BoA sns

 

2019年
9月22日(日)        相模女子大学グリーンホール     開演17:00
9月23日(月・祝)   相模女子大学グリーンホール    開演16:00
9月28日(土)        福岡国際会議場 メインホール     開演18:00
9月30日(月)        大宮ソニックシティ大ホール      開演19:00
10月3日(木)        日本特殊陶業市民会館ビレッジホール 開演18:30
10月13日(日)      大阪NHKホール            開演18:00
10月14日(月・祝)  大阪メルパルクホール        開演16:00
 

                                                                                               BoA sns

 

 9月から始まったBoAさんのLive tour

残すは大阪での公演のみとなりました。

名古屋での公演を終えて少し時間がありますが、どうしているのかな?

日本にいるのだろうか。

一度 母国に戻っているのかな。                                                                                               

 

                                                    BoA sns

 

 2019年9月30日(月)

黄昏時、私は大宮駅の西口にいました。

 

 

 破れていないジーパン、ボタンダウンのシャツ、そして夏用のジャケット。

一応、まともな格好で電車に乗りここまでやってきました。

 

 

 昼過ぎ辺りから、私の心臓は早鐘のようにピコピコ(??)動き、

落ちつきなく部屋の中をあっち行ったり、こっち行ったりウロウロと

歩きまわっていました。

 

                                      (大宮ソニックシティ)

 

 気持ちを落ち着かせようと電車の中で「鬼平犯科帳」の文庫を読んでいても

頭の中に浮かぶのはBoAさんのことだけでした。

 

 19年間、一緒に過ごしてくれてありがとう!

音楽を通して幸せを届けられるように努力し続けます

いつも私を励ましてくれてありがとう   BoA  

 

 

 今日、やっとBoAさんに会えます。(正確には肉眼で見られます かな)

丸三年待ちました。

織姫と彦星でさえ、1年に1度は会えるというのに・・・。

長かったです。

遂に、遂に、この日を迎えることが出来たのです!

 

 

 BoA  Live tour 2019 ♯mood  

BoAさんは私のために(決してそうではないと思う)手狭なライブハウスでの

公演をやめて大きなホールでのライブに切り替えてくれました。

これであれば、多くの人を収容できます。

私にでもチケットが買えるようにという配慮からでしょう。

(まるっきり違うと思う)

なんて、やさしいこころの持ち主でしょう。

なんて、おもいやりにあふれた人なのでしょう。

 

 私はBoAさんのファンクラブに入っていません。(なんとなく)

当然、ライブを開催されることになってもチケットは一般人の扱いになり

優遇されることなく抽選にもれ、チケットなど買えることはありませんでした。

前売りチケットが完売した直後から高額な値段のついたチケットがネットで

売買されますが、そんなものに私は眼を向けません。

私が手を出したら、「転売を目的としたチケット購入」を認めてしまうことに

なります。  意地でも手を出しませんでした。

 

 

 で、やっと正規のルートでチケットを手に入れたのです。

「チケット ぴあ」のおかげでしょうか?

ちょっと手数料はかかりましたが、みごと抽選にあたった時は

飛び上るほど、うれしかったです。 

 

 

 BoAさんと同じ空間にいられます。

BoAさんの声が直に聞こえます。

こころに響いてきます。

 

 

 前回のライブへの参加は2015年12月11日でした。

東京国際フォーラム A、確か5000人近くの収容が可能なはずです。

(5000人だとすれば、1回の興業で5000万の売り上げになります、すごいな)

キャパが大きければ、私にもチケットを買えるチャンスがあるのです。

前回はライブ開催を知るのが遅かったせいもあり、とれたチケットは2階席でした。

でも、今回は違います。

1階席です。 

 

 

 大宮ソニックシティ 大ホール 2500人収容です。

前から32列、という近さです。

(後ろから3列目ともいえる)

目の前にBoAさんがいます。

 

 でも、いくら手を伸ばしてもBoAさんには届きません。

前の座席の女性の頭を突いて、怒られるのが関の山です。

(ステージまでは40メートルくらいはありそうです。ずいぶん、遠くだなぁ)

 

 まぁ、いいか・・ よくないか。

 

 こんな時には秘密兵器が登場します。

「双眼鏡!!」  

 

 

 オペラグラスなんておしゃれなものではありません。

野生の鳥を観察するために購入したものですが、結果として

これでいちばん見たものはBoAさんです。(使用目的が間違っていると思う)

 

 相変わらず、美しいBoAさんがいます。

中央の巨大モニターに映し出されたBoAさんの顔に汗が見えます。

「うぉーっ、汗ばんでいる顔だ!」  

激しいダンスをして、歌を歌い、ライトに照らされたBoAさんの

顔に見える汗は熱気のある空間で更にきらめきを増していきます。

 

 BoAさんは13歳でデビューしてかれこれもう19年になります。

お、大人になられました・・・。

 人を惹きつける澄んだ声。

私の好きなBoAさんの声です。

ずいぶん身体の線が細いです。

以前よりもやせたような気がします。

 

 ライブ会場でキョロキョロ観客席を見渡すと、お客さんたちの

年齢層が上がっているのを感じます。

BoAさんと一緒に、みんな年齢があがってきました。

会場にはお子様づれの方が何人か見かけられました。

 曲の合間のトークに今回は長めの時間をとっていました。

(このライブの回だけかもしれませんが)

 お子ちゃまとお話するBoAさんはかわいかったでちゅ

(恥ずかしい! 書いていて恥じらうわ!)    ↑ 単なるおバカです。

 

 私はBoAさんの声が好きでずっと、しつこく ファンを続けています。

                    (たまに浮気をしますが・・)

 眼を閉じて歌を聴いているとゾクッとします。

完全にツボなのです。

明瞭で歯切れの良い発音。

低音から高音まで幅広くカバーできる声域はみごとだと思います。

やっぱり、プロだなぁと思えるのです。

 

 BoAさんはここに私がいることに気がついているでしょうか。

(単にその他 大勢でしかないと思う)

 私の心の声、そして手を振る姿が届いているのでしょうか。

(物理的に聞こえるわけがない・・遠いので見えてもいないと思う)

 

 今、この瞬間、とても幸せな感じがします。

BoAさんと一緒にいられるのですから。

 

                                                        BoA sns

 

 まるで夢です! 夢なら覚めないでほしい。

このままの状態を維持していたい。

時間が止まればいい。(時間が止まったら明日が来なくなるけど、いいや もう)

 

 着々と夢の終わりが近づいてきます。

夢のような世界ですが、それは現実の延長にあるものです。

現実の世界と夢の世界とを隔てる見えない壁があります。

この壁は光も音も通すのに、とてもぶ厚いように思えます。

いくらたたいてもびくともしません。

 

 近くにいるはずなのに、その存在は遠くにある。

最大至近距離40メートルか、か、か、か。

でも、ライブに参加できたから まぁ、いいか・・・。

 

 ものすごい音量でのライブでした。

鼓膜が破けそうなくらいの音量で会場全体が音の大きさに震えました。

この日のライブはDVD用の映像収録日でした。

音が割れているのに、大丈夫なのでしょうか?

心配ですねぇ。

来年頃にはDVDが発売されるでしょう。 買って確認しましょう。

 

 懐かしい数々のヒット曲のメドレーが終わり、ライブが終了する間際。

パーンという大きな音がして上からキラキラしたテープが落ちてきました。

おぉ、ライブっぽいですね。   

そして、アンコールを経て 夢のようなLive は終わりを告げました。

 

 

 私のいる席にテープは落ちてこなかったのですが、ライブが終わって

会場を出て出口に向かっている時に、私がテープをたくさん持っている人を

じーーーーーーーっと見ていて、「それ、分けていただけないでしょうか?」

交渉するかどうか迷っている時に横から幸運の女神が現れました。

私と同じくらいの年齢のきれいっぽい 、お姉さまから「あげましょうか?」

と声を掛けられました。

「えっ、いいんですか? ありがとうございます!

こういうのって最高にうれしいです。

おかげでテープを手に入れることができました。

 

 

 よく見ると日本語が書かれていました。

BoAさんからのメッセージ付きのテープでした。

 

 

 それにBoAさんのサインまで入っています。

 

 

 BoAさんの直筆プリントのテープでした!

 

        「幸せな♯mood を作れたと思います みんなありがとう BoA」

 

 またひとつ、家宝が増えました。

 

 BoA Live tour 2019  感動の2時間でした。

私の好きな2006年前後にヒットした曲を聴くことが出来て幸せでした。

「いいものはいい」時間の経過は関係ありません。

「好きなものはいつまで経っても好きなのです!」

くそじじいに成長(劣化かな?)しても、ずっと純粋な感性を持っていたいです。

 

 私は完全に腑抜けの状態で帰路につきました。

 

 日本でのtourの後、10月26日と27日 

SEOUL オリンピック公園 オリンピックホールでのLiveがあります。

 

                                        BoA sns

 来年も日本でのLive tour を予定してほしいです。

(大きなホールでのLiveを希望します! じゃないとチケットとれません)

双眼鏡を持参して、また参加したいと思います。

 

 

 

     BoA  Jewel Song      (別ウインドウで開きます)  

        作詞 渡辺 なつみ  作曲 原 一博 

 

 

  最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

                                                                 (2019年9月24日 渋谷)

 

 2019年9月24日 仕事が終盤に入り、残る仕事は後片付け的な整理だけ

となったこの日 私は池袋に来ていました。

 

 以前は友人が池袋近くで暮らしていたのでちょくちょく来ていた街です。

「しばらくぶりに来たな」

 

                                      (2019年9月24日 池袋)

 

 渋谷、新宿、そして池袋 およそ4キロずつの間隔になっているはずです。

江戸時代であれば1里という単位ですね。

わかりやすくていいです。 

どこかに1里塚とかあるのかな?  (探している場合ではないな)

 

 仕事を早めに切り上げ、渋谷から山手線で池袋まで来ました。

およそ8キロ移動したことになります。

歩けば、2時間くらいかかるかな。 (歩いている場合ではないな)

 

 池袋駅に着いて西口に向かいます。

目指すは「東京芸術劇場」です。

初めて行くホールです。  

「楽しみだなぁ」 

 

                             (2019年9月24日 東京芸術劇場)

「ここだな」

ガラス張りの外観でいかにも芸術というものを感じさせる建物です。

 

                                (2019年9月24日 東京芸術劇場)

