久々の更新。
みんな、”いとこ”って居ると思うけど、私には何人かのいとこの中で唯一連絡を取り合っているいとこが居る。
彼女は私の2個上で、現在2児のママ。彼女をちびっこママ(略して、ちびま)と仮名する。
いとこと仲良しってあんまり聞かないけど、その逆もしかり。わかっていることは、私とちびまは、いとこの中でも大の仲良しというコトだ。
そのちびまから、今日、一通のメールが届いた。
「1月30日 実父が癌で亡くなったそうです。初七日の2月6日に知らせがきました。すぐに皆で福島県に行きました。初めて逢う父はもぅ骨になってお墓に居ました。驚き、悲しみ、怒り、悔やみ、脱力感、複雑な気持ちでいっぱいだった。不思議な事に亡くなった頃、母が何故かずっと体調を崩し、父が手に仕事で大怪我をしたり、長男が入院、次男もRSウィルス。なんでこんなに悪いことが続くの?と思っていたら、電話が来て報告を受けた。福島県に行く途中、四駆のパジェロだけが滑り事故にあいそうになった。お墓の前で手を合わせたら、返事をしたように私の前だけ雪が大量に落ちてきた。不思議な事だらけだった。実父が死を持って教えてくれた事は、家族、親、人生の大切さでした。家族は離れてはいけな。そして、人生は一生懸命生きないといけない。家族がいて良かった。」
という内容だった。
実はこの以前に、ちびまからメールが届いていた。内容は長男が入院した件だった。
何かしらの引っかかりを感じてはいたのだけど、それ以上は何も連絡しなかった。だから、今回のメールが届いて、「知らせだったのだ。」と、やっと気付いた。
最初から説明すると、ちびまの現在の父は実母の再婚した相手であり、私の伯父だ。実の父とは、ちびまが産まれてすぐに離婚したらしい。だから、ちびまは実父を知らないのだ。そして、ちびまと私は戸籍上ではいとこになるけど、血の繋がりはない。でも、一番仲良しだし、どことなく考え方など似ているトコがあるらしく、周りの大人はよく「お前達は似ている」と、言っていた。私は特に「似てる!」なんて意識した事はなかったけど、いとこの中で一番気楽であることは間違いない。互いに血の繋がりなんて気にしたことも無かった。少なくとも私は気にしたことが無かった。
ちびまが結婚する前に、聞いたことがあった。
「本当のお父さんに会いたいと思ったコトある?」と。(←なんて無神経!)
ちびまが覚えているかどうかわからないけど、その時ちびまはこう答えた。
「う~ん、無くはないけど、今、父(現在の父)が居るから。仲良しだし。」
この時、私のココロに何も残らなかった。
ただ「ふぅ~ん」っていう感じだった。
ちびまが「会いたい。」って言えば、何か引っかかったかもしれないけど、ちびまが「会いたくて仕方ない」という感じじゃなかったから、スルーしたようなストンと落ち着いたような感じだった。
ちびまの本心は会いたくて仕方ない部分もあったのかもしれないけど。それはちびましかわからない事だ。
ただ、初めて会った父がお墓の中に居る父で複雑な思いになったちびまのココロは「会って、一度でも話しがしたかった」という気持ちがちびまも気付かないうちに少しだけでもあったのかもしれない。
そして、実父の死の頃に不思議な出来事が起こり、ちびまはそれを「父から教えてもらった」と、表現した。
悲しみ・怒り・悔やみ あって当然だと思う。
それが実父の死で浄化され、愛に変わったのかもしれない。
そして、その思いを伝えたかったかもしれない。それはきっと伝わっている。
私は思う。
「死」とは、この世の修行が終わった者だけに許される場だと。
老衰・病死・事故死。ただ、自殺だけはわからない。ただ、死に方でしかないけど、自殺でこの世の修行が終わったのかも知れないけど、自殺はわからない。でも、それも1つの死。だから、この世の修行が終わったのかも。
とにかく「死」とは、この世の修行が終わり、帰っていいから死に逝くモノだと思っている。人はそれに向かって生きているのだから。
死者は話すことが出来ない。
だから、気付くことが大切だ。
ちびまの実父は、何かをちびまに気付かせたかったのかも知れない。
申し訳なく思う気持ち。会いたかったと思う気持ち。自分が守れなかった家族の大切さ。そして、愛していたという事を。
そしてちびまはそれをしっかり受け止めたのだと思う。
ちびまには2人の父が居る。
1人は実父。
1人は私の伯父。
伯父がちびまの母と結婚してくれて良かった。
だってそうしなきゃ、私がちびまと会えなかったから。
多くの人に感謝です。
愛を知っているいとこのちびまが、私の自慢だ。