2020年 新年あけましておめでとうございます。

今年も健康に気をつけて有意義な1年にしましょう!

 

                                                      (20200101)

 

 昨日の元旦、久し振りにイベントに参加しました。

世田谷区が主催している「元旦 歩こう会」です。

 

 

 何のことはない、ただ区民が朝集合して歩くというだけのものです。

自分が暮らす場所の近くの公園に集合して、そこからゴールである

世田谷総合運動場までの道のりを歩くのです。

 

                            (20200101 集合時間)

 

 スタート地点となる公園は7か所です。

ゴールまでの距離は最大8kmほどです。

帰りは現地での解散なので、バスや電車を使ってもよし。

行きも、帰りも歩けばそこそこの距離を歩けますね。

 

                    (20200101 ラジオ体操でウオーミングアップ)

 

 私が初めてこのイベントに参加したのは2003年1月1日です。

当時、愛犬whitefangと毎朝散歩で行っていた公園の一角にイベントの

ポスターが張られてありました。

散歩も兼ねて参加してみたのが始まりです。

 

                              (20200101 出発)

 

 皆でのんびりと歩きながらゴールを目指します。

1年ぶりに見る風景もあります。

 

                           (20200101 出発 数分後)

 

 空き地になっていたり、以前からあったはずの店がなくなっていたりと

1年の間に起きた変化を確認したり。

 

                  (20200101 およそ2時間半後 到着)

 

 このイベントに参加すると参加賞をいただけます。

メインはその年の干支がデザインされた根付です。

かわいいデザインで動物が描かれています。

裏にはその年の数字も刻印されているので記念になります。

こうしたものを1個手に入れると12個揃えたくなります。

 

                       (20200101 参加賞 干支の根付 帰りに撮影)

 

 今年も参加できた、また今年も参加できた。

そして今年もまた参加できた。 

その繰り返しで、いつのまにやら12個揃っていました。

 

 

 1度だけ大雪が降り中止になったことがありましたが、後日 whitefangと2人で

歩いてゴールの運動場まで行き、管理事務所に顔を出して根付をいただきました。

 

                        (20200101 グラウンドへ入る)

 

 12個並んだ根付は私とwhitefangが共に生きた証でもあります。

12個の干支、区切りがつけられてよかったなぁと思います。

病気にもならず、ケガもせず参加し続けられたことを幸せに思います。

毎年、ゴール地点で声を掛けてくれる方がいました。

どこの地域から来た人なのか、名前もわからないおばちゃんでしたが

毎年、会えることを楽しみにしていました。

公園で顔見知りになった豆柴をつれたご夫婦も参加し始めました。

引っ越しをしていなくなるまで、4回ほど一緒に歩きました。

はじめは抱っこされた小さい赤ちゃんだった子が自分の足で歩いて参加

し始めました。 

12年の時間は様々な変化をもたらしました。

知り合いだった方はいつしか、見かけなくなり、私自身もファングがいなくなり数年は

続けたのですが「実家に来い!」という姉の指令も受け、連続参加から脱落しました。

 

                        (20200101 新しくできた観客席)

 

 そして丸3年振りに参加した「歩こう会」。

知っている顔ぶれは数人しかいませんでしたが、楽しめました。

大晦日の強風は消え、多少の寒さはありましたが日差しがあって歩きやすかったです。

 

             (20200101 参加賞の飲み物とエコバック、そしてお手玉)

 

 ただ、参加者そのものの数が減っているように思えました。

スタート地点でも、ゴール地点でもそれを感じました。

 

                               (20200101 歩こう会)

 

 かつては歩いている時に救護用の車が伴走していました。

今回はありませんでした。

2004年のころはゴール地点に大きな横断幕が張られていましたが、いつしか

なくなりました。 

おそらく「歩こう会」の予算が縮小されているのだと思います。

 

                (20200101 参加賞でいただいた お手玉)

 

 ゴール地点の総合運動場ではおめでたい獅子舞が披露されます。

区長のあいさつもあります。 

 

                 (20200101 世田谷区長も楽しんでいました)

 

 以前はグラウンドに全員が地区ごとに並びましたが、今年は観客席が新しく

整備されたようで、お披露目を兼ねて客席に座りました。

私は初めて見る「おてだま」をしながらの歌や踊りも披露されました。

 

                               (20200101 歩こう会)

 

 気持ちの良い1年のスタートを切ることができました。

 

  

 注意) 現在、「元旦 歩こう会」ではペットを連れてグラウンド内へ

      入ることを禁止しています。

 

 

                       (20200101)

 

 その後、ファングのお参りも出来ていい一日でした。

 

                               (20200101)

 

                     (大家さんがおせち料理をおすそ分けしてくれました)

 

                              (20200101 肉うどん )

 

    (パソコンのOSをwindows10にしてメモリーを8GBにした ← どうでもいい!)

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 あこがれの「道後温泉」へ行くことが出来ました。

12月14日(土)のことでした。

この日は土曜日ということもあり、

早めに仕事場を出ることが出来ました。

路面電車に乗れば、あっという間に着くという話は聞いていました。

「まだ明るいしな、どうしようかな」

松山市内から道後温泉まではおよそ2キロという交通案内が出ています。

「2キロか」歩くにはちょうどよい距離です。

ということでのんびりと歩いて行くことにしました。

 

                             (20191214 城山公園)

 

 城山公園を横切り、路面電車が走っている県庁前の東堀端通りに出ます。

 

                          (20191214 東堀端通り)

 

 「道後温泉行き」と書かれたプレートをつけた路面電車が走っている道を

行けば、いずれ道後温泉に到着できるはずです。

 

 路面電車が走る伊予鉄城南線の線路に沿って、しばらく歩きます。

前方に紅葉した山並みがビルの隙間から見えてきます。

道後温泉が近いのだなとわかります。

以前、松山城の太鼓門の手前から街を見渡せる場所があり、その案内板で

道後温泉の位置をだいたい把握していました。

街があって、奥に山がある。その山の手前に道後温泉はあるのです。

 

                             (20191214 勝山町交差点)

 

 愛媛銀行がある勝山町の場所で左折します。

右へ行けば11号線 高松・高知方面になります。

しばらく道なりに歩きます。

右手に松山東警察署があって、その近くのスーパーの2階に100円ショップ

「セリア」がありました。

全国規模のチェーン店、うれしくなり すぐに入ってしまいます。 

この店はセンスの良い、かわいい小物が豊富です。

「なんか、いいものはないのかなぁ」と思いつつ店内を歩くとこんな

ものを見つけました・・。

 

 

 ひとつは、まるで今の自分を見るようで、妙に親近感が湧きました。

松山滞在記念にこの2つのものを購入しました。  かわいい。

 

                                     (20191214 )

 

 路面の線路に沿って、右折してしばらく行くと山の木々の紅葉が見えてきます。

前方に幟が見えました。

 

                                   (20191214 )

 

 「何だろう?」近づいてみると湯築城跡というプレートがありました。

この場所に城があったのですね。

 

                                   (20191214 )

 

 

                                   (20191214 )

 

 案内板によると、室町時代の伊予国を治めていた河野(こうの)氏の城がここに

あったのだそうです。

当時、伊予国の政治の中心はこの場所でした。

1585年に全国統一を目指す豊臣秀吉に攻められて河野氏は降伏します。

江戸時代は松山藩主により管理されていたそうです。

平地にある城は珍しいと思います。

 

                                 (20191214 )

 

 外堀を掘り、その土を利用して土塁を築きました。

外堀を含めて南北350m 東西300mで広さは約8.5ha.

