今さら感があるが、今回この駅を取り上げるにあたり「あれ? 何線だったっけ? 総武本線は隣の千葉駅で分岐してるし、外房線と内房線の分かれ目は反対隣の蘇我駅だし、両駅の間にあるこの駅は一体何線所属なのだ???」と一瞬迷ってしまった──正解は外房線だそうです。内房線の起点よりも内側で、先に外房線の方が始まってるなんて、とっても意外な気がしてしまったのだが…。 お隣の千葉駅は上述の通り総武本線と外房線の分岐駅であり、総武線各駅停車の起点である。京成電鉄の京成千葉駅も併設されており、千葉モノレールも接続するという、政令指定都市である千葉市を代表するにふさわしい一大ターミナル駅である。もちろん千葉駅を起点とする路線バスも何台も乗り入れ、周辺には大型量販店や百貨店、繁華街などが開け、周辺の道路もかなり広い。駅及び駅前の巨大さでは、横浜駅に勝るとも劣らないのではないか──? その千葉駅に対して、駅名に“本”を冠して「本家はこっちだぞ」アピールしている本千葉駅。果たして周辺はどのような街並みなのだろうか…。 千葉駅のすぐ隣の駅である本千葉駅。駅間の距離も長くはなく、歩く気になれば十分歩ける。「こちらが本家」とはいえターミナル機能を千葉駅の方に集中させてて、こちらは分岐も他社線乗り入れもない単独駅だから、開け具合が千葉駅前よりも劣ることはもちろん想定はしていた。特に千葉駅周辺が上述のようにハンパないから、余計に落差を感じてしまうのは否めないだろうな。もちろん乗り換えがない分乗降者数もそれなりだろうし、賑わいも欠けることだろう──というのは降りる前からある程度予想はされてたことではあった。 で──実際に到着した本千葉駅は、島式ホーム1面2線の高架駅。ホームに降り立った時点でそこから見える光景で「これは僕が想定してた以上かも」と思ったのだが…、果たして改札を抜けて駅舎から出てみると、まさにその通りであった──開け具合は“分家”より劣るなんて次元ではなく、繁華街的なノリが全くと言っていいくらい感じられなかった──それでも駅周辺は千葉市の中心エリア内に含まれているのは確かだし、県庁や裁判所などの官公庁へはこちらの方が近いらしい。しかし、キヨスクコンビニとBOOKOFFしかない駅舎と中小の事業所ビルしかない周辺からは、およそそのような感じは見受けられない。決して郊外ではなく、ビルなども普通に建ち並んでいるし、空き地や畑が目立ったりするような光景ではないのだが、それが逆に公園や大型スーパーなど明るいイメージのスポットを作る余地がない、賑わいを妨げてる感じがする。 やはり“本”千葉を名乗ってることが余計に残念感を出してるのは間違いない。この駅名でなければ普通に千葉市内のそこそこの街の駅、的に都賀駅や新検見川駅とかと同じ感じで捉えてたのだろうけど。やはり千葉の本家を名乗るのであれば、それを象徴するスポットが駅近辺にもっと欲しいし、せめて駅内に“千葉市発祥の地”とか“県名誕生の地”みたいな特色(あれば、だが)をアピールする表示が欲しいところである──正直駅を降りて周辺を歩いたのにこれといった散策ポイントをここで書けないのはちょっとつらいw それが自称・ここが本当の千葉だというのならなおのこと。 上述の通り千葉駅周辺は首都圏でも有数のターミナル街だし、他にも稲毛駅、海浜幕張駅、蘇我駅など駅周辺がいい感じに開けてたり開発で上向きになってたりしてるエリアも千葉市内にはいくつもある。そんな中で本家を名乗っていながら何もしないで手をこまねいていていいの? なんて他所の街のことなのに無責任に憤りながら、僕は隣の“分家”千葉駅周辺まで歩き、ウィンドーショッピングと昼食グルメにティータイムを存分に楽しんで帰ったのでありましたw |
