「幅二十間の本所・横川にかかる法恩寺橋を渡りきった長谷川平蔵は、

編笠のふちをあげ、さすがに、ふかい感懐を持ってあたりを見まわした」

 

鉛色の雲におおわれた空に凧がひとつのぼっていた。

 

 

 平蔵は昨年末に自分が捕まえて死罪にした強盗・野槌の弥平一味のうち

取り逃がしていた小川と梅吉を追っていました。

 

 

 法恩寺橋の幅二十間とは36mの長さです。

なるほど、現在の川幅を見ても確かに36mほどです。

 

 

 長谷川平蔵とは江戸時代、旗本であった長谷川家の三代に渡る通称です。

歴史上、実在する人物です。  

池波正太郎さんの小説「鬼平犯科帳」のモデルです。

 

 

 職業は火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)

放火や押し込み強盗、博打などを取り締まる仕事です。

配下に与力5名、同心30名をつけ、自ら現場に出向き捕り物を行います。

現代でいえば機動隊と警察を合わせた任務と言えます。

長谷川 宣雄(のぶお)の子 長谷川 宣以(のぶため)(延享2年‐寛政7年5月19日)

1745‐1795 が主人公「鬼平」です。

 

 父の宣雄は火付盗賊改方を経て京都西町奉行所に就きます。

安永元年(1772)10月のことです。

平蔵(宣以)も妻と子(宣義)と共に京都に赴きますが翌年(1773)に宣雄が亡くなり

宣以は江戸に戻ります。

 

 火付盗賊改方に任命されたのは天明7年(1787)9月9日 宣以が42歳の時でした。

 

 本所は宣以が幼少時代に過ごした町です。

小説の中では「本所には彼の青春がある」と書かれています。

橋を渡った平蔵が編笠をあげて、深い感懐を持って見まわしたのはこのためです。

 

 父が京都へ赴くまで長谷川家は本所・三ツ目に屋敷がありました。

 

           (絵図 本所 法恩寺橋と法恩寺 周辺)

 

 小説では横川川岸・入江町の鐘楼の前がむかしの長谷川邸と書かれてあります。

かつては横川の川岸に本所 時之鐘があり鐘撞堂(かねつきどう)がありました。

 

 

 北辻橋は現在は撞木橋(しゅもくばし)と名を変えて存在しています。

大横川公園の撞木橋に「時鐘」のレプリカがありました。

 

 

 絵図で見ると確かに鐘楼の前に「長谷川」とあります。

旧邸は、ここになるのでしょうか・・。

 

 

    (五柱稲荷神社  絵図上の長谷川邸の位置に該当するのはこの付近です)

 

 平蔵の旧邸の場所はあくまでも小説上での設定です。

史実としては、平蔵の旧邸の場所は現在の都営新宿線 菊川駅のすぐ近くにあります。

 

 

 

 平蔵が暮らした屋敷はのちに、遠山左衛門尉影元(とおやまさえもんのじょうかげもと)

時代劇で知名度の高い遠山金四郎が屋敷を下屋敷として使いました。

 

             (菊川駅 A3 出口に置かれた 銘板)     

 

 

         (正面の角の建物の奥が実際に平蔵が暮らした敷地です)

 

  (付近の歯科医院の前にも銘板が置かれてあります)

 

 

 小説の平蔵も久しぶりに本所にきたので、自分の生まれ育った場所を一周りしてから

法恩寺橋を渡っています。

「平蔵は横川沿いに北へ進み法恩寺橋を渡ったのである」とあります。

 

                   (菊川橋と大横川)

 

 小説上の平蔵の旧邸から横川沿いに北へ向かいましょう。

 

                    (菊柳橋と大横川)

 

 方向的に北へ向かうと常にスカイツリーが視界に入ります。

 

 

 

 

 

 法恩寺橋が見えてきました。

 

                 (20200620  法恩寺橋)

 

 

 横川に沿って北へ向かった平蔵は、左手から橋を渡ったはずです。

 

