――私は、青い血が欲しかった!
 かつてスフィーダに在籍していたベテランの選手が、川邊GM(当時川邊監督)に言っていた……というのを人づてに聞いた。
 ――私には……青い血が流れています……。
 2019年5月25日、なでしこリーグ100試合達成のセレモニーが行われた日のヒロインインタビューにて長﨑茜がこう言っていた。
 
 スフィーダ世田谷FCは、主にトップチームとアカデミー(中学生年代のジュニアユース、高校生年代のユース)で構成されている。小学生以下のU-12サッカースクールもあるけれど、正式に所属するには小学六年生対象のセレクションをパスして――という流れになるのだと思う。長﨑茜は中学一年生だった2007年からから17シーズン在籍した生え抜き選手である。2011年にスフィーダがチャレンジリーグに参入した時の長﨑は高校二年生、その年にはトップチームのお姉さん方に混ざり開幕戦でスタメンを張っていた。この時のスフィーダは創設十一年目、基本的に中学生から上がって来る選手が多かった為、青の遺伝子を持った選手が多かったはずだ。高卒で入団した森仁美(今シーズン伊賀にて引退)や、震災による東京電力マリーゼの活動休止でスフィーダに身を寄せた高橋奈々(2018年パルセイロにて引退)などの存在もあったけれど、半分以上はアカデミー育ちの青い戦士たちだったと思われる。冒頭の「青い血」というのはそんなアカデミー育ちの選手によく使われる表現だ。「青の遺伝子」だなんて言い回しもあったと思う。創設者でもあり長いことトップチームの監督を務めた川邊健一GMが、大卒選手や外部からの移籍選手よりは、やはりどこかアカデミー育ちを可愛がる傾向にある(諸説あります)ということから、冒頭のレジェンド級の選手が「青い血が欲しかった」という言葉を残したのだろうか――というのはあくまで私の想像の範囲内のことであり、真実はその場に居た人間にしか分からない。持たざる者にしか分からないこと、感じ得ないこと――というのもあるのかもしれない。
 
 2001年のクラブ創設時の中学一年生だった川嶋珠生(2014年引退→現スフィーダコーチや)田中麻里菜(2016年引退)またその二学年下の福原菜緒(2016年引退)、更に二学年下の田中真理子(現ジェフL)あたりがスフィーダのアカデミー育ち第一世代だとするのなら、長﨑茜、石野妃芽佳、薄田春果(現ゼルビア)、林玲花(今シーズンゼルビアにて引退)、村上朱音(現愛媛FCL)たちは第二世代だと、私は勝手に考えている。第二世代あたりからは、大卒選手や他チームから移籍してきた経験豊富な選手も増えてきた為、チーム内での生き残りが非常に難しく、トップチームに上がってすぐにチームの主力となる選手と、上がったもののなかなかベンチにも入れず出場機会に恵まれないままチームを去る選手やサッカーを辞める選手と大きく明暗が分かれるように思える。高校生からトップチームに籍を置いていた長﨑は大学受験もあって一時は週一での参加へと縮小したり、ほぼ一年活動を休止したり、それに伴いかつて付けていた背番号17も二年ほど他の選手に譲るような形になったこともあったけれど、挫折や逆境にも負けずに逞しく生き残り、スフィーダ世田谷FCのなでしこリーグ二部初優勝、一部初優勝に大きく貢献した、間違いなく第二世代のレジェンド選手だ。
 
 長﨑のこれまでの17シーズンを見ていきたい――と言いたいところだが、残念ながらスフィーダ公式HPには東京都一部リーグからチャレンジリーグに昇格した2011年の記録しか残っていない。いつもお世話になるnakataniさんのHPも彼がサポーターになった2014年からのものだったので、2011年から2013年は私の手動集計によるものである。
 