日産自動車前会長でありルノー会長兼CEOであるカルロス・ゴーン氏の金融商品取引法違反による逮捕のニュースは直接の当事国である日本国内やフランスのみならず世界中を震撼させている。今回の逮捕内容は日産自動車社内の内部調査により発覚したものだが、影響は日産自動車のみならず最近日産傘下に入った三菱自動車や、業務提携しているフランス最大の自動車メーカーのルノーにも当然及ぶ。特にルノー社の株式の多数をフランス国家が所有していて実質的には半ばフランス国営のような状態であることで、ある意味フランス国家にとっての一大事であること、それが提携している日本の会社側の内部調査に基づき日本当局によって逮捕、拘束されてるということ、提携とはいえ資本上の力関係的には明らかにルノー>日産であることなどを考え合わせると…、敵に回した相手はとてつもなく手ごわいことは容易に想像はつくのだが、それでもなお逮捕に踏み切れるだけの決定的な勝算があっての今回の逮捕劇なのであろうか──? ここまでの報道内容を見る限りでは、何しろ日産社内のことなので外部の我々にはわからない部分は多々あり、容疑について否認しているゴーン氏を法律的にクロだと断定するにはもうひとつ決め手に欠けるのは否めない。現時点では近代法の原則としては“推定無罪”と呼ぶべき状況ではあろう──そこに着目して今回の日本側による逮捕、拘束について批判的な論調もフランスを始めとする海外には少なくない。推定無罪の原則や被疑者の人権についての考え方が確立しているヨーロッパ諸国から見れば、日本の司法が中世並に非民主的に映るのであろう。こうした指摘は今に始まった話ではなく、実はそれまでも日本の司法の非民主性については国連から何度か指摘されていて、そのたび日本側の答弁が彼らを納得させられるものでは到底なく、国際社会的に日本の司法体制が批判的に見られているという状況が元々あり、それが今回、逮捕の当事者が世界的に大きな貢献の実績があるゴーン氏ということで、一気に沸き上がってきたのであろう。 しかし──それが日本である。その日本に、ゴーン氏はルノーから乗りこんできて、日本においてビジネス=営利事業をしているのである。そこで金儲けのために滞在する以上、そこがそういう仕組みの国であるということは認識した上でそれが良い悪いに関係なく『ローマではローマ人のするようにせよ』(敢えて『郷に入れば郷に従え』ではなくあちらの言い方で言います)ではないのか? 死刑廃止国のスウェーデン人がシンガポールで死刑に相当する麻薬所持で有罪になれば死刑が執行される。グローバル的に死刑が残酷か否か、麻薬が死刑にするほどか、そんなこといくら叫んでも、そういう規定によって運営されてる国家内では通用するわけがない。当然のことである。それが国家主権というものなのだ── そして、ここはフランスではなく日本だ。日本の主権によって治められてる土地である。その、日本の国内法令によって国家当局が動いた結果が、今回の逮捕劇なのである。仮にもし、彼らの言う「日産内部によるクーデター」が真実であったとしても、日本の国内法に抵触する疑いがない限り国家機関により逮捕はされないし、疑いがもし晴れれば放免される。それだけのことである。 上述の通り、現状まだ当局の調べが続いている状況で白黒は外部の我々には判定できないのもそうだし、日産には日産の事情もあるだろうから、この事件について断定的なコメントをすることはできない──それは、海外の外野のジャーナリストはもちろん、ルノー社だって、その後ろ盾のフランス国家だって当然同じことのはずであろう。今現在の段階で唯一僕がコメントできることは「頼むから内政干渉はしないでね。ここは日本だよ」ということだけである。 |
昨年の夏の話であるが、近所の皮膚科を受診した際に、アレルギー疾患の可能性があるから検査してもらった方がいいということで、知り合いの先生がいる大学病院の紹介状を書いてもらい、それを携えて都心にある大きな大学病院の皮膚科を受診することになった──で、その先生は皮膚科治療の世界ではかなり実力のある偉い先生らしく、僕が受診したその日は数人の医学生が実習に来ており、僕は先生から受診される前に、まずその実習生に症状を見られることになった。 先生よりも先に僕を診に診察室前の廊下に出てきたその実習生は若いというよりまだあどけない感じの女の子だったが、皮膚科であるから症状は表皮に顕著に見てとれるし、僕の患部は頭部だったので、服を脱いだり下着を取ったりする必要はなく、女の子の前で恥ずかしいものを晒さずにすんだw で、問診しながら僕の患部を観察したり触診したりしてくれたのだが、あまり自信たっぷりではなさそうなのは学生だからまあ仕方ない。