               (法恩寺橋の途中から北方向を見る)

 

          (法恩寺橋の下の水辺にカルガモがいました)

 

 (背中や体全体が黒いし、羽根に白い輪郭が少ないのでオスと思われます)    

 

 橋を渡り切った場所、このあたりです。

 

 

 このあたりで鉛色の雲におおわれた空を見上げたはずです。

 

 

 見上げても、凧はのぼっていませんが横に眼を向けると、遊具が置かれた

小さなスペースがありました。

 

 

    (絵図 右側が北です 法恩寺橋の東方向に法恩寺の敷地があります)

 

 そのまま、蔵前橋通りを東へ直進します。

100mも歩かないうち、左手に法恩寺の山門が見えてきます。

 

 

 絵図でみると、かつては相当な広さの敷地だったようです。

参道を真っすぐに進みます。

 

 

 真正面に法恩寺が見えてきます。

 

 

 

 

 

 境内に大きめの水鉢が置かれてあり、野生のメダカと共に小さな蓮華がありました。

 

 

ゴミひとつ落ちていない、よく管理されている美しい寺院です。

 

 

 

 法恩寺の左側は横川に沿った出村町です。

19歳の平蔵は百姓家を改造した道場、高杉道場(師匠 高杉銀平)の門を叩き

剣術を学んでいます。

 

 絵図の中に法恩寺がある左手に「百姓地」という場所が確認できます。

百姓地とは農地のことです。 この敷地の近くに高杉道場があったはずです。

 

 庭の北面は武家屋敷の土塀によって遮られていて、その土塀からこのあたりでは

珍しい数本の山桜の老樹がありました。

 あたりの人々はこの広大な屋敷を「出村の桜屋敷」と呼んでいました。

 

 

 宣以がこの道場に通っていたころ、桜屋敷には18歳になる むきたての茹で玉子のような 

初々しくはじける魅力の「おふさ」という娘さんがいました。

 

  (ハゼがいました この辺りは隅田川と荒川に挟まれた場所ですが汽水域なのでしょうか)

 

 平蔵は軽々しく声を掛けることすら出来ない、秘めた思いをずっと抱いていました。

同じ道場での剣友 左馬之助も 「おふさ」に対して特別な気持ちを持っていました。 

 

 

 結局、平蔵と左馬之助の思いは深い胸の内にしまい込まれたまま「おふさ」の

祝言を見届けることになります。 

この横川を花嫁姿になった「おふさ」と嫁入り道具を載せた舟が2人の眼の前を過ぎていきました。

 

                 (オスのカルガモと思われます)

 

 若い2人の思いは長い時間が経っても、変わらず、そのままでした。

 

 

 平蔵は「おふさ」の幸せを願っていましたが、その意に反して

「おふさ」の人生は時間の流れに翻弄されていました。

そして、平蔵が追う、犯人とのつながりさえ見えてくるのです・・。

 

             (スカイツリー 634m )

     (鏡の前に立つと自分とスカイツリーを入れ込みで見ることが出来ます)

 

 現在の横川は昔の様子とはだいぶかけ離れたものになっています。

水の流れは地上から確認できるところは、ほんのわずかです。

そのほとんどは暗渠(あんきょ)になっていて区が管理する公園になっています。

 

 

 水は流れていますが、その上に人が歩ける空間が作られています。

昔の水の流れの上に現代の「憩い」や「くつろぎ」が存在しています。

 

 

 人がのんびりと歩ける遊歩道、池や小さな滝、テニスコート、釣り堀までありました。

この日は天気もよく、多くの方たちがこの公園に集まっていました。

 

 

 

 今から、およそ220年前にこの通りで平蔵は追っ手を追い込むため

歩いたはずです。

 

 

 自分の青春時代の思いを抱きしめながら、凶悪犯を捕まえるために

この町を命がけで駆けました。

 

 

 大きな交差点、車が行き交うこの道のどこかに平蔵の姿が見えるのではないのか。

 

 

