広島での仕事を終え、松山に戻った日、城山公園の桜が
咲いていました。
ソメイヨシノではないと思いますが、もう桜の時期になりました。
春ですねぇ。
松山での仕事は終盤きつかったです。
最終日、結局すべての仕事が終わったのは午後12時少し前でした。
晩ご飯も食べずによくがんばりました!
ホテルに戻り、松山最後のコンビニのご飯を食べました。
「焼うどん」です。 ファミリーマートでいちばん多く購入したご飯です。
なかなか、おいしいですよ。
2月29日 住み慣れた街ともお別れです。
午前9時半に県庁前を通過する「坊ちゃん電車」
見上げればいつも、見えた「松山城」
少し先の角にある「八股榎お袖大明神」
「大変お世話になりました」
「本日、私は江戸へ戻ります!」
特急しおかぜの発車時刻は10時20分です。
最後に「きつねうどん 400円」と「とりの天ぷら 120円(だったかな?)」
をいただきました。
こしがあり、なめらかなのどごしのこの松山の麺ともお別れです。
およそ、3か月間いるのでその間にポイントは制覇出来るだろうと思っていましたが
20回分のポイントまであと5個足りませんでした。
松山駅の改札を入った正面にこんなものが・・。
アンパンマンですね。
確か、週に1回 バイキンと闘っているはずです。
どんな菌にも負けないのだろうか。
がんばってほしいです。 松山を守ってほしいです。
昨日までは晴れていたのですが、この日は雨になりました。
雨だれが落ちる車窓を眺めながら、ぼんやりとこの3か月を反芻していました。
「坊ちゃん電車」パンタグラフを出さないでなぜ走行出来るのか!?
坊ちゃん列車ミュージアムの存在を知り、さっそく行ってみました。
けれどもそこは、スターバックスそのまんま。
(コーヒーを飲みながら「坊ちゃん列車」を見られます)
常設展示はされていますが、誰か詳しい方がいるわけでもなくただ、
坊ちゃん列車が店内の端っこに置かれてあるというものでした。
誰にも聞けません。
江戸にもどってから自分で調べました。
そうしたら・・。
夢を壊したくない方、または知りたくない方は6行ほどすっ飛ばしてください。
駆動は軽油を燃料としてのディーゼルエンジンで走っている事が分かりました。
ちょうど八股榎お袖大明神の角を通過するときに、はしご状のパンタグラフの
ようなものを出しますが、これはパンタグラフではありません。
架線に取り付けられたトロリーコンタクターというセンサーの働きをするものに
パンタグラフ状の上部を接触させて電車の接近を検知させています。
そうすることで他の電車同様に進路変更を行うことが出来ます。
(参考画像 wiki)
広島で知人と会えたことがうれしかったです。
知人の会社に行き、食堂でご飯を一緒に食べました。
夜は居酒屋に連れて行ってくれました。
(コイワシの刺身 おいしかった!)
(イカとタコのから揚げ おいしかった!)
(カキフライ ひとりで全部食べてしまった!)
(鮮度の高い お刺身 おいしかった!)
(富久長 広島 安芸津の今田酒造さんのお酒 口あたりがよく おいしいお酒でした!)
別の日にまた、知人の会社に行きもうひとりの知人とも会うことが出来ました。
この日は休みの日なのに、わざわざ来てくれました。
何年も前に、3人で10日間ほど缶詰状態になり、この食堂でごはんを
食べて、一緒に仕事をしたことが昨日のように思い出されました。
「また元気に会いましょう!」とハイタッチしてお別れしました。
広島逓信病院へも行けました。
この敷地の一角にある建物はかつて処置室や手術室があった建物です。
原爆投下後、ここの医師や看護士さんたちは連日、被爆により負傷した
方々の処置をひたすら続けました。
もちろん、私はその現場にいたわけではありませんが、その当時の様子を
記録した映像を見て知っています。
私にとって、とても意味のある、そして思い入れのある建物です。
(20200229 特急しおかぜから見えた瀬戸内海)
(20200229 瀬戸大橋を渡る)
もう一度、松山城にも道後温泉にも行きたかった。
(20200227 城山公園 さくらと松山城)
(20200227 城山公園)
がらーんとした感じの大きな通りの松山が心地よく思えるようになっていました。
食べ物は何を食べてもおいしかったです。
(20200229 新幹線 車内)
(20200229 多摩川を渡り江戸へ)
(20200229 江戸)
家に戻り、靴を脱いだら足元に短く枯れた芝が落ちていました。
松山の城山公園の芝でした。
なぜかしんみりしました。
水槽のドジョウもメダカもクチボソも自動エサあげ器のおかげで
元気でした。 植物も枯れることなく元気でした。
出張前に大家さんからいただいた、水仙の球根から芽がでていました。
大家さんが、フェンス越しにじょうろで水をかけてくれていたことを後日 知りました。
3月1日 朝、洗濯をして天日に干しました。
カーテン越しに日差しが入ってきます。
洗濯ものが風に揺れて、日差しを受けています。
こんな、何でもないことがすごくうれしくて。
少しずつ自分の日常が戻っていることを実感しました。
2日から仕事でした。松山にいる時よりもハードです。
でも、自分の家から仕事場に通えるだけ幸せなのかな。
帰り道 3か月ぶりにいつもの道を歩きます。
BoAさんの歌声が私の足取りを軽くしてくれます。
生き物はその環境に順応しようとします。
住めば都という言葉がありますが、もう少し、長く松山にいたら
私の日常の場所になっていたかもしれません。
(20200302 帰り道)
私の日常、面白いか、面白くないかは別にして
私はごくありふれた普通の、 私の日常に戻りました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
(20200227 松山 城山公園にて)


























































































































































































































































































