もちろん実習であるからその場で診断はせずに診察室に戻り、彼女自身の診立てを先生に報告することになる。そして、ほどなくして診察室に呼ばれてからが診察の本番である── 診察の先生は僕が座るなり「学生から報告を受けたんだがどうも要領を得ないので…」から始まり、そのそばで先ほどの女子実習生の子が申し訳なさそうにしている。その子の他にも数人の実習生が見守る中、先生に改めて状態を話しながら患部を診ていただく。医師と患者という立場で相対してるわけだが、学生の前だからなのか、あるいは普段から患者や病気と真剣に向き合ってるがゆえなのか、僕に対する発言のひとつひとつにも妥協を許さない厳しさがひしひしと感じられてくる。生命には何ら別条のない皮膚科受診でこんなに真剣に緊張してしまうとは…。 上述の通りアレルギーによる免疫異常が疑われてのことなので、この日は血液検査を受け、数週間後に結果を聞きにその先生を再度受診する。結果的には免疫異常の心配は特になさそうということで、再度近所の皮膚科に戻って治療を継続ということになり、その先生の受診は2度で終わったのだった──2度めの時にも学生らしき若者が傍らについていたが、真剣に学ぼうとしている姿勢は伝わってきた。患者の立場の僕が、特に怒られてるわけでもないのに厳しさのオーラを感じるくらいだから、学生さんたちはさぞかし厳しく指導されてるんだろうな…、前回のあの女の子が挫折せずに立派に成長してくれればいいが── ──ま、大学病院ではよくある話だと思いますけどね。そういう時代を経て彼ら彼女らもやがてはちゃんとしたお医者さんになっていくわけなんです。その一助に自分の疾患が少しでも役になったのであれば…、なんて思いながら僕は大学病院を後にしたのでした。 |
当時のパリーグ球団、オリックスブルーウェーブと大阪近鉄バファローズが合併して新球団『オリックスバファローズ』が誕生したのは2005年のこと。2つあった球団が1つになるということは、両球団の所属選手がかなりあふれ返ってしまい、1軍選手の中から不要になってしまう者も何人も出てしまうということ。幸いと言うべきか、同じタイミングで新球団の東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生し、分配ドラフトでそちらへ多くの選手が流れたようだが、不本意な異動でモチベーションを失った選手も少なからずいたことは想像に難くない──って、それは今回の記事の本題ではないので深入りしません。 新たに誕生したオリックスバファローズなんだが…、対等合併なのか、それともどちらかがどちらかを吸収合併したのか、果たしてどちらだろう──ブルーウェーブの『オリックス』と近鉄の『バファローズ』の両方を名前に残しているから一見対等っぽく感じるが、しかし一般的なファンの呼び方もマスコミ報道での表記も『オリックス』の方で言われることが圧倒的に多いし、ドラフト会議の席とかでもチーム名は『オリックス』で呼ばれている。何よりユニホームのデザインがホーム用ビジター用のいずれもブルーウェーブ時代のそれを踏襲している。そもそも運営法人のオリックス野球クラブは大阪阪急野球協会の流れを組んでるわけで、それらこれらを考え合わせると、この合併は近鉄が吸収合併された(“存続会社”はオリックス)と考えるのが妥当なように思えるし、実際旧オリックスファンと旧近鉄ファンのいずれもそのように認識してるっぽい。 しかし、である──『オリックス』というのは『バファローズ』というプロ野球球団の親会社、オーナー会社であって、球団自体は『バファローズ』なのである。自分たちのオーナーが近畿日本鉄道株式会社からオリックス株式会社に移ったにすぎないのでは? 本拠地も近鉄時代の京セラドームが使われているが、あの震災時に「がんばろうKOBE」のスローガンを上げて、イチローを擁してその年にリーグ優勝に輝いて地元神戸を勇気づけたあの球団が、自ら神戸を捨てるか? なんて思ってしまう。