 横川の流れに平蔵は何を思ったでしょう。

水面に平蔵のこころが映し出されることはないのか。

 

 

 時間が経っただけです。

 

 

 雑踏の中に平蔵が駆ける足音が途切れ途切れに聞こえた気がします。

 

 

 私は今、平蔵が駆けた場所と同じ場所に佇んでいます。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 追記‐横川が生まれた背景には明暦3年(1657)に起きた江戸最大と言われる

     大火災が関係しています。

    幕府はこの大火災後に江戸の都市整備を大々的に行ないます。

    火除地を確保するために河川を掘り、家屋を移転させる区画整理が行われました。 

 

    過去記事      明暦の大火 (振袖火事のこと)

 

 

 

 

 

 

 空席の目立つ新幹線に乗り、地平線の彼方まで移動しました。

 

 

 私の好きな「種まきウサギ」はすでに野に下りて水田や畑の水になっているようでした。

働き者のウサギですね。

 

                              ( 吾妻小富士 1707m  )

 

                 ( 種まきウサギ 2019年4月25日 )

 

        ( 2019年4月25日 )                  ( 2020年6月2日 )

 

 ウサギは消えましたが、吾妻小富士(1707m)の姿がくっきりと見えました。

この場所からウサギを見守っていることでしょう。

 

 

 野を越え、川を渡り、トンネルを抜けると水田風景が広がります。

 

 

 

 

 水が張られた田んぼでは短い稲の葉が風に揺れていました。

 

 

 半年ぶりに最愛のKeiさんと再会出来ました。

 

 

 長かったなぁ。

バックドアのへこみ修理の完成も確認できないままでした。

へこみの修理はきれいに終えルーフレールとフロントとリアの

フェンダーモールの再塗装も終えてすっかりきれいになっていました。   

 

 

 それにしてもボディにへばりついたほこりがすごいです。

バッテリーはプラスのコードを外しておいたので、バッテリーあがりは避けられました。

タイヤも昨年の11月に交換したスノータイヤを履いたままです。

ここにいられるのも数日間だし、次に来るときは雪が降っているかもしれません。

タイヤはそのままにして走ることにしました。

 

 フロントガラスのほこりだけを取り除き、まっすぐにガソリンスタンドへ行きます。

ガソリン満タン、バッテリーの電解液、エアコンのガス充填量などの点検をしてもらいました。

「あのぉ、洗車していきませんか? 550円で出来ますので・・」

「じゃぁ、お願いします!」

 

 

 家に戻ったら、自分で洗車しようと思っていたのですがせっかく声を掛けてもらったので洗車をしてもらうことにしました。

スタンドでの洗車は初めてのことです。 

 

 

「へぇー、面白いなぁ」

「2度セットしましたから・・」 よほどの汚れだったようです。

 


 

「きれいになりましたね!」

「よみがえりましたね!」

 

 

 ヘッドライトの黄ばみも増しています。

一度、お風呂の洗剤でやってみたのですが、黄ばみは落ちるのですが

すぐに表面が曇ってしまいます。

 

 

 クリアな状態を保つコーティングが抜けているからです。

近くのホームセンターでみつけたコーティング剤の入った専用の洗剤で

磨いてみることにしました。

 

 

「おっ、きれいになるなぁ」 

やはりコーティングがされないと美しさは維持できないのですね。 

 

 

 

             ( ネットで見つけた 小さいKeiさん )

 

 

 きれいになったKeiさん、「ものすごい、美人だ!」

 

 留美、友達が増えたね。 もう寂しくないな。

 

 草、ぼうぼうの玄関前の道。 

あっという間に草丈は伸びますね。 

 

       ( 手入れ前 )                      ( 手入れ後 )

 

 家の畑も荒れ放題でした。

本当に植物の生命力はたくましいです。

それは認めますが・・今年も畑を作ろう。

 

 

 片隅に陣取る植物は秋田フキです。

巨大ですねぇ。

コロボックルではなくてもこの葉っぱがあれば雨の日でも安心です。

 

