「天津祝詞」奏上による祓戸大神の御出現  | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “真実くらい強い力はない。私は若い頃、日本の歴史が大好きで、古い書物に親しんだ。それは「古事記」という神典のような本であった。

 それを読んでいる内に、家庭の祭事を、その古事記式神道に祖先を祭り変えた。その頃、古事記の中にある「天津祝詞(あまつのりと)」を一段と深く研究して、「天津祝詞」の中の精神を、身をもって実現してみようと試みた。

 それは、人間が常にあやまちを犯し、身をけがすのを、はらい清める「はらいどの行事」というのであった。それを至誠一貫して行なうとき、そのはらいどの大神は、私の真心から生まれいでる。そしてその神から、けがれた身と心をはらい清めてもらえるのだという信仰であった。

 その時、当時四、五歳であった私の末子が、時々熱を出したり、病に犯されることがあったので、私はこの四、五歳になったばかりの末子に、「お父さんが神様にお願いして、病を治してもらい、楽にしてあげるから、おまえも『はらいどの大神、はらい給え清め給え』と、何度も念じなさい。お父さんも念じるから」と言い、親子で真面目に真剣に神さまにお願いをした。大麻でおはらいをすると、五分間もたたない内に熱は下がり、病も治ってくることが幾度もあった。

 これらも同じ原理で、私や子供の真剣な祈りから、病やけがれを祓う神様が生まれて、その神様が自らの使命をはたされるのであって、この神様は誰が生み出すのではなく、私と子供の真心から生まれるのであると思った。これが、あの尊い「天津祝詞」である。

 私達の日常においても、幸、不幸は、こうしたところから自らが生み出すものであることを強く申し上げておきたい。(昭和四十二年二月一日)”

 

(島本覚也「玉手箱」(酵素の世界社)より)

 

*島本覚也氏(1899~1974)は、大石凝真素美翁(古神道の大家で出口王仁三郎聖師の師でもあった方)の高弟、水野万年師に師事し、長年古事記などの国学を研究され、終戦後、出口聖師から「酵素は天国の肥料である」と教えられて酵素の研究に取り組み、EM菌よりもはるか前に酵素農法(微生物農法)を確立された方です。島本氏によって設立された、(株)酵素の世界社(本社・滋賀県)では、バイエムコーソ等の酵素食品や酵素堆肥など様々な酵素製品を取り扱っており、通販でも購入できます。

 

*(株)酵素の世界社/島本微生物工業(株)のHP

 

 

*神社参拝を趣味とされる方は多いですが、それでも参拝時に祝詞を奏上される方は少ないのではないでしょうか。神様は言霊に特に感応されますので、願い事を心の中で念ずるだけでなく、単に小さな声で呟くのでもなく、祈りを朗々と響かせた方が神様もお喜びになると思います。また、祭典での「祓戸神事」においては、祓戸四柱の大神は、警蹕(けいひつ)の声とともに『ひもろぎ』となる「大麻」に降臨されますので、定期的に祭典に参加されたり、神社で正式参拝を申し込まれるなどして、大麻による祓い清めを受けられるのがよいです。霊眼のある者には、神主が大麻を左右左と振った瞬間に、黒い邪気が吹き散らされるのが見えるそうです。

 

 

・祈りによる神人合一   (ユダヤ神秘主義/カバラー)    

 

 “バアル・シェム・トヴは、祈りと一体化することは〈神〉と一体化することである、と説いた。このような意識の高められた状態に至ると、ハシドはあらゆる肉体感覚を失ってしまう……外来の思考に妨げられることがなく、恐怖や緊張が喜びを妨害することもない。バアル・シェム・トヴは言う、その状態に至った者は「知性が発達しはじめたばかりの小さな子供の如くである」。祈りの言葉を通じて到達するハシドのデヴェクト(注:神への帰依)は愛によって強くなる。彼はそれを恋人のように堅く抱きしめ、手放したくないと願うからである。