あと、合併以降の戦力及び順位等を考え合わせても、チーム力的には3年連続日本一の阪急ブレーブスを前身とする旧オリックスよりはBクラス常連でついに日本一未経験だった近鉄を彷彿させてしまうんだけどw それにしてもオリックスが阪急から球団を買い取ったのはちょうど自社名をオリエントリースから変更するタイミングであり、新社名を早く浸透させたいという意図もあったらしい。そしてイチローを擁しての2年連続リーグ優勝と1度の日本一に輝いたことで社名浸透という目的は十分達せられただろう。今では球団名ではないリース会社としてのオリックスの名前も広く知れ渡っている──ぶっちゃけ、現在の弱小球団をまだ持ってる意味って、あるのかな? なんて、ファンでも何でもない外野は思ってしまうのですが…。 |
以前、椎名林檎『NIPPON』に関する論争に関連して「J-POP聴く時までイデオロギーを絡めるな」という記事をこちらで書いた。およそ音楽とかけ離れた話題での論争になってしまって、楽曲及びその中で作者が表現しようとしたことについては二の次になってしまってることについて憂慮した記事である。まあ、この曲の場合だと、ワールドカップの公式応援ソングということで日本の戦意高揚的な要素がこの曲に少なからずあるのは否めず、諸事情から悪い連想をしてしまい抵抗を感じる人がいるのはわからなくはない。しかしながら曲本来の趣旨はそこではないのだから、その連想をあまり恣意的に強調して話題をミスリードするのは、音楽のためにもだけど、それら抵抗を感じる側の人たちにとってもよくないのではなかろうかと思うのである── 今年物議を醸したRADWIMPS『HINOMARU』についてもそれと全く同じことを感じた。この時は抗議デモまで起きたりして、ボーカルの野田洋次郎は「言われてるような意図はない」としながらも「誤解を招いた」ことを謝罪している──椎名林檎の場合もRADの場合も、批判する側から聞かれた声の中に多かったのは「作者や作品が右翼だとかノンポリだとかではない、書かれた歌詞を右翼的だと感じる人がいたことが問題なのだ」ということなのだが…、上述の通り連想は人それぞれで一方の連想それも作者の意図とは異なる方の連想を恣意的に強調した声を広げることで、誰も得をしたりはしないのである。 しかしながら、作り手の側も政治イデオロギー的にセンシティブな件を想起させる可能性のあるテーマや用語に関しては、楽曲を作る際に気に留めて置いた方がいいのは確かであろう。楽曲ではないけれど、欅坂46の衣装がナチスの軍服に似ていた件の場合はユダヤ人団体からの抗議があったが、政治イデオロギーが自国内にとどまらず国際的に差し障りがあるとなれば、なおのことである── ──で、防弾少年団である。日本でも熱狂的ファンを持つ男性K-POPグループのメンバーが原爆Tシャツを着ていた件。上述の椎名林檎やRAD、欅坂の事例に倣えば、被爆当事国である日本でこれだけの反発が来るのは当然のことといえよう。しかもこのTシャツには原爆投下の絵とともにそれを肯定するメッセージ文も添えられていたわけだから、これは「そんな意図はない」は通らない。明らかにイデオロギー的意図のある演出である。その意味で上記の事例とは区別されねばならない── 無論そのことと彼らの楽曲は別であるという僕の考えは今回も変わらない。なので防弾少年団のCDやDVDを店頭から引き揚げろなどとは決して思わない、むしろすべきではないとさえ思っている。しかし、当人たちが日本のテレビ番組に呼ばれなくなるのは、これは仕方あるまい。自分たちの国を侮辱する外国人を金払って自国に呼ぶ莫迦な国はいない。自分たちの楽曲やファンを傷つけてるのは他でもない自分たちであることをちゃんと認識して、メンバーたちにはちゃんと反省して、できれば反省をカタチにしてもらいたい。それでもファンをやめない日本の女の子たちの声が少しでも耳に届いてるならば── |
