久しぶりにブログを書きます。

 溢れる想いを形にせずにはいられませんでした。

 

▼本日13時に多くのスフィーダサポを震撼させた公式ニュースリリース

【2023/12/23 スフィーダ公式】 引退選手のお知らせ

 

 年齢的にそろそろなのかな、でも嫌だな、まだまだ魅せて欲しいな――と思っていた選手も居れば、嘘でしょ、まだまだやれるじゃん、早すぎだよ――と驚かされた選手も居ます。ただ共通して言えることは、彼女たちが居なければ2020年の2部優勝も、2022年の1部優勝も無かったよということ。これまで本当にありがとうという気持ち。なでしこリーガーとしてのキャリアを、スフィーダで始めてくれて、スフィーダで終えてくれてありがとうという想い。もう感謝しかありません。

 

 直接喋ったことない選手も居ます。ショコラの独断と偏見と、断片的な偏った記憶によるものが多いですが、この四人について振り返って行きたいと思います。

 

【背番号15→5 渡辺瑞稀】

 川邊GM(当時監督)と同じ国士舘大学出身。GMが当時のブログで「どうしてもどうしても獲得したかった選手」と書いていたのが記憶に残っています。

 最近スフィーダを観始めた方には、DFラインに絶対に欠かせない選手というイメージが強いでしょうし、スフィーダの盾、鉄壁、重戦車なんて言われてたりもしますが、入団時はサイドアタッカーでした。

 

▼以下はこの七年のみっちゃんの出場試合数(七年通算113試合)です。

2017(2部6位):14試合
2018(2部8位):9
2019(2部7位):8
2020(2部初優勝):18(フル)
2021(1部準優勝):20
2022(1部初優勝):22(フル)

2023(1部4位):22

 

 二年目と三年目、ベンチにも入らない日々が続きました。そこでセンターバックへのコンバートがありました。本人曰く「ヘディング出来ないからDFは嫌だ 笑」みたいなことを当時は言っていたらしいですが、そこから自分で道を切り開いて唯一無二の居場所を作ったみっちゃんは本当にカッコイイ! 四年目からの四年間は本当に「みっちゃんが居なかったらヤバい、今みっちゃんが怪我で離脱したら終わる!」くらいに声出しサポの中ではずっと言われてました。とても強いメンタルの持ち主で、チームの柱のような存在でしたね。今年の皇后杯三回戦メニーナ戦、1-0でリードはしていたものの苦しくてみんなの足が止まりかけてた90分からのアディショナルタイム「ねえ、最後歩かないでっ!」ってみんなに喝入れてた声が頼もしくてカッコ良くて、震えました。

 実は去年バモ美キャプテン(野村智美)が引退した時に、私は次のキャプテンはみっちゃんだと勝手に確信していたんです。今年の第2節、3/25の大和シルフィード戦の実況を担当した山﨑雄樹アナによれば「今シーズンは当初樫本芹菜にキャプテンの打診があったけれど、今後のスフィーダのことを考えるとユース出身の選手のがクラブを担っていった方が良いと思い、樫本選手が柏原選手を川邊GMや神川監督に推薦した」とのことですが、ひょっとしたらみっちゃんも打診されていて、けれどあと一年で引退することを既に心に決めていて、それでキャプテンを断ったんじゃないだろうか――なんて今思えばですが、そんな風に思ったりもしています。推測の域を出ませんが。

 

 実は約三年前、2021年の1/30に元競輪選手――中野浩一さんのラジオにみっちゃんが二日連続で出演しました。その時はなでしこリーグ2部で優勝して間もない頃で、みっちゃんは当時の気持ちをこう語っていますました

 ――入った年から成績が良くなくて……今年ようやく。嬉しいって気持ちが一番強すぎて、泣いちゃうかなって思ったら喜びのが強くて、涙も出ず……でした。PKとかトーナメントで勝ってたら涙が出たかも、でも積み上げて来た喜びのが強くて……上位3チームまで接戦で、私たちが負けたら3位のチームが優勝してもおかしくない、そんな状況でした。最終節の相手のASハリマアルビオンは0-3で負けてたチーム(第1クール:第13節 ウインク競技場)で、「(同じ相手に)二回負けない」ってことが出来てたリーグ戦だったので、勝てて良かった! その試合では原志帆キャプテンの引退が決まっていたので、勝って全員がキャプテンに駆け寄りました。

 