【背番号 17→30→17→11 長﨑茜 180試合/44ゴール】
 
▼背番号17時代
サッカー2011:8試合 / 2ゴール
※公式HPには当時の監督のレポートと試合によってはスタメン写真が掲載されているのみで公式記録なし。公式が発表している総出場試合数が180なのでそこから逆算して8試合だと思われる。
サッカー2012:6試合 / 0ゴール(高三の年:おそらく途中から受験準備でクラブを休んでいたと思われる。おそらく一般受験で真面目に勉学に励んでいた長﨑は、普段の天然っぽい雰囲気とは打って変わり、薄田春果に勉強を教える時は非常にスパルタだった――と当時の選手ブログで永田真耶が語っている)
 
▼背番号30時代(2013は臼井理恵 2014は橘木友里恵が背番号17を付ける)
サッカー2013:4試合 / 2ゴール(8/4の第16節にて復帰、スタメン復帰は9/15の第21節)
サッカー2014:19試合 / 2ゴール
 
▼背番号17時代②(一度スフィーダを退団しかけた橘木が27番になった為なのか長﨑に17番が戻される)
サッカー2015:15試合 / 0ゴール(先発は2試合と公式戦の出場にはあまり恵まれなかったものの和歌山国体にて大活躍、準優勝に貢献、得点ランキング第二位に輝いた
サッカー2016:5試合 / 0ゴール(皇后杯3回戦にて、なでしこ1部のベガルタレディースから1点もぎ取った唯一のスフィーダ戦士
サッカー2017:17試合 / 11ゴール
 
▼背番号11時代(2017年に引退した永田真耶が七年間付けた11番を長﨑が譲り受ける。どうやら永田のご指名だった模様)
サッカー2018:17試合 / 4ゴール
サッカー2019:18試合 / 4ゴール(5/19の第9節にて100試合達成
サッカー2020:17試合 / 2ゴール
サッカー2021:22試合 / 8ゴール
サッカー2022:21試合 / 3ゴール(3/27の第2節にて150試合達成
サッカー2023:11試合 / 6ゴール(4/6のトレーニングで骨折、全治12週間、7/2の第15節で復帰以来怒涛の8試合5ゴール)
 
 ▼いつもの通り2014~2023の記録は下記サイトを参照にさせて頂きました。
 
 私がスフィーダの応援を始めた2015年、長﨑の出場試合数は27試合中15試合、そのうちスタメンは僅か2試合だった。けれど前述の永田真耶のブログや川邊GMのブログではやたらと長﨑を「ミラクル茜は本当に何をするか分からない、人とは全然違うリズムだから動きが読めない、奇跡を起こす」などと絶賛する声が目立っていた。普段のリーグ戦ではそんなに長いことピッチに居る姿を見られないので、何がそんなにミラクルなのだろう――そんな疑問ばかりが募っていた。そんな長﨑の転換期は「紀の国わかやま国体」に召集された九月末のこと。スフィーダでは二度目の17番を付けていた長﨑はこの時東京代表ユニフォームでは11番を背負っていた。とにかくFWとして大活躍、四日連続のハードな日程の中で全試合に出場した長﨑は三得点を決め、東京代表としては準優勝、個人としては得点ランキング二位の栄光と共に戻って来た。
 
▼長﨑が国体から戻って最初のホームゲームで掲げた手作りメッセージ幕(我が家で布を広げてビニールテープペタペタして作成しました)
 
 2015年は、ホームゲームの後、チームの勝敗にかかわらず選手たちが入口でサポーターたちの見送りをするというルーティーンがあった。一度も長﨑と喋ったことが無かった私は、帰り際にたまたま長﨑と目が合い、コミュ障のくせに思わず自分から声を発した。
「国体お疲れ様!」
「ありがとうございます~!」
 しまった……この後の言葉が何も出て来ない――そう思った。今ならば「ネットの速報で試合追い掛けてたよ」とか「もうちょっとで得点王だったね」とか色々言えたと思うのだが、この時の私はこれ以上何も言えなかった。けれど、とにかく目の前の長﨑が嬉しそうにキラキラとした笑顔を浮かべていて、それだけで声を掛けて良かった――と私も胸がポカポカと温かくなったのを覚えている。
 