日大アメフト部の悪質タックルの件を書いたこちらの記事で、僕が昔努めていた会社が社会人アメフトチームをもっていたことを書いたが…、実はそのアメフトチームの総監督の地位に就いていたのは、輪島大士さんだった。そちらの記事にも書いた通り、社長以下日大OBの役員が多数を占める最大学閥であり、日大相撲部で学生横綱に輝いた輪島さんのことは角界入門当初から後援しており、引退後の金銭トラブルで角界を廃業してプロレスラーに転向したもののそれも短命で辞めた後には"スポーツイベント担当"という何だかよくわからない肩書きで会社に迎え入れられてもいた。ご本人のお姿は何度か本社周辺で見かけたことはあったけど、正直どんな仕事をしてたのかはよくわからない…。 引退後の何年かのイメージで、何か残念な印象をもつ人も少なくないだろうけど、力士としての輪島関は"黄金の左腕"と呼ばれる左からの下手投げを得意とする、かなり強い横綱だった。幕内最高優勝14回は、同時期に北の湖と言う大横綱がいなければもっともっと伸びていたに違いない。現在のところ学生横綱を経てデビューし、プロでも横綱になった力士は輪島さんだけである。髷が結えるようになる前のザンバラ紙がウザいからとパーマをかけたり高級ホテルから場所入りしたり高級外車を乗り回したりと、下の地位にいたころから何かと型破りでお騒がせな力士だったが、強ければそれでいいんだ、力さえあればいいんだ、な相撲の世界を地で行く、ある意味力士らしい力士だったと言えるかも知れない── 実際、相撲への情熱はかなり強かったらしく、上述の左下手投げもそうだが、自らの相撲の型にはかなりこだわりがあったらしい。一見破天荒な上述のライフスタイルも彼流の力士としてのこだわりだったのだろう。実際、晩年になってもワイドショーなどで相撲のニュースの時にコメンテーターとして解説する姿がたびたび見られたが、その発言の端々に相撲愛を感じたものである。 数年前に咽頭がんを患い、療養が続いていた輪島さんであるが、先月亡くなられたことが報じられた──僕が物心ついて相撲に熱狂し始めたのとほぼ時を同じくして入門し、長らく横綱として国技館の土俵を盛り上げた輪島さんは、もちろん僕の相撲史の中でもかなり大きな存在であるし、同じ会社に在籍した時期も長らくあったので、今回の訃報はもちろん大きく受け止めているが、一般的にも昭和を代表する名横綱と言っていいだろうし、また1人、昭和の名力士が逝ってしまったことが惜しまれる。ひるがえって現在の幕内の状況は、これほどの力も技もある力士が見当たらず、土俵外でも型破りと傍若無人を履き違えた力士の醜聞が絶えない状況。輪島を始め先代貴ノ花や北の湖、高見山などが力や技を駆使した熱戦で人気を博した昭和の土俵と現在の土俵は、どうにも違うな、と感じざるを得ない── 同じ石川県出身力士でh、同じ日大出身の遠藤や黄金のまわしを引き継いだ輝が、今回の訃報を受けて追悼のコメントを述べていた。両力士とも素質には恵まれていて今後に期待したい力士ではあるのだけど、どうにもあと一歩抜き出せないのは、いい意味での破天荒さが足りないからだろうか…。他の若手力士にも言えることだけど、小ぢんまりと優等生的にまとまってて、今ひとつ突き抜けそうで突き抜けない。そんな彼らを見るにつけ、やはり輪島さんは偉大だったんだな、とますます痛感する次第である── ま、ご冥福をお祈りしますとしか言えないけれど…、こういう偉大な名力士の訃報が衝撃なのが、それだけ現在の力士たちとの落差ゆえであると思うと、それがまた悔しさを増幅してしまう。輪島さんを凌ぐ力士らしい力士は果たしてこれから先、表れるのだろうか? |