 

                                (2019年9月24日 東京芸術劇場)

 

 自動ドアを抜け館内に入ると広々とした空間がありました。

気持ちのいい場所です。

 

                               (2019年9月24日 東京芸術劇場)

 受付で名前を名乗り、チケットを購入します。

 

                                (2019年9月24日 東京芸術劇場)

 仕事をやりくりして、なんとかすれば時間を作れそうだったので、

昨夜、インターネットで予約を入れたのです。

 

 

 どうしても見たかったのです。

どうしても行かなければと思いました。

登場人物が夢に出てきました。

(仕事の疲れで頭がおかしくなったものと思われます)

 

 劇団の方たちが受付を担当していました。

みんな魅力的な方たちです。

役者さんたちだものなぁ。

まるっきり、自分とは違う世界に生きている方たちです。

 

 チケットとパンフレットを手にして観客席へ向かいます。

傾斜のついた客席です。 これならステージがよく見えます。

 

                             (2019年9月24日 東京芸術劇場)

 

 外界から遮断された厚い壁の空間で、今、私の知らない世界が始まります。

緊張感がこみ上げてきました。

ドキドキします。  

あと数分で私の目の前にまるっきり予想してない世界が繰り広げられるのです。

「あーぁ、どうしよう・・私は今、この時間軸から外れて劇中で設定された時間へ

向かうのです」 

 うまくタイムスリップできるだろうか。

「私は皆と同じ空間に入っていけるだろうか・・」

 

 

 場内の非常灯の灯りが落ちます。

いよいよです。

 

 蒸気機関車の音が聞こえます。 駅が近い場所なのか。

女性が2人、座っています。 裁縫をしているのかな。

ひとりの女性が窓を開けた時、ふっと 爽やかな風が入ったように感じました。

 

 時代は昭和、舞台の場所は千葉の芝居小屋の楽屋です。

かつて、エノケンこと榎本健一と共に大活躍していた二村定一が登場します。

他には、ひょっとしたら渥美清であろう人物、はたまた劇作家の井上ひさしであろう

人物も・・。

 芸能の世界に夢を見て、実現しようと懸命に生きる人たちが描かれています。

 

 二村は一度はスターの座についていた人物ですが、時代の流れの中で今は

酒に溺れる日々を過ごしていました。

もう一度、脚光を浴びたい! 再起をかける気持ちもある一方で自分のプライドが

素直な気持ちを出すことを許しません。

悶々とする気持ちを抱えて生きる姿はあまりにも哀しいです。

 反して、これからの時代を築くであろう若者たち。

相反した境遇の人たちが同じ時間の中で共に刺激を受けていると、

何かが変わっていきます。

 

「お、面白い・・」 

演劇の世界にのめりこんでいく人たちの姿を笑いと時にはシリアスなセリフで展開して

いきます。 

「ひょっとしたら、本当にこんな人たちがこの時代に存在していたのかもしれない」

と思いながら観ていました。

 

 自分をとりまく環境が変わると人は大きく変わります。

適応力というのか、順応性というのか、違うな。

刺激によるエネルギーの出現でしょうか。

 

 一流の「役者」や「作家」を目指すという共通した志がひとつの形になっていきます。

生物は生きる環境の中で刺激を受けて、順応し、適応力をつけることで

自分の種を絶やすことなく現代まで、その命をつないできました。 

 

 ステージ上のこの人たちに今、それが起きている。

描かれているのは刺激とそれにおける変化、まさに精神的な進化です。

 (何を言っているのか、さっぱりわかりませんけど・・・ですよね)

 

 

 ずいぶん笑いました。 

隣の席の男性がよく笑う人で、一緒になって笑っていました。

 

 キャストが皆、個性的で魅力にあふれています。

梅園座長、みごとな歌です。

 

 小屋主の白川伍市さん

あまりにも演技が自然で、これは芝居なのかと疑いたくなるほどです。

迫力もあります。    

 

 二村定一さん、すごいです。 

ぐいぐい、ストーリーをひっぱります。

 

 柿沼幸一さん、いい雰囲気です。安定さがあります。

 

 渥美さん、竹本さん、みごとなデュエット??圧巻です。

 

 松田さん、桜山さん、梅園志津子さん、音楽の楽しさを再確認出来ました。

 

 チェリーさんのあるシーンでは涙が出そうになりました。

 

 佐久間さん、ずいぶん笑わせられました。 

 

 井上さん、一大決心後の変化ぶりに驚きました。  

 

 幸代さん、芝居の冒頭で窓を開けて入ってきた風そのものです。

いい風が吹き、すべてに変化を及ぼします。 

このストーリーの要です。

 

 「あーっ、楽しかった」

やはり、演劇は面白いわ。

目の前でのライブほど面白いものはありません。

 

1時間45分、本当に充実した時間を過ごすことが出来ました。

私は昭和時代の千葉の芝居小屋の楽屋に行くことが出来ました。

 

「皆、一所懸命に生きていたなぁ」

「がんばっている人がいて、共にがんばる仲間がいて、それが社会なんだな」

観に来ようかどうか、さんざん迷いましたが、来て本当によかったです。

 

 

 山手線の車内から見える夜の街を見ながら、ぼんやりと思っていました。

「演劇よりも、もっと、面白い世界を自分は知っているぞ」

「ふ、ふ」

 

 

「それは自分が生きている、この時間」 

 

 

 山手線が新宿の大ガードを通過する時に歌舞伎町の手前の通りを

写真で撮ろうと構えていたのですが、その場所に来たときに電車が横に並びました。

「あれっ、街が撮れない」 

 

 

「何だ これは、まるで君の名は。じゃないか」

「で、あれば組みひもで髪を結んだ女性がいるはずだぞ!」

 

 

「・・・男だし・・」 

 

 

 新宿駅で降りて乗り換えの時、ホームは人であふれていました。

「人が多いな」

「どんな人生を歩んできたのだろうか」

「どんな人生を歩んでいくのだろうか」

「一人、一人が夢を持ち、考えを持って生きている」

 

 

「こんなに面白いことはないな」

 

 自分にとって、とても有意義な時間でした。

また、ひとつ 新しい刺激を受けました。

「劇団 昴」のみなさん、本当にありがとうございました。

 

「暑っ!!」 ← 

 

 公演は9月26日までです。 

すごく、楽しめますよ!   是非、観劇してください。

観劇して、感激してください・・・全然ダメですね。 すんません。

 

 劇団 昴 公式ホームページ     

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

  2019年8月27日(火曜日)

 ふ、ふ、ふ (今までにない書き出しだぞ!)

今日、私は休みだったんですよ!

いいでしょう!? ← (別にどうでもいい) ですよねーっ。

 

 7月の初めからおよそ1か月、働きまくり、その勢いで次の仕事を8月の13日から

始めて、昨日で終わりました。

お盆休みも何もなく、ただ、ひたすら仕事をしていました。

 ブロガーさんの中にはポルトガルへ行ったり、アイルランドへ行ったり、

関東から青森へ行ったり、関西から草津温泉へ行ったり、モンゴルへ行ったり、

と実に夏休みらしい日々を過ごされていたようでした。 いい夏休みでしたね。 

私は毎日、日本の「渋谷」という所へ行っていました。 

世界で一番利用者数の多いスクランブル交差点がある街ですよ!

どうでもいいですね。 

 

 で、久しぶりのお休み。

さぁ、最高の一日の始まりです!

 

 朝、6時起床! (目覚まし時計なし) 

昨夜、寝たのは2時過ぎだったと思いますが仕事でなければ早起き出来ます!

ふ、ふ、ふ 何をするか! 決まっていますよね。

そ、ボウリングの練習です。

 

 

 7時20分には家の近くのボウリング場の21番レーンに入っていました。

愛するパールと共に電車に乗り、やってきました。

平日の朝7時から9時までの間は1ゲームが432円で出来ます。

土日の同じ時間も格安タイムですが540円です。

格安料金でパールと特訓です!

 

            ( ↑ マグニチュード035 パール  私の最愛のボールです )

 

 記事を読んでいただけている方は知っていると思いますが、パールと一緒

ということは今日の練習は右手で投球するということです。

指はだいぶ元に戻ってきた感じがします。

東急ハンズでこんなものを見つけました。

指の第二関節用のサポーターです。

 

 

 バスケットボールをする方が使われているようです。

「これはいいぞ!」 指の関節部分が固定されて多少力が入ってもあまり負荷が

かからないような気がします。

 

 一見、こんなものを指にしているとプロっぽいですよね。

でも、大きな違いがあります。

プロはテーピングをしますが、する場所は指の先っぽです。

第二関節にサポーターをしている方は見たことがありません。

(おもいっきり素人まるだしやん!) ← いいのです。 指を守るためなのです!

 

 では、ストライクを連発しますよ・・。

第一ゲーム、第一フレーム、第1投目   ガター  あれっ!? 

第二フレーム、1投目  ガター  あれっ!? 

第四フレーム、1投目  ガター  かぁッ!

 

 

 パールはどうしたのでしょうか? ボールが転がるために整備されたレーンよりも

両端の溝を転がるのが好きになったのでしょうか? 

 

パールをリリースしようとする時にリリースする直前にボールが手から落ちて

しまうのです。

今までに経験したことのない事態です。

 

原因はすぐに想像がつきました。

 

 前回、(だいぶ前ですが)私の右手の親指が太くなり、パールのサムホール

に入れると抜けなくなっていました。

それで、ボウリング場のスタッフさんに相談してサムホールの周りをヤスリで

削り穴の口径を広げてもらったのです。

おかげで、指が抜けるようにはなりましたが、ちょっと口径が広すぎるのかもしれません。

上級者は穴の内側にテープを貼って自分の指の太さに合うように調整したりします。

そういう事をしなければならないという事なのでしょうか。

インサートテープやフィッテイングテープも持っていないしな・・。

 とりあえず、そのまま右手で投球を続けました。

サポーターのおかげで指に痛みは出てきません。(最高です!)

パールは自由奔放に転がり、スコアはのびません。(最低です!)

 

 

 5ゲーム投球しましたが 最高スコアは154 最低スコアは84でした。

 

 

 現在、私の最高スコアは225です。(2018年12月18日達成) 

今思うとあれは単なる「まぐれ」だったということなのでしょうか?

