甦るカタリ派 (原始キリスト教の再興) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “この宗教の解説者たちは、この宇宙には最初から善と悪の二つの本源的な力が働いており、それらはまた、世界は悪魔によって創造されたとも信じていた。これらの信仰は、「もし神がまったく慈悲深いのであるならば、そして同時に全能であるならば、神はなぜにこのように恐ろしいことがこの世に起こるのをお許しになるのであろうか」という大きな難問に答えようとする試みであった。カタリ派は、正統派のキリスト教以上に、キリストの言葉を説いたけれども、キリストの犠牲による贖いという考えは却けた。浄化は、何回か引き続いて生まれ変わることによって達成されると、彼らは考えた。彼らは、完全な暴力否定を奉じていた。戦争においても、あるいは正義を貫こうとする過程においてでも、人の生命を奪うことは殺人と同じであった。魚を食うことが許される以外は、彼らは菜食主義者であった。カタリ派の教義の完全な実践は、完徳者という名で知られていた聖職者にのみ求められることであった。聖職者といっても、それは彼らが自ら選んだ名称ではない。彼らは単に、キリスト者と言われることを願っていただけである。

 カタリ派の著しい特徴は、女性の聖職者の多いことであった。この物語にも、三人の女性の聖職者が含まれている。”(P2)

 

 “『シラの書』第三十八章に含まれていたのは何であったか。それは、医師の徳とその役割を具体的に述べていたのである。病人を治療することは、初期のキリスト教徒に要求された二つの基本的命令の一つであったから、このことはきわめて重要である。繰り返して言うが、この役目はキリスト教会の歴史が始まって以来大部分の間ほとんど消え去るがままに放置されていたのである。それにもかかわらず、カタリ派はそれを積極的に復活させた。完徳者の多くは医師であり、そして彼らはみな、ある程度の医学教育を受けていたのである。”(P59)

 

 “今や彼女は、治療の能力を増し加えたという特殊の明白な証拠を示したのである。時には彼女は、来訪者を楽にしてやるために手をさしのべ、彼らの額に、手に、肩に、無意識の慰めるような仕草で触ることがあった。自分の手が燃えるように熱くなり、また指には、治療の能力につながる強い刺すような感じがあることに彼女は気づいた。

 彼女を訪れた人たちは、筋肉に燃えるような感じがしたことや、大きな力のようなものが彼女から出てきたことを述べた。これはマルコが次のように述べたことの明らかな現われであった。「病人に手をおけば、いやされる。」(マルコによる福音書一六-一八)その後劇的に明らかになったことは、手の力が強調されたことである。”(P60)

 

 “ミス・ミルズと私は前世に置いて受けた訓練の成果をこの世においても生かすために用いられていたのである。前世の彼女は治療を行う任務を持ち、そして火刑柱で死んだ。この世における彼女は、以前教えられたことを応用するよう求められている。これは腐敗しつつある合理主義の世界においては困難なことであった。彼女はかつての師から慰めを与えられた。私自身も同じ状況にあった。前世において、私は治療と時間の性質とに魅せられていた。この現世の生涯においては、私は、医学的傾向と哲学的傾向とを精神医学の仕事において融合しつくすことを運命づけられた。私の個人的進歩は、過去二年間に大いに促進された。これが、ブライダおよびギラベール・ド・カストルの導きによるものであることには些かの疑いもない。

 このように巧みにもくろまれ、このように完全に実行された働きの根本的な目的は何であったのか。答えは簡単である。カタリ派についての知識を広めることである。このカタリ派信仰とは、原始キリスト教の再興であるだけでなく、霊の放射によって宇宙を見、宇宙にとっては善こそが第一義的なエネルギーであり、もう一つの本源的な力である悪に対する緩和剤であるとする長く続いた信仰の一つでもある。

 この啓示の背後にある長期にわたって美しく計画された目的は、単一の心霊のメカニズムによっては説明できないものであることはわかっている。何人もの現し身の人間と肉体を持たない三人の実在とを含むものについては他の説明が必要である。”(P207)

 

 “ブライダおよび彼女の同志が伝えたいと思っていたメッセージの基本となるものは何であったか。疑いもなく、彼らは、カタリ派信仰は原始キリスト教であったということを知らせたかったのである。そうでないとすれば、聖書への夥しい言及や、キリスト教と非常に多くの共通点を持っていたネオ・プラトン主義者たちへの言及をどう説明することができようか。同時に、ブライダが二元論を広めようとしていたことも見逃すことはできない。彼女は絶えず、生まれ変わりを信じるとか、善と悪との本源的な力を信じるとかいう、その基本的原理に関心を持っていた。これらの根本的な教義を、できるだけ十分に、かつ速やかに、世に広めることが肝要だと彼女は言った。われわれは不可避的に、カタリ派は二元論のキリスト教的形態であったという結論を下さなければならない。原始キリスト教、すなわち神権政治的ではないキリスト教は、本質的に二元論的であったことを、私自身は確信している。しかし、私はこの点に関して詳細に論じることは差し控えようと思う。すべての証拠をここに挙げることはできないからである。