 

 近所のばあちゃんがやってきました。

毎年のようにこのフキを楽しみにしているようです。

「また、わけてもらってもいいですか?」

「もちろん、好きなだけ持って行ってください」

「今、手がしびれていて・・」

サポーターをしている右手をなでなでしました。

「どれが、いいですか? これにしますか?」

「細いのがいい、食べやすい・・」

「葉っぱは落としておきますね」

 

 

 20本ほどのフキを持って、ばあちゃんの家まで運びました。

 

 

 畑は毎年作っています。

表面の固くなっている土を掘り起こして柔らかくしていきます。

雑草をとりつつ、土を掘ってと。

疲れます。 天気が良くてすごい汗が出ます。 腰が痛くなります。

 

 

 土は栄養がある、いい状態になっているようでした。

大きなミミズが証明しています。

 

 

 ハイ、休憩。  掘り起こします。 ハイ、休憩。 掘り起こします。

だいぶ、畑らしくなってきましたね。

 

 

 父が堆肥をまけというので10年前にそば屋さんからもらってきたという

いりこの出し殻をまくことにしました。

大きな容器が積み上げられていて、そのひとつを畑の上でひっくり返しました。

 

 

「うっ、何これ!?くっせーなぁ」 異常な臭気が周辺を包みました。

クラ~ッとしてきて、酔いそうです。 気持ちが悪くなる。

さすが10年寝かせただけあって物の形がみごとに変化しています。

 


 

 結局、2つのタンクの堆肥をまきました。

 

 ひとしきり、土に混ぜ合わせて休憩していると何か妙に香しくなる瞬間があります。

熟成している物の香りです。

魚醤に近い感じがします。

少量であれば、これは究極の一品なのかもしれません。

 

 ウネが完成しました。

 

 

 フキの料理をご紹介しましょう。(ご飯って幸せです ミニ)

<フキの鶏のひき肉詰め>

 

 

 フキを適当な長さに切って灰汁をぬきます。

 

 

 塩をつけて、一度さっと茹でます。

 

 

 すぐに冷水に浸します。

 

 

 外側の皮をむきます。

 

 

 水に浸したままで一日置きます。

 

 

 フキの空洞に詰め込む材料です。

 

 

 鶏のひき肉、ニンジン、しいたけ、ショウガ、タマゴ

細かく切って全部を混ぜて、フキの空洞に詰め込んでいきます。

 

 

 お湯を沸かして、フキを入れて、めんつゆなどで25分ほど煮込めば完成です。

詰め込む材料は、肉1パック、シイタケも1パックあれば充分でした。

詰め込もうとしていて余った材料は肉団子にしました。

 

 

 味はまぁまぁ、おいしいです。

ショウガを多めに入れた方が味が引き締まる感じがします。

 

 

 

 この季節ならではの田舎の味でした。

 

 苗を買ってきて、畑に植えました。

今年はネギとナス、ゴーヤ、あとはサツマイモ。

 

 

 プロの農家さんには到底及びませんが、一応、畑です。

夏から秋になる頃に収穫できるでしょう。

 

 

 ツルニチニチソウかな? 家の周りで見かけて葉っぱがきれいだったので

ミニ盆栽にしました。

 

 

 今年の冬用のストーブのマキ作り。  2時間かけて、これだけです。

本格的な冬になれば、このくらいの量では2週間もたないはずです。

ちかれますなぁ。 

 

 

 Keiさんのそばにいると楽しいこともありますが、

身体のあちらこちらが痛くなります。 

修業ですな。   まぁ、いいか・・よくないか・・・。   

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

  昨日は朝から天気がよく、気温も上がった一日でした。

お昼前から自転車で出掛けました。

マスクをしての自転車走行は今まで経験がないことでした。

局所的に汗が出て、単純に走りにくいです。

 

 

 向かった先は多摩川下流です。

広がりのある空間が眼に入ってきます。

 

 