 「それぞれの単語に執心するがゆえに」とバアル・シェム・トヴは義弟への手紙に書いている、「それを引き延ばして発音するのである」。

 このようにして自分自身と〈神〉のあいだの障壁を取り除いてしまえば、実は原初の状態においてはそこには障壁も悪もなく、ただ自分自身の思考が悪の幻影を構築しただけだったのだ、ということが判る。ハシディズムの解釈では、エゼキエルの見た「出たり戻ったりしていた」人のようなものの幻像は、源に向かって走りたいとは欲しながら、にもかかわらず肉体の中に住んで音を聞き、飲み、食いぶちを稼ぎ、そのためにその地上の領域に戻らなくてはならない人間の魂の寓意である。だが自我を滅却して感覚を消滅させてしまうと、魂は天使のように自由に高く飛翔する。とは言え、バアル・シェム・トヴによれば、高次世界の観念すら〈神〉を人間の世界から覆うもう一つの衝立に他ならない。ハシドは祈りに集中することで天使の群れすら消し去り、再び〈無〉の状態に戻る。アブラフィアのツェルフの師家たちと同様に、彼もまたヘブライ文字の生きた本質を前提とし、その真の実在を吸収すべく努めるのである。自らを〈神〉の道具として捧げるハシドは、〈神〉に即興的に語りかけるか、あるいは既定の祈祷書の語句をのみ用いて語る……いずれの場合においても、彼は意識的に〈言葉〉を操作しているのだ。その〈言葉〉こそ、彼を〈玉座〉の正しい位置に復活させる神聖なエネルギーを完璧な形で凝縮したものである。祈りにおいては、自我を滅却する方法は問わない。重要なのは、より高い位置に進むということなのである。”(P163~P164)

 

(パール・エプスタイン「カバラーの世界」(青土社)より)

 

*文中に、「それぞれの単語に執心するがゆえに、それを引き延ばして発音するのである」とありますが、祝詞の奏上がまさにそうです。

 

・神様を祭っている家、霊界物語や神書の拝読または祝詞の声のする家は神気を帯びている

 

 “京都から午後四時過ぎの汽車で天恩郷に帰るとき、園部の南陽寺の和尚と乗り合わせた。和尚は、「聖師は綾部からまだ帰られんのかね。いつ帰られます?」と聞くので、「さあ早ければ明日は帰られる予定です」と答えた。「そう、いつ汽車の窓からお城をながめても、その気配がないので。今度はエライ綾部に長く行かれておられたものだなと思っていた」「和尚さん、汽車の窓から見られて、聖師さまがおられる、おられないかが判りますか」「ハイ判りますじゃ。霊気(レイキ)が高う立っておりますでな」。この和尚、ほんとうに判るのかいなあと思って疑っていた。保津川を経て南桑平野に汽車がはいると、「おお、聖師は帰っておられる。それじゃあちょっと、あんたのお供してお城に寄って行こう」と言い出した。一体、どこを見れば、その霊気とやらが判るのか、たしか明日でないと聖師さまは帰られぬことになっているがと思ったが、和尚がそう言うので同道して天恩郷に帰ってみた。すると聖師さまは二時間前の上り汽車で帰って来られたという。

 その夜、聖師さまに、和尚のことを話し、どこに霊気があるのでしょうと尋ねた。「わしがおるときは、天恩郷に、時には二十丈くらいの明るい水気のような柱が立っているはずじゃ。和尚はそれを見るので、わしがおるか、おらぬか汽車の窓からながめて用件のあるときは途中下車して会いに来る。わしがおらぬときは、天恩郷全体がまだ、ただ僅かに明るい程度じゃ。これから神殿などができ、神霊が充実して来るにしたがって霊気は増すようになる。」と言われた。それはちょうど、人に霊衣があるように、その霊場には霊場としての霊衣があるものらしい。高級の神霊がいますときは、その霊場は輝きを増すものだということであった。各地の神社仏閣の所在地を歩いてみても、霊的な感覚を持たない者でも、高い霊気のあるところは、何か崇高な明るい雰囲気が感じられ、そうでない霊域は、寂しい、あるいは気分の悪くなる霊域の感じがする。それはやはり現幽一致の相応の理にもとづくものであると言われた。一家庭のうちでも、それと同様に、明るい家庭もあり、いやな気分の家庭もある。だから訪問したときなどは、まずそれを感得することが大切だ。本来ならばその家の前に行ったとき、霊気を見れば判るのだが、今の人にはそれはできないなあ、と嘆息された。