 特殊な問題点に関する限りでは、ブライダが治療の術に圧倒的に専念していたことには議論の余地はない。この点において彼女は、原始キリスト教を世界の諸宗教の中でユニークなものたらしめたものに戻っていたのである。他の大宗教の中で、それほどまでに病める者の治療の必要を強調した宗教は他になかった。十三世紀においてブライダ、エクラルモンドおよびエリスはそれに従事していた。ミス・ミルズは、彼女が他の者たちと一緒に治療の方法について教えを受けたファンジョー近くの家を覚えている。隣接の地方にあった同じようなもう一軒の家—― そこでは、ブライダたちが身につけていたような治療の印しの十字架は見かけなかったが―— のことも彼女は覚えている。『霊の生まれ変わり』において私は、もし何かが起こったらファブリッサの所へ行け、とロジェールがピュエリリアに注意したことを述べている。ファブリッサ・ド・マズロールは、モンレアルの近くにカタリ派の女性のための家を運営していた完徳者であった。その家は、おそらく、一般的訓練のためのホームであったはずである。エクラルモンドが専門的知識を持つ前にそこへ行ったこと、そしてその家でピュエリリアに会ったことは、十分にあり得ることである。この邂逅があったからこそ、私がスミス夫人からの手紙を受け取った朝、ミス・ミルズはあのように強烈な感情に襲われたのであろう。

 この世の生活においては、ミス・ミルズは、ブライダの指導の下に治療という天職を続けていた。方法は異なるけれども、私も同じようなことに従事していると見ることも可能である。

 医師としての私には、ブライダのメッセージによって伝えられた特に重要な事柄がある。二元論は、医療の物質主義に対する重要な解毒剤である。医師としてのわれわれの進歩における次の一歩は、物質の中に閉じ込められてしまった心霊の持つ影響力をもっと認識することである。過去の世での経験についての心霊の記憶は現在の病気の症状と関係している。善と悪の二つの基本的エネルギーを認めることは、医学についてのいかなる宇宙的概念においても、きわめて肝要である。治療とは、まさしく善の放射の現われである。一方、病気の多くの徴候および徴候群が悪の力に帰せられることには論議の余地がない。そのような要因について論議することは本書の範囲を超えている。ここで言い得ることは、ブライダのメッセージは人びとの医学的視野を著しく拡大したということだけである。”(P210~P211)

 

(田中清太郎氏による「訳者あとがき」より)

 “生まれ変わりの問題は別として、本書がカタリ派に対する興味と関心を一段と喚起するであろうことは間違いない。完徳者になるための必要条件である無抵抗、菜食、禁欲は、物質文明が発達しすぎたかに思われる今日においては、真の人間性回復のための有力な手段になり得るかもしれない。戦争を始めとする暴力の跋扈、栄養の取りすぎから来る精神の弛緩と罹病、誤った性意識に基づく風俗の乱れなどが目立つ現代社会においては、上記の三条件は有効な解毒剤となり得るであろう。また本書に詳述されている完徳者の医術は、今日の化学的薬剤への過信を反省する意味においてもなかなかに興味深い。

 時間と霊魂に関するカタリ派の哲学にも首肯し得る点が少なくない。過去も未来も、われわれの現在の心の中にのみ存在することは否定し得ない事実であるならば、カタリ派のように『時間はない』と考えることも、われわれが自らの生活を律し、現在を精一杯生きようと決意する上で極めて有益かもしれない。またプラトンと同じようにカタリ派が信じていた霊魂不滅の考えも、いまわれわれがそのプラトンの思想を、或いはカタリ派という信仰があったことを知ることができるということから言っても、それが一面の真理を物語っていることは認めなければならないであろう。

 南フランスのモンセギュールの山裾で焼き殺された二百人の信徒及び同調者と共に滅んだカタリ派に対する歴史的な興味と共に、著者が自らの体験として述べていることを通じて更に複雑さと不可能性を増したかに思われる人間そのものへの新たなる興味を、本書は喚起せずにはおかないと信ずる。”

 

(アーサー・ガ―ダム「甦る霊たち 七〇〇年後の生まれ変わり」(佑学社)より)

