脳性麻痺の治癒 (野口整体) | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “小児麻痺でも何でも、親が愉気した場合はみんなよくなっています。戦争前に、S君という子供がいました。彼は頭部麻痺の状態で、五歳になっても手足が利かない。食べ物も黄な粉しか食べないのです。それとまったく同じ状態のY君という子供がいまして、その二人が通っておりました。

 戦争で私は疎開したのですが、S君の方は従いて来ました。Y君の方は他処に疎開しました。戦争が終わって、みんな帰ってきました。私と一緒に疎開したS君の方は、一緒に疎開した人達が、交代で愉気をしてやっていましたので、その間五、六ヶ月でしたが、どんどん成長して、手も足も異常を残さないで普通になりました。その後、狛江で愉気の会をやっている時、S君も愉気の会に来るようになりました。

 その時、ちょうど、Y君のお母さんがY君を連れて来ていたのです。昔のように歩けない脳性麻痺のままで、バタバタやっている。蜘蛛のように這っている。私もそれを見てびっくりしました。「あれがSちゃんだ。貴方と一緒に通っていたSちゃんだ」と教えようと思ったのですが、気の毒で、とうとう教えられなかったのです。その後、誰かが、Y君のお母さんに洩らしました。Y君のお母さんは信じられなくて、「あそこにいたのが、Sちゃんでしたか」と言いました。それから、そのお母さんはもう二十歳になったY君にせっせと愉気を始めました。

 随分違うものだと思いましたが、親が一生懸命やればいいのです。それを人任せにしているというのはいけません。時々、見せて指導してもらうとか、今どの辺まできているか、ということを見てもらうということは大変いいことだと思うのです。今まで小児麻痺で、親が愉気をして良くならなかったという子供は殆どありません。親にはできるのです。”

 

(野口晴哉「愉気法 1」(全生社)より)

 

*「愉気」については、本当に治るだろうかとか、或いは絶対に治してやる、などと思いながら行うと、その不安や気負いが伝えられて逆効果になってしまうので、何も考えずに「天心」の状態で、ただ手を当てているのが良いということです。そして、「愉気」によって体力が消耗することはなく、すればするほど行っている方も元気になります。また、ここで言われているように、特に母親の手は特別で、たとえ整体、愉気についてあまり知らなくても、母親が子供に手を当てるだけでも、格段の効果があるとされています。

 

 “私が泉会を作ったのは、障害者のためにである。泉会は私が半生をこめて作った。障碍者に贈る幸福への花道であった。しかしその花道を突然失わなければならなかった私に、神様が与えて下さったものが、整体するという生き方であった。

 私はそこに脳性マヒの人をはじめ、多くの障害者の人々に、きっと役立つであろう道のあることを知らされたのであった。私はそのことのために、あらゆる屈辱に耐え、神様が私に与えて下さったこの時を、整体を学ぶ時としたいと思った。

 その後しばらくして、私は野口先生に、「体のマヒというものは、とれにくいものなのでしょうね」と尋ねた。すると先生は、「いや、マヒを経過させるのに、最も大切なことは、マヒしている体を、使おうとする心なのです」と答えて下さった。

 「マヒした手足を使うように」という言葉は、私の体の治療にあたられたすべての先生方からきかされ、又自分でも知りすぎている言葉であった。しかし使えないという現実は、私にその都度自分の障害の重さを自認させるという悲哀を重ねたにすぎなかった。

 しかし野口先生の、「マヒを経過させるのに最も大切なことは、マヒした体を使おうとするなのですよ」と「心」という言葉に特別力をこめられていたように思うその御指導は、私の視点を変えただけでなく、私の立場を変えさせていた。

 即ち「脳性マヒは治るのだ」という結論が、その頃から、私の心の中に位置づけられたのである。それは時間の問題ではなく、私自身の使いにくい手足を使おうとする心によって、このマヒは経過できるのだという確信に満たされていた。

 しかしこうした確信の下にあっても、体の内部の変化に比して、外見的な変化迄には程遠く、あまり変わりばえがなかった。そのため家族は半信半疑である。殊に母は、あんなに泉会のために身を呈して働いた娘が、泉会を辞任してからは、整体法のとりこになったように、整体、整体と言って次の仕事のことを考えようともしない、と不審がったり不安のようでもあった。