中心は標高31mの小高い丘陵で「本壇」「杉の壇」と呼ばれる平坦地になっていて

そこからは遠く、伊予灘を見ることが出来ます。

二重の堀と土塁だけでは攻められたら、なかなか守りきるのは難しい構造だと思います。

 

 ここまで来ると、道後温泉はもう目の前です。

堀に沿って歩きます。

 

                               (20191214 )

 

 正面にアーケードの架かった商店街が見えてきます。

右手には大きな案内地図、左手には路面電車の道後温泉駅そして

展示用の坊ちゃん電車も置かれてあります。

 

                                  (20191214 )

 

                                    (20191214 )

 

 真っ直ぐに進み商店街へ入ります。

通路の狭さを感じます。 お客さんが多い時は混雑するでしょうね。

 

                              (20191214 )

 

 食べものや雑貨、衣類、愛媛のおみやげ屋さんの店が並んでいます。

個別に店を見ると愛媛の特徴のあるものがありますが、全体の雰囲気が

きれいなせいか、普通の街にある商店街のように思えてきます。

現代そのもの。

今、日本最古級の温泉に向かっているというのに、なかなか過去へ通じるタイムトンネルは

開かれない感じです。

 

 あっという間に商店街を通過してT字路になりました。

正面、左手には「椿の湯」が見えます。

 

                                     (20191214 椿の湯 )

 

                      (20191214 椿の湯 )

 

 「椿の湯」のさらに左奥には「別館 飛鳥乃湯」があります。

このT字路を右にまっすぐ行くと「道後温泉 本館」があります。

 

               (20191214 椿の湯 )

 

 さっそく「椿の湯」に向かいました。

入湯料大人1人400円、自動券売機で買います。

 

                    (20191214 椿の湯 )

 

                     (20191214 椿の湯 )

 

                          (20191214 椿の湯)

 

 靴箱が置かれてある、ちょっとしたスペースの奥に受付カウンターがあります。

私が買ったチケットは入湯料だけのものです。

「タオル、せっけん、シャンプーはなしでもいいのですね?」と確認されました。

タオルはレンタルの物よりも記念にもなるので購入するつもりで来ていましたが

「椿の湯」では販売はしていませんでした。

で、その場で30円のレンタル料を支払いタオルを借ります。

せっけん、シャンプーはなくともホテルに戻り、シャワーを浴びると思うので

購入しませんでした。

とにかく、ゆっくりとお湯に浸かれればいいのです。

受付を離れて浴場へ向かおうとした時に、横で休んでいる男性から声を掛けられました。

「これ、よかったら使ってください! 使用していないものです」

突然声を掛けられてびっくりしました。 

見ると、せっけんとシャンプー2つを差し出しています。

せっけんが入ったパッケージには本館の道後温泉がプリントされています。

「これ、いいですね 記念にもなるのではないですか?」

「お持ちになっていた方がいいのでは・・」と私が言うと

「いいですから、どうぞ使ってください」と男性は続けます。

このまま、延々と2人で続けるわけにもいかないので、丁重にお礼を述べ

有難く2つを受け取りました。

 

                  (20191214  貸しタオルとせっけんとシャンプー)

 

 せっけんとシャンプーを持っていたということはこの土地の人ではないのでしょうが

世の中にはやさしい人がいるものですね。

 

 脱衣場には10円の使用料で使えるコインロッカーがあります。

靴箱の使用料100円は返却されますが、このロッカーは返却されません。

コインロッカーはそこそこの空間があるのでパソコンが入ったディバッグ

衣類など余裕で入れられます。

 

 さぁ、いよいよ湯船に向かいます。

お湯の色は無色透明です。

お湯に触れた途端、お湯がものすごく滑らかなことを感じます。

肌にあたるお湯の感じが優しいのです。

お湯に浸かりながら腕にお湯をかけてみると、すっと肌になじみます。

特別、肌が滑らかになるとかツルツルになる感じはありません。

お湯を口に入れると甘いのではないかと思えるほど

ただただ、なめらか、まろやか、とにかくやさしいお湯でした。

湯船に浸かりながら、天井や壁を見渡します。

古さを一切、感じません。

壁にはタイル画だと思いますが、白い鳥が描かれていました。

白鳥でもない、鶴でもない。 

後に道後温泉の始まりは白鷺(サギ)が関わっている事を知りました。

そういえば道後温泉の屋根のてっぺんにも白い鳥がいます。

白鷺は道後温泉の象徴なのですね。

 

お湯の熱さもちょうどよく、のんびりとお湯に浸かりました。

「あこがれの道後温泉のお湯、いい湯だなぁ」

 

 仕事先の地で、こうして日本の温泉の代表格でもある道後温泉のお湯に

浸かっていると人生の縁の不思議さを感じます。

何かしら、理由とか意味があって私は今、この場所にいるのかもしれません。

(無意味にここにいる可能性もだいぶ高いですけど・・。)

 

                                   (20191214)

 

 せっけんとシャンプーはもったいなくて使えませんでした。

人のやさしさに触れ、いいお湯に浸かり、とてもしあわせな気持ちになれました。

 

 受付を出る時に借りていたタオルを返却します。

「しまった! 髪の毛がまだ濡れていた」

私にせっけんとシャンプーを渡してくれた人がなぜ、受付と浴場とを結ぶ廊下で

座っていたのか、その時に気がつきました。 

レンタルのタオルをまだ使うためのはずです。

このまま外に出たら絶対に風邪をひくはずです。

 

 思いついたことがありました。

隣の「飛鳥の湯」でタオルだけを買うのです。

 

                            (20191214 飛鳥乃湯)

 

                      (20191214 飛鳥の湯)

 

                   (20191214 飛鳥乃湯 タオル)

 

 温泉に入らず、タオルだけを買う客というのも妙かもしれませんが

まぁ、いいのです。                    

 

 髪の毛の水分をとり、また商店街に出て歩き出します。

今度は「道後温泉 本館」へ向かいます。

商店街を抜けるか抜けないかというあたりで木造の古い建物が見えてきました。

 

                    (20191214  商店街から見る 道後温泉 本館)

 

 「こ、こ、これが 道後温泉 本館なのか!」  

確かに古い建物です。  時間の流れを感じます。 歴史が刻まれているのですね。

木造3層楼、私の理想の温泉宿の建物です。

 

               (20191214 道後温泉 本館)

 

                       (20191214 道後温泉 本館)

 

 とりあえず、正面の写真を撮り、入り口を探しながらウロウロします。

人が並んでいました。 浴衣姿の方たちが見えます。

この近くのホテルに滞在して、温泉はこの本館で、という方たちなのですね。

 

                           (20191214 道後温泉 本館)

 

 私も並ぼうかな?と思ったのですが、今温泉に入ってきたばかりだし、

まだ髪の毛が乾ききっていない中、外で並ぶのもどうかと思い、この日は

ホテルに戻ることにしました。

 

             (20191214 道後温泉 本館)

 

                   (20191214 道後温泉駅前)

 

 帰りは初、路面電車です。

入り口と書かれた場所からとりあえず路面電車に乗りました。

 

                           (20191214 道後温泉駅)

 

 事前に運賃は「160円」と聞いていたので硬貨を手にして乗り込みました。

料金箱のようなものがあったので100円と50円玉と10円を入れたら

100円が10円玉10枚になり全部戻ってきました。

 

                   (20191214 路面電車内)

 

 「これは両替機か!」 車掌さん?運転士さん?も見あたらなかったので

とりあえず車輛の前方 一段高い場所の席に座りました。 

私は始発「道後温泉」から終点の「松山駅」まで行くつもりです。

 

                         (20191214 路面電車内)

 

 乗降車する人たちの様子を見ていれば、路面電車の正しい乗り方がわかるでしょう。

なるほど、降りる時はボタンを押して車掌さんに知らせるようです。

料金は大人160円 降車する時に車掌さん?運転士さん?がいる進行方向

前方の料金箱に入れて降りるという事でした。 

ちなみに料金の支払いは現金か路面電車専用のカードだけです。

パスモなどのカードには対応していません。

 のんびりと走る路面電車の揺れは座っていて心地よく、座席から伝わる暖房の熱が

手伝い、私はいつしか眠っていました。

始発から終点まで、ほんの20分ほどの時間でしたが、歴史のある道後温泉から

現代へ戻る時間の旅のように思えました。

 

 「道後温泉」一度は行ってみたいと誰もが思う温泉だと思います。

歴史が蓄積された木造の大きな建物。 眺めているだけでその存在の価値を感じました。

道後温泉は3000年の歴史を持つ温泉です。

596年に聖徳太子が浸かったお湯なのです。

建物の中に入れば、またその良さもあるのでしょうが、それは次回の楽しみに

したいと思いました。

 

               (20191214 道後温泉 本館)   

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

「メリークリスマスです!」

本日、12月25日はキリストさまのお誕生日ですね。

日本ではあまり宗教的な意味合いは触れられずにただ「冬のイベント」

のようになっている感はありますが、みんなが幸せな気持ちになれる

日であることに変わりはないわけで、私自身もなんかふわふわした気持ちで

一日を過ごしていました。

 

                               (20191224 大街道エリア 入口)

 

 松山も例にもれず、クリスマスを迎えています。

賑やかな歓楽街(商店街かな)「大街道エリア」でも楽しげな若い方たちを

多くみかけました。

 

                                                             (20191224)

 

 派手なクリスマスツリーは見かけませんでしたが、一応クリスマスのようでした。

幸せそうなカップル、旅行中らしき外国人。

仕事帰りのお父さんはケーキを片手に家に帰るのでしょうか。

 

― ― ― 以下 Black choco の妄想です ― ― ―   

 

 家に帰れば電気が灯っていて「おかえりなさーい」とか言われちゃって、

「ただいまー」とか言っちゃって。

かわいい子供が「すぐにケーキ食べたい!」とか言っちゃって。

ばあさんが出てきて「すぐに食べたらもったいないからお正月まで我慢しなさい!」

とか言っちゃって。 みんなで「アハハ」とか笑ったりして。

ふと横を見るとじいさんが切腹していたりして。 (ありえないだろっ!)

