フェイブルマンズ(原題名:The Fablemans:’23年3月 TOHOシネマズ梅田) | Que amor con amor se paga

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フェイブルマンズ(原題名:The Fablemans:’23年3月 TOHOシネマズ梅田) スピルバーグといえば、

『E.T』、『インディ・ジョーンズシリーズ』、 『ミュンヘン』『マイノリティ・レポート』『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』『リンカーン』『ペンダコン・ペーパーズ~最高機密文書~』、など

数えきれないほどの映画を世に送り出してきた監督。

そんな彼が、何故映画製作という道を歩むことになったのかという『自伝的映画』

『~的』なので、物語の細かい部分+最後の部分は、モデルになったスピルバーグ+彼を取り巻く家族と違う面もあるかと思います、へぇ。

脚本は、『ウェスト・サイド・ストーリー』で タッグを組んだトニー・クシュナー。

サミーの母・ミッツィ役は 『ブルーバレンタイン』のミシェル・ウィリアムズ。

サミーの父・バート役は 『ルビー・スパークス』『ラブ&マーシー終わらないメロディ』、の ポール・ダノ。

予告編はこちら、あらすじいってみる。



時は1950年代前半の米国。

エンジニアの父バート(ポール・ダノ)と、ピアニストの母ミッツィ(ミシェル・ウィリアムズ)に連れられ、5歳のサム(マテオ・ゾリアン)は、 『地上最大のショウ』を観に行く。

幼いサミーの目に焼き付いたのは、劇中のサーカス団の登場人物同士の恋のさやあてでも、アクロバットでもない。

クライマックスで、サーカス団美女エンジェルに横恋慕した象使いクラウスが、貨物を止めようとして轢死するシーンだった。

勢いがおさまらず宙を舞う車、追突する貨物。
幼かったサミーは父バートが大枚叩いて買ってきた模型の機関車を毎日動かしては壊して遊び、父親を呆れさせていた。

そんなサミーに、母ミッツィは、8ミリカメラをプレゼントする。

これに撮っておいて後でみれば壊さなくて済むでしょ

サミーにとって映画は、脳裏に焼き付いた映像を再現するための手段だった。



サミーは、家族である三人の妹・レジー(バーディ・ボリア)、ナタリー(アリーナ・ブレイス)、リサの他にも、頻繁に家に出入りするものが居た。

父の同僚ベニー(セス・ローゲン)は居候同然。
父方の祖母ハタサー(ジーニー・バーリン)、母方の祖母ティナも何か用事を見つけては家に来たが、幼いサミーや妹たちは、それを当たり前と捉えていた。

サミーの父バートは仕事ぶりが認められる度に転勤を繰り返し、サミーはその度にカメラを回し、新しい家の門出を8mmカメラに収めていた。

時は流れ、サミー(ガブリエル・ラベル)は高校生になると一家はアリゾナ州に引っ越すことに。

サミーはボーイスカウトの仲間と共にジョン・フォード監督の『リバティ・バランスを撃った男』を映画館で観て次は映画を撮ろうと決める。

その後、サミーは家族でキャンプに行くが、しばらくして母方の祖母ティナが病気で亡くなり、ミッツィは, それから家事も手に付かず、ピアノも弾けなくなってしまった。

祖母ティナが亡くなったと聞き、祖母の兄で元サーカス団員のボリス(ジャド・ハーシュ)がやってきた。

母親から粗野で乱暴な叔父と聞いていたミッツィは、震え上がるがサミーはそうではなかった。

ボリスは姪のミッツィは母親ティナのせいで夢を諦めざるを得なかったとサミーに語る。

有名オーケストラと共に世界を回ることも夢ではなかった逸材だったのに、ティナに家庭に入れと言われて、ピアノは諦めたというのだ。

それでも諦めきれずスタインウェイのグランドピアノを居間に置き、TVに出演する為に毎日練習し、手のケアの為に洗い物は一切しないミッツィ。

ボリスはお前にも母親と同じ芸術家の血が流れている。
芸術は痛みや孤独を伴うとサミーに言い残した。

一方バートは、情緒不安定なミッツィを慰めるため、サミーが前から欲しがっていた映像編集機を買い与えるが、 仕事の前に、キャンプの映像を編集してほしいという交換条件を出す。