東北新幹線の福島駅から分岐する山形新幹線が出来たのは'90年代のこと。数年後に出来た秋田新幹線同様、フル規格ではなく既存の在来線を走る"ミニ新幹線"である(鉄道法的には新幹線ではなく在来線扱いらしいがその辺の詳細はここでは置いときます)。建設コストの高価や安全性の問題なのか、その後の新・新幹線はいずれも並行在来線を三セク移管をともなうフル規格であり、ミニ新幹線はある意味貴重な存在と言える。そのミニ新幹線の停車駅周辺の風景も、開業後にガラッと変貌してるのは必然かも── JR奥羽本線の天童駅に僕が降り立ったのはまだ山形新幹線が出来る前のこと。秋田方面から山形経由で米沢~福島間のスイッチバック駅が連続する区間(これも既に無くなっている)を通って帰路につく途中のことだった。特に何が目的だったわけでもなく、天童といえば将棋駒の生産地として全国的にも有名な将棋の街であるから、何かそれっぽいスポットとかモニュメントでも見られるかな? 程度の軽い興味で、ちょっと降りて散策してみようと思い立ったのだった── 例によって僕の旅程は普通列車メイン(なのでミニ新幹線乗り入れうんぬんは僕的にはあんまし重要事項ではなかったりするw)で、この時もそう。当時の奥羽本線の普通列車は電気機関車に牽引される客車列車がメインで「フィーッ!」と汽笛をならして走る様は車窓風景ともども東北列車旅の醍醐味だなって感じで僕はかなり気に入っていたんだけど…。降り立った天童駅のホームも、風情ある列車にマッチした田舎の地方都市の駅という佇まいが味わいあるな、なんて思ったのだった── 当時の駅舎は、地方都市の中心駅としては標準的なサイズかもだけど、玄関駅としては見栄えがもうひとつという感じで、駅としての賑わいもさほど感じなかった。それは駅舎を出た先の駅前風景も同様で、ありふれた商店街らしきものもないわけではなかったが、さほど流行っている感じではなかった。道路もさほど広くはなかったけど、車通りも人通りもあまりなく、また将棋の街らしいオブジェなども駅周辺には確認できず、要するにこれといって足を止めたり立ち寄ったりすつような場所は、駅からの徒歩圏内には特になかった。結局早々に引き返して再び各停の客車列車に乗り込んだのだった── まあ、なまじ将棋の街としての予備知識があったからそれに因んだスポットを期待したがために期待外れになってしまったわけですが、普通に地方の街のたたずまいとして見ればそれなりに趣はあったのかも知れない──その後、天童市内には温泉場もあるということを何かで読んで知り、ごくごく平凡な駅周辺の光景とのギャップにますます驚いてしまった次第であります。 そんな天童駅が山形新幹線の停車駅になったのは、それから5~6年くらい後のこと。あの当時の駅のキャパと駅前のたたずまいから考えて、ここに新幹線駅と言うのはどうにも結びつかなかったのだが…、開業後の天童駅の駅舎及びその周辺の画像をネットその他で見てみると、僕の記憶にあるそれとは似ても似つかない光景になっている。将棋の駒のカタチをデザインしたと言われてるが、それよりはおとぎの国のお城っぽいガラス張りの駅舎と、そこから伸びろ広い道路を作るために、立ち退きを余儀なくされた昔からの住民は一体どれくらいいたのだろう。 綺麗に整理された駅前には、将棋の街をアピールした観光物産店などもできたらしいし、温泉地への玄関口であることもそこではアピールされてることだろう。人の集積は果たしてどの程度変わってるのか、ちょっと見てみたい気もするが、その機会は果たして訪れるだろうか──? |
当初、今回この『ヒヤリハ』カテゴリの記事はこちらとこちらの記事からの流れで、公式発言の1フレーズが切り取られて報道されることによる曲解からの間違ったバッシングの怖さについて、メディアリテラシーの問題を交えて論じるつもりだったのだが…、先日飛び込んできたこのニュースの方が、防犯・防災テーマの『ヒヤリハ』カテゴリ的には重要だろうってことで、こちらを取り上げることにしました──はい、KYB社により免震制御装置のデータ検査データ改竄問題です。 敢えて書くまでもなく、日本は世界有数の地震国であり、日本国中どこに逃げても大地震から安全な場所などない。それもあって日本国内では戦後何年かくらいまで、一定以上の高さの建物を建設することは禁じられていた。東京タワーや36階建ての霞が関ビルが建ったのは昭和30年代のことである。それが現在のようにサンシャイン60に都庁にスカイツリー、あべのハルカスなどの業務ビルのみならず、マンションまでもタワーが林立してる状況になったのは、ひとえに地震に強い建築技術の進歩の賜物である。