 そして七年がたった。私は相変わらず家の寄寓者として、ひたすら整体協会通いに余念がなかった。ちょうど七年目の四月末のことであった。晩年の野口先生は本部の操法室に五人のお弟子さんを並ばせ、気の向くままに、お部屋を歩き廻って、教えながら指導しておられたが、私の処にはいらしてくださらなかったことが、二回ばかりあった。

 私はたいがい若先生か岡田悦子先生の御指導をいただいたが、或る日岡田先生が、「羽山さんは近い中に大きな変化があると、野口先生が仰言っていらっしゃいましたよ。」と教えて下さった。大きな変化ってそれはどういうことなのだろう。私は「ようやく一人前に、反応がおこる時期になったのかも知れない。」と思った。マヒした体を持った私には、反応らしいものが、この七年の間に一度もなかった。

 果たしてそれは膀胱炎という形であらわれた。私は先生に「何故今頃膀胱炎になったのでしょう」とお尋ねすると、先生は、「これがはじめてではないでしょう」と言われるので、頷くと、「やり直しでしょう。」と言われる。「これで熱が高く出ればいいのでしょうね」と私が再度お尋ねすると、先生は、「いいですか。貴女の膀胱炎はやり直しなのですよ。再生品ですから熱が高く出るはずがありませんよ」と、如何にも馬鹿にされたような口調である。仕方なしに私はすごすごと操法室を後にした。

 大きな変化を待っている私に、先生から加えられた侮蔑にも等しい言葉は、私の気持ちをいらだたせた。

 家に帰ってから熱をはかると、八度五分しか熱はない。私は頼りにしている先生から見離されたような気で、床についた。しかしこれも先生が私の体癖を見通しての計算された御指導であったことを、私はその翌日になって知らされたのである。”

 

(「月刊全生」昭和56年2月号 羽山和江『野口先生に教えられたことども』より)

 

*羽山和江先生は、キリスト教会の牧師であられるとともに、身障者福祉のために生涯を捧げられた方です。自らも、十三歳の時に罹ったエソ性ジフテリアによって右半身不随になられたのですが、整体法のことを知りご自分で実践されるとともに、それを障害者の治療に役立てようとしておられました。羽山先生の御生涯については、自伝である羽山和江著「いのちのかぎり ある身障者婦人の半生」(キリスト新聞社)に詳しいのですが、その中に整体法実践の中間報告として、

 『現在私は錐体外路系の運動をおこすことにより、マヒした手足の硬直部位がゆるみ、その運動神経の回復が数年の間に緩慢な動きを開始し始めた。しかしマヒそのものが体に残っている限り、表面的に顕著とまではいかないが、三十数年を経た障害が、このような変動を起こし始めたことは注目に値すると思い、敢えてこの場を借り、中間報告としたい。』

とあります。「錐体外路系の運動」とは活元運動のことですが、体が次第に目覚め始め、膀胱炎を発症したりなどの経過を経て、それまでまったく動かなかった右手が、枕を持てるまでになったということです。この本は昭和55年、羽山先生が60歳の時にお書きになられたものですので、その後はさらなる回復を遂げられたと思うのですが、以後のことは資料がないため私にもわかりません。しかし、脳性麻痺や脊髄液減少症、ALSやパーキンソン病など、現代医学では治療が難しい病気であっても、愉気活元運動によって、かなりの回復が期待できるのは確かだと思います。

 

*脊髄損傷などにより、神経が切断された場合は、もはや神経細胞が再生することはなく、現在の医学では回復は絶望的とされています(最近はIPS細胞による治療法の確立が期待されており、全く期待がないわけではありません)。しかし、エドガー・ケイシーによると、それは内分泌腺が神経再生に必要な栄養素をつくれない状態にあるからで(ケイシーは、「神経が枯れる」という表現を使っています)、必要な栄養素をつくり出せるようになれば、「神経は再生する」と言っており、そのためにウェットセル(湿電池)という特殊な装置を使った電気的な治療が指示されています(参考:光田秀著「エドガー・ケイシー療法のすべて 4」ヒカルランド)。そして「愉気」も、ある種の電磁気的なエネルギーであるならば、これもまた、効果が期待できるのではないかと思います。

 

*野口整体、野口晴哉先生については、全生社から何冊もの本が出版されており、ネットでも注文できますが、まずは野口昭子著「回想の野口晴哉 朴歯の下駄」(筑摩書房)をお読みになることをお勧めします。

 

 

 

 

 

 


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