 そうは思いたくはありませんが、現実にこのスコアです。

「なんなんだこれは・・」 朝の8時台に独りで愕然・・最低の日だ。

 

 ふと右手の親指を見ると血豆というのか爪の右端と指先辺りが内出血していました。

これも、今までになかったことです。

ボールのコンディションが変わると、いろんな事が変わってしまうのですね。

パールは怒っているんだろうなぁ。 

パールの実力を発揮させてあげられていないものなぁ・・。

 

 それにしても、利き手の右手でしかもパールで投球しているにも関わらず、

ろくでもないスコアをたたきだしています。

やはり、へなちょこなのですね。

 

 「あーぁ、いつになったら大会に出て優勝できるのかなぁ」

    ↑ (本気かよ!) 

 

 ちなみに、左手で投球した時のスコアがこちらです。

 

 

 福島に喜多方ラーメンを食べに行った時にボウリング場にも行きました。

 

                                 ( ↑ 福島市 からしまボウル )

                                  ( ↑ 福島市 からしまボウル )

 

 

 スコアは136まで伸びています。 

(場合によっては右手よりも可能性を感じます)

 

 「こんなことでいいのかなぁ?」 

 と森 彩奈江さんに聞いてみました。

 

 

 何も答えてくれませんでした。  (答えたら腰抜かすわ!)

 

 実は、私。

この方の泣き顔を知っています。 

 

                            ( P★League オフィシャル・サイトより )

 

 (もちろんテレビでですよ。 もったいぶった書き方するな!)

プロボウラーは全員、勝負師です。

強靭な精神力がなければ戦い続けることなど出来ないはずです。

その張りつめた気持ちがふっと、途切れた時。

悔しくて、本当に悔しくて流す涙には様々な思いが込められているはずです。

自分の成績にすべてがかかっています。

人生がかかっているのです。

どんな状態でも最高のスコアを出すことを要求されるのです。

それがプロなのです。

 

 私の悔しさなどとは比べものになりません。

(涙を見てしまった日から、私は密かに森さんを応援しています。)

 

                             ( ↑ 福島市 からしまボウル )

 

 へなちょこボウラーは地味に今後もがんばっていきます。

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 

 

                                 ( ↑ 福島市 からしまボウル )

 

 2019年8月8日 大家さんは家を出ました。

自分が使用する掛け布団と使い慣れた枕を持って娘さんの運転する車に乗り

葉山の養護施設に行きました。

 

 8月5日 歩いて帰っていた時、私の携帯電話を見ると大家さんからの留守電が

入っていました。

すぐさま、再生してみると何も音声は入っていませんでした。

「何か急用だろうか?」 直接家に電話を入れてみます。

電話口には出ましたが、私の声が聞こえないようです。

大家さんは耳が遠く、補聴器を付けています。

「今、補聴器をはずしているのだろうな・・」と思い、急ぎ足で

家に向かいました。(途中 急いで買い物をして長ネギとジュースを買いました)

 

 

 まっすぐに大家さんの家に行きます。

21時を過ぎていましたが、かまわず門扉のインターフォンを鳴らしました。

私は木造2階建ての老朽アパートで暮らしています。

その横の建物が大家さんの自宅です。 

 

 インターフォンに返事はなく、直接玄関のガラス戸をガタガタ言わせて

開けて、大家さんが出ようとしています。

「戸が開かない、開かない・・」ガタガタ・・。

少しだけ開いた戸の隙間から

「私の電話聞いた?」 「私電話かけたのよ」

「電話が入っていました どうされたんですか?」

 

「戸が壊れたのかしら、開かないのよ・・」ガタガタ・・。

 

私が門扉を勝手に開けて中に入り、戸を見ると下の部分がレールからはずれていました。

「戸がはずれてますよ」

「ちょっとこれ、持っててください」

私はスーパーのレジ袋を大家さんに渡します。

「あら、なにこれ、いいの? ありがとう 申し訳ないじゃない」

「・・・」

「戸の下の滑車が壊れているんじゃないですか?」

「今度直してもらわないといけませんね」

 

「虫が入るから戸を閉めた方がいいわね」

玄関で風も一切ない場所で大家さんと私は向き合いました。

急ぎ足で歩いてきた私の身体から汗が噴き出してきました。

「暑い、息苦しい・・」

大家さんは今年94歳になるはずです。

何年か前からやせ始めて、身体が曲がり、小さくなってしまいました。

 

「この間、私うれしかったの、ありがとうね」

「ほら、一緒に歩いたでしょ、本当にありがとうね」

(5月に私と一緒に家の近所を散歩した時の事を言っています)

 

「これ、せっかく買ってきてもらったけど、私もらえないわ」

「んっ?」

「私、暑くてね、食べられなくなっちゃったのよ」

「ここに独りで暮らせなくなっちゃったの」

「食事がうまくできなくてね」

私はうなづきながら、ずっと話を聞いていました。

「葉山に妹がいてね、養護施設にいるんだけど隣が空いたからあなたも来なさいって

いうわけよ」

「・・はい」

「2か月間ね、体験入所っていうんだって」

「お金はかかるけど、半額で済むの」

「ほら、前回迷惑かけたからみんなに知らせて行こうと思ってね」

 

(年明けに大家さんは頭が痛いと言って救急車を呼びました)

  ↓

(なんでもないことがわかり、すぐに家に戻ってきました)

 

(3月頃かな? 大家さんは一度死んでしまったことになっています)

  ↓ 

(こんな事がありました)

アパートに入っている大家さんの親戚の男性が朝、玄関口で大声で

電話で話している声が私の部屋にも聞こえてきました。 

 「大家さんと連絡が取れないんですよ!」 

 「今日は水曜日で生協からの荷物も届いているのにそのままになっている」

 「たぶん、中で死んじゃっていると思うんですよね」 

 

 話が尋常ではなかったので私も外に出ました。

「○号室の○○です」とあいさつをしてから話を切り出しました。

「大家さん、電話に出ないんですか?」

「うん、全然でない! たぶん中で死んでると思うんだよね」

確かにいつもであれば、朝早くから食事を作る音とか植木に水をあげる音とか

ヘルパーさんと話して笑う声とか聞こえてくるはずです。

それが、今日はまったく聞こえてきませんでした。

「今、電話していたのは娘さんですか?」

「いや、警察」  「はぁ・・」

門扉から大家さんの自宅の2階を見上げたまま

呆然と私たちはその場に立ち尽くしていました。

 

 と、その直後に男性が持っている携帯電話が鳴りました。

「あぁ、大家さん!? 心配したよ! 死んだと思ってさぁ」

「どこにいるの? 妹さんの所?」

「何だよ! 本当に心配したよ!」

 本人からの電話で生存が確認出来ました。

「よかったですね」 「妹さんのところに泊まっているんだって」

「あっ!警察に取り消しの電話しないと!」

「そうだ、そうだ・・まずいっ!」

 

 時すでに遅し、私たちがその場で話しをしていると道路の向こうから

お巡りさんが走ってくるのが見えました。

えらいことになるなと思った私は自分の部屋へ戻りました。

残された男性は事情を説明しています。

そうこうしているうちに、救急車や消防車までやってきました。

やりとりは、私の部屋にすべて聞こえてきます。

(警察)「本当に本人からの電話でしたか?」 「ハイ、間違いありません」

(消防)「普段いるのは2階ですか? 鍵はお持ちですか?」「持っていません」

(警察・消防)「一応確認した方がいいと思いますけど」「しないでください」

 しばらくの間、やりとりが続いていました。

 

 それから、しばらく経った5月に一緒に散歩した時に大騒動の時のことを

話したのです。

「えっ? 消防車まで来たの?」

「すごい勢いでしたよ 今にも勝手口を壊して突入しそうでした」

「せっかく、やって来たから何かやりたいんでしょうね」

「心配かけたわね」

「今度、外泊する時はみんなに知らせてからにしましょうね」

「そうしないと、みな、心配してまた警察呼ぶかもしれませんよ」

「そうねぇ」 などと話をしながら1時間ほど一緒に歩いたのです。

(あの時言ったから、今日電話を掛けてきたのか・・)

 

「で、いつ行くんですか?」

「8日に行くの」

玄関に置かれた手押し車の上に掛布団が置かれていました。

「布団は自分で持っていくものなんですか?」

「向こうにもあるっていうけど、自分のを持っていくの」

 

「2か月間ですよね、ちょうどいいかも知れませんね」

「暑い夏を避暑地で過ごすような感じで、贅沢じゃないですか」

「せっかく妹さんが言ってくれているのだから、顔を立てて体験するのも

いいかもしれませんね」

「そうなのよ、2か月 行ってくるからね」

 

「10月までですね。その頃は涼しくなっているでしょうね」

「散歩するのにちょうどいいですね」

「そうよねぇ」

「戻ったら、また行きましょう」

「うん、約束ね」

「また、歩きましょう 10月 ちょうどいいですよ」

 

 これからはアパートの管理は娘さんがやるそうです。

週に1回は来て、植木に水をあげてもらうと言っていました。

「枯れちゃうかなぁ」とも言っていました。

 

 私がここへ移り住んでかれこれ十数年になります。

部屋を契約してから自転車で少しずつ荷物を運んでいたら、部屋の前で

にこにこしながら立っているおばさんがいました。

それが大家さんでした。 

親切な人でしばらくは私にご飯のおかずを作って持ってきてくれました。

当時、愛犬ホワイトファングとネコたち3匹はペットショップのホテルに

入っていました。 

「お金掛かるんでしょう? ワンちゃんを連れて来れば?」「そうします」

「ネコもいるんですけど・・」「ネコは嫌いだからダメ」「はい」

(その後、ネコたちは私の実家へ行きました)

愛犬ホワイトファングと暮らすことが出来たのは大家さんのおかげでした。

 

 

 あの頃は、脳梗塞で倒れたご主人がリハビリ中でした。

愛犬ホワイトファングは自由に大家さんの家に入り、急な階段をのぼり

2階にいるご主人といつも遊んでいました。 

 いつしか大家さんが独りになり、大雪の日に転んだとか言って顔に

アザが出来ていたり、食べても痩せていくのよとか、だんだん小さくなっちゃった

とか、耳が聞こえなくなったとか、道で会うたびに話をしていました。

 

 大家さんからはよく電話が入りました。

「神棚が傾いて今にも落ちそうなのよ」 → バッチリと修繕!

「FAXの紙の交換できる?」 → お手のもの!