「ハハッ、おじいちゃん、また切腹している!」とか子供が言ったりして。

可愛いネコが倒れているじいさんの身体の上でジャンプしてケーキの上に落下して

ケーキがぺちゃんこになって。

「しょうがないな、もう1個買ってくるか!」とかいいながらじいさんが

子供と手をつないで買いものに出掛けるとか。(短刀が刺さったままかな?)

そんな幸せで温かい家庭のドラマが世界中でたくさん、渦巻いていることでしょう。

                       (ホントかよっ!)

 疲れてきて頭がおかしくなってきました。

 

                                   (20191224)

 

 私のクリスマス。 どうでもいいですね。 はい。

どうでもいいです。

 

 松山での仕事中、時間が許す限りあちらこちらをほっつき歩きました。

 

 

        (きつねうどん 550円 と まいたけ?の天ぷら 120円)

 

 多くは松山駅前のうどん屋さん、松山駅前2階にあるダイソー、松山城、道後温泉、

 

                           (道後温泉 本館)

 

                           (道後温泉 飛鳥乃湯)

 

                              (道後温泉 椿の湯)

 

 松山市駅、高島屋、商店街、ファーストボウル だいたい、このくらいか。 

 

                    (松山市駅 高島屋)

 

               (松山市駅 屋上 観覧車)

 

          (高島屋の前で歌っていた男性 すごく声が澄んでいました)

 

                          (大街道 商店街)

 

 遊びで来ているわけではないので充分ですね。

 

                           (大街道 ファーストボウル)

 

                           (大街道 ファーストボウル)

 

        (大街道 ファーストボウル  松山でもやっぱりへなちょこでした)

 

                            (大街道 ファーストボウル)

 

 24日の夜 ホテル近くのコンビニでケーキを買いました。

ここの店には研修中の若い女性店員さん(言葉のアクセントからおそらく高知出身の人

だとみています)がいます。

なのに、今日はいませんでした。(12月24日21時50分確認)

「そうか、クリスマス・イブだものな・・いるわけないわな・・」

 

 今日はあまり見かけないアルバイトの男性でした。

私がほっつき歩いている時にも、働いている人がいる。

「社会は個々の様々な生活に支えられて、まるで複雑なモザイク模様のような形態で

出来上がっているのだなぁ」と思いつつペイペイで支払いを済ませ、

レシートを見て還元額にちょっとうれしくなったり・・。

 

                                   (20191224)

 

 今日はこの曲が街のあちらこちらから聴こえていることでしょう。

 

 

       山下達郎 「♪クリスマス・イブ」     ←  別ウインドウで開きます。

 

 

 BoAさんの「♪メリクリ」ではないところが私の正直さかな。

                      ↑ 別ウインドウで開きます。

 

 でも、やはり、載せておこう! 

 

 

 

 

 きっと、あなたの元へサンタさんは現れるでしょう。 

                   (何の根拠もありませんが・・)

 

 2019年 いいクリスマスをお過ごしください。

 

 

                        (城山公園 縁石)

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

                                              (愛媛県松山市 城山公園)

 

 松山に来てから3週間になります。

そろそろ休みがあってもいいと思うのですがありません。 

日々働いています。 

「働き方 改革」私にはあまり関係していないようです。

まぁ、いいか。   よくないか・・。

 

 しかし、丸一日の休みがなくとも数時間自由になれる時間があったり

します。

そんな時間を有意義に使っています。

さぁ、今日もほっつき歩きましょう!

 

 午前中に時間が出来ました。

すぐさま、仕事場を出て山へ向かいます??

 

                                       (松山城)

 

 松山に来てから毎日、城山公園から見上げていた松山城へ向かいましょう!

黒門口登城道から向かいます。

 

                                  (松山城 HPより)

 

 松山城は標高132mの勝山にある城です。

勝山城や金亀城という名前も持っています。

天守は江戸時代以前に作られたものが現存しているそうで、

日本ではこうした城郭は12か所しか残っていないそうです。

貴重なお城です。

 

                                       (松山城)

 

 築城主は加藤嘉明です。 

かとう よしあき。 

存じ上げている お名前です・・。 

 

                                    (黒門跡)

 

 加藤嘉明 

20歳の時に賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい 現 滋賀県長浜市)

天正11年(1583年)において七本槍の1人として活躍した武将です。

この戦いは羽柴秀吉が天下取りのために地盤を固めた重要な戦です。

七本槍の武将は福島正則、加藤清正、平野長泰(ながやす)、脇坂保治、

糟屋武則(かすやたけのり)、片桐且元(かつもと)、そして加藤嘉明です。

 

                                         (wikiより)

 

 その後、関ケ原の戦い 慶長5年(1600年)で徳川家康に従軍して

戦功を認められ伊予松山に20万石を与えられます。

慶長7年に道後平野の勝山に城郭を築く工事に入ります。

 

                                     (けやき門跡)

 

 慶長8年(1603年)10月に居所を新城下に移します。

この時に初めて「松山」という名称が公になりました。

 

                                   (二の丸 史跡庭園)

 

 この城は25年の歳月をかけてようやく完成します。

 

                           (黒門口 登城道 石段)

 

                               (黒門口 登城道 石段)

 

 加藤嘉明は寛永4年(1627年)に40万石を与えられ会津に転封されます。

それまで会津を治めていた蒲生氏が途絶えたためです。

嘉明が入った城は鶴が城です。

城の改修と領内の整備に力を注ぎました。

 

                               (会津 鶴が城)       

 

 嘉明は会津で検地を実施し村々の石高を調べ所領を確定したり白河の街道を滝沢峠の

新道に改めるなど領内の政治に力を尽くしました。

 

 寛永8年(1631年)病のため69歳で亡くなりました。

後に遺骨は京都 東本願寺 大谷祖廟に葬られました。

 

 

 嘉明の後を継いだのは嫡男の明成です。

寛永16年(1639年)に鶴が城の大改修に着手します。

現在の鶴が城の姿が整えられたのはこの時だそうです。

本丸への順路は二重に防がれ進入が一層困難になりました。

 

                              (会津 鶴が城)

 

 しかし、こうした大改修を幕府は歓迎するわけもなく寛永20年(1643年)に

掘主水事件(重臣との対立)を理由に会津40万石は召し上げられた後に改易されています。

 

                            (松山城 黒門口登城道)

 

                              (松山城 黒門口登城道)

 

 加藤嘉明は1563年、三河国幡豆郡(現 愛知県西尾市)で生まれ、幼少期 馬の行商の

手伝いをしている時に優れた資質があると秀吉に推挙されたことを機に武将としての道を

突き進みます。

 

                         (松山城 戸無門手前 太鼓櫓)

 

 天正4年(1576)の播磨攻めに嘉明は当時 小姓として仕えていた羽柴秀勝に無断で

従軍します。 13歳の時です。

天正6年(1578)備中須毛山の戦いでは15歳にして初めて2つの首級を挙げています。

次々と戦で名をあげ禄高も増えていきます。

 

                                  (松山城 戸無門)

 

 豊臣秀吉に仕え天正13年(1585)の四国攻め(四国平定)では小早川隆景の与力となり

伊予国の平定に参加します。

翌年その行賞で淡路国の津名・三原郡に1万5000石で封じられ大名となり

志知城(志智城)主となります。

 

                                    (松山城 戸無門)

 

 文禄元年(1592)の文禄の役では1000名を率いて出征し嘉明は副将格として淡路水軍

を率いて転戦、多くの海戦を交えます。

「戦国時代」その名の示す通り、戦い続けた戦国武将です。

 

                  (wikiより)

 

 秀吉の死後、徳川につき時代を生きました。

慶長11年(1606)から慶長14年(1609)にかけて江戸城修築、駿府城修築、名古屋城

造営に諸将と共に従事しました。

 

                     (松山城 戸無門から見上げる 太鼓櫓)

 