 当時ラジオを聴きながら文字起こしをして保存していたこの文章を読み返し、私もまた泣けてきました。コロナが流行ってリーグ開幕が七月後半(しかも第1節と第2節は無観客のリモートマッチ)となった2020年、声出し応援は勿論のこと、ハリセン応援も出来なかった異例の年。選手チャントは勿論、コールも出来なかった年。新しく加入した選手の個人チャントも全部用意していたのに一度も披露出来ないままチームを去った選手も居ました。この年、初めて全試合フル出場を果たしたみっちゃん、前述の各シーズンにおける出場試合数を見ても、みっちゃんの進化と共にスフィーダの大躍進があったと言っても過言ではありません。
 

 ラジオ二日目では、今はアマチュア日本一を目指してますと答え、ラジオの最後の締めくくりにも、2021年アマチュア日本一を目指す!――そう言い切って番組が終わりました。アマチュア日本一(なでしこリーグ1部優勝)を成し遂げたのはその翌年の2022年だったけれど、2022年、2023年、スフィーダで唯一、二年連続ベストイレブンを獲ったみっちゃん……最後の花道はあまりにもカッコ良くて、見事で、引退コメントでは「ファン・サポーターの方が私のことをあんな選手いたなと思うくらい、これからみんなが強くなってクラブを引っ張っていくに違いありません」なんて言ってますが、私の中ではみっちゃんが居てくれた七年はあまりに鮮烈過ぎて、チームに残った選手たちが強くなって貰うのは勿論そうあって欲しいのですが、みっちゃんのことを「あんな選手居たな」だなんて、そんなこと言えるはずがないです。

 

 国士舘大学卒業時にサッカーを続けるか悩んだというみっちゃん。在学時に、東京都のリーグでスフィーダユースとの対戦機会があったらしいんです。

 ――その時にユースのコーチが私のプレーを見ていてくれて、それが入団のきっかけになりました。震災を経験していたこともあって、本当は卒業したら福島に帰ろうと思ってたんですが、親はサッカー続ける姿を見たいって思ってたらしいです。

 ラジオではこうも語っていました。この時のユースのコーチは楠本さんでしょうか、そこから川邊GMに話が行ったんでしょうか。詳しくは分からないけれど、ここでみっちゃんを見つけて熱烈にスフィーダに呼び込んだ川邊GM本当に良い仕事をしてくれたと思います。勿論、出場機会に恵まれなかった数年で腐ってしまう選手だって居るし、諦めて競技を辞めてしまう選手、環境のせいにして外に出て行く選手だって少なくはないです。この道を切り開いたのは他でもないみっちゃん本人の努力と根性なんですよね。

 

 先日の皇后杯五回戦、ベレーザとの死闘で惜しくも敗退したあの日のこと。ゴール裏に挨拶に来たスフィーダイレブン、その中でユニの裾で必死に涙を拭って嗚咽混じりに喋っていたかっしー(柏原美羽)キャプテン、その向かって右側に立っていたみっちゃんは笑いながら優しくかっしーの背中を擦ってあげていました。かっしーの涙の理由のひとつが自分の引退であることも分かっての、あのみっちゃんの顔だったんだと思うと、今もなお、こみ上げてくるものがあります。でも、やり切った顔してたなあ。日本の女子トップリーグの王者ベレーザ相手に、みっちゃん、見事に攻撃陣を封じて、ラインコントロールして、本当に立派だったもん。

 

 

 ――好きなサッカーをこのクラブで終える。 

 こんな幸せなことはありません。

 ありがとうございましたニコニコ

 

 本日のクラブの公式リリースを引用して、Twitterにてこう述べたみっちゃん。

 私たちこそ、みっちゃんのスフィーダ入団から引退までの七年間、みっちゃん伝説をこの目に焼き付けることが出来て本当に幸せでした。本当に今までありがとう。

 

 

 

 聞いて下さい。

 四人の選手について書くつもりで、でもあかにゃん(長﨑茜)についてはかなり長くなりそうだから、みっちゃん+さつき+紗矢香とあかにゃんで前後編に分けて書こう――そう思っていたんですが、二時間半書いてもみっちゃんしか書けませんでした。ゆっくりまったり書きますね。今夜はみっちゃん一人で終了です。おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

※これは2019年5月16日頃に途中まで書いていてそのまま表に出ることなく埋もれていた下書きを加筆修正したブログです。今回第四節の中山さつきのゴールを観て、なんとなく続きを書いて出してみようかな――という気持ちになりました。