「電子レンジが壊れちゃいました」 → 「部屋を出た人が置いていったものがあるから

それを使えば」 → 「ありがてぇです」 

「北海道から息子家族がくるから廊下にワックスかけたいの」 → ヘイ!よろこんで!

「上の階の人の歩く音で夜眠れません」 → 上の階の人が引っ越したタイミングで

床に防音吸収材と遮音シートを敷く工事をしてくれました。

 と、同時に私の上の部屋に入る人は物静かそうな女性に限るという条件がつきました。

「植木が道路にはみだしちゃって、苦情がきたの」 → ちょんぎりましょう! 

「いつも帰りが遅いわねぇ 身体は大丈夫?」 → 「大丈夫です!」 

 

 毎年、お歳暮で広島から生ガキが届けば大家さんに全部渡していました。

するとその日の夕方にはカキフライと刻んだキャベツが山盛りになって戻ってきました。

皿をきれいに洗い、お菓子と一緒に返却するというパターンがいつしか出来ていました。

 

 私は人づきあいは決していい方ではありませんが、大家さんとの関係においては

どんなことを言われても、苦に思うことはなく、むしろ心地よくさえありました。

ホワイトファングと一緒に暮らしていた事で近所の方ともつながりが出来ました。

こんな私でも、社会とのつながりを持って今まで生活を送ることが出来ました。

そのすべての起因を作ってくれたのは大家さんだと思えるのです。

 

 身体を動かさないと歩けなくなると言って、独りで散歩に出掛けて行くのを

知っていました。

たまたま、タイミングが合って、声を掛けたらうれしそうにして

「ちょっと着替えてくる」といってジーパンを履いて現れました。

「ジーパン持ってたんですか?」「ちょっと大きいんだけどね」

「よく似合ってますよ」

「杖も持った方がいいかしら」

「じゃまにならなきゃ、持ちましょう」

 

 血のつながりはありませんが私にとって大家さんは東京の親ともいえる

存在です。 

生きている人が年齢を重ねれば年寄りになり、場合によっては身体も

動かなくなることもあります。

誰でも一緒です。 例外はありません。

 ただ、工夫次第でその老化の速度を緩めることが出来るはずです。

大家さんは「散歩」という手段を選択しました。

私が休みの日、夕方 独りで出掛ける大家さんを何度も見かけました。

 

 2か月間なんて、あっという間のはずです。

暑苦しい夏から涼しげな秋になる頃。

虫の鳴き声が聞こえてくる頃。

星空がきれいに見えてくる頃。

 大家さんがひょっこり戻ってきて、また一緒に散歩に

出られたらいいなと思っています。

 

                (   渋谷東急地下で閉店2分前に買った お菓子 「ふきよせ」 )

 

 8日の朝に娘さんに「大家さんの妹さんと食べてください」と伝えて

手渡しました。

数分後、私の携帯に大家さんから電話が入りました。

「かわいいお菓子ありがとう」ととても喜んでくれました。

電話口でよかったと思います。

今は直接、顔を見ることなど出来ません。

「今日、帰ってきても隣に大家さんはいないのか・・」

と思いながら、部屋のドアに鍵を掛け仕事に向かいました。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

  2019年8月になりましたね。

あっという間です。

早いな。

 

 長めの梅雨が明けたら、やたら暑い日が続いていますね。

普段の生活で、自宅ではエアコンを使わずに扇風機だけで過ごしている

私ですが、この数日はエアコンをガンガン使っています。

多少の電気料金が上がってもいいや。

熱中症になって変わり果てた姿で発見されるのはごめんです。

 

「暑いな」

両手とうなじに汗も(あせかぶれかな?)が出来ている私は長ネギを

スーパーのレジ袋からのぞかせたまま公園の近くを歩いていました。

「暑くて、ぶっ倒れそうだ・・」

 

 あせもが出来た理由は先日、ボウリングの練習に行き、大汗をかいた

後に、シャワーも浴びずにそのままにしていたからだと思います。

朝、ボウリングに行って夕方あたりから身体のあちらこちらが痒くなってきていました。

手首のあたりをみると、小さく赤いポツポツが出来ていました。

首のうしろも痒かったのでちょっと触ってみると、すでに肌がガサガサになっていました。

「あぁ、あせもができたな・・」

夏になるとよくあせもができます。

肌が弱いのでしょうね。   

あせもには毎年「桃の葉ローション」というのをつけます。

薬局に行って薬を買おうかなとも思ったのですが、冷蔵庫にこのローションを

みつけたので、今年も使っています。

 

 長ネギの入った袋にはメカジキの切り身と酒かす、厚揚げなどが入っています。

今日は早めに帰れたのでスーパーによって買い物をしてきました。

「夏バテなんかしてられない!」 

「ぶっ倒れないように栄養のあるものを食べて暑い夏を乗りきろう」

 

 で、完成したものがこれです。

 

 

 メカジキの切り身と厚揚げが入ったみそ汁(アラ汁みたいなものです)

長ネギをふんだんに入れてあります。

 

                                        ( フリー画像 素材より )

 あとは、肉野菜炒めに、単にきゅうり。

 

 

 

 それと冷奴。

絹ごし豆腐の上にネギときざみノリを載せます。

味付けはゴマ油としょうゆです。 

 

 

 全部、おいしいですよ。

 

 あっ、豆腐の上にノリをのせるのを忘れていました。

 

 

 ゴマ油を使っているので、さらに炒りゴマを載せてあります。

ものすごく風味があがって、くちあたりがまろやかになります。

コレ、本当においしいです。

この食べ方は1級フードアナリストの方から教えていただき、

最近、気に入っている食べ方です。

 

 

 作ったさかなのみそ汁の量はこの器で3杯分ありました。

この暑さだと保存するのは難しいので全部、食べ切りました。

 

 きゅうりにはマヨネーズとケチャップで味付けです。

 

 

 好きなものをたくさん食べて、元気が出たような気がします。

やはり、疲れが出てきたな・・と思った時は基本、長ネギです。

私にとって長ネギは妙に元気が出てくる食材です。

 

                  ( フリー画像 素材より )

 

 けれども・・あまりにもお腹がいっぱいになり、ぶっ倒れそうでした。

 

 いずれにしてもぶっ倒れる運命だったのでしょうか・・。

まぁ、いいか・・よくないか。

 

 熱中症にならないように気をつけましょう。

水分をこまめに補給して、塩あめなどをなめて、暑い日でも元気に過ごしましょう!

 

 ご飯ってしあわせです・・・か? (いちいち聞かなくてもいい)

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 目の前にある一杯のラーメン。

遂に来た! ここまでやってきた! 

十数年間あこがれ続けていたものに、今やっと巡り会えました。

手が届く。

「いくぞ!」

「まずはスープだ!」

 

                         ( ↑ 坂内 喜多方ラーメン  )          

 

「こ、これが 本家 坂内 喜多方ラーメンだったのか!」

 

                            ( ↑ 坂内 喜多方ラーメン  )

 

          ( ↑ 坂内 喜多方ラーメン 店内 この左手に広い厨房があります )

「んっ!? どうした?」

スープを口に含んだ私を見た友人は怪訝そうな顔つきで訊いてきました。

無表情なまま、私は答えました。

「味が濃すぎる! しょっぱい・・」

 

                           ( ↑ 店内にあるおみやげコーナー ) 

                              ( ↑ お座敷もあります )

 

 片道3600円のバスのチケットを購入して、福島に来ました。

目的は本場の坂内 喜多方ラーメンを食べる事です。

 

 

 20年以上 前かな、新宿で喜多方ラーメンを初めて食べたのは。

世の中にこんなにおいしいラーメンがあったとは知らないで生きていました。

その後は都内にあるいくつかの店舗で坂内 喜多方ラーメンを食べてきました。

 頻繁にラーメンを食べているわけではありません。

たまに、食べたくなれば「喜多方ラーメン」とこころに決めていました。

 

                      ( 私が注文したのは しなそば 700円 です )

 

 

 あっさりめのしょうゆ味ベースのスープ。

(だとずっと思っていましたが、いろいろ調べてみると塩とんこつスープでした)

スープとからむ縮れ麺。  とろける柔らかさのチャーシュー。

なんて、味わい深い・・。

麺の上にのっかっているのは、チャーシューとネギ、しなちく これだけです。

シンプルだ。 それぞれの食材の持つ味覚はぶつかりあうことなく、

うまくなじみ、調和しています。

この域までの食べものは、もはや味の芸術品です。

 

  

 本場、福島の坂内 喜多方ラーメンです。

本家本元、総本山。

山でいえば日本一の富士山です。

私の憧れでした。 夢にまで見ていた坂内 喜多方ラーメン。

 

 おいしいと思いますが、私の口にはスープの味が濃すぎました。

 

                       ( ↑ 本店に対して最大の敬意 「完食!」 ) 

 

 福島を車で移動中にある曲に再会しました。

カーステレオから聞こえてきた曲は聞き覚えのあるメロディでした。

「あっ、この曲知ってる」

「名曲だよね」

「この声は、まなかちゃんとよく似ているね」

「リトグリが歌っているんだよ」

「この曲を歌っていたのか!」

 

 

 youtubeでライブでの動画がアップされていました。

ポチッと再生ボタンを押すと私の言っていることが

よりわかりやすくなると思います。

 

「♪永遠に」 リトル・グリー・モンスター (別ウインドウで開きます)

 

 「あれっ? 6人いる」

メインで歌っている麻珠ちゃんという子が現在はいないのですね。

それにしても、いい曲だなぁと思いました。

 

 オリジナルはゴスペラーズの曲ですが、私にはリトル・グリー・モンスター

が歌っている曲の方がこころに響きました。

艶があり、のびやかな声質、コーラスの美しさ、アレンジのうまさ、

(メンバーの可愛らしさ、)ライブの音源なのにミックスがほぼ完ぺき!

素晴らしい仕上がりになっています。

ハッキリと言って本家が歌う曲よりも私は好きです。

 

♪「二人をつなぐ糸が見えたらいいね」 か、ロマンチックだなぁ。

♪「眼を閉じた、微笑み」 か、可愛いいだろうなぁ。

 

♪「あなたの風になって、すべてを包んであげたい」 のか。 

守ってあげたいという事なのかな。

♪「もう二度と離れない」 彼女も誓ったのかな・・。

♪「想いを空に広げて飛んでいくよ そばにいるよ」

二人は遠距離恋愛なのかな。

♪「遠く 遥か遠く それは永遠に届くよ」

永遠に届く? 彼の気持ちのことを言っているのか?