 国体での活躍があったものの、2016年は監督の交代、シーズン途中での異例の新監督の解任など色々あり、それが関係していたかは定かではないが、長﨑の出場機会は増えるどころか大きく減少した。大学四年生の年だった為、卒論だとか教育実習だとかそんな事情もあったかもしれない(当時エフエム世田谷で毎週日曜に放送されていたスフィーダ世田谷応援番組で、長﨑が「教育学部なので授業で塗り絵をしたりします」と自身の学生生活について語っていた)けれど皇后杯三回戦、挑戦者として臨んだベガルタ仙台レディース(当時)との試合で長﨑の叩き込んだ一点のインパクトがあまりに強くて、これがきっとこれからのスフィーダを担う選手だ、間違いなく長﨑茜の時代が来る、あの藤枝の地でそう強く思った。そしてその翌年、長﨑は本当にスフィーダを代表する選手へと成長した。
 前述した2011年から2023年の記録を見ても、2017年の数字が飛び抜けているのは明確だろう。初めて他のチームからの移籍という形でスフィーダに入団し、スフィーダで第一号となる「なでしこリーグ100試合出場」を達成した永田真耶が長﨑に背番号11を託して引退したのは、この年の長﨑の背中を見て、安心して任せられる――なんて思ったところもあるのかもしれない。
 
▼2020年までユニフォームサプライヤーを務めたVINCERE JAPANさんに感謝を籠めて描いた歴代ユニのイラスト
どうしても永田→長﨑へのバトンタッチを描きたくて2017と2018のモデルをこの二人にしました。
 
 2018年からはゴール数が減少しているけれど、これはポジションの変動によるもので長﨑がスフィーダに欠かせない選手だったことに変わりはない。2018年は山本菜桜美、2019年からは大竹麻友、2020年からは大竹と堀江美月と、最前列を他の選手に任せることにより中盤でゲームをコントロールし、あわよくば直接ゴールを叩き込むという今の長﨑茜の形が見えてきたように感じる。
 
▼2018年第4節 異例の三人まとめてのヒロインインタビューの中心に立つ長﨑(向かって左は倉持杏子、右が大久保萌)
 
 
 そして2019年の5月、長﨑はスフィーダで七人目となる「リーグ通算100試合」を達成した。
 
▼100試合記念フォトフレーム


▼2019年のリーグ100試合達成の際のものはこちらの過去ブログをどうぞ
【ショコラブログ 2019/5/27】引き継がれる青の遺伝子 世田谷のミラクルガール 長﨑茜

 

▼このブルーシート幕は、声出しサポーターにて横断幕の掲示時間を使って頑張って作りました(文字数の関係で「茜」のみ)

 
▼同じくアカデミー出身の片寄優(2020年引退)と共に
 
▼おそらくユキ・ラインハートさんから「ご両親に向けて一言」とマイクを向けられた瞬間
 
▼声出しサポーター有志から贈られた100試合記念プレゼントのスニーカー
 
 
 このスニーカー贈呈の際、思わず掛けてしまった言葉がある。
「次は150試合ね」
「はいっ!」
 100試合をようやく達成した選手相手に簡単に「150試合ね」なんて言ったのは軽率だった気がする――と思ったものの、長﨑は眩しい笑顔で元気よく返事をしてくれた。実際それから三年以内に150試合を達成してくれた。もし2023シーズンの怪我が無ければその空白の11試合も普通にスタメンで出場し、今シーズン終了時点で通算191試合だったのではないかと思ってしまうが、そういうたられば話はここではもうナシにしようと思う。
 実際まだまだやれるとサポーターは思う。せめてあと一年続けて200試合達成してからでも――そう思うサポーターも少なくはない。けれど、長﨑が今シーズンでやりきったと、ここで終止符を打とうと、そう決めたのならばそれが全てだと思う。引退コメントの最後に、長﨑はこう書いている。
 
 ――最後になりますが、私はアカデミー出身なので、これから先、沢山のアカデミーの選手たちがスフィーダの歴史をつくっていくのが楽しみです。これからはスフィーダファンの長﨑茜として試合観戦で皆様と一緒に応援するのを楽しみにしています!Go SFIDA!
  