*中世の南フランスに存在したキリスト教の異端、グノーシス・マニ教的二元論、生まれ変わりの教義や聖杯伝説で知られるカタリ派については、霊的なことに関心を持っておられる方々は、既にご存知だと思います。イギリスの精神科医であったアーサー・ガ―ダム博士は、ある時期から原因不明の耳鳴りや目眩、幻覚などの症状に悩まされ、それをきっかけに、ある女性患者の夢や数々の奇妙な出来事の検証に乗り出すこととなり、その結果、彼自身とその女性が、十三世紀にローマ・カトリック教会による弾圧によって滅んだ、カタリ派という異端のキリスト教の信徒の生まれ変わりであることを確信します。そして、引き続き何人ものカタリ派信徒の生まれ変わりを発見し、さらに、ミス・ミルズという女性を通じて、かつてカタリ派の聖職者であった三人の霊たちとの交信が始まったのでした。この本は、そのような不思議な体験によって明らかにされた、カタリ派の教義や聖職者たちの活動について書き記されたものです。

 

*この本では、かつてカタリ派で行われていた治療技術として、薬草の利用と共に手当療法のことが紹介されています。そしてこのカタリ派の手当療法、ハンドヒーリングの能力は、人から人へ「点火」されることによって伝達されるもので、その点が「レイキ」とよく似ているように思います。現代になって、この種の力が再び広まり始めたことには、何らかの意味があるのかもしれません。

 

*当時、カタリ派を弾圧し滅亡させたカトリック教会の側が、どうしようもなく堕落し、腐敗の極みにあったことは明らかな事実ですが、それでも彼らへの弾圧に反対して処刑されたカトリック聖職者たちもいたのであり、私は特に彼らをカトリックに帰順させるために活躍した聖ドミニコについては、真に偉大な聖人であったと信じております。そして、いずれにせよカタリ派の人びとが高い霊性を有していたにも関わらず、神が彼らを滅びるがままにされたのは、おそらく当時は霊界の方で彼らを必要としていたからであり、聖ドミニコがより清貧貞潔な新しい修道会を設立したように、カタリ派との接触によってカトリック教会も聖性を取り戻すことが出来たのでした。また、カタリ派はキリストの十字架上の犠牲による贖いを信じていなかったとありますが、スウェーデンボルグもキリストの十字架上の死については独特の解釈をとっており、私は彼らは「贖い」を否定したというよりも、十字架には単なる「贖い」以上の、より高次の意味があると考えていたのではないかと思います。そして聖母マリアも、彼らにはキリストと同じような特別な存在だと考えられていました。しかし、それにしても七百年以上も経った今になって、ガ―ダム博士たちのように、かつてカタリ派であった人々が、それもかなりの人数が地上に続々と生まれ変わってくるようになったのは何故なのかが疑問なのですが、どうも博士の話からすると、二十世紀以降、増大し続ける悪の力と対決するために、霊界からカタリ派の人たちが、もう一度地上へと呼び戻されているということのようです。もしかしたら日本にも、彼らの生まれ変わりがいるのかもしれません。

 

*この本「甦る霊たち 七〇〇年後の生まれ変わり」は既に絶版となっていますが、今入手できるガ―ダム博士の著書としては、「二つの世界を生きて」(コスモス・ライブラリー)がお勧めです。こちらも興味深い内容ですが、巻末の、訳者である大野龍一氏による「ガ―ダムと悪の心理学 訳者あとがきにかえて」には、非常に重要なことが書いてあります。

 

・帝政ロシアのドゥホボール教徒 〔ルドルフ・シュタイナー〕

 

 “「ロシアには深い宗教性を内に秘めたドゥホボル派(霊のための闘士たち)という異端の一派がありました。素朴ながら、非常に美しい形の神智学教義をもっていました。この人々はひどい迫害を受けてきましたから、表面的にはもはや眼に見える影響力をもっていません。唯物論者たちは言うでしょう。彼らがどんな目的をもっていたにせよ、その影響力はすでに失われてしまった、と。

 しかしドゥホボル派の人々はすべて、生まれ変わってきたとき、共同の絆で結ばれ、かつて身につけた教えを後世の人類の中に注ぎ込むのです。人々の出会いは、内的な人と人との絆は、転生を通して消えることなく人類に働きかけつづけます。人が一度体得した理念は、世界の中へ流れていきます。その理念はより深められて、後世の人々に受け継がれていくのです。」”

 

(ルドルフ・シュタイナー「シュタイナー 霊的宇宙論」春秋社より)

*私はこのドゥホボールの人達も、カタリ派の人達と同じ使命を負われていたと思っています。また、カタリ派とも関係のあったブルガリアのボゴミール派の流れをくむ白色同胞団は、戦前から皇道大本と提携関係にありました。

 

 

 

 

 

 

 


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