⑧
一周忌の頃、hideトリビュートアルバム・SPIRITSが出た。縁のあるアーティストがhideちゃんの楽曲をカヴァーした作品。
YOSHIKIのピアノ、LUNA SEAやBUCK-TICK、ゼペットストア、布袋さん。各アーティストからの愛を感じた。その中にshameというバンドがいた。hideちゃんがデモテープを聴いて気に入り、会う約束をしたままで会えなくなってしまった…というバンドだった。カヴァーを聴いてみて結構気に入っていた。
夏にMIX LEMONED JELLYというhideちゃんが始めたオールナイトイベントが再び開催された。場所は渋谷 ONAIR EAST&WEST。向かい合わせのライヴハウスの行き来が自由、どちらにいつ誰が出るかはわからない。色々なバンドが見られた。そして、不意に明け方5時頃登場したのはshameだった。
ライヴが圧巻!
見た目は華奢でちっちゃく可愛い男の子風なCUTTくんが放つ、伸びやかで時に荒いカートコバーンみたいな声。分厚いバンドサウンド。トリビュートアルバムで気に入っていたバンドと今見ているバンドが同じと気付き、一気に引き込まれた。タワレコ限定のシングルが出るとその夜に知り、買いに行く事もその場で決めた。たまたま居合わせたライヴだったけれど、すっかり虜になった。
そして後日、シングル発売日に家から一時間のタワレコに電車で行き、無事にCDをゲット。聴いてはまた引き込まれ、世に出ている音源を全てかき集め、ライヴにも通い始めた。
hideちゃんからまた出会いをもらったのだ。また全力で追いかけたくなるバンド…hideちゃん風に言うと、「10年に一度くらい出て来る、付いて行きますミュージシャン」だった。また夢中になれる音楽に出会えたのが心底嬉しかったし、しかもそれはhideちゃんが発掘したバンドだったし、ヴォーカルのCUTTくんはコアなXファンでTOSHIくんのラジオにシロウト時代に出たらしい…という全ても心地良かった。あたしは東京名古屋のライヴ&インストアイベントに一人で通い詰め、渋谷タワレコ限定発売のビデオは発売日に買いに行ったし、サインもピックももらったし、うっかりラジオの生放送にファン代表で出たり(←黒歴史)…
第二の青春が来た感じだった。懐かしい感覚だった。その後shameは突如解散した。そして数年後に 突然SHAMEとして再結成。今は更にEVERYTHING MUST PASSと改名して活動している。音楽性が大分変わり、メンバーが脱退したりで気持ちが離れてしまったが、やっぱりCUTTくんは好き。先日柏であったhideちゃん追悼イベントにもTAIJIや真矢くん、チロリン達と肩を並べて出演していて、とても豪華なメンツだと思った。行きたかった。
同時期にパソコンでネットを始めた。hideオフィシャルBBSやファンのBBSに出入りし、沢山の友達が出来た。併設のチャットで一晩中しゃべっていた。2時間位寝ては学校、夜はまた一晩中チャット。そのBBSとチャットが閉鎖になると代わりに自分がBBSを開設した。チャットで遊んでいた友達が皆継続して仲良くしてくれた。何もかもをBBSやチャットで吐き出し、皆が支えてくれて、あたしは完全に独りじゃなくなった。救ってもらった。
hideちゃんに悲しみをもらったけれど、数年かけて、hideちゃんが与えてくれた友達や音楽によってあたしは強くなれた。
⑦
秋の終わりにhideソロアルバムの3枚目が発売された。それも完成間近だったものを最後まで仲間が仕上げて出たものだった。タイトルはJa,zoo。5月2日にはジャケットの撮影がされていて、途中で訃報を知らされたものの、モデルや撮影スタッフには終了まで秘密にされていたとか。
アルバムは1stも2ndも、CDとはいえ擦り切れる程聴いた。どちらも初回盤は一生の宝物(ちなみに両方、初回盤二枚と通常盤を持っている)
