでしょう。
しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によって
お遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、
わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。
ヨハネによる福音書 / 14章 26節
ここで「思い起こさせる」ってことは
霊的に思い起こさせるという意味だ。
聖霊様は時々私も気づかなかった罪も思い起こさせて
悔い改めるようにさせたりもする。
聖霊様が悟らせてくださる霊的な悟りは
以前まったく解らなかったことが解るようになることで、
霊的にだけ分別できる。
聖霊様が知的に知らせてくださることは確実で
考えで分かるような微かなこととは違う。
延いては
肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、
霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。
ローマの信徒への手紙 / 8章 5節
この御言葉のように
聖霊様は霊的な考えをするように助けてくださる。