 

 サッカーって面白いんだな……と、初めて思ったのが2010年の6月29日(南アW杯 日本VSパラグアイ戦)

 テレビだけじゃなくてスタジアムで生で観たいと思って、Jリーグのサポ自(サポーター自由席、主にゴール裏)に飛び込んだのが同年の8月1日(川崎フロンターレVSベガルタ仙台@等々力)

 サポ仲間に誘われ、なんとなく付き合いで女子サッカーを初めて観たのが2012年6月17日(日体大VSベガルタレディース@日体大健志台キャンパス)

 旦那に半ば強引に連れられ、スフィーダのサッカーを初めて観たのが2014年の5月3日(第五節 静産大磐田ボニータ戦@江戸陸)

 

 2015年、一年ぶりに来たスフィーダの試合、座って試合の写真を撮っている旦那の横で、選手の名前も分からず黙って観ていたはずなのに負け試合が悔しいと思った4月4日ホーム開幕戦(第二節 パルセイロ戦@駒沢)

 黙って観ているのに耐えられなくなって、少しずつ当時の声出しサポーターの人たち(控えめに言って結構怖くて近寄りがたかったよw) に近い席に寄って行って、勝手に一緒に声を出し始めたのが第四節だか六節あたり。

 

 そんなこんなで今ここに居るわけなのだけど、スフィーダサポになって初めて知ったことがいくつかあった。

 

 一つ目は、「声出し」という言葉の存在。

 正直「『声出し』ってなに? 声出すのが普通じゃないの? 出さない方が普通なの?」と最初は思った。90分間+α(キックオフ前の選手チャント、チームチャントもろもろ)飛び跳ねて大声で応援するのが当たり前だったJリーグのサポ自から来たショコラにはこれはあまりに衝撃だった(これは当時の私が異文化を知らなかっただけなので、普段から黙って試合を観ている人たちに対する非難でも何でもありません)

 

 二つ目、「鳴り物禁止」という概念。

 これも理由としては声出しと同じ。スタジアムには太鼓があったり拡声器があったり、時にはゴール裏とバクスタの連携の為のスピーカーがあったり……という環境に慣れていたから、鳴り物を使ってはいけない試合が存在することに驚いた。

 

 三つ目、選手にとって「サッカー選手」は必ずしも「職業」ではないということ。

 子どもの頃、将来の夢に「〇〇選手」と書いた人も多いと思う。子どもたちにとってスポーツ選手は、医者だったり、教師だったり、パイロットだったりと、それらの職業に並ぶ「職業」であったのだ。けれど、女子サッカーを観るようになって、多くの選手が働きながらサッカーをしているとうことを知った。最初は信じられなかった。2011年の女子ワールドカップ(ドイツ大会)でなでしこジャパンが世界一になり、岩清水梓がテレビのバラエティ番組に出た時に「日テレの売店で働いてたよね?」みたいに誰か芸能人に言われていたのを聞いて「日本代表の選手が、世界一に輝いた凄いDFが、サッカー以外に仕事してるの? いやいやいや、嘘だろ!」と思ったのを覚えている。

 今でこそサミット株式会社様をはじめ、多くのスポンサー企業様が社員としてスフィーダの選手を受け入れ、選手たちが練習や試合、サッカーを中心とした生活が出来るようにシフトを調整してくれたり……という比較的環境が整っていたりはするけれど(所属先によって個人差はあると思うが)、以前はもっと過酷な環境だったとも聞いている。

 

▼遠征の前泊時に川邊前監督(現GM)もブログで書いてますね

【監督公式ブログ20190419】愛媛に来ました。

 

 そして四つ目、選手にもご両親がいるということ。

 「何を言ってるんだお前は?」と言われそうである。けれど、子どもの頃にテレビで観た野球選手は、ヒーローインタビューで「〇〇(子どもの名前)! 〇〇! パパ頑張ったよ!」と我が子に向けてメッセージを飛ばし、Jのスタジアムで観た100試合達成だとかのセレモニーで花束を持って選手を祝うのは配偶者だったり、お子さんだったり、そういう場面で選手のご両親に照明が当てられることはそう多くなかったと思う。

 

