夢で物語の活劇を見せられる | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “昭和二十二年の夏のことです。長女レイ子が、生まれて半年も経たないうちに百日咳にかかり、今にも息が切れるほどに苦しみ、一日に数回も病院に走るような瀕死状態になりました。私はいてもたってもいられなくなり、近くの白鳥神社に一週間の祈願をかけて、『体力のない幼児のことゆえどうかお救いください』と、日参いたしました。

 満願の日のこと、社前にて、参拝に来た義兄の橋本正四郎にばったり出会いました。娘のことを聞いて驚いた義兄は、大本信者さんにお取次ぎを頼んでやろうと言います。そのとき、大本について、お取次ぎについてまったくといって知らなかった私ですが、『ワラをもつかむ』心境でしたので、義兄にぜひお願いしますと頼んで帰宅しました。

 その夜、はじめて大本のお取次ぎを受けました。お取次ぎをしてくださったのは、川田勝義様です。私は娘を抱いて『どうか、どうかお助けください』と、一生懸命心中でお祈りしました。ところが、天の数歌にかかってきたころ、お腹の底から『くそ!こんなものに負けるものか』という川田様をはるかに見下す気持ちがムクムクとこみ上げてきました。そして、玉のような汗を流してお取次ぎをしていただいている川田様の姿が小さく見えてきました。しばらくして、川田様の口から「許す!」と強い言葉が出ました。と同時に、おそろしいほど燃えたっていた気持ちが、急におだやかになりました。いつしか私は娘の病気のことを忘れさせられていたようです。こうして短時間のうちに、私は大本のお取次ぎの偉大さをまざまざと体験させられ、それっきり娘の病気は、手の平を返したように良くなりました。

 翌日の九月八日、川田様のお宅へお礼に行き、「ぜひ私の家にも大本の神さまをお祭りしてください」とお願い申し、義兄に神具のことをお願いしました。すると神床神具一式出来上がったのが、宮大工をしておられた方の家にあってその翌日、さっそく、三好分苑長、川田勝美様、浜松為七様、菊池平吉様、義兄のみなさまに来ていただきご奉斎していただきました。

 その後、聖地に修行、参拝したく思っておりましたが、家事・育児におわれて、それも叶えられず、義兄の貸してくれる霊界物語を、余暇を利用して、毎日欠かさず拝読させていただきました。

 ところが奉斎から半年過ぎた三月十四日の夜のこと、その日はちょうど娘の誕生日の翌日にあたります。夢の中で、今まで拝読してきた物語の場面を神さまが実地にみせられるのです。それは言いようもないものでした。翌日になって、今夜はぐっすり眠れますよう、ご神前にお祈りして床に入りました。そして、いかにも睡眠がとれたかのように、すがすがしい気分で、ふと目を覚ましました。何時間眠っただろうと時計を見ると、たった五分しか経っていません。そのあと、また物語の劇的な場面をみせられます。

 ときには楽しく、ときには苦しく恐怖に満ちて、ときには開祖さま、聖師さま、二代さまがお現われになり、私をやさしくお導きくださいます。そのお声は今も耳の底に残っています。そうした夜が、来る日も来る日も続きました。私の身体はだんだん衰弱していき、最初のころはノイローゼ気味にもなりました。しかし、こうしたことは神さまから与えられた貴重な修行であると受けとらせていただくようになり、その試練に立ちむかっていけるよう、一生懸命、物語を拝読させていただきました。

 九月九日、月次祭をさせていただいたのですが、その日は神さまを奉斎してちょうど一年、そして霊夢をみせられて半年になります。私は『こうなったら、もう自分はどうなってもいい。一切を神さまにおまかせしよう』という気持ちになりました。すると、ふしぎなことに、六ヶ月間、心に沈滞していたイヤなかたまりがスウッと消え、すがすがしくお祭りをさせていただくことができたのです。と同時に、その夜から霊夢をみることがなくなりました。

 今、想い出しても、まことに苦しい六ヶ月間でした。しかし、あのような貴重な修行を与えられてこそ、こうして現在、一信徒としてご用に仕えさせていただけるのだと、感謝の念にたえません。”

 

      (「おほもと」昭和47年6月号 橋本シズ子(香川)『物語の活劇を見つつ』)

 

*「霊界物語」の場面を夢に見たり、登場する宣伝使が夢の中に出てこられて教えを受けた、という方は少なからずいらっしゃいます。この橋本シズ子さんのように、悩み苦しんでいるときにそのような不思議な夢を見せられることが多いようですが、「霊界物語によるミタマの浄化」をまざまざと体験させていただいたということでしょうし、このような証言は、出口王仁三郎聖師が神人合一の境地で創造された「『霊界物語』の霊界」が実際に存在することを証しするものだと思います。

 

 

・「霊界物語」の音読で『内流』を受ける

 

 “「霊界物語」を拝読するとき、神の言葉を今承(うけたまわ)っているのだという心構えであれば、魂の中に入るけれども、何か小説でも読んでいるような心構えであれば、得るものが少ないのである。

  声を出して読めば、自分の耳に神のお言葉が直接響いてくる。神の御声を聞きつつあるという心で読めば内流となるのである。

 神は現実の世界に住む者に対しては直接内流はくださらぬ。そこで聖言に依って内流するのである。「霊界物語」は瑞霊の教であり、聖言なのである。これによって生命の糧は与えられるのであるから、物語を常に拝読するように心がけなくてはならぬ。物語の中に神は坐しますことをさとらなくてはならぬ。”

  

         (「愛善苑」昭和25年7月号 大国以都雄編 『瑞言録』より)

 

 

 

 

 

 

 

 


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