サミーは、撮影は明日からで40人もスタッフを集めたのに延期は無理だと父親に抗議する。
だが父バードは

母親よりも趣味が大事なのか

…と一蹴。

ユダヤ系の自分たちが米国で認められるようになるには他人(ひと)の10倍は努力をし、真っ当な職業に就くという信念を曲げない父。

映画は趣味じゃないというサミーの願いは聞き入れられることはなかった。

編集機を貰った弱みもあり渋々家族のキャンプの映像の編集に取り掛かるサミー。
だがサミーは映像の編集の最中で、ミッツィとベニーが不倫していた動かぬ証拠をつかんでしまう。

怒りを胸にしまい込み、サミーは映像を編集。
家族に見られてはいけない部分を全てカットし、ボーイスカウトの仲間と 戦争映画を撮ることに没頭し、上映会でも成功を収めるが母ミッツィやベニーに対する怒りは収まらなかった。

祖母ティナを失った事で頭が一杯になっている母ミッツィの勝手さに、とうとうキレてしまったサミーは 怒りを露わにしてしまい、家族みんなに見せたものと全く違うキャンプの映像をミッツィだけに見せた。
それは母親の秘密だけを編集したフィルムだった。

泣き崩れるミッツィを前にしてサミーは父バートや妹たちには言わないと誓う。

だが、父バートの仕事がIBMに認められ、一家はカリフォルニアに引っ越すことに。

ずっと一緒だったベニーとの別れも現実のものとなっていた。

サミーは、引っ越しと同時にカメラを質にいれようとしていた。
自分が取った映像で他人(ひと)を喜ばせることはできたが、知らなくてよかった家族の秘密を知ったのは事実。

カメラ屋でサミーは偶然ベニーと出逢う。

ベニーは餞別に、サミーが欲しがっていた最新鋭のカメラをプレゼントとして用意していた。

もう映画は撮らないと言い張るサミーに、お前が映画をやめたらおかあさんが哀しむとベニーは譲らない。
『じゃぁ35ドル』とサミーは質にいれたカメラと同額の金をベニーに払い受け取ろうとした
が、ベニーは巧みに お金をサミーに返し、映画は撮り続けろと言って去って行った。

新天地であるはずのカリフォルニアで、サミーは反ユダヤ系の生徒たちに目をつけられ、いじめられる日が続いていた。

それに追い打ちをかけるがごとく、母ミッツィはアリゾナに帰ると言い出し、離婚話が持ち上がる…。

以下ネタバレです。



映画は5歳のサミーが両親に連れられ『地上最大のショウ』を観に行くシーンからはじまります。

『地上~』は、『グレーテスト・ショーマン』のモデルになった、P.Tバーナムのサーカス団に対し、デミル監督が

サーカス団員の現実は、そんな夢物語じゃーねーわqqqq
と言いたくて作ったモノなんだそうで。

お互いの子供を初めての映画に連れていくにしても父バートと母ミッツィでは、物事に対するアプローチが違うんですね。
家族崩壊の原因になるベニーが、さらに違った観点を持っているのも、サミーの映画に対する観点に影響を与えるのは確か。

静止画が何故動画に見えるのかを説明する父バートと、全ての物事には意味があるという母ミッツィ、誰かを喜ばす為に映画を撮れというベニー、
芸術は孤立と戦う事になるという大叔父のボリス。

彼、彼女ら4人の人生観全てを活かして、映画を職業にするにはどうすればいいか、サミーは模索しつづけます。

ボーイスカウト仲間と戦争映画を撮る時でも、どうすればカッコよく映るようになるかと、フィルムにわざと穴をあけたり、
ラストシーンを、友人のロジャー(ガブリエル・ベイトマン)が独りで歩いていくシーンで〆る時も『心を込めて演じてくれ』と何度も念を押すあたり、後年スピルバーグが撮った 『プライベート・ライアン』や『シンドラーのリスト』を思い出させるのです。