 だから驚いた、スフィーダを応援し始めてから初めての遠征先、2015年の南長野の球技場で永田真耶(当時#11)のご両親に声を掛けられたのだ。

「永田の母です。いつもありがとうございます」

「???????」

 ――いやいや、こっちは勝手に好きになって勝手に応援してるだけなんですが……。

 私がTwitterやFacebook(←今は全然更新してません)でスフィーダのこと、選手の個人名を呟いたりすることで、それを遠くから見てくれている親御さんが居るということは全く考えていなかった。そもそもスタジアムに親御さんが応援に来てることだって想像もしていなくて、初めてゲーフラ(福原菜緒/当時#2)を作って持っていった時に突然当時のコールリーダーに「あそこにご両親座ってるからあっち向けて見せてあげて」って言われた時も驚愕と動揺、羞恥でいっぱいいっぱいになったものだ。ミーハーな気持ちでキャッキャしながらゲーフラを掲げる姿を、その選手本人のみならず親御さんに見られることは完全に想定外だったからだ。私がJサポーター出身、元を辿るとプロ野球ファンだからなのかもしれない、どこか選手を遠い世界の人間離れした人のように思っていて、同じフィールドに親御さんが来ているだなんてところまでは想像力が働かなかったのだと思う。

 やがて、選手は遠くから一方的に見て応援する存在ではなくなった。特に私の推していた福原菜緒ちゃんは、毎試合、勝っても負けても試合が終わると声出しサポーター全員に握手しに駆け寄って来てくれたから、余計にそう思ったのかもしれない。自分たちの声援が選手に届いている、自分たちの応援が何らかの作用をしている、一緒に戦っている――そう思わせてくれたのだと思う。

 それに加えての、親御さんの存在だ。自分の娘がベンチに入っていなくとも遠方から来ている方が居た。自分の娘が負傷離脱しているのに、遠いアウェイの地まで駆けつけた方が居た。ベンチに居ながら、来るかどうか分からない出番を待ちながらずっとアップしている娘の姿を見守る方が居た。顔と名前が一致して、挨拶をするようになると、どうしても思ってしまうのだ。

「今日◯◯スタメンかな」

「今日□□はベンチだけど、出番あると良いな」「△△、最近ゴール決めてないから、今日お母さんの前で決められると良いな」

 特に関東圏外出身の選手については遠征先によって、アウェイ愛媛だったら九州勢来られるかなとか、大阪なら関西勢結構来るかなとか、お節介ながら気にしてしまうようになった。

 だから前節、Jグリーンで中山さつきの親御さんを見掛け挨拶をした時は、それ以上の言葉は掛けなかったけれどもさつきの出場と活躍を願った。そしてさつきは、地元大阪でそれ以上の結果を出してくれた。私がさつきの追加点にウルッと来た要因のうちのひとつにはそれがあったのだと思う。


 今日はホーム、AGFフィールドでの第五節だ。今日も多くのサポーターが駆けつけ、その中には選手の親御さん、友人、職場の方々がいらっしゃったりして、中には遠方から飛行機、新幹線で来る人も居る。ピッチ上の11人、ベンチ、サポートメンバー、選手の数だけドラマがあって、サポーターの数だけ背景エピソードがある。

 今日のヒロインは誰だろうか。

 

 

 ▼四年前、さつきが一試合2ゴール決めた時に描いたもの

 

▼前節、第四節のJグリーン(地元大阪)でゴールした時のさつきぴょんぴょんパフォーマンス


▼サミット砧店様所属のさつまおコンビを見て、描きたくなった漫画

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私自身2022シーズンからほとんどホームゲームに行けなくなってしまったのでスタジアムでの空気を体感してはいないのだけど、去年の夏くらいからファミリー層が増えたような気がするのは気のせいではないはずだ。Twitter等でも――私は自分から積極的にチーム名や推しの選手名で検索したりはしないタイプだが――去年の途中くらいから、熱心にスフィーダを応援しているらしい新しい方をお見掛けするようになったように感じる。
 

 記録を辿ってみると去年のシーズン中断前の最後のホームゲーム(7/2の第15節 ハリマ戦@江戸陸)で、初めて幼稚園年長以上中学生以下の子ども対象の「応援うちわ作りイベント」が開催され、それ以来継続的にホームゲームでキッズ対象のイベントが行われている。特に9月から10月にかけて行われていたキッズスタンプラリーは、横目で見ながら「えー、キッズいいなあw」と思ったりもしたし、その期間ホームゲームに来た回数に応じてスフィーダファンなら絶対嬉しいチームのグッズだったり選手からのメッセージ動画だったりを貰えたらしく……これは非常にやり方が上手いと思った。子どもの心を掴めば、次節も子どもがホームゲームに行きたがる、しかし子どもは一人では行けない、親御さんの引率が必要になる、気付いたら親御さんも心を掴まれファミリー全体でスフィーダ推しになる、良いことしかない、やり方が上手い。

