とにかく、学歴社会真っ只中で
毒親によって高卒という刻印を押されてしまった私は
専門的な知識を身につけて何とか堅気として生きていこうと考えていました。
(あまり仲良くはありませんでしたが)
私の兄は彼が中学に上がった時点で既に当時最先端だった
NECのパソコンを相手に独学でプログラミングを身につけ
大学卒業後はその手の仕事に就いていました。
そんな彼が唯一独学では習得できなかったプログラミング(?)があったらしく
某それ系の専門学校にたった1分野を学ぶためだけに通ったのでした。
時はまだ90年代中盤。
携帯電話はだいぶ普及したものの
メール機能などまだ無く
一般的なパソコンという今でこそ当たり前となったアイテムであえ
まだごく限られた人たちしか持っていない時代でした。
私はこれからの時代を見据えて兄に倣い
デジタル技術を身につけて何とか生きていきたいと考え
彼に相談することにしたのでした。
ところが帰ってきた答えは
「気持ちは分かるけど、あの学校は大学卒業してないと入学できないんだよ」
でした。
専門学校でも一流なところは大卒が条件とは
相当ショックを受けたことを今でも覚えています。
これで一つ道が途絶えた・・・と。
今思えば、他にも高卒で入れる専門学校など探せばあるだろう?
といったところなのですが、お忘れなく。
毒親育ち故、否定されることが日常として育ってきたので
そもそも受け入れてもらえるという何でもない感覚が薄いのです。
併せて、簡単に入学できる専門学校もそりゃあるだろうとは思いますが、
とにかく学が無い分、他分野で少しでも箔をつけなくては
と焦っていたこともあったのです。
その辺の学校じゃ高卒で比べられた時に負けてしまう・・・と。
そこで私は中学の頃から興味が強かった語学の分野に視点を移すことにしたのです。
中学・高校と英語の成績はずっと良かったのと
洋楽を好んで聴いていたせいもあり、
留学の道を探ることにしました。
私は高校を卒業して間も無く新宿2丁目デビューを果たし
外国人と外国人を好んで相手にして遊ぶ連中(「外専」といいます)と交友していました。
その中に程無くして渡英した友人がおり、その後もペンパル(!)として
親しく連絡を取り合っていた友人がいたので、彼に相談することにしたのです。
日本にいては駄目だ、と考えたのです。