※これは2019年5月16日頃に途中まで書いていてそのまま表に出ることなく埋もれていた下書きを加筆修正したブログです。今回第四節の中山さつきのゴールを観て、なんとなく続きを書いて出してみようかな――という気持ちになりました。

 

 サッカーって面白いんだな……と、初めて思ったのが2010年の6月29日(南アW杯 日本VSパラグアイ戦)

 テレビだけじゃなくてスタジアムで生で観たいと思って、Jリーグのサポ自(サポーター自由席、主にゴール裏)に飛び込んだのが同年の8月1日(川崎フロンターレVSベガルタ仙台@等々力)

 サポ仲間に誘われ、なんとなく付き合いで女子サッカーを初めて観たのが2012年6月17日(日体大VSベガルタレディース@日体大健志台キャンパス)

 旦那に半ば強引に連れられ、スフィーダのサッカーを初めて観たのが2014年の5月3日(第五節 静産大磐田ボニータ戦@江戸陸)

 

 2015年、一年ぶりに来たスフィーダの試合、座って試合の写真を撮っている旦那の横で、選手の名前も分からず黙って観ていたはずなのに負け試合が悔しいと思った4月4日ホーム開幕戦(第二節 パルセイロ戦@駒沢)

 黙って観ているのに耐えられなくなって、少しずつ当時の声出しサポーターの人たち(控えめに言って結構怖くて近寄りがたかったよw) に近い席に寄って行って、勝手に一緒に声を出し始めたのが第四節だか六節あたり。

 

 そんなこんなで今ここに居るわけなのだけど、スフィーダサポになって初めて知ったことがいくつかあった。

 

 一つ目は、「声出し」という言葉の存在。

 正直「『声出し』ってなに? 声出すのが普通じゃないの? 出さない方が普通なの?」と最初は思った。90分間+α(キックオフ前の選手チャント、チームチャントもろもろ)飛び跳ねて大声で応援するのが当たり前だったJリーグのサポ自から来たショコラにはこれはあまりに衝撃だった(これは当時の私が異文化を知らなかっただけなので、普段から黙って試合を観ている人たちに対する非難でも何でもありません)

 

 二つ目、「鳴り物禁止」という概念。

 これも理由としては声出しと同じ。スタジアムには太鼓があったり拡声器があったり、時にはゴール裏とバクスタの連携の為のスピーカーがあったり……という環境に慣れていたから、鳴り物を使ってはいけない試合が存在することに驚いた。

 

 三つ目、選手にとって「サッカー選手」は必ずしも「職業」ではないということ。

 子どもの頃、将来の夢に「〇〇選手」と書いた人も多いと思う。子どもたちにとってスポーツ選手は、医者だったり、教師だったり、パイロットだったりと、それらの職業に並ぶ「職業」であったのだ。けれど、女子サッカーを観るようになって、多くの選手が働きながらサッカーをしているとうことを知った。最初は信じられなかった。2011年の女子ワールドカップ(ドイツ大会)でなでしこジャパンが世界一になり、岩清水梓がテレビのバラエティ番組に出た時に「日テレの売店で働いてたよね?」みたいに誰か芸能人に言われていたのを聞いて「日本代表の選手が、世界一に輝いた凄いDFが、サッカー以外に仕事してるの? いやいやいや、嘘だろ!」と思ったのを覚えている。

 今でこそサミット株式会社様をはじめ、多くのスポンサー企業様が社員としてスフィーダの選手を受け入れ、選手たちが練習や試合、サッカーを中心とした生活が出来るようにシフトを調整してくれたり……という比較的環境が整っていたりはするけれど(所属先によって個人差はあると思うが)、以前はもっと過酷な環境だったとも聞いている。

 

▼遠征の前泊時に川邊前監督(現GM)もブログで書いてますね

【監督公式ブログ20190419】愛媛に来ました。

 