 ただ、それはそれである。あくまで私には他人事でしかなかった。我が家は子ども居ないしキッズ向けイベントは1ミリも関係無いしなあ――と、特に情報をしっかり得ようと思ったことも無かった。けれどそう思うと同時に……Twitterで見掛ける喜びの声は嬉しくもあった。

 

「家族全員でファンになりました」

「キッズ対象企画が楽しい、けどそれ以上に明るく優しくお話してくれる選手たちに本当に感謝しています」

「キッズイベントで試合前のピッチ内アップを間近で見させて頂きました」

 

(↑Twitterから一部抜粋させて頂きました)

 

 スフィーダを愛してくれる人が増えることも嬉しいし、なにより子どもと触れ合っている選手、自分の応援うちわを持っている子どもを見て笑顔で手で振っている選手を見ると私も嬉しくなるのだ。

 

スフィーダ世田谷FC公式選手インスタ【2023/9/13竹島加奈子の回】 

 
 この竹島加奈子(現・伊賀FCくノ一三重)のインスタでの文章を読んだ時、正直グッと来た。2021年シーズンからスフィーダ戦士に加わった加奈子の開幕戦でのデビューは本当に本当に鮮烈で、こんなに一人で何でも出来ちゃう子がどうしてわざわざ格上の伊賀からスフィーダに来てくれたのだろうか――と疑問に思うと共に、今後の加奈子と、この加奈子との連携でスフィーダの攻撃陣がどう変化していくのが楽しみで楽しみで仕方なかった。そんな加奈子の快進撃はシーズンが始まりわずか一か月ほど――第6節以降鳴りを潜めることとなる。どうやら怪我があったようで、そこからしばらくはベンチに入ることも無かった。第12節以降一度戻っては来たものの、シーズン開幕当初のようなスタメンからのフル出場という大活躍を見ることは、もう無かった。
 チームとしても、靭帯断裂や骨折のような大きな故障でなければニュースリリースに出さないこともあるから、サポーターが知らないだけで本調子じゃないのだろうかと思うこともあったけれど、どうやらそうではないらしかった。ポジションの問題だったり、他の選手との連携だったり、何らかの理由で神川スフィーダの構想から外れてしまったのだろうと思う。それ以上の理由は試合中の姿しか観られない……一サポーターの私には分からなかった。ただ、その加奈子がインスタでこのイベントに対してそう語ってくれたことが本当に嬉しかった。
 
▼上記リンクから飛べば彼女が貼り付けた写真と本文全文が読めるけれど、ここにも一部抜粋して載せてみようと思う。
 このような企画を考えてくれてる方や運営をしてくださっている方がいるからこそサッカーが出てきている!と感じれる時間だったし、いろんな角度、立場からチームのサポートを経験できているから色んな方への感謝が出来るのだと、当たり前じゃないと改めて感じれました‼️‼️ いつもありがとうございます。
 
「僕はいつもイベントのヘルプに来てくれる選手たちにこう言うんです。あなたたちは本来ここに居るべき選手ではありません。次からは来ないで下さい――って」
 キッズイベント担当のボランティアさんはこう語っている。キッズイベントの開催日というのはホームゲーム開催日だ。勿論、怪我のリハビリで戦線から長期離脱している選手についてはその限りではないが、それ以外の――怪我もしてない、自分としてはベストコンディション、けれどベンチに入れなかった選手たちに対して、励まし、鼓舞の意味でそう言葉を掛けるのだろう。そんな中で去年竹島加奈子は、おそらく試合に絡めない悔しい想いを抱えながらもこんなインスタを載せてくれたし、イベント担当のボランティアさんにも「こんな企画は自分たちで思い付かないから凄い」だとか、感謝とか、イベントの大切さ、キッズとの触れあいの大事さ……そんなことを直接語ってくれたそうだ。
 
 だいぶ竹島加奈子の話ばかりに逸れてしまったけれど、要はチームが企画して開催しているキッズイベントというものは、チームからキッズ、家族ぐるみで応援してくれるファン、サポーター側へ一方的に与えているものではなく、そんな触れあいを通して選手たちも何かしらを享受してくれて今後の何かに還元してくれる、そんな大事な機会なのではないか――そう私は思ったのだ。
 
