毒親(父)の毒が連鎖してしまった毒親Jr.の呟き

毒親(父)の毒が連鎖してしまった毒親Jr.の呟き

毒親(父)に育てられました。そしてその毒が連鎖がし毒親Jr.となってしまいました。そして、ゲイです。
しかし40代前半の頃、それを克服する出来事が起きました。
トラウマを克服するまでの約40年間に関して、
思いつきで綴っていこうと思います。

何せ、約30年前の人生を遡ってアレコレ書き留めているので

時系列を無視して、ふと思い出す出来事もまだまだあるかと思いますが、

とりあえず話を進めます。

 

忘れもしません。

1997年6月10日、遂に日本を発つ時がきました。

既に船便で送った荷物もありましたが、

他にも直近で必要なものが多々ありましたので、

数人の友人に見送り兼、荷物運びの手伝いということで

成田空港まで一緒に来てもらいました。

 

出発前夜、手伝いをしてくれた友人達と最後の夜を過ごしたので

興奮を含め色々な感情が入り混じり

結局一睡もすることはありませんでした。

併せて初めての海外生活ということと

途中、韓国でトランジットもあったので

緊張のせいか飛行機の中でも眠ることはありませんでした。

そして14時間(だったかな?)のフライトの末

遂にロンドンはヒースロー空港に到着しました。

例の現地で暮らす友人が駅に迎えに来てくれて

そのまま1週間は彼の住むアパートの一室に

住まわせてもらうことになっていました。

お互いに実際に会って交流した時間よりも

ペンパルとして数年間やりとりしていた時間の方が長かったので

久しぶりに時間を気にすることなく話せることが嬉しかったこと、

そして彼のルームメイトとも初めから気が合ったこともあり

私は結局、日本を発つ前夜を含め48時間ほど眠らず行動していました。

 

毒親の監視を忘れて心を解放して過ごすことが

こんなにも精神的に良いことになろうとは・・・。

私の身体的ストレス(不眠、ニキビ)は

無意識のうちに改善されていくことになるのでした。

と同時に、依然として解放されることのない劣等感に悩まされることになることも

この時点では全く想像していませんでした。

 

 

 

 

思春期だとか、時期など関係なく

私の顔は常にニキビが出来ていました。

 

中学・高校の頃は時期的なものだろうと考えていましたが

(それでも、数が相当だったので本当に鏡を見るのも嫌でした)

20歳を過ぎても絶えずでき続けるので

私は皮膚科にて診てもらうことにしました。

 

結果、ひと言。

「年齢的なものではなく、これはストレスが原因ですね。」

 

毒親と暮らすストレスは不眠症、

そして絶えず発生するニキビという形で私を苦しめました。

 

当時の私は結果として留学資金という形になりましたが

目的はともかく、ひたすら働いて貯金をしていましたので

同世代の学生の友人よりはお金を持っていました。

そんな時、新宿にメンズ・エステ・サロンが新規オープンしたのです。

私はエステの力でこの見苦しいニキビ面を治せるなら・・・と

藁をも掴む気持ちで扉を開いたのでした。

 

半年か1年か、期間が忘れましたが一連のコースを受け

総額100万円は投資したと記憶しています。

が、結論をお伝えすると・・・

治ることはありませんでした。

 

毒親のストレスは相当手厳しいもので

自尊心から貯金から、子供から色々なものを奪い去ったのでした。

ニキビ面のコンプレックスにより、私の自尊心は輪をかけて低くなっていました。

 

がしかし、このニキビは日本を離れることで快方に向かうのでした。

この時点の私は想像もしてはいませんでしたが・・・。

 

時系列無関係に思い出したことは覚えてるうちに書き留めておきますね。

 

子供の頃から

「どうぜお前なんかな」

という圧力の元で育っていると

自尊心というものがほぼ皆無なまま育つものです。

 

古くは小学校低学年の時。

休憩時間に私がノートの端っこに書いたイラスト(落書き)を

何人かのクラスメイトが見て「上手!」と褒めてくれたのですが

褒められた経験が無いので

馬鹿にされているような辱めを受けているような

そういうネガティヴな感情しか湧かず対処に困ったこと。

 

前回の投稿で話題に出たクレジットカードにしても

シティバンク以外、それまで申し込んだメーカーは全て審査落ち。

「やはり私は世間に受け入れられることはほぼ無いのだ」という

自己否定感ばかりが増す思考になっていました。

 

20歳になった頃、

仲良くなった友人がスポーツジムで体を鍛えており

そんな彼を格好良く思っていた私は

彼から「一緒に行こうよ」と誘いを受けました。

ここでも私は

 

私なんて、絶対に入会の審査に通らないから無理・・・。

手続きして断られるなんて恥ずかしいシーンを友人に見られたくない・・・。

 

という気持ちが真っ先に浮かびました。

そして、どうせ恥ずかしい思いをするなら

初めから友達に自分の立場を説明して

そういう状況だから入会は無理だと思う、と気持ちを伝えたのです。

 

ところが友人は

「そんなの全然問題ないって!」

と半ば強引にスポーツジムへ私を連れて行ったのです。

そして、驚くことに私は無事、入会が出来たのです。

 