 長﨑の最後の試合、皇后杯五回戦、女王ベレーザとの死闘、この時のスタメン11人のうちアカデミー出身者は長﨑、石野妃芽佳、柏原美羽の3人だ。ベンチメンバーを含めると18人のうち長﨑、石野、柏原、石川愛紘、戸田歩、田口茉亜紗、川邊汐夏、荒川結乃花の8人となる。一方、相手のベレーザは最後にピッチに立っていた11人のうち藤野あおばを除いた10人が全員下部組織のメニーナ出身の選手だ。アカデミー出身の長﨑として、これから先のスフィーダがもっともっと強くなる為には育成世代からの徹底的な指導と連携が必要だと言いたかったのかもしれない。
 これで私がサポーターになってからずっとスフィーダを支えてきた選手は石野妃芽佳たった一人になってしまった。奇しくも中学までスフィーダで育ち、大卒で二年ほどスフィーダのトップチームに所属した中村ゆしかが2024シーズンから戻っては来るけれど、ずっと私の見つめていたピッチに立っていたのは石野だけになる。正直とても寂しくなる。茜チャントを歌えなくなるのがとても寂しい。「もうガールって年じゃないわよ 笑」「もうアラサーよ 笑」なんて辛口な茜ママのコメントがとても微笑ましかった長﨑茜の個人チャントだ。
 ――あかねーあかねーながーさーきー! せたがーやのミラクルガール!
 (爆風スランプのRunner「走る走る 俺たち 流れる汗もそのままに」)
 
 世田谷のミラクルガールは、永遠のガールのままスフィーダから羽ばたいていく。けれどサポーターは忘れない、スフィーダ世田谷FCのレジェンド選手を、チャレンジリーグ参入からなでしこリーグ2部優勝、1部優勝までずっとスフィーダを支えてきた蒼き時代の申し子を。 
 
 
 最後に……
 
▼あかにゃんの最後の年にこのゲーフラを描かせて頂いたこと、本当に本当に幸せでした。
 
 
▼元々私のゲーフラ案はこっちでしたが、ウケ狙いだった上の絵柄が採用されました 笑
 
 大卒後(株)東京組様で働いていたあかにゃんがいつの間に(株)ドトールコーヒー様所属になっていたことを知り、そこから「コーヒーはもう絶対ドトール様」とドトール様激推しになりました! 今後あかにゃんがドトール様に残るかどうかは分かりませんが、ドトール様がスフィーダのスポンサー様であることは変わらないし、宇内彩来も所属していることだし、今後もドトール様推しなのは変わりません。これからも外でコーヒーが飲みたくなったら、あかにゃんを思い出してドトール様に入ろうと思います。
 本当に本当にありがとう。あかにゃんの笑顔と頼もしいドリブルと、ゴールを決めた後の可愛いパフォーマンスと、ちょっと気が強くてイエローカード貰っちゃうところも、気さくなご両親も含めて、長﨑家全員が推しでした!!!!
 

 こんばんは、ショコラです。

 引退選手特集、三本目はこの人です。 

▲イラストレーターさんだというパパさん作の紗矢香ゲーフラ、めっちゃカッコイイですよね!!
 
