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kai遊録

日本国内の城郭を回遊してます

捨てられずにためてしまうものは? ブログネタ:捨てられずにためてしまうものは? 参加中



史料館でもらったパンフと入場券ですMe




ぶっちゃけ1回も見てないもののほうが多いんですけどねあせ、あせ(←ぇ)





現地では「あとで見る~♪」ってことで、邪魔なので


汚れないようにさっさとカバンにしまっちゃいますおでかけ




帰宅してからは、どっさりもらってきたパンフを、ファイリング。


ブログ記事は現地でとってきた説明版の写真と、ウィキペディアで更新。



そっちのほうがパンフより資料多いんですもん~。汗(たぶん)



今はクリアファイルに押し込んでる・・・ ファイリングしてるけど


なにかいい整理方法ないですかね?




知り合いは入場券はノートに貼り付けていますが、


裏面にもなにか書いてあることもあるし・・・aya


某城サイトさんに「それほど歩きにくい道ではなかった」とあったので、


枡形山城から辛垣城まで尾根伝いにあることにしました。




最近、城郭研究者のかたの話や行動を見る機会があって、つくづく思ったのは


『城郭研究はサバイバル』だということ。


道なき道どころか『藪へ突入して遺構を探す。これが城郭研究者の常識』なのですねンー




で、kaiさんの遭難記録ですが・・・



kai遊録 電子国土ポータル


だいたいこんなカンジred teacher

台風の影響からか、すでに尾根道には枯れた倒木がわんさかあって、


すでに足場が土じゃなくて木でしたきき



この辺りから余裕がなくなったので、写真がほぼないです。




下の写真の左側にあるような、枯れ木が埋め尽くしてるのね。


見なかっただけでヘビの2匹や3匹はいたでしょうねーぽけ~ ←ヘビも嫌い


kai遊録 丸太渡り(立ち往生の場)



写真中央に白いビニールひもがあるのが見えますでしょうか?


これと同じものが写真の右側に続いていて、そちらは枯れ木のない歩ける道となっていました。



最初は下のほうの尾根を進んだのですが、地盤が弱く(この前日、関東は弱雨だったそうです)


尾根を滑り落ち、八方塞になりましたkai遊録



尾根を這い渡ること数分。写真のところまでなんとか生還一息汗{ふぅ・・・



戻ることも考えましたが、枡形山城から降りてきた道を戻れる気がしなかったし、


(降りてきたというより、滑り降りてきたに近かった)



あたりにはハイキングを楽しむ人の声が聞こえておりましたので、強行突破リトライを決定。




まわりを見渡しましたが、先にいける道はなく・・・・・


倒木が橋のように横たわっておりました



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コレ


ガシガシと踏んでみたところ、歩けそうだったので、いざ平均台~!綱渡り



(恐怖を紛らわせるために、そう心中叫んでいただけで、


中央に差し掛かった頃には足ガクブルでしたガクブル


カイジの鉄骨渡りが脳内を横切ったよ)




で、なんとか最後まで進んだのですが、まさかのトラップ!!


終着点が枯れ木で地面に着地できない状態。


やむ無く尾根を登り、枯れ木を迂回しようとしたら、ズルっと尾根で滑り台ジェットコースター




ともあれ、まともに歩ける道に復活して、


一安心してビニールひもを辿って歩き始めること5分ウキウキ


また道がなくなりましたーちーん{もう、いや・・・





さすがにもう無茶をする気力も体力も残っておらず、引き返すことに決め


さきほどの丸太をどうやって戻ろうかと悩みながらトボトボ歩いているとガックリ・・・


すぐ間近で人の声が!



見上げるとハイキングコースがあるらしく、何人かの人の頭が通り過ぎていきました。


さきほどから人の声は聞こえていましたが、人の姿をみるのは山では初めて!



「これはもう・・・是非に及ばず!!むかつくギリッ」



あんな丸太道を戻り、さらに枡形山城の道を登れるとはとても思えなかったし、


もうズボンも泥ってるし、構うかっ!!