二人の気持ちが永遠だと言っているのかな。

 

                                ( ↑ 会津慈母大観音像 )

 

 ふと、この彼氏は魂だけの人なのではないかと思えてきました。

もう、肉体は存在しない。 精神だけの人。

であれば、この歌詞はすんなりと受け入れられる部分が・・ある かな。

 

                                   ( ↑ 猪苗代湖 )          

 

 車で走っている間中、ずっとこの曲を聴きながら移動をしていました。

何度も、何度も繰り返し、聴きました。

 

                    ( ↑ 猪苗代湖 はくちょう号とカメさん号 )

 

    ( ↑ 猪苗代湖 はくちょう号とカメさん号 今回は乗船しませんでした )

 

                          ( ↑ 猪苗代湖と磐梯山 )

 

 この二人はきっと、うまくいかないのではないかと思えてきました。

♪「もう二度と離れない」 と誓っているのは彼だけなのではないでしょうか。

♪「飛んでいくよ、そばにいるよと言っても彼女が♪「同じ気持ちでいるなら」

という条件付きです。

 

 

 私が彼女なら、こういう女々しそうで、しつこそうな男はお断りです。

          (それはまるで自分ではないのか・・)

好きな人であれば一緒に同じ空間で同じ時間を過ごしたいと思います。

けれども、独りになれる時間も大事にしたいと思います。

(こんな気持ちになるのは私の心が満たされていないからだとも思います)

(おそらく、この歌詞の内容に嫉妬しているのかもしれません)

 まぁ、いいか・・よくないか。

 

 まるで遠距離恋愛のように、恋焦がれていた「坂内 喜多方ラーメン」でした。

「♪永遠に」的に考えれば、いままでずっと本場 喜多方ラーメンの

風になりすべてを包んであげたい(大きなお世話)と思っていたのです。

 初めて食べた時の感動は彼女を強く抱きしめた時のぬくもりよりも

強烈な記憶として 今も残っています。

もう離れない、他のラーメンは食べない と一方的に誓っていました。

 

 はるか遠く(それほど遠くはない!)、東京から福島の喜多方まで行ったのです。

なのに、それなのに。

私と本場 坂内 喜多方ラーメンは「永遠」には届かなかったような気がします。

 

 でも、いいのです。

私には遠距離ではなく、近場に多くの「坂内 喜多方ラーメン」

が存在しています。

たまに、味が薄すぎるなと思うこともありますが、平均的には

私の好みの味付けになっています。

この店を愛そう。 

食べに行く度にクーポン券をくれるじゃないか。

私に、いつも やさしくしてくれるじゃないか。

 

 結論-都内のチェーン店の味つけの方が

     私になじんでいたという事が分かりました。

     灯台下暗し、しあわせの青い鳥・・。

     必ずしも本家本元が最高位ではないこともあるということが

     わかりました。

 特に好き、嫌いといった嗜好の分野なので人の味覚に

よって答えが大きく分かれるはずです。

 

                                       ( ↑ 喜多方駅 )

 

 

 

 喜多方は思っていたよりも開発整備が進んでいる町でした。

イメージでは細い旧国道のような道沿いになまこ壁の蔵が立ち並び、古い家屋

も多いのだろうかと思っていました。

 

 

 

 

 ラーメン屋さんがびっしりと隙間なく並んでいるのかと

思っていました。

 

 

 

 

 大きな道から1本奥に入ると、古い家並みがありました。

 

 

 

 かつてはこういう家が、ずらーっとならんでいたのでしょう。

 

 

 雪が多い地方なので屋根の形や家並みは私の実家地方と雰囲気がよく似ています。

初めての土地でしたが、なつかしさもありました。

 

 

 

 自分の勝手なイメージを膨らませて思い描く世界と現実との間には

大きなギャップが生じることが多々あると思います。

イメージのままであれば、自分の先入観で頭の中で勝手に

より美しく、素晴らしくおいしく、感じるかもしれません。

 

 

 

 けれども、真実を知りたい。

現実を自分の眼で見てみたい、触れてみたい。

これは本能的なものだと思います。

 

 

                   ( ↑ 同じ日 2杯目のラーメンを食べました )

 

 

 

   ( ↑ しょうゆラーメンを頼んだつもりでしたがショッテリというのが出てきました )

 

 

 私はあと100年以内に魂だけの人になる予定ですが、その時に

「あぁ、本家の坂内 喜多方ラーメンを食べたかった!」などと

後悔はしたくないです。

 

 

 本家の「坂内 喜多方ラーメン」を知ることが出来てよかったと

思いながらバスに乗り、帰路につきました。

 (帰りのバス代はクーポンが当選して2200円でした)

 

 思う事は多々ありますが、今まで以上に、「坂内 喜多方ラーメン」が好きになりました。

もちろん、「♪永遠に」も好きな曲です。

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

  山口出張での「のんびり散歩」なのですが、長くなってしまいまして・・

                                        すっ飛ばしてください!

 

亀山公園 

 

 

 フランシスコ・サビエル記念聖堂に隣接した「亀山公園」からは山口の町が一望できます。

 

      ( ↑ 公園から北方向を見る  瑠璃光寺 五重塔が見えています )

 

                              ( ↑ 瑠璃光寺 五重塔 遠景 )

 

         ( ↑ 公園から東方向を見る  龍福寺の屋根が見えています )

 

 かつて毛利秀元が慶長元年(1596年)にこの場所に長山城の築城を計画していました。

断念した長山城跡を明治33年(1900年)に公園として整備したのがこの亀山公園です。

山の形がカメの甲羅に似ていることから、この名前がついたそうです。

 

  ( ↑ 公園から北東方向を見る  八坂神社の鳥居との屋根が見えています )

 

八坂神社 

 公園の道を下り、一の坂川を横切ります。

 

 

 しばらく歩くと「八坂神社」の大きな鳥居が見えてきました。

 

 

 

 

 二十四代 大内弘世(ひろよ)(1352-1380)が室町時代の応安3年(1370年)に

京都の祇園神社から勧請した神社です。

 

 

 

 

 

 本殿は三十代 大内義興(よしおき)(1495-1528)が永正17年(1520年)に再建しました。

大内氏が京都に多くの影響を受けていたことを伺える建造物です。

  

 

 

 

龍福寺 

すぐ近くに、「龍福寺」があります。

 

 

 かつて この場所は大内氏の館があり、二十四代 弘世(ひろよ)(1352-1380)

以後の歴代が政務をしていた場所です。

 

 

 

 毛利元就の長男 毛利隆元(たかもと)が大内氏館跡に大内義隆の菩提寺として建立しました。

大内氏と毛利氏は深いつながりがあります。

 

                                    ( ↑ 大内義隆の墓 )

 

 毛利隆元は毛利元就の長男ですが14歳の時に大内義隆の元に人質として送られます。

嫡男を人質として大内氏に出したことで毛利氏は大内氏より絶大な信頼を得ます。

隆元はその年に義隆の元で元服して名前も義隆の隆を賜り隆元と名乗ることが許されます。

 

 時代を遡ると毛利元就の時代になるまで毛利氏は大内氏に従属していました。

そうすることで、毛利氏は時代を生き延び 力を蓄えてきました。

毛利氏にしてみれば、大内氏によって自分がこれまで生きることが出来た恩義も

あるはずです。

 

 

 大内氏二十四代 弘世(ひろよ)(1352-1380)の時代からこの山口の地を京に模して

町を造り始め大内氏繁栄の礎を固めました。

 大内氏の領国は中国・九州地方までに及び西日本の政治経済の中心になります。

また海外との交易や異文化を移入する山口に京での戦乱を避けた公卿(くぎょう)や

僧侶などが集まり、当時の山口は京をしのぐ豊かさと文化を持っていました。

まさに大内文化を華開かせたのです。

 

 

 

                          ( ↑ 大内 義隆 )

 

 伝えられていることによると三十一代 大内義隆(1528-1551)は政治や軍事など

争うことよりも文雅を愛し京都貴族の風尚を尊んだそうです。 

大内氏の勢力に陰りが見えてくると、毛利氏は相反して勃興していきます。

義隆の時代、軍事担当の重臣は陶 晴賢(すえ はるかた)でした。

義隆は陶を遠ざけるとこの陶が謀反を引き起こすことになります。

このことから大内氏の滅亡への道がはじまります。

義隆は滝の法泉寺から長門大寧寺に敗走したのち自刃します。

この時点で栄華を誇った大内氏の正統は断絶します。

 

 

 一度は実権を手に入れた陶(すえ)でしたがすぐに毛利氏により攻められ

陶は宮島 厳島の戦いで自刃し果てます。

皮肉な話だと思います。 

争いよりも文化を愛する統治者がやっと生まれてきたのに、まだ時代は成塾せず

追いつくことが出来ていなかったのです。

 

今八幡宮 (いまはちまんぐう)

「今八幡宮」は大内氏が入府する以前より存在していたものと言われています。

 

 

 文亀3年(1503)三十代 大内義興(よしおき)(1495-1528)が社殿を造替ます。

当時、大内氏は明との交易に加え遣明船も独占していました。

大内氏は増々栄えて莫大な財力を持っていました。

 

 

 「今八幡宮」はそれを象徴する荘厳なものです。

現在国の重要文化財に指定されています。

 

 

 

 

 梁の上に置かれた蛙股(かえるまた)です。

 

                                    ( 画像 お借りしています  )

 一文字に三つ星は毛利氏の家紋です。

絶頂期の大内氏を象徴する建造物の中に毛利氏の家紋が存在しています。

 この今八幡宮は何度も補修・修復が行われています。

大内氏滅亡後も、引き続き毛利氏により今八幡宮は厚く保護されてきました。

神領が寄進され、修繕の際の費用は藩より資金を出したそうです。

今八幡宮に対して特別な尊崇を持っていたことを思わせます。

 

豊栄(とよさか)神社・野田(のだ)神社 

 

                                ( 二社共通の鳥居 )

 

 ひとつの神社の中にふたつの神社が存在しているように見えます。

境内は共通になっているし、社務所もひとつしかありません。

境内、左手が野田神社、右手が豊栄(とよさか)神社です。

 

                                         ( 豊栄神社 鳥居)

 

 

 豊栄神社の祭神は毛利元就公です。

 

                                         ( 豊栄神社 神門 )

 

                                         ( 豊栄神社 拝殿 )

 

                                     ( 豊栄神社 拝殿 境内 )

 

 野田神社の祭神は長州藩最後の藩主で明治維新での功労者、毛利敬親(たかちか)です。

 

                                          ( 野田神社 鳥居 )

 

 

                                        ( 野田神社 神門 )

                                    

                                         ( 野田神社 拝殿 )

 

                                      ( 野田神社 絵馬堂 )

 

                                       ( 野田神社 絵馬堂 )

 

                                ( 野田神社 豊栄神社 境内 )

 

七尾山トンネル

 雲谷庵に向かう途中、右手に大きなトンネルが見えてきました。

 

 

 「七尾山?」尾が七つある動物が暮らす山ということでしょうか。

それか七つの尾根の山?