 陽射しを受け、草の香りを感じ、グラウンドの脇の道を抜けます。

心地よい風を受けて走り続けます。

1時間半ほど走ったところに、私のお気に入りの場所があります。

東京湾から13キロ遡った場所です。

 

 

 上流方向に丸子橋が見えます。

東京都の大田区と神奈川県の川崎市中原区を結ぶ橋です。

2つのアーチが特徴的です。

 

 

 アーチ橋のように構造をアーチ型にすることで荷重を分散出来ます。

この橋はアーチ橋の一種でローゼ橋といいます。

2002年にはアザラシのタマちゃんが人気を呼び、ちょっと全国区的に

有名になった場所です。

 

 

 頻繁に東急東横線の電車が通過します。

 

 

 下流方向には東海道新幹線が通過します。

 

 

          (  2020年2月29日 新幹線より撮影  )

 

 お気に入りの場所は、むき出しの土や草むらだらけになっているわけでもなく

コンクリートの護岸があるので、網で魚をすくったり、寝転がって

音楽を聴いたり、本を読んだり、昼寝することも出来ます。

 

 

 護岸の隙間に網を入れると、小さな魚やテナガエビなどが入ります。

手つかずの自然の環境ではありませんが、せまっ苦しい自分の部屋に

いるより、はるかに心が解放される空間です。

 

 まずは昼食です。

途中の自販機で缶コーヒーを買い、持ってきていたカレーパンを食べはじめました。

 

 

 「おやっ? 何か来た!」

見ると、小さなヒナを連れたカモでした。

 

 

 「カルガモだ・・可愛いなぁ」

母親?はじめ、ヒナたちはみな、懸命に何かをついばんでいます。

「お腹が空いているのかな」

 

 

 「カレーパンをあげたら喜ぶだろうか?」

写真を撮っているうちに、あっという間にヒナたちは下流の方へ移動していきました。

 

 

 ハトが来ました。

 

 

 スズメも来ました。

 

 

 コサギも来た。

 

 

 なんか、今日はとてもにぎやかです。

 

 

 家族連れも。

私の眼の前で網を入れたらカニが入ったようでした。

無邪気に喜んでいる子供が可愛いです。

 

 

 東横線の電車も、新幹線も、そして けっこう、人が通過していきます。

「こんなに、人が通るのも珍しいなぁ」

私は横になるのをやめて、座ったままで音楽を聴き水面を見ていました。

 

 

 海や川では、ついつい、流れる水面をじーっとみつめてしまいます。

この行動はいったい、何か意味があることなのでしょうか。

川面に眼をやりながら、ぼんやりと考えていました。

 

 

 1秒後、2秒後、3秒後、4秒後、5秒後。

時間が経っても、同じ状態のように見える川面。

水は上流から下流へと向かっているはずなのに、風の影響で部分的に

下流から上流へ向かうように見える場所があります。

よく、見ていると同じ瞬間が存在しないことに気が付きます。

 

 

 じっと同じ場所に座って、水面を見ていると面白いことが頭に浮かびました。

水の流れは「時間」の経過を表している。

自分のいる場所から水面に向かい。仮想の線をひきます。

その仮想のライン上の箇所が「現在」にあたる場所です。

上流が「未来」、そして下流が「過去」か?

 

 

 時計は現在の時刻しか指し示しません。

今いる場所から水面を見ていると、「時間」の流れを大局的に見ることが出来ます。

じっと水面を見ている時、人は「時間」を見ているのではないのか・・。

 

 

 海の場合はどう考えればいいのだろう。

水の流れにはっきりとした方向性が見いだしにくいです。

地球規模で考えれば、海水は常に動き、循環をしています。 

水面下では深海と表層、海全体を考えれば大きな海流があります。

これは「時間」をさらに俯瞰で見ていることになるのか?