【背番号 27→15→8 三本紗矢香】
 今回の四人の中では最年少26歳、ムサタン(武蔵丘短期大学シエンシア )出身なので20歳でスフィーダに来てくれたんですよね。だから、今回、ある程度覚悟してた中には入ってなくて、紗矢香の引退発表には本当に本当にビックリしました。紗矢香は個サポも結構多くてグッズもすぐに完売してた印象なので、かなり多くの人たちに激震が走ったんじゃないでしょうか。

 ▼チームの成績&紗矢香の年ごとの出場試合数【6シーズン通算106試合 9ゴール】
 2018(2部8位/カップ戦準優勝):7試合(0ゴール)
 2019(2部7位):18試合(1ゴール )
 2020(2部初優勝):18試合(2ゴール )
 2021(1部準優勝):22試合(1ゴール)
 2022(1部初優勝):20試合(3ゴール)
 2023(1部4位):21試合(2ゴール)
 
 勿論このデータもデータ番長nakataniさんのHPから頂きました。感謝!!!
 nakataniさんブログ【2014年からのデータはここに!】

 一年目からコンスタントに安定して出てたイメージがあったんですが、こうして振り返ると一年目はリーグ戦七試合なんですね(カップ戦六試合とかも出てたから、あんまり出てないイメージが無かったのかも)特に大きな怪我も無く、常に試合に絡んでいた選手の一人です。1部優勝を決めた2022年はベストイレブンにも輝きました。紗矢香の存在無くしては、2部優勝も1部優勝も無かったと思います。
 加入当時はチーム内に同じ熊本県出身、MELSA熊本FCからムサタンを経てサミット様所属――という、経歴がかなり被った先輩すのっきー(橘木友理恵選手)が居ました。熊本コンビとして応援してました。
 
▲「がまだせ」は熊本弁で「がんばれ」の意味
 
 地元が熊本なのでホーム世田谷からはだいぶ遠いのですが、ご両親も年に数回熱心にホームゲームに足を運んでらっしゃいました。最初の年は、宇和島での第7節アウェイ愛媛戦(2-2)を始めとして、三本ご両親が来て下さる時に勝ち試合を見せることが出来ず、雨の西が丘だったかな……多分この時の相手も愛媛だった、第14節(スフィーダ 0-1 愛媛FCL)の試合後、紗矢香パパに「開幕当初あんなに強かったのに(2018年は途中までずっと首位を走ってました)どうして勝てなくなっちゃったんですかねえ。みんなあんなに頑張ってるのにねえ」と言われ、本当に心苦しかったのを覚えてます。私たちの応援が足りないんかも、勝たせてあげられなくてすいません、わざわざ来て下さったのに勝利を見せられなくてすいません――そんな想いでいっぱいでした。2018年、2019年は優勝争いにも絡めなくて……結構しんどい年でしたよね。
 
 2019年のシーズン終わりは、2018年入団のサミットトリオの残り二人(松永早姫、田中江梨奈)がチームを去りました。ファン感で、サポーターの目の前で「契約満了で退団することになりました」とハッキリ告げたのは私の知る限りでは後にも先にもこの二人だけだったと思います。2020年以降コロナが流行ってからすっかりオンライン開催になってしまったファン感ですが、この年までは対面で行われてました。毎年声出しサポ(スフィーダJUNKIE)として少しだけお時間を頂いて「声出しメンバーが選んだベストゴール、MVP、MIP、敢闘賞」などの発表をして花束と記念品を渡したり――なんてことをしてたのですが、この年のMIPが紗矢香でした。MIP――Most Impressive Player(最も印象に残った選手)として紗矢香の名前が呼ばれた時、既に契約満了で愛媛への移籍が決まっていた早姫と、スフィーダ以外でサッカーを続ける気が無かったからスフィーダを退団する時は引退する時だと決めていたという江梨奈がワッと高い声を上げ喜びをあらわにし、戸惑う紗矢香の背中を二人で両脇から前に押し出して表彰の場に連れて行ったことが、微笑ましくて、アツくて、泣けちゃいました。
 ――私たち紗矢香を一人残していくのが本当に心配で、だから紗矢香が選ばれたのすごい嬉しかったんです!
 松永早姫は後で私にこう話してくれました。同期だけど紗矢香だけ短大卒だから二つほど年下で、三人一緒に仕事もサッカーも頑張ってきたけれど、その同期最年少の妹のような紗矢香だけがチームに求められて残ることになった。現実は結構残酷で、やっぱり同じチームメイト同士でもそこには好き嫌いもあるだろうし嫉妬や羨望だってあると思う、そんな中でのこの時の早姫と江梨奈の行動にはとてもとても心を打たれました。紗矢香、今では年下の選手もいっぱい入って来て、すっかり頼れるお姉さんだけど、この時からずっと愛されてたんですね。この時の2018サミットトリオももう誰も居なくなってしまったんだなと思うと寂しいです。