 戦い続けて、敵を倒すことで生きてきた人にとって、江戸時代はどのように眼に映っていた

でしょう。

世の中の平安をこころからありがたく受け止めていたでしょうか。

自分の命をかけて戦うことが自分の存在理由でもあったはずです。

 

                             (石鎚山と皿ケ峰連峰)

 

 天下をとれなければ自分の運命を決めるのは仕えている主君になります。

生きる場所が変わったり、石高が増えたりなくなったり。

現代でいえばサラリーマンと同じです。

転勤(転封)もあれば解雇(改易)もあります。

 

                                  (松山城 隠門)

 

 松山城と会津の鶴が城の2つの城を見て共通点を感じます。

城の堅固さです。

 

                    (松山城 隠門 近くから道後温泉方向を見る)

 

 松山城は特に櫓が要所要所に置かれ隙のない造りです。

石垣が数多く組まれ、勝山そのものが要塞になっています。

 

                                    (松山城 本丸広場)

 

 鶴が城もみごとな石垣であり、難攻不落と言われた城です。

城造りの要である石積みの技術には驚くべきものがあります。

 

              (松山城 本丸広場より 瀬戸内海 興居島(ごごしま) )

 

 松山城の天守からは瀬戸内海が一望できます、

嘉明は正面に見える興居島とその先に見える山口の地を見ていたはずです。

 

                             (松山城 大天守)

 

 長い時間をかけて築いた松山城に対して深い思いがあったはずです。

その後、会津への転封の命を受けた時どのような気持ちになったでしょう。 

この時、嘉明は64歳です。

 

                              (松山城 小天守)

 

 会津での功績を考えれば積極的に前向きに生きたと考えられますが、

それを支えた精神力は強靭なものだったと思います。

戦国武将ならではのたくましさを感じます。

 

                               (松山城 乾門東続櫓)

 

                                 (松山城 野原櫓)

 

                      (松山城 小天守)

 

                                  (松山城 紫竹門)

 

                               (よしあきくんと大天守)

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

             (松山城 天守広場から 瀬戸内海 興居島(ごごしま) )

 

 参照資料 

松山城   

 

鶴が城 

 

 

 

 江戸を離れ、松山に来て早2週間になります。

始めはやたら江戸に戻りたかったのですが、最近ではもう

どうでもよくなっています!? あきらめかな?(笑)

(生物は順応性が高いのです)

夜、ホテルに戻ると「お帰りなさいませ!」と迎えてくれます。

「ここが私の戻る場所なのだなぁ」と思います。

 

 で、感じていることがありまして・・。

私、確実に体重が増えていると思います!!

(やたら食べています)

ストレスもあると思いますが、直接的な原因は食べもののおいしさです。

この土地ならではの特産品はそれほど口にしていませんが、

ついつい、食べてしまっています。

 

 

 ホテルの朝食、バイキング。

「野菜を食べなきゃなぁ」と思いつつ、ソーセージがあればもちろん

手を伸ばします。

子供のころから不思議とソーセージがあると、こころが落ち着きます。

 

          (サバのみそ煮定食                ビーフシチュー)

 

 仕事場の食堂がまた負のスパイラスをもたらします。

味付けがとてもよいのです。

定食と麺類が置かれています。

定食は500円か550円で提供されています。

小鉢は好きなものを1品 選べるスタイルです。

今まで、食べてきてすべておいしいと思いながら完食していました。

それに、ご飯そのものがまたおいしいのです。

盛り付けも、おばちゃんのはからいなのか山盛りのような気がします。

 

 少し仕事に余裕が出てきてからは早めに仕事場を出られるようになり

夜の松山をほっつき歩き始めました。

 「せっかく松山にいるのだからおいしいうどんを食べなければ!」

という思考が働きます。

大体、向かうのは駅周辺です。

 

 

 そこに行けば松山に来て初めて食べた駅の改札口の横にある

うどん屋さんがあるからです。(ポイントカードもありますからね)

 

                     (松山駅 横のうどん屋さん 店内)

 

 この日、選んだのは じゃこ天うどんとじゃこカツです。

どれだけじゃこを食べれば気が済むのか?という感じです。

 

 

「じゃこ天」はこの辺の特産品なのです。 「食べなければ!」

じゃこ天うどんは550円、じゃこカツは320円だったかな?

一皿何かを付けると割高感がありますが、おいしいのです。

麺のツルツルした食感、コシの強さ、じゃこがぎっしり詰まった揚げ物に

じゃこだらけのカツ、これが松山なのです!?

おいしいのです、おいしいからきれいにすべてを食べてしまうのです。

(だからダメなのかもしれませんけど・・。)

出されたものを残すのは気がひけてしまいます。

せっかく作ってくれたものだからとか、これを作るためにどれだけの時間と

労力がかかっているのかとかと、考えたら残せなくなってしまいます。

じゃこにしてみても、自分の命を犠牲にしているのに結局

誰のためにもならずに消滅するのでは、その魂も浮かばれません。

 

「このままではいけない!」

「このまま巨大化していって、いいはずがない!」

 

 仕事の途中、総務の女性が「差し入れでーす」とか言って

持ってきてくれたものがありました。

白い細長い箱に入ったものは「臼切焼き」(ひぎりやき)

というものでした。

 

 

 江戸では大判焼きと言われているものと同じように見えます。

表面に焼印まで入っています。

柔らかい表面の内側には控えめな甘さのあんこがぎっしりと

詰まっていました。

「甘い!おいしい!」ありがたいことです。

「なんでこんなことをしてくれるのでしょうね?」

と一緒に仕事をしている人に聞いてみたら、こちらの人たちは

みなこんなことをするのだという話でした。

ひょっとしたら、「おもてなしの精神」が根づいているのかもしれません。

やっぱり、松山はいいところです。

ごちそうさまでした。

 

 一緒に仕事をしている方と今後の対策を練っている時に

出てきたアイディアはサプリ(やせ薬)を飲む!ということでしたが、

知っている人で薬を飲んでいるうちに腎臓だったか肝臓がおかしくなった

という話を聞いて、それは選択肢から外しました。

(仕事の話ではないのかよ!)

「そういえば、最近歩いていないな!」と気がつき

なるべく歩いて身体を動かすことにしました。

 

                                      (城山公園内)

 

                           (城山公園  松山城とお堀)

 

 仕事が終わってから城山公園のお堀の周りを1周します。

ゆっくり歩いて40分くらいで1周出来てしまいます。

 

        (城山公園のお堀    アオサギ と白鳥)

 

 もの足りないので駅に向かいます。

お堀からは600mくらいだったかな?

キョロキョロしながらほっつき歩いているうちに

とんでもないものを見つけてしまいました!!

駅に向かって左側のはじっこにこじんまりとした店があったのですが

その看板をみると「喜多方ラーメン」とあります。

 

 

「本当かなぁ!? ここは四国だぞ!? 松山だぞ!?」

サンプルを確認します。

パッとみは喜多方ラーメン風ですが、麺が明らかに違う感じがします。

 

 

「違う!これはきしめんみたいだ 私の思い描く喜多方ラーメンは縮れ麺だ!」 

 

 

でも、気になります。 

でも、今はもうお腹いっぱいです。

さっき、うどんを食べたばかりなのです。

 

      (松山駅の横のうどん屋さん 鍋焼きうどん と カボチャの天ぷら)

 

 翌日、喜多方ラーメンを食べに行きました。

広い店内、スペースを広くとった厨房に3人の男性の調理人がいました。

けっこう、客の出入りがある店なのでしょう。

売り上げもある程度なければ、3人も人がいるはずがありません。

 

 店内は厨房の線に沿ってL字型にカウンターが設けられてあり、

その反対側にもカウンターが用意されていました。

他はテーブル席が8つ?ほどです。

運ばれてきた水を飲みながらメニューを確認します。

注文するものは昨日から決まっていますが、一応 確認しましょう。

 

 

 ある、確かにある。喜多方ラーメンです。

実は読み方が違うとか?「きたほうラーメン」とか?

「よしたかたラーメン」とか?? そんなはずはないです。

会津とも書かれてあるので、私が思っているものと同じはずです。

 

「喜多方ラーメンお願いします!」

この地で「喜多方ラーメン」を発注できるとは思っていませんでした。

私の愛する喜多方ラーメンとはやはり相思相愛だったのですね。

私が知るラーメンの中で一目置いている喜多方ラーメン。

私の人生を受けとめてくれる喜多方ラーメン。

つらい日も楽しい日も常に喜多方ラーメンはそ・・

「お待ちどうさまでした!」「ん?もう出来たの?」

意外に早く喜多方ラーメンは登場しました。

 

                     (松山の喜多方ラーメン)

 

「再会できてよかった!」

(しばらくは食べられないと思い、江戸を出る前の日に食べておきました)

見てくれは喜多方ラーメンとほぼ同じです。

スープと麺、やや厚めのチャーシューとしなちくとなると巻きとネギ。

「スープの色が濃いな? しょっぱくありませんように・・」

まずは、スープを口にします。

「確かにスープだ・・しかもしょうゆ味だ・・」(なんだその感想は!)