 親御さんが子どもたちに対して何らかの説明をしない限り、子どもたちには、目の前に居る選手がどういう経緯があって今日のイベントに参加しているのかは分からないだろう。怪我をしている選手、まだ入団したばかりでなでしこリーグ初出場の日をまだかまだかと待ちわびている選手、かつてスタメンに居たのに最近は絡めていない選手、その事情は様々だろうけれど、子どもたちは目の前でニコニコ接してくれているお姉さんを応援したくなるだろうし、次のホームゲームに来た時にそのお姉さんがピッチ内でアップしていたら(イベントで絡めなくて)寂しい気持ちもあるかもしれないけれど、きっと喜んでくれる。
 2017年のシーズン途中でサミット様がスポンサー様になって下さり、翌年のシーズン開始時からスタジアムを青で占める割合が圧倒的に増えた、レプリカユニフォームまでは買わないまでも安価なコンフィットシャツの背番号12番を背負って一緒にハリセンを叩いてくれるサポーターが増えた。2020年からコロナの流行で、やむなく入場者数は減ったけれど、少しずつ流行が収まって来た2022年の中旬から、こうしてキッズイベントが盛り上がり家族ぐるみでスタジアムを楽しんでくれる層が増えた。試合の無い日も、祖師谷大蔵の駅前でラジオ体操イベントだったり、近隣のお店とのコラボでイベントが行われていたりする、本当に良いチームになったと思う。
 
 さてご存知だろうか、次節第3節、AGFフィールドで行われるオルカ戦では大人も参加出来る「応援うちわコンテスト」が行われる。いつもは先着20名の事前申し込み制で、中学生までのキッズしか参加出来ないうちわ作りイベントだけど、今回のコンテストは事前に自宅で作ったオリジナルうちわを持ち込んで後日選手たちに審査して貰えるらしい。
 
▼詳細はこちら
 
「えー、でも基本キッズ向けのイベントでしょう?」
「でも参加賞もあるので、大人の人にも是非参加して欲しいんですよ。うちわは選手たちにも評判が良いんです」
「それは可愛いキッズたちがうちわ持ってたら嬉しいんでしょうけど~」
 基本、ひねくれているショコラのツッコミに、イベント担当者さんが色々説明してくれた。
「キッズが持っているからではなく、ゲーフラみたいに、自分の為に自分の応援うちわを選んで作ってくれるのが嬉しくてテンションが上がるって、やっぱり自分のだけ無いと寂しいみたいですし」
 ――ゲーフラみたいに……。
 
 そう言われたら、推しのうちわを作らないわけにはいかなくなった。そんなに頻繁に三重県から東京のホームゲームには足を運べないので、今回は関東在住の仲間に宅配でうちわを送り、当日イベントブースに代行で提出して貰うことにした。
 
「これって……自宅にある要らない古いうちわとかを土台にデコればいいんですか?」
「それでもいいですし、今は100均に行けば推しうちわ作成コーナーみたいのがあって、そこで色々買えますよ」
 
 なるほど! 推しうちわって……ジャニーズのコンサートとかのイメージしか無かったけれど、最近こういうの増えてきたものね――と、私もDAISOに行って色々調達して来た。これは凝り出すととことん凝ってしまいそうな予感がする。勿論選手個人賞を貰えたら嬉しいけれど、参加賞もあるらしいから、これは賞云々ではなく参加することに意義がありそうだとも思った。普段キッズが持っているような、公式HPにある選手の顔写真を切り貼りしてメッセージだったり選手の名前だったりをデコっても構わないし、直接うちわにペンやマーカーで描くのもありだろう。パソコンのお絵描きソフトなどを使って描いたものを貼り付けても良いと思う。今日はまだ木曜日だ、今週のホームゲームは日曜日だ。このイベントに対して完全ノーマークだった大きいお友達、素材も何もないままどう作ったら良いか分からなかった人、大人も参加出来るの知ってたけど基本キッズしか出さないでしょ――と思っていた良い年した大人の方、安心して下さい、良い年したショコラも既に作成して関東エリアに向けて送りました。
 
▼ショコラがDAISOで調達してきたうちわ素材

 
 4/2のホームゲーム、私は三重県からのYouTube観戦になるけれど、試合結果は勿論のこと、うちわコンテストが盛り上がったら良いなあ――と心から願うばかりである。