▼2018サミットトリオの絆よ永遠に
 
 2020年以降、紗矢香のスフィーダでの地位は不動のものとなった気がします。サミット様作の横断幕とパパさん作のゲーフラにある通り「神出鬼没の蒼きダイナモ」まさにそんな選手です。
(※ダイナモ(dynamo):「発電機」の意味から常に電気を発しているかのように運動量が豊富な選手、その運動量で攻守にわたりチームに貢献する選手)
 
 ものすごく私事なのですが、この2020年2021年は紗矢香は、私の推し選手かっしー(柏原美羽キャプテン)とポジションが被り大体どっちかしか出れないことが多かったんですよね。紗矢香がスタメンなら途中交代でかっしーが、かっしーがスタメンの時はその逆――という感じで、実際紗矢香がスタメンの試合のが多かったので、かっしーにとって冬の時代だったこの二年、私も結構複雑な想いで試合を観ていることが多かったです、ごめんね紗矢香。
 
 私のサッカーを見る目なんてたかが知れてるので、こんなこと言うのも烏滸がましいんですが、入団当時からインターセプトやパスは抜群に上手かった印象があった紗矢香ですが2021年頃から体力もUPし運動量が増え、ドリブル突破もシュートのクオリティも凄く上がった気がします。以前はよく絶好のチャンスでふかしてしまうことが多かった紗矢香が決定率を上げ、2022年のあの伝説のセレッソ戦――1部優勝に向けての快進撃の一つでもあったJグリーン堺での紗矢香の先制弾はその象徴でもあったんじゃないでしょうか。あの試合のゴールシーン、今ちょっと動画漁って観返してるんですけど……こんな時間なのにこのゴールだけでご飯三杯食べれそうですよ、本当にこれ現地で観られたの幸せ過ぎました。完璧すぎた、神ってた、紗矢香、マジで……因縁のセレッソに勝たせてくれて本当にありがとう(深夜に涙ぐむオタク)
 
 在籍期間のわりに紗矢香のイラストが少ないのはですね……パパさんがイラストレーターさんだと知って、恐れ多くて、私なんかが描くの申し訳ないって思ったからなんですよね 笑
 
▼こちらも紗矢香パパによるゲーフラです。今年背番号が変わったのもあり作り直して下さったんですね。
 
 
 ▼こちらも紗矢香パパさんによるボード。去年の皇后杯二回戦宮崎でお会いした時撮らせて頂きました。この二回戦の前日に引退発表がリリースされた熊谷汐華、堀江美月、安田祐美乃の三名分のボード。急遽作って宮崎まで持って来て下さったみたいで、チーム愛が深くて本当に泣けちゃいます。
 
 
 
 こう振り返っても、紗矢香が引退してしまうなんて信じられないです。でも年齢とか怪我とか、そういうのじゃなくて、本人が「やりたいことみんなやり切った!」って「悔いは無い」ってそう思ってるんなら、それがその時期なのかもしれないですね。さつきもそうだけど、紗矢香もサミット様には残らないのかな。スフィーダバナナ販売会等で、定期的に推し活が可能な選手だったから紗矢香ロスはあまりにも大きいような気がします。
 
 さつきの時に2019年入団組の今――とまとめてみたので、せっかくなので2018年入団組も!
 