 

 

 私はじっと座ったまま、身体はこの場所に置き、思考ははるか彼方

上空まで駆けあがり、地球を俯瞰で見ていました。

 

 

 何時間経ったのだろうか。

ふと腕時計に眼をやる。

 

 なんだ、これは。

これはいったい、何を意味するのか・・・。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

(町が一望できる高台)

島に架けられた橋が見える場所のベンチが二人のお気に入りの場所だった。

「今日の問題難しかったね」

「うん」

「でも、だいたいは答えられたんでしょ?」

「なんとかね」

「たいしたもんだ、えらいぞっ!」

「・・・」

 

「先のことは決めたの?」

「まだ、はっきりとは・・」

「君は?」

「町に残るよ、だって大好きだもん、この町」

「隣の町に大学があること、知ってる?」

「うん、もちろん」

 

「さぁ、ひとりで納得のいく答えを出せるのかな?」

「ほんの数日、先に生まれたからって上から目線はやめろ!」

 

「この場所から見える夕陽、好きだなぁ」

「あれっ?」

「どうした?」

「いやっ、斜光になると横顔の雰囲気がちょっと大人っぽく・・」

「それは単純に老けて見えるってこと?」

「逆鱗に触れるって言葉知っているよねぇ?」

「鱗があったことが判明したね! 新発見だ!」

 

「あーぁ、アホくさっ」

「お茶でもして帰るか!」

「うん」

「パンケーキ食べようよ、君のおごりで」

「・・」

 

― ― @@ ― ― @@ ― ― @@ ― ―

 

「ここから、見える景色・・ちょっと変わったね」

「うん、あの高層ビルのおかげで橋が見えなくなった」

「さっ、買い物も済んだし、戻ろうか」

「そうだね」

「明日からまた仕事か・・」

「いいじゃない、好きな仕事なんでしょ!」

「元気にガンガン働いて、早くローンを完済しようよ、ねっ」

 

― ― @@ ― ― @@ ― ― @@ ― ― 

 

(遠くから子供の声が聞こえる)

「ばぁあちゃーん、じいちゃーん!」

 

「君は道に迷っている子供なのかい?」

「違うよ、そろそろ晩ごはんだって」

「晩ごはんか、3年ぶりだねぇ」

「昨日もみんなで食べたよ」

 

「見て、ばあちゃん、すごい夕焼けだよ」

「ほんと、きれいねぇ」

「世の中には夜になると太陽は月になると思っておる人がいる・・」

「ほら、夕陽が沈んでいくのがわかるよ」

「真実は違うんじゃけどのう・・」

 

「さぁさ、帰りましょうね」

「じいちゃんも手をかして、ブランコ、ブランコ」

「真実は・・」

 

― ― @@ ― ― @@ ― ― @@ ― ―

 

 (船着き場 男が走ってくる)

「よぉ、千代古平じゃぁねえか、何してるんでぇ」

「見ての通り、ハゼ釣りでやんすよ」

「その足元のかたまりは何でぃ」

「あっしの釣り糸にからまってきたものでさぁ」

「どれっ、見せてみろ」

「証文か? きったねぇ文字が書かれてあるな」

「親方さんは文字が読めるんでやんすか」

「あたりめえだっ!お前も学べ」

 

「くっそ、くだらねぇ」 (ですよねぇー)

言い終わるや否や、泥だらけの紙は放物線を描いて

海面へ落ち、そして ゆっくりと海底へと沈んでいった。 

 

「じきに夕刻だ、この桟橋の突端に行けば大物が釣れるぞ」

「ついてこい!」

「へぃ!」

 昼と夜の境目で太陽は次第に赤みを増しはじめ

桟橋に落ちる2つの長い影は隙間だらけの板の上を踊るように駆けていった。

 

ん、ですと!? ??  