次は麺だ、サンプルでは細いきしめんのような麺でしたが、実際に

出てきたのは縮れ麺でした。

食感も私が知っているラーメンと同じです。

チャーシューは、もう少し柔らかさがほしいところです。

スープが違います。

何でしょうか、もっとシンプルな味でいいと思うのですが見ての通り

付いている色が濃いです。 その分雑味が多いように思えました。

いろんな成分が混ざっているという事だと思います。

 

     (本家 福島 坂内 喜多方ラーメン         松山の喜多方ラーメン)

 

 私の知っている喜多方ラーメンのスープは澄んだ薄い黄金色です。

「ん~~、でも、喜多方ラーメンを食べる事が出来てすごく幸せでした」

出張に来て、独りでご飯を食べて、それが喜多方ラーメンだなんて感動ものです!

値段も普段食べている店と同じ650円です。

松山でのポイントカードも有効です。

いいことだらけです。

 

 会計の時に聞いてみました。

「麺はどうされているのですか?」 「福島から仕入れています」

本場、そのものの麺でした!

「スープもですか?」 「はい、ベースだけを・・」

「なぜ、この場所で店を始めたのか、どんないきさつがあったのか」とか

聞いてみたい気もしましたが、店員さんが気の弱そうな方で落ち着きが

なかったのでポイントカードにはんこを押してもらい店の外に出ました。

「ごちそうさまでした!」 

ひょっとしたら、この店は日本で最南端にある喜多方ラーメンの店かもしれません。

松山での喜多方ラーメン、最高の一杯でした。

(ポイントカードの裏の情報で松山店と今治店があることを知りました)

 

                              (城山公園 お堀)

 

 もっとほっつき歩いて、身体を動かさないといけませんね・・。

 

 最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

     (松山駅の右端にあるカレー屋さん カツカレー 揚げたてでおいしいです!) 

 

 

                                                             (20191201 東京駅)

 

 12月になりましたね。

全国のあちらこちらから初雪の便りが届いています。

冬ですね。  

 

                                  (20191201 瀬戸大橋から)

 

                               (20191201 瀬戸大橋から)

 

                                  (20191201 瀬戸大橋から)

 

 12月1日から愛媛県松山市に来ています。

 

                                  (20191201 松山駅)

 

 仕事で来ているので今のところ、これといったイベントもなく

ただ、ただ、淡々と仕事をしています。

休みもなく、真面目に毎日働いています。

 

                          (20191201 松山駅 横のうどん屋さん)

 

                          (20191201 松山駅 横のうどん屋さん)

 

                           (20191201 松山駅 横のうどん屋さん)

 

            (20191201 松山駅 横のうどん屋さん ごぼう天ぷらと肉うどん)

 

 今回のお仕事は今までにない長期の出張です。

一旦、江戸に戻れるのは12月30日です。

1月6日にはまた松山に来ます。

1月の半ばにそのまま広島に行きます。

2月の前半からまた松山に戻ってきます、

すべてが終わり、江戸に戻れるのは2月29日です。

ほぼ、3か月 出張です。

本来、出張は1週間くらいから長くても1か月くらいの

ものが多かったのですが、なんで3か月も家を離れなければ

ならないのでしょうか・・。 

 

                                   (20191201 松山駅前)

 

 1週間くらいの出張であれば非日常を楽しめますが、これでは

今の生活が日常になってしまいそうです。

時間が経って、この土地に慣れれば何でもないことかもしれませんが

今はまだ、自分の家が恋しいです。 

洗濯をして天日に干したいです。

いつもの公園に散歩に行きたいです。

自分の布団がいいです。

 

                          (20191201 松山駅近く 路面電車)

 

 今回の出張のために水槽にいるメダカとクチボソとドジョウがいる

水槽2本に自動エサあげ機を用意しました。

そばについていられませんが、きっと元気にしているでしょう。

 

              (20191202 ホテルの朝食 無料バイキング) 

 

 ベランダの植物は枯れてしまうでしょう。

持ってくるわけにはいきませんからね。

 

                        (20191201 松山城 城山公園のお堀)

 

 松山はいいところですね。

といっても、駅から松山城がある城山公園と県庁近くまでの場所

しか知りませんが、夜遅い時間でも女性が真っ暗な公園を自転車に乗っていたり

歩いていたりするのを多くみかけます。

治安がよいのだと思います。

 

                      (20191202 路面電車)

 

 路面電車が走る街は趣があっていいなと思います。

広島、高知、長崎も、広い道路がありいい街ですよね。

 

                          (20191202 松山城 城山公園)

 

                                                      (20191202 松山城 城山公園)

 

 昨日の朝、駅のみどりの窓口で年明けの江戸から松山へのJR切符を

買いに行った時にちょっと目立つ、大きな女子高生がいました。

セーラー服を着ていて、学生かばんにかわいい小さなマスコットも付いていました。

どう、見ても男性でしかも、どうみてもおっさんで、身長も私よりも

ちょっと低いくらいの大きな体格でした。

私の前に並んでいて、キョロキョロしていますが、他のお客やJRの関係者は

何もみていないかのような対応をしていました。

私も大人なので、特別に凝視したりしません。

人に迷惑をかけているわけではないので好きにしてもらっていいのです。

「切符を買って遠い学校に行くのかな?」と思いながらその方の

後ろに立って順番を待っていたのですが、なんか後ろを向き始めて

私の方をじっと見ている気配がしました。

眼を合わせない方がいいかな?と思い

私は気を失ったふりをしました。(立ったままだぞ! 私は弁慶か!?)

松山は「自由」があっていいところですね。

 

 さっき、コンビニでサラダとパンとポッキー極細を買いました。

ファミリーマートだったのでTポイントカードを出したら

店員さんが何か言い出しました。

始め、何を言っているのかよく聞き取れなかったので聞き直したら

「なんでマルエツないんでしょうね?」と言っていました。

何のことかよく分からなかったのですが、よく見ると私のポイント

カードは渋谷のマルエツというスーパーで作ったものであることに

気がつきました。

 

                                                                     (20191207 Tポイントカード)

 

 よくみかける大きな文字の「T」と書かれたカードが嫌で作っていなかったのですが

「マルエツのスーパー」で発行しているカードは可愛いい感じがしたので

作ったものだったのです。

「なんでマルエツないんでしょうね、サイゼリヤもないんですよ関東にはあるのにね」

と続けて話しかけてきます。

「ずいぶん、詳しいんですね」と答えたら、「マルエツが懐かしかった」

と遠慮がちに笑いながら答えました。

若い男性店員さんでしたが、ほんのりと気持ちが温かくなりました。

松山はいいところですね。

やさしい人たちが多いような気がします。

 

 あと1週間ほどすれば、さすがに休める日がくると思います。

何をするかはだいたい決めていますがそれまでは辛抱の日々です。

がんばろ。 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

風邪をひかないように、気をつけましょう。

ひいちゃった人は早く治しましょう。

 

                                         (20191202 松山城 城山公園)

 

                                                    (20191128 福島市)

 

 2019年11月28日 福島県の土湯温泉に行きました。

福島駅西口から見ると、「種まきウサギ」が生息している吾妻小富士の左横を通過して

猪苗代湖へ向かう峠の途中にある温泉です。

 

                            (20191128 福島市 吾妻小富士)

 

                          (20191128 福島市 土湯温泉)

 

                              (20191128 福島市 土湯温泉)

 

 ここには何度か来た事がありますが、以前から行ってみたいなぁと思っていた

ところがありました。

「公衆浴場 中乃湯」です。

 

                            (20191128  土湯温泉 中乃湯)

 

「公衆浴場」という言葉の響きがちょっと新鮮です。

不特定多数の方が入る風呂であれば「銭湯」でいいと思うのですが、

ここは「公衆浴場」です。 

この違いは何でしょうね。

「公衆浴場」とは「温湯、潮湯又は温泉その他を使用して、公衆を入浴させる施設」

のことだそうです。

「銭湯」は水道水や井戸水を沸かしてお湯にして、お湯を貸してお金をとる

公衆浴場ということです。

なるほど、要は「温泉」だから「銭湯」ではなく「公衆浴場」という事になるのですね。

 