そして、その一端を担っていたのが、KYB製の免震制御装置なわけである── このデータ改竄は少なくとも15年以上も全47都道府県の施設で行われており、それらの装置は全国各地の都府県市庁舎や消防庁舎などで使用されていたという。もちろん公共施設だけでなく私企業などでも使用されており、その中には東京都庁やスカイツリーなども含まれている──地震時の危険レベルが最大級の墨田区に建つ日本一の高さの人気観光施設の免震装置の安全お墨付きが偽りのものだった、だなんてことになったら、スカイツリーに近寄る気になりますか? 同じような不安が都庁始め日本全国のあらゆる集客スポットで生じてるというのは、これ物凄く大変なことだと思うんですけど── なおかつ、前回は改竄データだったけど今回は正しいと、改竄した側から言われて、信じられます? 冒頭リンク記事『教科書に書いてあることを信じない』の“教科書”を“免震データ”に置き換えてみれば、“教科書”を鵜呑みにしたばかりに痛い目にあったばかりで、その“教科書”書いた側の「はい今度こそ安全です」をまんま鵜呑みにするのがどんだけマヌケか、なんて思えてきたり、しません? そんな不安を、世界有数の地震大国である日本列島の全域でばら撒いたことは、ある意味国を混乱に陥れたのと同じ。その罪深さは、これはもっともっと断罪されるべきではないだろうか。── |
こちらの記事で、全体の文脈を無視してその中の一文だけが恣意的に抜き出されて曲解されたまま独り歩きしてしまう怖さを懸念し、その中で、似たような例が現在進行形で見られる、と付記した──そこでチラッと書いた“現在進行形の事例”と言えば、大半の人はこの件を思い出すのではないだろうか…? はい、杉田水脈議員の『生産性』発言である──とりあえず、こちらに『新潮45』掲載の杉田論文の全文引用があるので、まずご一読してみてください。 ──いかがです? さんざん問題になってる『生産性』の箇所って、そもそも論文の文脈の中ではごく一部だし、論点もそこじゃないですよね。全体の文意からは、むしろLBBTを必要以上に持ち上げるのではなく対等に扱えと言ってるように読めるんですが。むしろLGBTを差別しないようにしろと言ってるように。件の『生産性』の部分にしても、不妊治療における少子化対策に匹敵する大義名分は何があるのか(『差別撤廃』が的外れなのは上述の通り)? 国家財源(その原資は国民の税金)を使って一般の人よりも優遇することの意味を問うているわけで、言葉のチョイスには確かに問題あるかもだけど、そこは冷静に訂正してあげればいいだけのことでしょう。『生産性』発言への非難、これって普通に揚げ足取りなんじゃ、ありません? さらに、LGBTの中でも一概にひとくくりにしないで、例えばT=トランスジェンダー(性同一性障害)は他と区別して考えるべきで、性転換手術などへの保険適用などには肯定的な意見を表明しているし、他のLGBについても、自らの女子高体験を踏まえて(←ここ重要)嗜好の変化の可能性に言及した上で、過剰に「そのままでいいんだ」を強調することで逆にそれに縛られてしまう可能性を懸念している。これ、LGBTの話だから変に差別がどうのって方向へミスリードされてるけど、例えばLGBTをニートに置き換えてみるとどうだろう。いわゆるニートと呼ばれる人は「働いたら負け」という名ゼリフに象徴されるように就労の意志自体がない。言ってみればニートは『嗜好』なわけで、一般の就職難民は別物で支援もやむなしと前置きした上で「いずれは周りの友人たちや親の高齢化の中で働く意思が芽生えるかも知れない。その前に過剰にニートを持ちあげて、働かないままでいいんだ、なんて思ってしまうのはいかがなものか」と言い替えれば、別におかしくないでしょ? ──あと、この論文内では、偏った報道の過剰さによる問題のミスリードへの懸念が随所で強調されています。マスコミ報道で火がついた一連の杉田議員バッシングを見ると、その懸念はまさにズバリ的を射てたと言わざるを得ないですね。