でもJa,zooはあまり聴かずにいる。hideちゃんは本当はどういうアレンジにしたかったのかな、などと余計な事を考えてしまうから。それは、のちに出た未発表音源全てに共通して思う。リリースは有り難いし、出してくれたI.N.Aちゃん達には感謝している。でもhideちゃんは嬉しいのかがわからなくて、何となく聴くのが申し訳ない…というか、躊躇してしまう。変かな。グッズに関してもそうなんだよな…。
アルバム発売に伴ってツアーも行われた。メインヴォーカリスト不在のツアー。あたしは横浜アリーナに行った。今までと大差ないステージで楽しかった。メンバーが温かかった。でもやっぱり悲しかった。
春先に2冊目のファンクラブ会報が届いた。文通相手募集のコーナーにはあたしが送ったメッセージが載っていた。
その結果、北海道から沖縄まで全国各地から手紙をいただいた。偶然同じ高校の後輩もいた。その子からは、高校の卒業式にHURRY GO ROUNDのジャケットに写った花そっくりの花束をもらったりした。トータルで30人位から手紙をいただき、全員に丁寧に返信した。毎日一通は手紙が必ず届くようになり、郵便屋さんが来るのが待ち遠しくなった。数回のやり取りで途絶えてしまう人も居たけれど、近くの人達とは集まって遊んだり、西武ドームの一周忌イベントに数人で行ったり、その会場で会ったり、横須賀に泊まりに行ったり、ミュージアムに行ったり…
あたしは独りじゃなくなった。一緒に泣いてくれる友達が出来た。hideちゃんに出会わせてもらった友達。10年経つ今も、大切な存在。
友達との出会いが、未来に向けて再び歩き出すきっかけになった。
⑥
その後は傷付く事が沢山あった。他人からの無神経な言葉、報道、hideの不在を改めて突き付けられる場面。
一番辛かったのは、7月に発売されたビデオだった。春に始まったラジオの中で、hide本人が「L.Aでの生活に密着した撮影をしていて、近々ビデオ作品にする」と言っていた。確か、そのラジオの録音をしている場にも撮影が入っていると言っていた。そのビデオが、当初の予定とは違う内容になっただろうが、夏に発売となった。タイトルは「h.i.d.e.」(※正しくは頭文字がhideとなる四節の英文)。
バイト先のコンビニでも取り扱ったので、掲示していた本人の写真入り特大ポスター(非売品)も特別にもらって帰った。楽しみにしていた作品。まだ知らないhideちゃんの姿が観られる。ドキドキしながらビデオをスタート。L.Aを歩くhideちゃんが映し出される。無心で見続けた。確かそんなに長く無かったため、あっという間に終わりに近付いた。そして、何となく画面が切り替わった。L.Aの海だった。何のシーンかと見ていると、白い小さな器が映った。そして中の粉を仲間が海にばらばらと撒いた。
…お骨。
hideちゃんが、骨になっていた。
悟った瞬間、血の気が引いた。そして瞬時に涙が溢れた。そんなもの観たくなかった、どうして入れたんだ。顔中の筋肉が痛いぐらい泣いた。顔が歪んでいるのが解る、呼吸も辛かった。声も出ない程だった。それまで生きて来た中で、一番泣いた。
だから、あのビデオはそれっきりで封印した。そのため上に書いたビデオの内容は若干違うかもしれない。一度しか観ていないから。そして、怖くてもう観ることはないと思う。
あまりの絶望感で、もうこのままではダメだと思った。ちょうどその頃、発足したばかりのhideファンクラブから一冊目の会報が届いた。そこには大好きなhide&仲間が沢山載っていた。ずっと楽しみにしていた会報第一号。でも、内容は楽しさ半分悲しさ半分だった。Xのファンクラブから継続してスタッフとなった方がいて、あたしはその方を好きだったから嬉しかった。その方のメッセージで「生きていると様々な事があります。それが悲しみなら乗り越えなければいけません」、とあった。それを見て、乗り越えなければいけないんだと気付き(ただ悲しんでばかりいたから)、次回の会報から始まる文通コーナーに「友達募集」のメッセージを書いて送った。
当時あたしにはXやhideファンの友達がいなかった。学校の友達が深く理解してくれていて十分だったから。でも、同じ痛みを抱えた仲間と話せば何か変わるのではと思った。だから初めて友達を作ろうと思った。


