「不具の子」は「福の子」 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

 不具者をば愛撫せざれば神の子と 生まれし人にあらずとこそ知れ

 

           (「歌集 東の光」より)

 

 

・仙台四郎(「福の神」となった少年)        

 “この仙台四郎は明治時代の人で、その名の通り仙台に住んでいたらしい。明治三十五年(1902)、47歳で亡くなったというので、逆算すれば、安政二年(1855)の生まれである。毎日、仙台の中心街にあらわれては商店街をブラつき、その日、気に入った店があると、その店の前に座り込んでは何時間でも店を眺めるのが趣味という、知的障害者だった。そして店の人たちはそのことを苦にすることもなく、ときどきは彼に食べ物を施したりして、彼の存在を商店街の風景の一部として受け入れた。そんなことから、彼が好んで座り込んで観察した商店は繁盛するといわれるようになり、いつしか〈福の神〉仙台四郎という名がつくようになったというのである。
 その仙台四郎の写真が一枚だけ残っていたらしい。それをもとに、大正期にいくつかの肖像画が描かれ、あるいは、その写真も複製されて、商売繁盛の守り神として祀られるようになったという。それがバブル後退期のころ、仙台の女子高校生の目にとまり、仙台四郎のポートレートのお守りが定期入れや財布の中にしまい込まれ、さらにそのブームがたくさんの仙台四郎グッズを生み出した。その一部が通信販売のカタログにも載り、全国へと販売された。
 こうした仙台四郎のような存在を、明治以前の日本社会は「福子」と呼んだ。ただし、この語は残念ながら『広辞苑』にも載っていない。「福子」とは日本の福祉思想を表現する素晴らしい言葉であることには間違いない。まさに福子とは〈オウ〉(注:著者が説く「根元の言葉」)が発するオクレの贈り物だ。”

 ”いうなれば〈福子〉という存在は、社会を映し出す鏡なのである。彼を追い出そうとすると、その人の中では彼は疫病神や貧乏神へ転じるかもしれないが、そうしなければ〈福の神〉にはならなくても、けっして迷惑をかける存在にはならない。というよりも、〈福子〉への普通の接し方によって、社会は確実に浄化されてゆくのだ。障害児を〈福子〉と捉えるこの考えの中には、日本の社会福祉思想の原点がある。そして、この言葉はきわめて日本的霊性に輝く言葉である。わたしはこの言葉を埋没させることなく、さらに輝かせることによって、日本型社会福祉の原点にさせたいと思っている。”

   (菅田正昭著「アマとオウ 弧状列島をつらぬく日本的霊性」たちばな出版より)

 

 

 

 

・幸福をもたらす白痴 

 

 “フランスの作家ドオデエの「アルルの女」という戯曲の中に、

 「……うちの中にばかが一人いることは家の守護(まもり)になる。いいかい、ばかが生まれてから十五年になるが、ただの一度だってうちの羊は病気にならないし、桑の木だって傷まないし、葡萄だって……人間だって……(中略)実際のところ、こりゃ皆この子のお陰なんだ。そして、もしこの子が知慧づいたら、わしらは気をつけなくちゃならない」(下略)

という老羊飼いの台詞がある。この戯曲は南仏のアルル地方の農家の息子が、町の踊り子にうつつをぬかし、皆の意見で一度は堅気になるが、ふとした事からまた撚りが戻って、とうとう自殺しそうになるという近松の「心中天の網島」や「曾根崎心中」と似た一事件を取り扱ったものだが、その陰には白痴がいて、最後の所でこの白痴が急に知慧づいて、引用の台詞の通りの予感が実現するのが、この戯曲の一つの山となっている。

 私は南仏にこういう俗信があったものか、或いは作者の虚構であるのか、知らない。かつて読んだ事のあるバルザックの「田舎医者」という小説も、南仏のある地方に一種の風土病があって、その病気にかかると白痴のようになるが、その家では必ずしもそれを忌まず却って幸福をもたらすものとして喜ばれていたらしいことが主題となっていたように覚えている。そうだとすれば、ひょっとすると南仏には、そんな俗信があったのではないかと思うが、あちらの事に詳しい方の御教示が得たいものだ。

 私はこの雑誌が日本民俗学のものであって、前述の問題が多少まとはずれであるのは知りつつも、特にこれをとり上げたのは、私がかつて大和の五条(西部吉野の奥地へ入るただ一つの入り口で重要な交通路に当たっている町)に暫く住んでいた頃、その付近では白痴が生まれると家が栄えるといって嫌がらなかった。そうしてそういう家が二軒あったのを聞いていたからである。私がこれを知ったのは十年程前であったが、その後も多少気をつけていたものの、私の乏しい経験ではこの問題を取り扱ったものを見かけず、ただ北陸地方にも、このような俗信があるらしいことを知ったに過ぎなかった。偶然に読んだ「アルルの女」の中にこの俗信があるのを見て、急に興味を覚えたので、この際これを取り上げて諸先輩の方々のご意見を承りたいと思ったのである。”(笹谷良造)

 

           (大野智也・芝正夫「福子の伝承」堺屋図書より)