地図上でこの七尾山を見てみました。

 

                               ( Yahoo 地図より 七尾山 空撮 )

 わかりますか? ①のポイントは私が写真を撮ったあたりの場所です。

その場所から右方向にトンネルがあります。 

 

 山全体に太い横線のようにいくつかの木の盛り上がりを確認できます。

これは尾根ではないかと思います。

おそらくですが、七つの尾根説が正しいように思えます。

 このトンネルを抜けると護国神社があるのですが、トンネルに入ると

戻って来られなくなるような予感がしたので、ここで引き返しました。

 

                               ( 七尾山 と 地下道通路 出入口 )

 

                                   ( 地下通路の雪舟の絵 )

                                     ( 地下通路の雪舟の絵 )

                                     ( 地下通路の雪舟の絵 )

 

雪舟(せっしゅう) 雲谷庵跡 

 

 

 室町時代には数多くの水墨山水図が描かれました。

ほとんどは中国の風景がモデルであり実際には存在しない、

作者のこころの景色だったそうです。

 

                        国宝 天橋立図 雪舟筆 ( 京都国立博物館蔵 ) 

 

 しかし、この図は中国でも空想でもありません。

日本三景のひとつ、天橋立を東側から捉えています。

(ちなみに後のふたつは広島の宮島と宮城の松島です)

 

 80歳すぎの雪舟(1420-1506)が現地に赴き実際にある目の前の風景を

描いたことは驚くべきことです。

雪舟は子供のころから筆の才能があり、中国大陸に渡り大自然を写生したり、

宋元画を学び、禅画一致を求め一生涯描きつづけました。

この「天橋立図」(国宝)は最晩年の雪舟の傑作です。

 

 

 雪舟が実際に暮らしていた場所にあるのが雲谷庵です。

後の時代に有志により再建されました。

 

 

 

 建築部材として部分的に室町時代の建造物からの扉や柱などが使われています。

 

 

 

 

 室町時代の柱にじかに触れました。

柱は何も語らず、静かにじっとそのままでした。

 

 

 雪舟はこの雲谷庵で生涯を閉じました。

87歳でした。

 

 

 

湯田温泉駅 夜 

 のどかな山口市しか知りませんでしたが、隣の駅まで歩いてみました。

「湯田温泉駅」はこじんまりとした駅舎ですが、それに反して傍らには巨大な白キツネが

お座りしていました。

「なんでしょう? このキツネ・・」

 

 

 湯田温泉駅周辺は山陽路随一の温泉街であり繁華街です。

夜ともなると通りに きれいっぽい女性が立ち並び、道行く人に「こんばんは!」

と挨拶をしてくれます。 

とても礼儀正しい方たちです。

 

 開湯は約600年前といわれています。

白狐が毎夜権現山の麓のお寺の池に浸かっているところをお師匠さんが見つけました。

不思議に思い、その場所を調べてみると池の中から金色の薬師如来の像や、源泉が

湧出したのだそうです。

 

 現在では通りのあちらこちらに足湯を楽しめる場所が作られています。

夜の通りに沿った足湯の場所で多くの人が足湯を楽しんでいるのを見かけました。

サラリーマン風の方が普通に足湯をしているのです。

スーツのまま足湯をしている姿を初めて見ました。

ひょっとしたら現在でもキツネの子孫が足湯を楽しみに来ることがあるかもしれません。

 

 山口出張の最終日、予定通りに今回の仕事を無事に終えられました。

担当者は携帯電話を取り出し写真を撮ろうとしましたが、私が

「魂を抜かれるかも知れないので」言い断るとクスリと笑い携帯電話を

持つ手を下げました。 

「この後の作業も引き続きお願いします」と言い

「お世話になりました」と頭を下げると、担当者はちょっとシュンとして

うつむいていました。 

立ち上がろうとするので、「ここでいいですから!」と言いその場を離れました。

男性は情に厚いし、意外に涙もろいと思います。 

一日の多くの時間をずっと一緒にいてさんざん、頭を使い、苦労をしてひとつのものを

完成させました。

担当者の上司と本部の東京からの品質管理者のチェックを受けて私の仕事は終わりです。 

担当者は今、達成感をかみしめているはずです。

外に出ると、もう陽は傾きかけていました。

私はゆっくりと1歩1歩をかみしめるように歩き、ある場所に向かいました。

 

                                           ( 一の坂川 )

                                      ( 瑠璃光寺 山門 )

瑠璃光寺 五重塔 夜  

 

                              ( 瑠璃光寺 五重塔 )

 二十五代大内義弘(よしひろ)(1380-1399)の弟 盛見(もりはる)(1399-1431)

が兄の菩提を弔うために建立したものです。 

結局、山口滞在中にこの瑠璃光寺に合計3回訪れました。

陽のある時間帯に2回、夜に1回です。

なぜ、ここに来てしまうのか自分でもよくわかりませんでした。

 

                          ( 瑠璃光寺 五重塔 )

 

 この場所にくる度に「これが五重塔の見納めになるかも知れない」という気持ちが

湧いてきて、ちゃんと別れを告げてから東京に戻りたいという気持ちがあったのだと

思います。 何度見上げても、この五重塔を見飽きることはありませんでした。

 

 

 夕闇がせまり、周りの山々のみどりが段々と濃い色に変わっていくのが見て取れました。

「暗くなっていくなぁ」 

「五重塔も暗闇に呑み込まれてしまうのだろうか・・」

見上げていると屋根の下の細部をはじめ、真っ先に暗くなり見えなくなるであろう

部分がいつまで経ってもよく見えていました。

 

 

 「んっ!? 明るいなぁ」 私の背後を見ると・・「うおっ!?」

けっこう、大きめのライトが置かれてありました。

なんと、五重塔は夜になるとライトアップされるのです!

「ひょえーっ! 美しい!」

 

 立ち入り禁止の柵がなければ、きっと私は目の前の五重塔を

思いっきり抱きしめていたはずです。 

(すぐに変質者として通報されるのでしょう。 まぁ、いいか・・よくないか)

 

 五重塔は淡い光を受けて、闇の中でその美しい姿を浮かび上がらせています。

暗闇の中で五重塔とたった二人で対峙しているような感じになりました。

池の水面に映る五重塔もまた、美しいです。

 

 

 建造物を見て、生つばをごっくんしている自分に気付きました。

やはり、私は少しおかしいのでしょう。

でも、それほどまでに美しかったのです。

 

「菩提として弔う」言わばこれはお墓です。

お墓として弟は兄のために五重塔を建造しました。

時代の技術をすべてぶつけて培ってきた文化をひとつの形に残しました。

石に文字を刻むことなく、檜を使い誰の眼にも美しく映る芸術作品を

残しました。

大内氏の京をしのぐ文化を手にして時代の先駆者であろうとする

巨大なエネルギーを感じます。 

争いを続けて命を落としていく無常さの中で、大内氏はひとつ先の時代を

見据えていたのではないでしょうか。

敬愛する兄に対する最大の敬意であり。大内氏の強い意思表示でもあると思います。

大内氏の血を継ぐ者ならではの考えだと思います。

 

 

一の坂川 夜 ゲンジボタル 

 ゆーっくりと「一の坂川」沿いの道を歩きました。

今夜で山口とお別れです。

あと数時間すれば私はこの地を離れます。

また来ることが出来るのだろうか・・。

 

 

 闇は川の雰囲気を大きく変えていました。

小魚やカメ、カニ、ヘビもいた一の坂川です。

けれども今は何も見えません、水の流れが聞こえるだけです・・。

「んっ!?」  「あれは・・」 

川の両端から張り出した枝の葉の中でホワッ、ホワッと光るものが見えました。

ゲンジボタルです。  蛍が放つ2つの光が見えました。

 

 

 どこに蛍がいるのかわかりませんよね。

写真を後で確認したのですが・・私にもよくわかりません。

でも、本当に光っていたのです。 

ゲンジボタルはゆっくりと光を放ち、そして川面の上で光の明滅を続けていました。

 

 

 出張で山口に来て、この町の歴史に触れることが出来ました。

室町の時代の息吹を感じたような気がします。

日本の歴史を形作る人物たちが駆け抜けていきました。

たった500年ほど前の出来事です。

 

                                  ( 毛利元就 ) 

 

 滅亡した大内氏と関わりのある建造物に対して毛利氏が手厚く保護して

いた事を知りました。 

争いが起こり命を落としていく時代。

異文化を受け入れた革新的な時代。

誰もが共に平和に生きることなど困難な時代を突き進んだ室町時代。

この時代の記憶は現代に生きる者に何をもたらすのでしょうか。

日本が安黎な時代を迎えることができるのは、まだ先の事です。

 

 時代を超えて、五重塔は山口の地に建ち続けます。 

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 疲れましたが、とても楽しい出張でした。

時間を見つけては行ける限り外に出て街をほっつき歩きました。

普段の生活の場にいないのです。

こんな面白いチャンスは滅多にありません。

 見どころがたくさんあることを知りました。

もう、じっとしていられません。

 

 

 そんな気持ちで日々 山口で過ごしていました。

今回の記事は私が山口市で巡った場所を記録しておきます。

これから、山口市に行かれる方、そして かつて行った方

何かしら、参考になったりすることがあるかもしれません。

(基本、私の備忘録です)

 興味のない方はすっ飛ばしてください。 

 

 山口サビエル記念聖堂 

 とてもわかりやすい場所にあります。

観光地図で見ると山口駅から上(北西)にまっすぐです。

 

 