 ▼2018年加入組(リリース順/漏れは無いと思うんですがあったら教えてください)
 犛山 菜々恵(2018年引退)
 梅津 美絵(2020静岡SSUに移籍→2021大和シルフィ―ド→2021年引退)
 根本 彩夏
 三本 紗矢香(2023年引退)
 山崎 萌子(2020アンジュビオレに移籍→2021ディアヴォロッソ→2023ゼルビアレディース)
 大久保 萌(2021ハリマに移籍→2021年引退)
 松永 早姫(2020愛媛に移籍→2023年愛媛退団)
 田中 江梨奈(2019年引退)
 
 この年の選手たちは移籍(というか契約満了だったのか)が多いですね。ずっと一緒にスフィーダを支えてきたりょうくん(根本)たった一人になってしまいました。
 紗矢香、今までお疲れ様! スフィーダに来てくれてありがとう! あのJグリーンでのゴールはずっとずっと忘れません!
 

 こんばんは、ショコラです

 一回完結か、せいぜい前後編にするはずだったこのブログ、今日は中山さつき特集です。

 

 ▼チームの成績&さつきの年ごとの出場試合数【5シーズン通算69試合 10ゴール】

 2019(2部7位):15試合(3ゴール / AGF×2【同日】 舞洲グラウンド×1)
 2020(2部初優勝):13試合(1ゴール / AGF×1)
 2021(1部準優勝):18試合(4ゴール / 駒沢×2【同日】 西が丘×1 ニッパツ×1)
 2022(1部初優勝):13試合(1ゴール / Jグリーン堺)
 2023(1部4位):10試合(1ゴール / Jグリーン堺)

 

 ※なお、これらはスフィーダファミリーのデータ番長nakataniさんから頂いております。お世話になってます!

 nakataniさんブログ【スフィーダデータの宝庫です】

 

 さつきと言えば一度スイッチオンになるともう止まらない、マルチゴールのイメージが強いです。特になでしこリーグ初得点を上げた2019年5月6日第7節 AGFフィールドでの静産大ボニータ戦、あのインパクトは本当に鮮烈でした。

 

 ▼当時の衝撃をそのまま絵にしたのがこちら

 

 

 同時に、地元大阪での試合にめっちゃ強い印象がありました。五年間で決めた10ゴールのうちの3ゴールが大阪なんですよね。一年目の舞洲グラウンド(第8節 セレッソ大阪堺レディース戦)ではチームとしては負けてしまったものの、0-2でビハインドの状態から一点執念で返したのがさつきでした。ちょうど前節、初ゴールと共にホームゲームでの初ヒロインインタビューに応え「次節は地元での試合なので両親の前でゴールを決めたいです」的なコメントをしていました、そこからの有言実行弾、本当に痺れました。

 さつきママさんも、関西での試合は勿論のこと結構ホームゲームにも足を運んでいて「こんにちは、中山です~」と元気に挨拶をして下さる姿が印象的でした。最後のゴールとなった今年2023年の第4節 スペランツァ大阪戦は、さつきの執念のシュートがネットを揺らした直後、つい後方の席で固唾を飲んでいただろうさつきママさんの顔を見て右拳を突き上げて一緒に喜びを分かち合いました(多分ショコラが勝手にそう思ってるだけで、向こうは覚えてないと思いますが 笑)

 

 ▼2023年第4節のさつきゴールに魅せられてつい描いたレポ漫画

(同じ砧サミット様で働く「さつまお」の片割れ、真生との絆を感じた場面でした)

 

 

 さつきと言えば欠かせないのが、ぴょんぴょんさつきダンスですね!