父バートの都合で転校したカリフォルニアの高校は、背の高い白人ばかり。

サミーは、バレーボール部に入部するものの、相手にされず、いじめっ子のチャド(オークス・フェグリー)に目を付けられ、言われない虐めを受けます。

逃げても、体育会系の白人のいじめっ子が居る学内。
サミーは階段の裏に隠れて逃げようと思ったら、 偶然にもバレーボール部のエース・ローガン(サム・レヒナー)の浮気現場を目撃。

ローガンの彼女クローディア(イザベラ・クスマン)の前で『あの赤毛の女だれだよw』と言ってしまい、後でローガンに 『オレの彼女に会ったら何もありませんでしたと言え』とボコボコにされてしまいます。
パワハラもいい所+浮気したおめーが悪いんだろなんすがねqqqq

鼻の骨が折れる寸前までボコられた息子を見て、ミッツィはバートに、こんな所に引っ越してくるんじゃなかったと激怒。
サミーは、それでも学校に行きます。
するとクローディアと彼女の親友のモニカ(クロエ・イースト)がやってきて『ローガンに脅されてるんでしょ』と見抜くのです。
女の勘は鋭いモノで、赤毛の女つーだけでリーニー(チャンドラー・ラブレ)だと特定するんですねぇ、はぁ。

よく熱心なキリスト教信者のモニカは、サミーを気に入り、彼の夢を応援し、『シニアスキップデー(おさぼり会)』を撮影してみない、と提案。

生徒皆がビーチに遊びに行く様子を面白おかしく、きれいに撮ってというモニカの希望に応える為に、サミーは意気揚々とカメラを構え、撮影します。
そこには

撮った映像を通してユダヤ人の僕でも皆と仲良くなれたら

というサミーの願いも込められていたのです。

そんな時に、母ミッツイの離婚。

父バートは、ミッツィの夢を叶えてなおかつ、子供に教育を受けさせる為には、お金も地位も白人よりずっと要ることが判っているから、 がむしゃらに働いている。

この当時のIBMだから時代の先端。
本来なら誇りに思うべきなんだろうけど、ミッツィは何だろう
男性を引き立てる『奥様』じゃーないんだよね。
どっちかというと男の人ぽい所があり、バートに仕えることに限界を感じていた。

ので、ベニーのいるアリゾナに戻ってしまう。

当然ながら、長女レジー(ジュリア・バターズ)、次女ナタリー(キーリー・カルステン)、三番目の妹リサ(ソフィア・コペラ)は、お母さんは身勝手だと猛反発。

母親であるはずのミッツィは、泣き崩れるばかりで、バートは黙って怒りもしない。
サミーは来るべき時が来たという感じ。

リサは長男のサミーに、こんな時に映像の編集してられるわねと、怒りをぶちまける。
自分もそうだった、目で語るサミーは、リサに、おさぼり会の編集前の映像を見せるのです。

おさぼり会の映像がお披露目になるのは、高校のプロム。

サミーはモニカにプロポーズするつもりでネックレスを買っていきました。
でもモニカは大学に進学。
サミーの夢は応援しているけど、そんなつもりはないと言われショックを受けます。

おさぼり会の映像は、ローガンが皆のヒーローになる様に、メッチャカッコよく編集されているのです。

女の子が『キャー、ステキー』と言う様な感じ+男が憧れるような感じに、巧いこと編集しとんな~、で。

ローガンの取り巻きも、面白そうな奴は皆に面白くイジって貰えるように編集して、女の子はチャーミングに、
でもってチャドにはそれなりの仕返しもして。

映像を撮ったサミーはモニカにフラれたから、落ち込みまくりなのに、ローガンがカンカンになって怒ってサミーをまたもや、ブン殴りにくるのです。

えええええ?何でぇ?
カッコよく撮ってもらったやん??
御礼ぐらいせぇよ、あんたぁ!
じゃない???

