治って欲しいと思うのはおかしなこと? | おしゃべり大好き!自閉っ子 「チョロちゃん日記」  

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幼児期に発達障害(神経発達症)と診断された
チョロちゃんの凸凹発達の大変だった育児を
今、楽しんでいるのは、
親子で成長(発達)し続けているからです♪

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例えば…目の前に困っている人がいたら、自分にできる範囲で手助けしたい。

って思うのは特別な事ではないでしょう?

 

相手が見ず知らずの人だったとしてもです。

 

では、その相手が大好きな人だったら?

自分にできる事は何でもしてあげたい!

って思うのはとっても自然な事でしょう。

 

 

我が子が本当にたくさんの事で困っていて、生活するのも大変そうだったら、

何とかしたい!

治って欲しい!

治したい!

と思うのが親心というものでは?

 

だって困っているのは大切な我が子。

 

 

 

浅見淳子さん(花風社社長)のこのブログ

好きな人達が困っているのを目の当たりにして何とかならないかな?…って思った当時の浅見さん。

 

これって、身内だったら当然考える事だけれど、浅見さんが彼女達に自然に感じた想い。

身内に感じる気持ちと同じなのではないかな?と思いました。

 

 

だけど、神経発達症(発達障害)の子育てをしていると、

自分の子どもに

治って欲しい!

とか、

治したい!

って言うと奇異な目で見られます。

 

むしろ治したいという想いはごく自然な事なのじゃないかな?と思うのですが…?

 

「治らないのに治したいなんて、諦めの悪い親」

「子どもの障害を受け入れられない往生際が悪い親」

どちらにしても負のイメージが付きまとうから、

「治したい」

「治って欲しい」

という本心には蓋をして口に出さずに孤軍奮闘。

 

 

でも、それってとっても不自然ですよね?

 

わたしはチョロちゃんが診断されてから半年くらいはほぼ毎日泣いていたし、何年経っても本当の意味での受容なんてできませんでした。

 

我が子が「治らない障害者です」ってドクターに宣言されて、

「ああそうですか、それなら仕方がないな…」

ってすんなり納得して諦められるお母さんが果たしてどれだけいるのでしょう?

 

少なくともわたしやわたしの周りの友達の多くはそれをそのまま受け入れて(諦めて)放置するような事はしたくなかったのです。

 

 

目の前にいる見ず知らずの人でさえ困っていたら手伝うのであれば、可愛い我が子がこんなに困っているのにそのままになんてできる筈がありません。

 

 

大脳皮質の部分の発達は定型かそれ以上で学校の勉強も、言語発達の遅れもない(むしろ饒舌?)けれど、もっともっと根っこの部分の基本的なアレコレが育っていない事で困っている凸凹発達の我が子達。

 

 

親として子どもに治ってラクに欲しいと思うのが至極当然の事ではないのかな?