 広い県道204号線から少し奥に入り、右に折れます。

ゆるやかに伸びた坂道を上ってゆきます。

左手から、子供たちの元気な声が響いてきました。

幼稚園のようです。

広場で遊ぶ子供たちの姿が見えました。

そこから10メートルも行かないうちに右手に大きく広がる空間が

見えてきます。

 

 

 「サビエル記念聖堂」です。

真っ白な壁の建物に53メートルの2本の塔がそびえています。

建物全体をみると屋根のかたちはテントのように見えます。

このデザインのモチーフは

「神が私たちと一緒におられるしるしとして、教会の形をテントにし」

「二つの塔が天にのびることによってサビエルを記念するだけではなく、

 現代の人々に神様のことを強く思いださせる形」を意識したのだそうです。

 

 現在の建物は平成10年(1998年)に再建されたものです。

それまであった教会はフランシスコ・ザビエルの山口再訪400年を記念して

昭和27年(1952年)に建てられたものでした。

 

   (画像お借りしています 旧サビエル記念聖堂 ロマネスク様式の重厚な教会です)

 

 しかし、1991年9月5日 火事ですべてを消失してしまいました。

再建された聖堂は初代の面影がほとんどなく斬新なデザインになりました。

完成当初は市民から異論が出たそうですが、現在は憩いの場としても親しまれています。

 

 

   (入館料100円で聖堂の中に入ることが出来ます。1Fには資料が展示されています)

 

           (聖体顕示台    下部 左から 香炉 香入れ 灌水器)

 

(司式・ミサなどで使用される祭具 聖杯 聖体拝領の時に使用する蓋つきのチポリウム 聖皿)

 

(イエズス会修道会の創立者 イグナチオ・デ・ロヨラとリバテネイラ像)

 

(右上―クリスチャンの盃洗 右下―キリシタン鍔 左下―島原の乱で使用された大砲の弾)

 

 聖フランシスコ・ザビエル(イエズス会創立会員1506-1552)という人物は多くの方が

ご存知のようにキリスト教(カトリック)を日本に伝えた方です。

 

                      (フランシスコ・ザビエル)

 

 室町の時代、天文18年(1549年)に鹿児島からはじまります。

平戸、山口、堺、京都、山口、平戸、山口と渡り、1551年4月

フランシスコ・ザビエルが大内義隆(おおうちよしたか1507-1551)に

2度目の謁見で宣教の許しを得ます。

 

                         (スペイン ナバラ州政府寄贈のステンドグラス)

 (左から通訳のBr.フェルナンデス フランシスコ・ザビエル 大内義隆 鹿児島の忍室)

 

 その後、当時 廃寺となっていた大道寺を住居兼教会として拝受します。

1552年に大道寺の改築が行われ日本で初めてキリスト教会が誕生します。

南蛮寺です。 大道寺の改築は1555年に終わりますが、1556年杉氏と内藤氏の抗争によって

起きた火災により大道寺が消失、そして1557年には大内氏が滅亡します。 

ザビエルの後任のトーレースもこの地を去り、教会としての活動は終わり、

やがてキリスト教禁教の時代を迎えます。

 

                   ( 紫福(しぶき)の里でみつかったキリシタンの墓 )

 大内義隆が統治していた時代、フランシスコ・ザビエルから洗礼を受けた信者がたくさんいました。

しかし、1557年 大内氏が滅亡すると毛利元就によるキリシタン弾圧が始まり、

信徒たちは仁保や紫福へ難を逃れて移住しました。

 紫福は二つの山にはさまれた里でこの地で教えを守りながらひっそりと暮らしました。

この里で暮らす人たちは背後の鍋山のことを「至福の丘」と呼んでいたことから

至福(しふく) → 紫福(しぶき) となったのではないかと言われています。

 

                                ( 踏み絵 )

 真鍮製 裏面には寛文9年1669年 長崎奉行所の命により裕佐(ゆうすけ) 

の造りしものなり  禁複製 と刻まれています。          

 つるつるになった表面のキリストの姿が見ていて痛々しかったです。

 

                                           (聖堂 正面)

 

 決して長くはない時間の中で精一杯生きた人たちがいて、混沌とした荒れる時代の中で

人々は恐怖を抱き、日常を生きていたのかもしれません。

その中で宗教というものに出会い、新しい自分の人生を描いたのかもしれません。

 

         (聖堂の横にある小グループのお祈りやミサのために使用するスペース)

 

 大道寺のあった正確な場所は不明です。

ただ、現在のサビエル記念聖堂の近くといわれてはいますが、1998年の発掘調査などでも

場所を特定することが出来なかったため、総合的には公園の敷地外である可能性が高いと考えられています。

 

                                  (背後に置かれたパイプオルガン)

 

              (聖堂内にいる間中 パイプオルガンの音楽が流れていました)

 

 ピンポイントで同じ場所に立っていなくても、充分に歴史の舞台に身を置くことが

できました。 

2017年に出張で大分に行きました。

駅前にメインで大友宗麟の像があり、フランシスコ・ザビエルの像も置かれてありました。

今回、山口でまたフランシスコ・ザビエルを描かれた絵を見て、

「また、歴史の地でお会い出来たんだなぁ」と思いました。

 

 (フランシスコ・ザビエルの右手の指の聖骨が収められています)

 

 科学的に過去に戻ることは出来なくても、歴史の舞台を訪れて想像力を最大限に

掻き立てれば、当時の様子をうかがい知ることが出来ます。

伝えられている細かな破片をつなぎ合わせていくと、くっきりとした輪郭を帯びた

形になることもあります。

それが歴史を辿る旅だと思います。

 

 私の山口での歴史巡りは始まったばかりです。

この後、亀山公園、八坂神社、龍福寺、今八幡宮、野田神社、豊栄神社、

雲谷庵跡、七尾山トンネル、湯田温泉駅(夜)、瑠璃光寺五重塔(夜)、一の坂川(夜)

と続きます。

 いったい、いつ仕事をしているんだというくらい名所旧跡を辿ることが出来ました。

 

 気になっている方もいると思いますので書いておきます。

「フランシスコ・ザビエル」名前としては「ザ」ですが施設の名前は濁音ではなく

「サビエル記念聖堂」です。 

 

 サビエル記念聖堂に向かう坂道の途中にある幼稚園は

「山口天使幼稚園」といいます。

 

 

 掲示板にここの卒園生の写真が貼られていました。

「あれっ、卓球選手の石川佳純さんだ!」ここの卒園生だったのですね。

 

 

「山口美人ですね!」

 

 この幼稚園の子供たちは神に護られているはずです。

フランシスコ・ザビエルが来日してから470年になります。

どこかで、この子供たちの声を耳にしているかもしれません。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 「なんて美しい塔なのだろう・・」

私はこの塔の前からしばらくの間 動けなくなりました。

 

 

  2019年6月14日(金)缶コーヒーを片手に「のぞみ」に乗りました。

 

 

  (この缶コーヒーおいしかったですよ)

久しぶりの「のぞみ」です。

足元が広くて乗り心地がいいです。

 

 出張先は山口です。

初めての土地で、何の予備知識もありません。

カルスト台地の秋吉台とか錦帯橋とか下関のフグとか白ヘビ

くらいしか頭に浮かびません。

 

 

 14日、京都あたりから雨が確認できました。

「雨か・・」 傘をさしながら歩くのは荷物もあるので大変です。

 

 

 新山口でJR山口線に乗り換え、「山口駅」で下車しました。

まずは、ホテルに入る前に仕事場所の確認です。

 

                                        ( JR 山口駅 )

 

 携帯電話のグーグルマップにすべてを任せて雨の中を歩きます。

 (出た! 地図を読めない男!)

 

 

 アーケードの商店街にしては妙に静かです。

アーケードを抜けると普通の住宅地になりました。

 

 

 大きな通りの向こうに「ブック・ファースト」の看板が見えました。

目立つものはそれくらいでした。

あまりにものどかです。

 

 

 山が近いな。 広々とした田園はありません。

山に囲まれた住宅地、のどかです。 

 

         ( 山の斜面にたくさんの サギがいました サギ山と呼ばれています )  

 

 ここは県庁所在地のはずですが、そんな感じはあまりしませんでした。

にぎやかさを感じないのです。

のどかです。

 

 仕事場所の建物を確認してホテルに入ります。

新しいホテルのようで部屋もきれいだし、大浴場の温泉もあります。

 

                         ( 小さな机があるのが すごくいいです  )

 サウナや露天風呂もありました。

朝食はバイキング形式の食事がつきます。

 

 

 温泉もあるし、朝食もある、近くにコンビニもある。

のどかな場所ですが生活に困ることはなさそうです。

 

 仕事2日目、16日(日)ひたすら真面目に働きます。

担当者は早めに帰りました。

残された私は独りで黙々と働きます。

夜中の3時にやっと区切りがつきました。

「まぁ、いいか・・よくないか・・」

 

 で、17日(月)

夜中がんばった分、日中に自由になる時間を手に入れました!

午前中、担当者と打ち合わせをして、食堂で520円の定食を食べながら

話をします。

 

 

 「この辺りにはブック・ファーストしかないのですか?」

「いや、他にもあるにはありますよ」

食事を終えて、仕事場を出ようとしている時に

担当者がファイリングされた資料を手渡してくれました。

「んっ? 何?」 

「いや、近くだとお勧めはこのあたりかと・・」

 なんて優しい人なのでしょうか、こんなことまでしてくれるとは

さすがデキル男だ!  将来有望  ありがたい! 

 

 

 そのファイルを片手に私は町へ出ました!

見知らぬ土地の散歩に出かけましょう。

いよいよ、私の楽しい出張が今、始まったのです。

 

 

 初めての土地を歩くことはとても楽しいです。

見るものすべてが、生まれて初めて見る世界ですからね。

 

 

 

 おすすめの「一の坂川」へ向かいます。

国道沿いに、とことこ ゆっくりと歩いて30分くらいで目的地の川に着きました。

 

 

 ガイドによると室町時代に大内氏が「一の坂川」を京の鴨川に見立てて

街づくりをしたのだそうです。

 

 

 山口が西の京と言われる所以だそうです。

 

 

 いい流れの川です。

川岸にはソメイヨシノが200本植えられています。

さくらの時期はみごとでしょうね。

 

 

 

 流れは生き物の気配がプンプンしています。

いましたね! 