お前オレに媚びてんのか、クソがー!
…に始まり

何を言い出すのかと、思いきや

本当のオレは、あんなにカッコよくない。
アレじゃ理想だ

今のオレは努力したからだ


…と言って、泣き崩れるのです。

背も高い、顔もイケメンの男がカンカンになって、いきなり泣き出したら、え?…て思う…んすが。

でもって、向こうからチャドが走ってきて『何でオレがあんな笑いものにならなきゃイカんのじゃー』とまたもや怒ってきたら(これはサミーに罪があるんだけど)
今度はローガンが、チャドをボコボコにして、チャドがビビって向こうに行ってしまう。

自分の編集した映像で、不測の事態が起きて、わけが判らなくなっているサミーに、ローガンは煙草を一本差しだし

世の中巧くいかないことだってあるさ

…というのです、モニカにフラれたこともお見通し。
オレが泣いたことは誰にも言うんじゃねーぞ、男同士の約束だからな、とローガンは去っていきます。

その後、サミーは、父親と共にLAに住みながら大学に行くのですが、大学に馴染めずパニック発作を繰り返す日々。

大学の寮もあるんすが白人まみれで自分の居場所はないから、少しの休み時間でも家に帰らないと落ちづかない。
学歴をつけてしかるべき会社に就職しろと今まで言い続け来た父バートも、さすがに折れます。

毎日の様に映画やTVプロダクションに手紙を出して不採用通知ばかりが来るサミーは、落ち込んでいる。

ある日、父バートはサミーに『今度、採用通知が来たら大学やめていいよ』と言い、CBSの採用通知を渡します。
もう無理だと判ったんでしょうねぇ。

CBSに採用とはいえ、TVの新シリーズで、続けば儲けもの?のTVシリーズの助監督という少々危ないポジションで採用になったサミー。

スタジオ責任者は、サミーを気に入り『君は映画を将来的に撮りたいんだな』と聞いて、サミーを憧れの西部劇監督ジョン・フォード(デヴィット・リンチ)に紹介します。

サミーは、映画館で『リバティ・バランスを射った男』を観てからジョン・フォードに憧れていたんすが、
秘書のオバチャン曰く『いつ帰ってくるかわからない』、でもって帰ってきても『5分よ、余計なこと喋らないで、ネクタイは外して』とピリピリしている。

何とか憧れの監督に会えたものの、ジョン・フォード。
葉巻バカバカふかして目の前にいるサミーに気が付くのに5分以上経ってるqqqqq

『映画を撮りたいのかね』と聞き、映画を撮りたいですというサミーに、執務室に飾ってある絵を指すフォード

(絵の)地平線はどこにある

…とサミーに聞きます。この頃は地平線のある位置=監督の目線=カメラの位置だったので。

絵の中の地平線の位置を当てたサミーにフォードは

地平線が上か下にある絵は面白い。真ん中にあるのは退屈だ

とアドバイスし、サミーは喜んで執務室を後にする所で映画は終わります。
カメラアングルは真ん中から急に上に代わるのです。

スピルバーグの自伝的映画と言われていますが、スピルバーグ本人の人生は投影しても『そのまんま』ではありません。

劇中にでてくる家族構成は同じですし、実際にスピルバーグの母も不倫をし夫婦は離婚しています。

映画のテロップの最後にリアとアーノルドに捧ぐと書かれていますがこれはスピルバーグの両親の名です。
スピルバーグの母リア・アドラーが2017年に97歳で、父であるアーノルド・スピルバーグが2020年に103歳で 亡くなった後、この映画の製作に取り掛かったのが伺えます。

今回の映画で誰よりも注目されるのが、スピルバーグ自身といえるサミーを演じたガブルエル・ラベル。

オーディションで、とんでもない新星を発掘するのが巧いのか、今回も意外な経緯で選ばれたらしい。

オーディションの最終選考はZoomだったそうなんだけど

オーディションが終わった後に、俳優に演技が下手だったとか、オーディションが巧く行かなかったとか、
落ち度があったように思わせない。
精神的重荷をかけない人だった


…と語るラベル。

落ちたんだろうな~、まぁいいや、と思ったら主役抜擢だったそうで。

ラベル曰く、スピルバーグの映画に出ることは、沢山の人が自分を知るのだから、人生が変わるほど大きな出来事だと。
スピルバーグの映画は『インディ・ジョーンズ』や『ジュラシック・パーク』などではなく『シンドラーのリスト』というラベル。

お気に入りというには哀しいかもしれないけれど、感情的知性の高い映画が好きなんだそうな。

サミーは、ギリギリ外面の良さを保っている機能不全の家族で暮らしながら、家族の痛み全てを独りで吸収し、それを 映画という武器で表現したんだろうな、と思います。