というわけで・・・・


kai遊録

(もちろん実際はロープなんかないよ。木と地面伝いだよ)



ちなみに7月に中井均先生の公演をお聞きしたのですが、その際


「尾根は手をつかなくても歩けるけど、切岸は手をつかないと歩けません」


とのことでしたが、ふつーに手をつかないと登れませんでしたわ~顔文字




kai遊録
(上のと同じもの)



標高60mくらい登ったことになっちゃいますねぃ笑う



ともあれ、何とかハイキングコースに到着したのでしたaya



整備された道のありがたさを痛感したよ・・・・



kai遊録  kai遊録
ハイキングコースと鉄塔



ここから数m行ったところに、登ってきた方向へ降りる道があったんだけど、


あれはどこに繋がっていたんだろう?


興味はわきましたが、さすがに行く気にはなれませんでしたNG





今回はたまたま人が通ったから警察沙汰にはなりませんでしたが、


もしGWじゃなく平日だったら、間違いなく警察沙汰になっていたと思います。




何度も言いますが、



ネット等で「行った」という話を聞いても、


現地で自分が見て「ヤバイ」と感じたら諦めましょう!




人が歩いた形跡のない道は進んではいけません!






こんな非常識なヤツは私だけだと信じています。


皆様の城攻めが楽しく安全なものでありますようにアーメン





山城登城の注意


城ガール隊 blog♫ 【注意喚起】山城攻めについて

次回 辛垣城はコチラ


皆様、しろろろーん(・ω・)ノ


そういえば、第一回日本城検定は終了したんですよね。


受験者のみなさま、お疲れ様でした~。


私はその日、関ヶ原学校で小和田先生の授業を受けておりましたきゃはっ




ツイッターで問題が何問かツイートされてましたので、1問紹介したいと思います。



Q.徳川家康が鯛の天ぷらを食べて倒れたのはどこの城か。


(同日、関ヶ原学校に参加した城仲間曰く


「天ぷら食べたのは1月で死んだのは4月だから、食あたりじゃないと思うけどね」とのこと)


これ、中級の問題だそうです顔文字{つーか、コレお城の問題とは違うような・・・?






ともあれ枡形山城レポいきまーす!(先回はコチラ



今回は枡形山城の名前の由来の“枡形虎口”を見に行きますウキウキ



・・・と、絵文字の棒人間さんのようにルンルンなテンションで歩ける道のりじゃありません。



kai遊録  

主郭北側



写真の左へ進むわけですが、歩くというより滑り降りていました。


引き返すにも引き返せないんじゃない?というカンジsao☆




何度でもいいますが、


ネットで「行けた」という記述があっても山は一刻一刻状況が変わります


少しでも危険だと感じたら、すぐ引き返してください!!




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主郭を振り返る







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電子国土ポータル



黒い矢印のあのあたりに堀切と枡形虎口があります。





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竪堀と土橋


土橋なのですが、細い区画なので「土橋!!顔文字と劇的には興奮できないかな~(笑)



そもそも、このときはまだ土橋萌じゃなかったですし、


縄張図持ってなかったから勘でした。合っててよかったやったぁ!





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枡形虎口(城内から見る)



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同(城外から見る)



枡形山城の名前の由来のなった(らしい)枡 形 虎 口 ~!!sao☆



2回ほどジグザグと食い違っていますが、


縄張図を見ると(カラーリングしたように)1回の食違いのようです。




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枡形虎口に隣接する竪堀と土橋



ここも元々、狭いところなので土橋になってるのが分かりづらいですね考える



大手や搦手には堀切や竪堀がめぐらされていますが、


曲輪の周りには堀は作られていないようでした。




この城の歴史は明確には分かりませんが、


青梅地方の豪族 三田氏の辛垣城の出城説 


辛垣城に対する後北条氏の陣城説 


など諸説あるようです。


陣城だから本当に必要なとこだけ堀をつくったんですかねMe





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枡形山城の枡形虎口の先が、画像の人マークのあたりかと。


ここから尾根続きの北西にある辛垣城に向かいますGO!!





参考文献



日本城郭体系には縄張図が載っていません



図説 中世城郭事典/新人物往来社

¥10,290
Amazon.co.jp

辛垣城の縄張図も載ってますので、登城の際はコチラ↑をどうぞ~sao☆





今回はここまで~バイバイ



次回はコチラ



冒頭のクイズの答えは、田中城でした~。


まん丸縄張りの城ですね!行ってみたい城のひとつです顔