 そして四つ目、選手にもご両親がいるということ。

 「何を言ってるんだお前は?」と言われそうである。けれど、子どもの頃にテレビで観た野球選手は、ヒーローインタビューで「〇〇(子どもの名前)! 〇〇! パパ頑張ったよ!」と我が子に向けてメッセージを飛ばし、Jのスタジアムで観た100試合達成だとかのセレモニーで花束を持って選手を祝うのは配偶者だったり、お子さんだったり、そういう場面で選手のご両親に照明が当てられることはそう多くなかったと思う。

 

 だから驚いた、スフィーダを応援し始めてから初めての遠征先、2015年の南長野の球技場で永田真耶(当時#11)のご両親に声を掛けられたのだ。

「永田の母です。いつもありがとうございます」

「???????」

 ――いやいや、こっちは勝手に好きになって勝手に応援してるだけなんですが……。

 私がTwitterやFacebook(←今は全然更新してません)でスフィーダのこと、選手の個人名を呟いたりすることで、それを遠くから見てくれている親御さんが居るということは全く考えていなかった。そもそもスタジアムに親御さんが応援に来てることだって想像もしていなくて、初めてゲーフラ(福原菜緒/当時#2)を作って持っていった時に突然当時のコールリーダーに「あそこにご両親座ってるからあっち向けて見せてあげて」って言われた時も驚愕と動揺、羞恥でいっぱいいっぱいになったものだ。ミーハーな気持ちでキャッキャしながらゲーフラを掲げる姿を、その選手本人のみならず親御さんに見られることは完全に想定外だったからだ。私がJサポーター出身、元を辿るとプロ野球ファンだからなのかもしれない、どこか選手を遠い世界の人間離れした人のように思っていて、同じフィールドに親御さんが来ているだなんてところまでは想像力が働かなかったのだと思う。

 やがて、選手は遠くから一方的に見て応援する存在ではなくなった。特に私の推していた福原菜緒ちゃんは、毎試合、勝っても負けても試合が終わると声出しサポーター全員に握手しに駆け寄って来てくれたから、余計にそう思ったのかもしれない。自分たちの声援が選手に届いている、自分たちの応援が何らかの作用をしている、一緒に戦っている――そう思わせてくれたのだと思う。

 それに加えての、親御さんの存在だ。自分の娘がベンチに入っていなくとも遠方から来ている方が居た。自分の娘が負傷離脱しているのに、遠いアウェイの地まで駆けつけた方が居た。ベンチに居ながら、来るかどうか分からない出番を待ちながらずっとアップしている娘の姿を見守る方が居た。顔と名前が一致して、挨拶をするようになると、どうしても思ってしまうのだ。

「今日◯◯スタメンかな」

「今日□□はベンチだけど、出番あると良いな」「△△、最近ゴール決めてないから、今日お母さんの前で決められると良いな」

 特に関東圏外出身の選手については遠征先によって、アウェイ愛媛だったら九州勢来られるかなとか、大阪なら関西勢結構来るかなとか、お節介ながら気にしてしまうようになった。

 だから前節、Jグリーンで中山さつきの親御さんを見掛け挨拶をした時は、それ以上の言葉は掛けなかったけれどもさつきの出場と活躍を願った。そしてさつきは、地元大阪でそれ以上の結果を出してくれた。私がさつきの追加点にウルッと来た要因のうちのひとつにはそれがあったのだと思う。


 今日はホーム、AGFフィールドでの第五節だ。今日も多くのサポーターが駆けつけ、その中には選手の親御さん、友人、職場の方々がいらっしゃったりして、中には遠方から飛行機、新幹線で来る人も居る。ピッチ上の11人、ベンチ、サポートメンバー、選手の数だけドラマがあって、サポーターの数だけ背景エピソードがある。

 今日のヒロインは誰だろうか。

 

 

 ▼四年前、さつきが一試合2ゴール決めた時に描いたもの

 

▼前節、第四節のJグリーン(地元大阪)でゴールした時のさつきぴょんぴょんパフォーマンス


▼サミット砧店様所属のさつまおコンビを見て、描きたくなった漫画