 

 

 

 これは2022年のJグリーン堺でのゴール後に、無意識にしただろうゴールパフォーマンス。あれが可愛くて面白くて、それ以来声出しサポ(スフィーダJUNKIE)の代表カズさんが毎試合さつきチャントからのさつきコールの後に、さつきをイジるようなカンジで真似してました。まさかほぼ丸一年後、同じJグリーン堺の地で一年ぶりのゴールを決めてくれるとは思わなかったです。笑顔が素敵な153センチ、スフィーダのマスコットガールのような選手でした。

 

 

 ▼この50試合メモリアルフラッグ事件(?)もさつきの愛されキャラクターを実感しますね。

 ショコラのツイートをそのまま貼り付けておくので、多くは語りませんが、みんなに愛されてるのも、さつき自身が周りを楽しくさせる和ませる才能に溢れているのもよく分かる一場面でした。

 

 

 

 この日の試合会場は姫路のウインク陸上競技場(第6節ハリマ戦)で、大阪からも近いのでお母様いらっしゃってました。実はこの日のさつきはベンチ入りはしてましたが出番は無くて、ご家族の前でボールを蹴る姿は見せられなかったんですよね。本人はきっと悔しかったと思う。だけど、前節達成した50試合のフラッグ(JUNKIE代表のカズさんが、仲間のAさん経由で発注して節目節目に選手にお渡ししているものです。本当は四隅を縫って揃えてから渡すのですが、次の週の試合が関西だったのでどうか親御さんにも――と取り急ぎ未完成で持っていったものだったと思います。下に白い部分が余ってるのはそのためです 笑)このフラッグを渡されて、めいいっぱい明るく盛り上げてくれたんじゃないかなと思います。

 そんな愛娘の姿(さつきが言うからね、さつきが言うからね――のくだり)をスタンドから見て「もうやだこの子、恥ずかしい 笑」って笑ってたさつきママの姿も微笑ましかったな。大阪出身のサポ仲間が「これ東京の子はまずこういうこと出来ないんですよね 笑」「大阪育ちの子ならではですね 笑」みたいに言ってました。


 去年と今年は怪我に苦しんだこともあって(2022年5月末 右膝内側側副靭帯損傷 全治6週間 / 2023年6月 右膝前十字靱帯断裂 全治8か月)本人も前十字の怪我が今回の引退理由のひとつであると、引退コメントにて述べていました。それでも今のさつきには新しい夢があること、引退においてネガティブな気持ちがひとつも無いと胸を張って言ってくれたこと、それが我々サポーターにとっては大きな救いでもありました。本当はもっともっとピッチで走り回って相手GKとDFを翻弄する小さな巨人中山さつきが観たいです、本音ではそうです。でもさつきがやり切ったと思って、最高のサッカー人生だったと、その言葉で引退コメントを締めくくってくれたことが私は本当に嬉しいです。

 私は東京時代も最東端の江戸川区住まいで普段なかなか世田谷区まで行けなかったこともあり、砧のサミット様もさつきが働いてる平日には行けたことがないんですが、いつもサミット様砧店の公式Twitterで元気にニコニコお仕事をするさつきの姿がUPされてましたね。オフシーズン中でもTwitterを通してダン・ブラウン(サミット様のパン屋さん)の新商品やフェア等を告知する姿が見られてたのですが、そんな機会も無くなると思うと寂しいです(あくまで私の勝手な想像でサミット様退職前提で書いてます。社員として残ったとしても異動するかもしれないし、夢があるって書いてたのでやっぱり退職かな)

 

 さつきはサミット様がスポンサー様に付いてくれてからのサミット様採用2期入団選手になるのかな(第1期が松永、田中、三本で、第0期が橘木の認識です)思えば2019年加入選手も、残るは金子ゆいのみになってしまいました。

 

 ▼2019年加入組(リリース順/漏れは無いと思うんですがあったら教えてください)

 大竹麻友(2023退団)

 片寄優(2020引退)

 伊藤綾花(2022引退)

 熊谷汐華(2022引退)

 中山さつき(2023引退)

 金子ゆい

 

 

 さつき、スフィーダに来てくれてありがとう。記憶に残るゴールが多い選手でした。名前は五月生まれの「さつき」だけど、いつもニコニコ明るい真夏の向日葵のような選手でした。新しい夢に向かって頑張ってね。