その報道を鵜呑みにして杉田議員にLGBT差別者のレッテルを貼って、見るも醜悪なプラカードを持ってデモ行進したり辞めろシュプレヒコールしたり、あまっさえ殺害予告までしてる連中のうち、論文の全文を読んだ人って果たしてどれくらいいるのでしょうかね、決して差別的ではない、むしろその逆である内容に思えるあの論文をちゃんと読んだ人は? その上で真意はどうあれ『生産性』という言い方が良くないと言うならそこはきちんと指摘して正す。その上で本当の意味のバリアフリー、共存について互いに忌憚ない意見を出し合って議論を深め、それを制度として確立し、実際の行政の場で実践していく、という方向へなんで持って行けんのですかねぇ…? この件では当のLGBTの側の人にも杉田氏擁護の人が多数いるらしいけど、攻撃側はそれらの人にも攻撃の矛先を向けてるというからもう本末転倒である。これではLGBT政策も何も進むものも進まないよ。『生産性』がどうのと揚げ足取って噛みついて足引っ張る前に、まず自分たちが『生産性』のある対話をしませんか? 他でもないLGBT当事者のために。 |
はい、先日ノーベル賞を受賞した本庶佑教授の受賞記者会見の中でのご本人の言葉です──ほとんどの人はちゃんとわかってるはずなのでわざわざ書くまでもないだろうとは思うのだが、それでもガチ誤読したり恣意的に曲解して悪用する人もいるであろうことを懸念して、老婆心ながら今回取り上げときます…。 まずこの「教科書に書いてあることを信じない」という言葉がそもそも、そこに何て書いてあるかをきちんと読んで、その文意を正しく読解できたその上で、という前提だということ。中身を知らない、論旨を認識できてないのでは、信じる信じない以前の問題ですわな。まず先に教科書の内容を熟知しろ、話はそれからだ──です。 実際本庶氏のこの言葉の前には「一番重要なのは『不思議だな』という心を大切にすること」という前段があり、さらにその後「常に疑いを持って本当はどうなんだろうという心を大切にする」と続き「つまり自分の目で物を見る。そして納得する。そこまで諦めない」 と結論づけられてるわけです。決して件の一節だけで成り立ってる言葉ではないのです。そして、そのように「自分の目で物を観て納得」する内容が教科書の記述とは常にかけ離れたものである、などということも決して言ってはいないし、勉強した結果の結論が教科書の内容と同じであれば、それはそれで構わないわけです。間違っても「教科書なんてみんな嘘っぱちだ!」などという厨二病的な意味ではありませんから── …と、大多数の人はわかり切ってるであろうことを老婆心からつい力説してしまいましたが──ネットとかのリアクションを見る限りでは「教科書は読まなくていい」「学校の勉強なんか必要ない」などという声は見当たらず、さすがにそこまで勘違いする厨二はいないか、と内心安堵したのでした。ですが…、問題はそういう勘違い厨二ではなく、確信犯で恣意的曲解する一部界隈、具体的にハッキリ言ってしまえば反ワクチンとか反原発とか反安倍とか、そのテの界隈だよな。体制側の発表することはとにかく何でもかんでも反対する人たちにとって、部分的に抜き出されたこの言葉は金言(←実際そっち系メディアの編集トップである某ジャーナリスト女史が曲解してこの言葉を用いてる)ですからね。疑ったその上でしっかり時間と費用をかけて調査研究して実証して、そのデータを提示して科学的に学説として唱えるならまだしも、彼らは決してそうではないわけで…。 そんなふうに文脈の流れを無視した言葉の一節が切り取られて一人歩きする事例はこれまでにも多々あったし現在進行形でも別の事例でいくつも見られるわけで、メディアによる記者会見の場合だと、その情報の受け手は大学や研究室や教室の優秀な学生とは違って学も知識も千差万別なのだから、発言者側もその辺も踏まえて誤解を生まない言葉を選ばなければならないのだろうか…? でも発言者側が気をつけててもメディアの側が恣意的に編集加工して意図的ミスリードする場合もあったりするからなぁ──「メディアの報道は信じない」姿勢で、受け手の我々も「本当はどうなんだろうという心を大切に」しなければならない。 |