もしかすると、

私自身が「どうぜ自分なんか」という

刷り込みから来た思い込みで避けてきた数々の出来事の中にも

実は問題なくこなせたことが

過去にたくさんあったのかもしれない、と今では思います。

 

人生で訪れるチャンスを自ら否定し潰す仕組みを

毒親の洗脳によって植え付けられていたのです。

 

毒親とは百害あって一利無し。

 

 

 

 

 

大学を辞めさせられてからというもの

兄も実家暮らしだったにもかかわらず

私だけ「家賃」を入れるよう命令が出ました。

兄は大学生でしたが、私はもう退学したので学生じゃない

という理由です。

 

退学されられてからというもの毒父の口癖は

「お前、これからどやって生きてくつもりだ!」

でした。

お前が退学させておいて何言うか?!と今なら思いますが

当時は洗脳真っ只中だったので

父からこの言葉が発せられる度に

ただただ焦りで胸が締め付けられる一方でした。

 

父はあらゆることに関して

常に先を急かせて私に心の余裕を持たせることはありませんでした。

実際に、入院前に家を追い出された時も期限付きでしたから

心ゆくまで就職活動もできず夜の新宿2丁目でのバイトで

生きてゆく選択をせざるを得ませんでした。

そして、今回も「どうするんだ!」攻撃で私を追い出す作戦でした。

 

私は例のパソコン専門学校への入学が不可能と分かったので

ロンドンへ留学をする道を選びました。

そのことを父にも話すと

「いつから行くんだ?さっさと行け!」

という具合です。

その後は出国日が決まるまで

この言葉が呪いの言葉になりました。

 

幸い、頼りにしていたロンドン在住の友人が

ビザの関係で一時帰国していたので

一連の話をすると

日本⇄イギリスでやりとりしていると時間がかかるから

(97年という時代はまだメールが普及していませんでしたw)

その友人の口座に学費等を振り込んで

彼がロンドンへ戻った際に代理で入学手続きをしてくれることになりました。

そのおかげで、私は留学を決めてから3ヶ月後には

ロンドンで生活を始めていたのです。

 

で、重要な話は毒親の件ですね。

まず実家に納める家賃ですが

翌月分を前家賃として納めていたので

出国月はもう住んでいないので不要なはずでした。

ところが、いつも間にか

家賃は新月に前月分を納める仕組みに話がすり替えられており、

父は1ヶ月分ちゃんと払ってから行け!と譲りませんでした。

少しでも私の留学資金を目減りさせたいのです。

(念の為お話ししますと、私は全額自分の貯金で留学しました。)

 

ところが今度は私を心配する様子で

「外国の航空会社だと心配だから日本の航空会社のチケットにしろ。

その代わりチケット代は出してやるから。」

と、こちらがビックリするような優しさを見せたのです。

それならば私もチケット代が向こうの生活費に回せる!と嬉しくなり

日本の航空会社のチケット代を伝えると

「そんな高いのか?!それは出せない。」

と・・・。

結局、私は実費で韓国航空のトランジット有り、

1年オープンの往復チケットを購入しました。

(何なんだよ・・・)

 

併せて、クレジットカード作成に関しても一悶着あったのです。

当時は今と比べて簡単にカードが作れる時代ではなく

私のような無職、学生でもない、親の保証もない立場では

到底作れない敷居の高い代物でした。

しかし、唯一私でも大丈夫だったのが

シティバンクのクレジットカードだったのです。

口座維持費として常に30万円(だったかな?)を入れておくという仕組みが

信用につながり口座名義人がクレジットカードが作れたのです。

この30万円のことで渡英後に父がまた私に吹っ掛けてくることになろうとは

その時はまるで思ってもいませんでした。

 

久しぶりの投稿です。

 

日々、忙しい(ブラック企業に転職してしまい時間が無い!)というのもありますが

基本的に毒親のトラウマを克服し

それなりに幸せに暮らしているというのも大きいです。

解毒、超重要ですね!

 

 

さて、前回の投稿で「いよいよ日本を離れよう」という時期のお話をしましたが、

その前に思い出したトラウマを書き残しておこうと思います。

 

実家で暮らしていた頃は

とにかく家にいる時間を少しでも減らしたかったこともあり

私は一緒に遊びに出た友人宅でそのまま一泊し

また仕事に出かけるということがしばしばありました。

 

そんな時に起きたトラウマの一つで今でも鮮明に覚えていることがあります。

夜中、毒父からのイジメを夢の中でも体験することがたまにあり

友人宅に泊まっている時にもそれが起きたことがありました。

私がうなされ夜中にガバっと目を覚まし

夢と現実が理解できぬまま父を殴り倒しているつもりで

友人宅の壁を殴りつけたので、

驚いた友人が私を抱きしめて

「どうしたの!大丈夫だから!」

と宥めてくれたのです。

 

これが記憶にある中で一番激しかった悪夢からの目覚めですが

同様の出来事は他にもありました。

 

根が深かったなぁ、と改めて思うのであります。

 

毒に侵された結果として精神状態が不安定故に不眠症に陥り

加えて、夜中に夢の中でも毒られるとは・・・。

毒親は百害あって一利無しです。