 

 で、この「中乃湯」は老朽化していたために休業していたのですが

平成30年4月(2018年)に生まれ変わりました。

完成してからまだ1年ほどしか経っていない新しい施設です。

出入り口横の広場には足湯の「きぼっこの湯」があります。

 

             (20191128  土湯温泉 中乃湯 足湯 きぼっこの湯)

 

 建物の中は木材の床や壁が眼に着き温かみがある内観です。

床暖房になっているようで廊下を歩いていると足の裏が温かくなり、気持ちがいいです。

 

 入湯料 大人500円です。 

せっけんやシャンプーは置かれていません。

お湯は透明で湯の花がちらほらと舞う単純泉です。

ほどよい硫黄の香りがします。

お湯に浸かっていると肌がすべすべになる「美肌のお湯」です。

 

 決して広くはありませんがとてもきれいな浴室です。

内風呂は単純泉の浴槽と炭酸水素塩線の2種類のお湯があります。

露天風呂もあります。

荒川に削られた山肌の紅葉を眺めながらの温泉はとても贅沢で幸せな

気分になります。

 

                 (20191128  土湯温泉 荒川)

 

 浴室にカメラを持って行かなかったのでお風呂の画像はありません。

休憩室もあります。

 

                     (20191128  土湯温泉 中乃湯 休憩室)

 

                     (20191128  土湯温泉 中乃湯 休憩室)

 

 地元の方のお話では土日は、とてもにぎわうということでした。

のんびりと温泉に入るのであれば平日の午前中がいいようです。

 

 寒さが増してきた季節の温泉は、格別に心地が良かったです。

 

 

 

(火曜日定休 営業時間 9時から21時 福島駅東口からバス 土湯温泉行き40分)

福島県土湯温泉「公衆浴場 中乃湯」 HP 

 

                            (20191128  土湯温泉 中乃湯)

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

                            (20191117 16時32分)         

 

 きれいに焼けた空を背に日本一の山、富士山が見えています。

美しいですね。

 

 家の近くの公園で条件がよければ富士山が見えるスポットが1か所あります。

先日散歩に行った時、その場所から富士山が見えました。

 

                              (20191114 17時07分)

 

 いつのまにか空は真っ赤に焼けて、その中に富士山が見えました。

でも、見えてはいますが、ビルの間からです。

 

                                    (20191114 17時09分)

 

「うーん、納得できません!」

「なんか、ちゃんとした富士山が見たいなぁ」

 

 数日後、私は世田谷線の電車に乗り、三軒茶屋を目指しました。

 

                                             (20191117 世田谷線 下高井戸駅)

                         

 私の期待を裏切らない、とてもいい場所があることを思い出したのです。

 

                         (20191117 世田谷線 三軒茶屋駅)

 

 ほらね、ここからなら富士山が真正面です。

 

                              (20191117  15時38分)

 

                        (20191117  15時41分 富士山)

 

                                                                 (20191117  15時39分)

 

 夕焼けまで、あともう少しです。

 

                      (20191117  15時57分)

 

 強い西日を受けながらベンチに座りぼんやりしていると、三脚を持った

年配の方が現れました。

 

                                             (20191117  16時15分)       

 

 私の横に座ったので、しばらくお話をさせていただきました。

この場所にほぼ毎日来ているという方でした。

カメラはNikon D300 と言っていました。 本格的ですね。

この方の写真はこの展望フロアの壁に展示されたこともあるそうです。

 

                               (Nikon D300  参考画像)

 

 2007年に発売されたカメラで当時はボディだけで23万円の価格でした。

毎日のように富士山を撮って何年も続けていて、そのデータをどう整理しているのか

聞いてみました。

さすがに全部を保存せずに選択した画像だけを残すようにしているそうです。

それはそうだろうなぁ。

 どうでもいいことですが、私はすべての画像を残しています。

ハードに保存して、他にCDかDVDにもコピーしています。

 

 「あっ、そろそろですよ」とその方が自分のカメラに向かいました。

 

 

 私もカメラを手にして、富士山の方に向かいます。

 

                                                (20191117  16時30分)

 

 眼に刺さるような日差しは次第に丸みを帯びていくように感じます。

 

                                                               (20191117  16時31分)

 

 ほんの少し、太陽の位置が下がるだけで光が反射する場所が変わっていきます。

ビルや住宅の屋根やガラス窓、真っ直ぐに伸びた道、刻々と街の表情が変わっていきます。

 

                                                               (20191117  16時32分)

 

 太陽はまるで富士山に吸い寄せられるように近づいていきます。

 

                                                               (20191117  16時32分)

 「始まった」

昼の世界から、今、夜の世界へと向かい始めます。

雲の大きさ、形、位置が富士山の風景に変化を与えます。

 

                                                             (20191117  16時33分)

 

 赤というより、濃いオレンジ色が富士山を包み込み始めました。

 

                                                      (20191117  16時35分)

 

                                                       (20191117  16時35分)

 

                                                         (20191117  16時35分)

 

                                                  (20191117  16時38分)

 

                                                                 (20191117  16時40分)

 

 見上げると今まで真っ青だった空に豊かなグラデーションが出来ています。

夜の帳(とばり)が出現しました。

本当に舞台の緞帳(どんちょう)のようです。

 

                                                     (20191117  16時48分)

 

巨大なステージに幕が下りようとしています。

黒みがかった青が次第に輝度を上げて、白っぽくなり、橙色に近づき、今度は

濃いオレンジ色へと変化していきます。

まるで、夕刻のキャンバスに描かれた唯一無二の絵画です。

 

                                                                    (20191117  16時49分)

 

 「今日という日が終わろうとしている」

もうすぐ、一日の仕事から解放される人がいる。

これから仕事の人もいる。

晩ごはんを作っている人もいる。

子供たちは家に帰る時間だな。

大笑いした人もいるだろうな。

涙が止まらなかった人もいるだろう。

 

                                                        (20191117  16時53分)

 

 眼の前で、「一日の終わり」が具体的な造形になっていきます。

 

                                                              (20191117  16時54分)

 

 なぜ、人は夕日を見るのだろう。

なぜ、立ち止まってまで見るのだろう。

夕焼けの中で何を思い、何を見出すのだろう。

 

                                                 (20191117  17時10分)

 

 すべての人に公平に時間が訪れ、過ぎていきます。

 

 そして、街は夜を迎えます。

 

                                           (20191117  17時15分)

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 場所 世田谷線 「三軒茶屋駅」徒歩00分 

 三軒茶屋 キャロットタワー 26階 無料展望ロビー 

 営業時間 9時30分から23時00分 (レストランの時間は異なります)

 定休日  第2水曜日 年末年始 

 

                                      (20191107 新宿) 

 

 濃い夕闇が街を呑み込み、瞬くうちに暗がりの中にビルの灯りがうまれます。

時刻はまだ17時30分です。

「ずいぶん日が短くなったなぁ」

 

                                    (20191107 新宿)

 

 11月になるのを楽しみに待っていました。

私の好きな「酉の市」があるからです。

 

                                 (20191107 新宿)

 

 2019年11月8日(金)と20日(水)は酉の日です。

酉の日には大酉祭、前日は前夜祭として酉の市が開催されます。

今日(7日)は一の酉の前夜祭でした。

 

                 (20191107 明治通りに面した花園神社の出入り口)

 

 私が足を運ぶのは新宿、花園神社の酉の市です。

毎年、来ています。

 

                             (20191107 新宿 花園神社)

 

                                    (20191107 花園神社)

 

 ただ単にお祭りの雰囲気を楽しみたいという気持ちもあります。

花園神社の境内の参道の両側にズラリと露店が立ち並ぶ様子は圧巻です。

 

                               (20191107 チョコバナナ)

 

                               (20191107 五平餅)

 

 

                                 (20191107 魚の炭火焼き)

 

 露店は境内の中だけではありません。

靖国通りの歩道にまであふれ、区役所通り近くまで続きます。

 

 

 

 

 たくさんの方々が花園神社を訪れ、一年の無事と健康を報告して、

また一年の福を願います。

 

 

                   (靖国通りに面した 一番はじっこの露店 わたがし)

 

 酉の市の名物といえば、これです。

今年もたくさんの熊手が店に並んでいました。

 

                                 (20191107 花園神社)

 

                                 (20191107 花園神社)

 

 来年の干支はねずみなので趣向を変えたねずみたちが熊手の中に置かれていました。

縁起物である熊手です。  

 

                            (20191107 花園神社)

 