 

 

 あっ、大きなカメがいます。

立派なカメです。  

 

 

 おっ、大きなカニもいましたね。  

 

                             ( 画面中央の石の上にカニがいます )

 ゲンジボタルも舞う川のようです。 いい川ですね。  

 

 

 川沿いに歩いていくと、もうひとつの目的地に着きます。

「瑠璃光寺 五重塔」(るりこうじ ごじゅうのとう)です。

どんな塔なのだろう? 期待が膨らみます。

 

 

 立派な山門を抜けると別世界に入ったかのようでした。

今までの喧騒が消え、静かでよどみのない世界に思えました。

右手に池が見えました。

そちらに向かい、視線を上げるとそこには威厳を漂わせ凛と建つ

五重塔が見えました。

 

 

 古い甲冑を見るかのようでした。

その姿はじっとしていても、動であり、力強く、逞しさを感じます。

 

 

 「美しい 五重塔はこんなにも美しいものだったのか!」

衝撃的でした。

 

 

 屋根のこう配は緩やかに、気品のある傾斜です。

地味な色合いに見えますが、それは檜の樹皮を利用して屋根を施工する

檜皮葺(ひわだぶき)によるものです。

 

 

 柱の太さがこの塔に力を与えています。

木と木が組み合わされた部分を見ていると時間を経つのを忘れるほどです。

 

 

 重厚な造りに時間の重さと歴史を感じます。

 

 高さは31.2メートル、初重の丈が高いということと二重には勾欄が

あります。

 

 

 下から上へ向かうにつれて間が詰められています。

細く見えますが、均衡がとれていて全体のバランスが安定しています。

 

 塔を見上げると屋根の最上部の上にある宝輪の最先端部 宝珠が天を

突き刺すように見えます。

どんな願いでも叶えるという宝珠はまるで、槍の矛先のように

真っ直ぐに天に向けられています。

 

 

 「すばらしい」建造物を見てこんな風に思うことは稀です。

 

 この塔は嘉吉二年(1442年)の建立です。

室町時代、応永の乱で戦死した大内氏二十五代 義弘の菩提を弔うために

弟の二十六代 盛見(もりはる)が建立したものです。

 

 元々は香積寺(こうしゅくじ)の境内に建立したのですが、江戸時代の

はじめに香積寺は萩に移り、その後に瑠璃光寺が元禄三年(1690年)に

移ってきて

その後、「瑠璃光寺 五重塔」と呼ばれるようになったそうです。

 

 総檜造りのこの塔は日本三名塔のひとつです。

ちなみに他の二つは京都の醍醐寺と奈良の法隆寺です。

 

 

 背景の山々のみどりがこの塔をひときわ際立たせています。

ちょっと歩いてみたら、こんなにも素晴らしい 優美な姿の塔に巡り合いました。

山口の歴史に触れる事が出来ました。 来てよかったです。

 

 

 広い境内の奥に萩藩主 毛利家の墓所があります。

規模の大きさと荘厳さに驚かされます。

墓所ではありながら、広大な土地を使った空間に身を置くとなぜか、

こころが落ち着きました。

 

 

 100年前にも私と同じ気持ちになった男がいたかもしれません。

200年前にも。 

この場所にあっては、どれだけの時間が経とうとも同じ空間が存在しています。

自分はここで何をしているのだろう?

なぜ、自分は今 ここにいるのだろう?

答えのみつからない疑問が生まれては消えていきます。

この墓所にいる間中、うぐいすのさえずりが聞こえていました。

 

 

 

 

 山林へ続く石段を上がると見たことのないような種子が落ちていました。

 

 

 これは何の種子でしょうか。

 

 

 見上げて真上の樹を見ても私にはわかりませんでした。

ぽつんと離れたところにも毛利家の墓がありました。

その近くできれいな石をみつけました。

 

 

 単なる石灰岩かもしれませんが、きれいだったので持ち帰る

ことにしました。 家の水槽の中に入れます。

 

 

 

 

 

 瑠璃光寺の境内にあった手水鉢です。

 

 

 「吾唯足知」(われただたるをしる) お経の中にこの言葉があります。

今の自分はこれ以上 我欲を求めてはいけない という意味です。

 

 

 現場の捕捉には現実に感謝をして不平不満を言わずより前進を誓う言葉

と書かれてありました。

 

 

 

 山口出張の仕事中、おもいがけず仕事以外で私の人生に

何かをもたらすものと出会った気がします。

毎日、ホテルと仕事場の往復だけかと思っていましたが今日はとても

いい収穫がありました。

 

 

 山口に来ることが出来て本当によかったです。 

 

 仕事がんばろ!

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

  2019年6月10日 私は自分の左手をじっとみつめていました。

場所はかつて、私が人生最高スコアをたたき出した記念すべきボウリング場です。

 

 

 「本当に出来るのだろうか・・」

「練習は積んできた・・なんとかなる・・」

 

そして、ボールを手にしてアプローチで息を整えます。

 

 第1ゲーム 第1フレーム  

4歩助走だから左足からだ。  

1歩、ボールをプッシュアウエイ そして 2歩-ダウンスイング。

3歩-地味にバックスイング、4歩―右足を軸にしてそのままリリース、そして

フォロースル―。 理論上は完璧だ。

 

 私の左手から離れたボールはレーンの左側をゆっくりと転がっていきました。

そのまま、まっすぐ、定規で線をひくように走っていきます。

そして18メートル先の4番ピンを捉えました。

 ノーヘッドです。 この瞬間 もうストライクはありえません。

狙っていた場所は1番ピンと2番ピンの間のストライクポケットです。

(右投げの場合は1番ピンと3番ピンの間になります)

ボールは1番ピンのヘッドピンと2番ピンの横を通り

3列目の向かって左端の4番ピンに命中しました。

8本のピンが倒れました。

 

 感触としては、いい感じです。 

第1フレーム、第2投目。 ボールはヘッドピンと2番ピンにかすりもせず通過して

大きな音をたててリアークッションに激突しました。

 

 

 人生で初めて左手で投げたボウリングでした。

私は右利きです。 ずーっと右利きで生きてきました。

でも、諸事情があり現在、右手を休めています。

 

 「左手でもなんとかいけるのかなぁ」

ボールを持って投げ始めるポジションを数センチ単位で右へずらしていきます。

今と同じように投球できれば、ボールを転がし始める位置の修正だけで、ストライク

ポケットに命中させることが出来るはずです。

(実際にはレーン上のオイルの加減もあるのでむずかしいですけど・・)

とにかく、ストライクポケットを狙います。

 

 第2フレーム ガター。 スペアとれず。

第3フレーム ガター、 スペアとれず。

第4フレーム ガター、 まぐれでスペアがとれました!(左手初のストライクです)

 

 

 3回連続 ガターになるというのは普通のレベルではありません。

1フレームの中で2回投げられるのに2投目でも1本のピンすら倒せていません。

私は5回連続ガターを出したということになります。

こんなにガターを出したのは、生まれて初めての事です。

 (ここのボウリング場からは数々の私の珍記録が生まれてしまいます)

 

 隣のレーンで投げていたカップルまで動揺しているようです。

私とは眼を合わせないように気を使ってくれています。 

やさしいカップルですね。

 

 

    (彼女の方は 安めぐみさんとよく似ていました) ← どうでもいい! 

 

 

 ボール軌道の修正も出来ず、コントロールも安定させられないまま

第1ゲームは終わりました。

スコア-57  これもまた新記録です。 

 

 

 今日はすごいぞ! 記録ラッシュだ! 

 

 今回、左手でのチャレンジのため、シューズとボールは両方 レンタルにしました。

 

 

 自分の靴は右投げ用の靴だし、ボールも右手に合わせて作っています。

でも、ハウスシューズとハウスボールにすると身軽にボウリング場に行けます!

これは楽でいいです!  ?? 

 

 

 使うボールの重さも、マイボールよりも2ポンド軽めの12ポンドにしました。

左手への負荷を軽減するためです。

(この選択は正解だったと思っています。左の指に異常はみられません)

 

 

 第2ゲーム。  ガター3回 スペア1回 ストライク1回 

スコア-79    

 

 第3ゲーム   ガター5回 スペアなし ストライクなし 

第3フレームから第5フレームまで連続ガターです。

第6フレーム ちょっと頭にきて、気がついたら右手でボールを投げていました。

勢いがつきすぎて、軸足の左足のつま先がラインを越えてファールになりました。

 

 

 第2投目、(右投げ)さらに勢いがつき またファール。

(この時、ストライクがでたんですけどね、記録には残りません) 

第8フレームからまた左投げ、やはりガター。

結果、スコア-61   

 

 ボウリングの練習は3ゲームまでにしようと思っていたのですが、

ここでやめるわけにはいきません。( ← だからダメなんですよね)

 

 あと3ゲームだけ やることにしました。

2ゲームだけ右手で投げてみることにしました。

第4ゲーム スコア-141  

3か月ぶりに右手で投げたにしてはまぁまぁのスコアです。

 

 

 隣のレーンのカップルがきょとんとしています。

無理もありません、左で投げたり、右で投げたりと妙な男が隣にいるのですから

見ていて調子が狂うのでしょう・・。 

(二人で力を合わせて幸せになるんだよ!) ← どうでもいい! 

 

 第5ゲーム、 スコア-137  

この辺りが私の平均スコアということになるのでしょうか。

「まぁ、いいか・・・よくないか」

 

 第6ゲーム、左手に戻しました。 ボールを更に1ポンド軽い11ポンドにしました。

(ちょっと恥ずかしいですが女性が使う重さのボールに近づいてきています)

 

 

 第1フレーム、ストライクが出ました! 

タイミングさえ合えばストライクを出せるのですね!

でも、ガター 4回  スペア―2回。 スコア―88 

うーん、どう考えればよいのやら・・。   

 

 結論―左手投球を続ける価値はあるかもしれません。

可能性はゼロではないですね。

というか、やっぱり 早く右手が完全に元に戻ってくれればいいのになぁ。

 

 友人と2人でボウリングをしていたので、独りでがむしゃらに

練習をしている時とは違い、うまくいってもいかなくても楽しめたボウリングでした。

私はプロではないので、「楽しむ」ということを一番に優先させるべき

ことなのだろうなぁと思いました。

 

 

 「私のパール! もう少し待っていてくれ!」

「あれっ? 嫉妬しているの? 可愛い奴だなぁ その必要はないよ」

「愛しているのはお前だけだよ!」

↑ こんなことを軽々しく口にする男を信じてはいけません!

 

 

 私のへなちょこボウリングは、もうしばらく続きそうです。

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。