 神様を祭っている家と、祭っていない家とは格段の差があるし、常に霊界物語か神書の拝読、また祝詞の声のする家は、霊気が違っていると教えられた。

 

(「おほもと」昭和45年6月号 大国以都雄『天恩郷建設の神秘(7)』より)

 

・「神宮大麻」 伊勢神宮の大麻の霊験

 

 “播磨の加古の郡にある別府といふほとりの里人で一団の人が、寛永二年の冬の頃に伊勢の皇大神宮に詣でて、其の御師(おんし)と聞こえた某(なにがし)といふ人の家に宿ったが、その中の一人が云ふには、

 「俺(わし)は元来、神の御徳など其れ程に尊び奉らねばならぬという事を知らなんで、長の年月を過ごしてきたものぢゃが、今年の夏から秋にかけて疫病が大そう流行ったについて、其のために死ぬる者が多く、俺の家でも皆その病気が伝染って健康なのは俺一人だけぢゃった。それで流石の俺も何とも心細くなって、今は何を頼るといふものもなく、今日は熱がうつるだろうか、明日は病気が出るだろうかと思ひ苦しんで居る折に、フト心づいたことは、今は大神を御頼み申し上げるより外にないと思って、毎年拝戴して斎き奉ってゐた伊勢の大神宮の祓の麻を家の清浄な床に取り出して改めて斎き奉り、其の御前に額づいて、

 「今年斯んなに一般が悪い病気に染まって臥せるやうになりましたのは、全く人々の犯した罪を罰し給ふ事があってのことで御座りませう。さすれば今から私をはじめて一同が其の罪を贖ふために善行を積むで御座りませう。どうか家のうちに病んで居りますものの病苦を御緩め下され、命を全うさせて下さりませ」

と、お願ひ申し上げて、一心に誓ひを立て、只管(ひたすら)に祈願を申し上げたところ、不思議にも其の夜、病んで臥せって居る者の夢に、彼の斎き奉ってた大神宮の大麻から光を放ち給ふのを見たといふものが出た。それから日が経つにつれて、それほど悩み患ったものたちが、自然に熱が解けて皆一命を取り留めたので、近隣の家々にも事のわけを告げて其の事を行ひ始めさしたところ、心に誠があって能くつとめたものは皆な病難を免れて命を全うすることが出来た。その謝賽(おれいまゐり)にといふので、斯んなに時ならぬ時に参詣の本意を遂げたのでござる」

と語った。

 その後は毎年、伊勢にお詣りすることを怠慢(おこた)らず、何時も神徳の事を語って悦び尊み、道すがらにでも遺ちたものを見れば、努めて元の持ち主に返すやうにし、盲人のぬけ参りするのを見ては深く憫んでやるなど、あれやこれやと人のためをはかり、其の一団の講中といふのに入ってる人は、正しくない人はひとりもなく、皆な大神宮の信奉者となったのであった。”

 

(山口起業撰「口語 神判記実」(八幡書店)より)

 

*「神宮大麻」は、今では天照大神の「御霊代(みたましろ)」とみなされ、札型となっていますが、もともとは罪汚れを祓う「祓札(はらえふだ)」でした。全国各地の神社で領布されていますが、すべて伊勢神宮内で奉製されたものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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