 露天商の各店の個性もあふれ、一軒一軒、熊手の作りや雰囲気が違います。

開運祈願、商売繁盛祈願、家内安全祈願、すばらしい縁起物です。

まるで芸術作品です。

 

                                (20191107 花園神社)

 

                                  (20191107 花園神社)

 

 花園神社にあげられた「ちょうちんの数」

その数はその年の景気を表していると考えて毎年チェックしています。

ちょうちんの数はどれだけの寄付金が集められたかの具体的な指標です。

 

 

 靖国通りに面した出入り口の上のちょうちんです。

6段に渡りちょうちんが並んでいました。

昨年と同じです。

 

                                 (20191107 花園神社) 

 

 2011年は5段でした。

そして2013年は5.5段。 

 

                                 (20191107 花園神社)

 

 昨年も今年も6段フルちょうちん、いい傾向です。

年号が変わったり、消費税が上がったり、オリンピックを翌年に控えたりと

めまぐるしい年でしたが、そこそこの景気が保てたということになるのでしょうか。

 

                                (20191107 花園神社)

 

 裸電球に照らされた露店の列はまるで、ノスタルジックの世界に誘い込む

トンネルです。

 

                           (20191107 花園神社 あめ細工) 

 

                        (20191107 花園神社 ベビーカステラ)

 

                          (20191107 ベビーカステラ 12個 300円)

 

 参道を歩いているうちに、過去の、あの日、どこかで見た、風景と重なります。

自分の中の、もうひとりの自分は過去に引き戻され、子供の時と同じ気持ちで

キョロキョロとしています。

 

                             (20191107 花園神社 フルーツあめ)

 

 すごく楽しいです。

参道を歩くだけでこれほど楽しめることはそうありません。

 

 そして、その最たる存在がこれです。

 

                          (20191107 花園神社 見世物小屋)

 

 「見世物小屋」みせものごや その響きには何か後ろめたさを感じます。

見てはいけないものがそこにあるように思えるのです。

 

                          (20191107 花園神社 見世物小屋)

 

 実際には珍奇さや奇術、何かしらのパフォーマンスを見ることになるのですが

境内の一角で閉ざされた小屋の作りや雰囲気は明らかに日常からかけ離れています。

まさに「異界」そのものです。

 

              (20191107 花園神社 見世物小屋)

 

 今年の演目を見てみると、なんと「カッパ天国!?」 「美少女生首!?」

呼び込みの男性は「カッパ3人姉妹」とか言っています。

「カッパが捕獲されたのか!しかも、3匹も?姉妹という事はメスか?」

さまざまな、妄想が頭の中でクルクルと激しくうごめきます。

これは確認しないといけません!

 

                 (20191107 花園神社 見世物小屋)

 

 小屋の中では写真撮影、録音は禁止されているので画像はありません。

 

 舞台の上に揚げられた幕に「痺(しび)れポンチ、夢世界へようこそ」

とありました。

「痺れポンチ?」 そんな言葉があったのですね。

イカレポンチの私としてはとても親近感のある文字でした。

「私はこの場に呼ばれていたのだな、来るべきして、今 参ったぞ!」

 

 確かにカッパがいました。

しかも、今日は4匹もいました。

いつもは3人でやっていると言っていましたが一人が昨日 刑務所から出てきたという

説明でした。

どんな事をして捕まったのでしょう?

刑務所ではやはり、きゅうりを食べて生活していたのでしょうか?

気になって仕方ありません。

(とても可愛い17歳のカッパがいましたよ)

 

 今回の演目は2017年の時とほぼ同じです。

舞台に立つ方の中に知っている顔がありました。

ずっと、いつまでも元気にしていてほしいです。

時代の変化に応じて、舞台に立つ方や演目に大きな変化が押し寄せています。

昔ながらの「見世物小屋」とはずいぶん変わりました。

 

                          (20191107 花園神社 見世物小屋)

 

 みどころのひとつに生演奏での舞台音楽があります。

これはまるで「シルク・ドゥ・ソレイユ」のサーカスと同じです。

規模の差はあれど、ものすごく贅沢なステージ演出です。

 

 「こうした興業は今ではこの1軒だけになった」という話でした。

日本の見世物小屋の歴史が続くのかどうか、この1軒にかかっていることに

なります。

 

 古い時代からの血を受け継ぎ、更に新しい血が入り、新たなものが

生まれていきます。

どんな時代を迎えようとも、見世物小屋は存続するはずです。

 

 江戸時代から続いてきた日本の文化のひとつです。

ずっと続いて欲しいと思います。

見世物小屋を維持、継続させていくのは大変なことだと思います。

 

 昨年はゴキブリコンビナートというパフォーマンス集団、

今年はデリシャスウィートスが見世物小屋の舞台で

「痺れポンチ、夢の世界」を繰り広げてくれています。

 

 

 

 この小屋に、この方々に商売繁盛祈願、経営安定祈願、健康祈願

すべての福が訪れればいいなと思いながら花園神社を後にしました。

  

 2019年11月  8日(金) 大酉祭 

  2019年11月 19日(火)  前夜祭 

 2019年11月 20日(水)  大酉祭 

 

 2016年 酉の市の記事   

 

 2017年 酉の市の記事    

 

 2018年 酉の市の記事 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

                                     (20191107 花園神社)

 

                                 ( 福島市 吾妻小富士 )

 

                       ( 福島市 荒川と吾妻小富士 ) → 通過します

 

 

 久しぶりの帰省でした。

春に戻って以来なので、お墓参りや施設に入っているおばさんのお見舞いや

ストーブの煙突掃除、薪つくり、玄関周りの草むしり、毎日の食事の用意と

やるべきこと、しなければならないことが山のようにあります。

 

 

 のんびり、本を読んでいたいのですが、帰省中は意外に忙しく疲れます。

その中での楽しみはやはり、温泉です。

父とほぼ一日おきに行っていました。

温泉はいいですなぁ。

 

 

 で、実家に戻った日。

妙に父の言動がおかしいのです。

「やぁ」と家に入ったのですが (無連絡、突然の勝手な帰省)

「はっ!」という顔をして、しばらくは喜んでいたのですが話が続かない。

「どうも様子がおかしいな」

「父は何か隠し事をしておるな」と私は感じていました。

 

 あれこれと聞くのも疲れるので、初日は特別詮索をせずにいました。

2日目になり、観念したのかぼそぼそと話し始めました。

「実は・・」

何っ!?」(まだ何も言っていない!)

「車が・・ぼそぼそ・・」

「Keiさんは車検に出して整備も終えて、きれいになって戻ってきたからよかったな」

「塗装してもらったからサビが目立たなくなった」

 

  (シーン)

 

 

「車を車庫に入れる時に・・ブレーキとホラなんだっけ?」

「アクセルのこと?」(すごく悪い予感が始まる・・)

「そ、そ、アクセル」

「まさか、踏み間違えたとか?」

「うん、間違えた!」

 

「で?」

「後ろがちょっとばかし、へこんでしまって・・」

「へこんだ?」

「いや、大したことないんで、車は別にそのままで修理にも出さなくても

いいかななんて・・思っていて・・なんて・・」

 

「なにおーっ!!」

「Keiさんのうしろをへこませたぁ!」

「最愛のKeiさんにキズをつけただと!」

「いつの話なの?」

「車検をとってすぐ・・」

「えぇぇぇっぇぇぇぇぇ・・」

 

                                           ( 鳥海山 )

Kei!

 

 家の近くの鳥海山の山頂まで聞こえるくらいの声を上げながら

Keiさんの元へ急ぎました。

 

「Kei! 大丈夫か!」

「うおーっ! すごい へこんでいる!!」

「ひどいな、ひどすぎるよな!」

 

 

 愛するKeiさんのバックドアの中央部にたてにへこみが入っています。

おそらく数十センチの距離とはいえ、瞬間的にそこそこのスピードが

出たのだと思います。

車庫の後ろには車止めのためにタイヤを置いていたのですがその場所を

ちょうどかすめて車庫の後ろに配置した柱にぶつかったようでした。

負傷者のいない自損事故でよかったと思いました。

もし、誰かがケガでもしていたらと考えるとぞっとします。

 

「なぜだろう、なぞこんなことが起きるのだろう?」

父は私よりも数千倍 車庫入れが上手なはずなのです。

「Keiさん かたじけない 許してくれ!」

 

 私はすぐさま、家の作業場に行き、手ごろな木材と かなづち をみつけて

車庫に戻りました。

「直してやるからな!」

 

 

バックドアを開けて、裏のカバーをはずしてみます。

 

 

 

「へぇー車の車体の裏ってこうなっているんだ」

へこみの部分の裏側から叩けばへこみはなくなるなと考えたのですが

素人がガンガン叩いたらへこみはなくなるかもしれませんがきれいには

戻らずにただ単にボディの表面がボコボコになるような感じがしました。

この作戦は中止です。

 

 ふと頭をよぎったことがありました。

以前、youtubeで見たのですが、ドライヤーと冷却スプレーを使って

へこんだ車のボディを修復する方法を思い出しました。

 

 ドライヤーで加熱して、金属面を膨張させてから すぐに冷却スプレーで

冷やせばその反動でボディのへこみが戻るということでした。

 

「この家にドライヤーはあるの?」   - 「ない!」  はい中止です。

 

「絶対に直すからな!」 - 「ってもお金が・・」

「10万円くらいはかかるかなぁ?」 - 「じゅ、十万円!?」

「責任は取ってもらう、よいですな?」 - 「・・・」

「販売店に行って相談する 修理の見積もりを出してもらおう」

 

 と、同時にネットで部品を探しました。

けっこうな数がオークションで出ています。

さすが、今となっては充分すぎるくらいの中古車のKeiさんです。

 家のKeiさんは2ドア+バックドアの3ドアの車ですが5ドアのKeiさんと

多くの部品の規格が同じに出来ています。

ロングセラーの車なので全国にたくさんの仲間がいます。

部品どりをするにしても、こういう場合は助かります。

 

 

 よさげなもので1万円ほどで買えます。 送料は4000円か。

まぁ、それでも安いのかな。

部品を取り寄せて、自分で取り付けることも考えましたが、とりあえず

販売店で相談することにしました。

 部品交換なしで修理するのと、中古部品を購入してそれを取り付けるのと

見た目や修理代金にどのような差が生じるのかを聞いてからどうするのかを

決めるつもりでいました。

 

 父はというと何か憑きものが落ちたように、いつものように

いろいろと話しかけてきました。

すべてを話して気が楽になったのかもしれません。

 

「これ、お前 開けられるかな?」

差し出されたものは、どこかの骨董屋で手に入れた寄木細工の小箱でした。

 

 

 上品な柄です。                                                       

ですが、どの面にも開けられそうなフタが存在しないのです。

からくり小箱です。

父は勝ち誇った どや顔をして私を見下ろしています。

「なんなんだよ、このじじいは面倒くせー男だなー」(口には出しませんよ)

実は私、これと同じ小箱に触ったことがあります。

よく、観光地のお土産屋などに置かれているものです。

確か値段は650円?くらいだったと思います。

もちろん、開け方も知っています。

「ホラッ」と開けてみせると「おぉ、開けたか!」

 

 

「きれいな小箱だろう それ やるよ」

父は私の好みを知っています。

きれいな小箱は私の弱点なのです。

「いくらで買った?」

「1000円!」 「うーん」

中にはなぜか明治25年の1円硬貨と現在流通している1円硬貨が入っていました。

 

 

「これは?」 「おまけでもらった」

明治25年の1円硬貨は市場では2000円ほどの値段をつけています。

「2枚で4000円相当か」 「まぁ、許される範囲の買い物かな」

 

「これも、いいよ」とか言って他の小箱も見せてくれました。

 

 

 ただ単に小箱なのですが、宝石箱のようです。

中には寛永通宝の古銭が入っていました。

(この家では小箱と古銭はセットなのかなぁ?)

 

 

 この寛永通宝は江戸時代、明和6年 1769年以降に作られた4文銭です。

裏面の波の模様は発案者の川井久敬家の家紋(丸に青海波)です。

初めて作られた明和5年当時 波は21ありましたが、翌年からは11になりました。

 

 ひとまわり小さな寛永通宝は1文銭です。

このお金が流通していた頃、ひと串にささった4つのだんごの値段が

4文だったそうです。

 

 現在、この4文銭の市場価格はおよそ50円ほどです。

状態がいいので、これなら500円までは出せるかなぁ?

 

 江戸時代に造られたお金が現在でも、こうして現存していることに妙に

こころがときめきます。

おふじが触れた4文銭かもしれません(誰だよ、それ!)

いや、小野十蔵がだんごを食べた時に使ったものかもしれません(誰なんですか?)

 4文銭を一枚だけ頂戴して、お守りとして小銭入れに入れました。

 

 父と共にKeiさんの販売店へ行き、状態を見せて説明しました。

プロの見立てとしては、部品交換なしで叩いて修理した方が安く上がる

ということでした。

 

 

 例え部品を替えても色の違いがあるのでそれを合わせるために

吹き付け塗装をしなければならなくなるそうです。

まぁ、使えるものであれば元々Keiさんの身体をそのまま使っていった

方がいいとも思います。

ついでに、フェンダーモールの黒色が薄れてきているので吹き付け塗装を

してほしいとお願いしました。

 

 

 ボディのへこみもなくなり、薄くなってきた色を元のようにすることが出来れば

新車のようにとはいいいませんが、Keiさんの美しさは相当あがるはずです。

「この車はすごく気に入っていて、長く乗りたいと思っています」

えっ!?そうなの?」(何かおかしな事言ってますか?)

「んじゃ、サビの部分も直す? これ いずれ穴があいてくるよ」

「とにかく最高の状態にしてください」

(気がついたら、こんな事を口走っていました)

父は横に立ち、ポカーンとしています。

 

  Keiさんは年式も古く、16万キロ弱の走行距離にもなる車です。

 

 

 でも、たとえ古くても私にとっては最高の車です。

最愛の車なのです。

 

 家に戻り、私はすぐに宣言しました。

「Keiさんには限界まで乗る!」

「はっ!?」

げ・ん・か・い まで乗る!!!」

 

 販売店からの電話でおおよその修理の見積額が示されました。

「8万円でやらせていただけないでしょうか」

「わかりました お願いします」

 

 先方の言い値をそのままのみました。

いい仕事をしてもらうためには金に糸目はつけません。(なんちゃって)

(高級車に乗られている方には桁が違う世界だと思いますが

広く、温かな心で受け止めてください)

 

「8万円だって」

「・・・もっと掛かると思った」

「うーん、どうするかね」

「うーん」

 

 私が江戸へ戻る日の朝、Keiさんは販売店の社長の運転で修理へ向かいました。

Keiさんにしてみれば、この販売店が実家という事になるのかも知れません。

「美しく、最高の車になって戻ってくるんだよ」

「途中、事故にあうなよ」

 

 

「兄上、行かれるのですか?」

「うむ、父とKeiさんのことを頼むぞ」

「父上のことを責めないでいただきとうござります」

「わかっている」

 

 

「ところで、このお腹の絵はクマさんですか?」

「違うよ、ネズミだよ」

「可愛いですね」

「うん、可愛い、ネズミも留美も」

 

 

「気になっていたのだが、隣の子は何者か?」

「(いもうとのアブちゃん)と申しておりました」

 

 

「それは留美の妹ということなのか」

「いや、苗字と名前になるかと思います」

「いもうとの までが苗字になるのかな?」

「それは定かではありません」

 

 

 父はKeiさんのボディをへこませた後に反省文をしたためていました。

 

 

 車の運転をやめる覚悟が固まったようです。

今後の免許更新はしないし、車にも乗らないと言っていました。

大きな事故を起こしてからでは遅いのです。

取り返しがつかなくなります。

年配でも若い人でも、誰であっても事故を起こしたり、事故に巻き込まれる

可能性はあります。

 

 考えようによっては、この機会に車のある生活からおさらばする選択肢があります。

父は今後、移動手段は歩きとバスかタクシーになります。

私が実家に戻った時に車が必要であればレンタカーを使えば安上がりかもしれません。

でも、Keiさんと別れられません。

Keiさんは私にとっては特別な車なのです。

地球上でいちばんの車なのです。

走行不能になったとしても家の中に飾っておきたいくらいです。

 

 

 修理費の8万円は私の秘密貯金から捻出します。

何事も物を維持するというのはお金が掛かりますね。

車検や任意保険などを合わせると年間維持費は約16万円になります。

走ればその分だけガソリン代が必要です。

税金もあるので更に必要経費はかさむことになるのでしょう。

 

 でも、頭に浮かぶのは美しい姿のKeiさんです。

こんなに可愛らしい車は他にありません。

頻繁に乗れるわけではありませんが、Keiさんと共に限界を突破します。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 台風15号、19号の被害は時間が経ってもまだなお続いています。

今まで築きあげてきた日常が、一瞬で奪われることほど虚しいことはないと思います。

被災された方々にこころからお見舞い申し上げます。