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 この曲せつないです。 1997年の名曲です。

Le Couple 「ひだまりの詩」

 

 

 

 

 

 コロナ禍で世の中が劇的な変化をしている中、私の生活周辺でも

いくつか変化がありました。 

 

 

自転車保険 

 東京都では2020年4月1日から自転車保険への加入が義務付けられました。

自転車の事故が増え、その対応策ということでしょう。

特に、自転車と歩行者との事故などにより、場合によっては歩行者に

大きなケガを負わせてしまう事もあります。

その保障を保険で補おうということです。

 

 いいことだと思います。

「自分は事故を起こさない、巻き込まれない」は何の根拠もない

過信に過ぎません。 

誰でも、事故を起こすことがあるし、遭遇することもあり得るのです。

 

 もちろん、私も3月の始めに保険に加入しました。

1年間の有効期間で、もし万が一の場合は1億円の賠償責任の保険です。

自分のケガや死亡した場合の補償はありません。 

1年間の保険料1230円でした。

 

 自転車に乗る方は東京都在住に限らず加入しておいた方がよいと思います。

 

 あと、安全対策として2019年の秋に購入したものがあります。

自転車用の帽子(ヘルメット)です。

自転車で走る時は何が起こるか分かりません。

万が一のことを考えて、ヘルメットは被った方が安全だろうな と思っていました。

ですが、私の自転車はロードでもないし、それほどスピードを出して走るわけでも

ありません。 恰好のよいヘルメットを被る気がしません。

 

 よく中学生くらいの子供たちが自転車に乗る時に被っているようなものでも

いいかな? とか。

 

             (2017年11月撮影)

 

 実家に行けば私専用のヘルメットがあるのでそれでいいかな

とも思いましたが、ちょっとなぁと思い、こんなものを購入しました。

 

 

 ただの帽子に見えますが、裏側にはちょっと硬めのプラスチック素材の

ヘルメットが隠されています。

 

 今まで、自転車で派手に転んでケガをしたことはありませんが、

だからと言って、これから先も大丈夫だという保証はありません。 

 

 何が起こってもおかしくない時代ですので、地震が起きたりした際の

緊急時の避難用としても使えそうです。

 

 生きている限りは安全第一で行きたいです。

 

レジ袋の有料化 

 本来は全国的に2020年の7月からの施行になるのですが、

私がよく行く「マイバスケット」という店では4月1日からレジ袋の有料化が

始まりました。

買い物かごをレジに持っていき、自分の購入した物の量により、やや小さめの袋か

通常サイズの袋かどちらかを自分で選ぶスタイルをとっています。

小さめの袋は2円で通常サイズは5円でした。

 

 私はマイレジ袋を持ち歩くので、有料のレジ袋は使いません。

100円ショップで購入したバッグなのでおよそ20回使用すれば元がとれる

計算になります。

今まで無料で受け取ったレジ袋は生ごみを出す時に使えるのでなくなるまでは

家に保管されているレジ袋を使う予定です。 

ゴミ出し用の袋がなくなったら、有料のレジ袋か何か他のゴミだし専用の袋などを

用意するつもりでいます。 

 

 いきなり、レジ袋が有料になるとちょっと意識が変わります。

例え、2円でも5円でも頭の中でチャリーンとお金の音が聞こえてきます。

回数をこなしたら、結構な金額にもなります。

 

 地球の将来のことを考えれば、意味のあることだと思います。

 

 ふと、レジ袋よりも生もの用のお皿を何とかした方が地球の資源や

環境を守る意味でも、よい気がしましたが、それに代わる

トレ―などはないのでしょうか。

 安っぽくなるかもしれませんが、油紙とかでいいのではないかと

考えたりします。

 

 品質保持とか衛生面の問題がクリアになれば、多少見てくれが悪くても

私なんかは「それで充分」だと思います。

 

 

携帯電話 

 5月14日に携帯電話の契約プラン変更をしました。

今まではワイモバイル アンドロイド one  S-1 という機種を使用していて

プランはスマホプランM でした。

契約してから2年が経って、今後料金はどうなるのかな?

と思い、ワイモバイルHPで自分の携帯電話使用料金を確認してみました。

4月請求予定金額が5000円ほどです。

携帯電話機そのものは2年間、分割払いの金額が含まれますが契約した時の特典で

その金額と同等額の割引料金が設定されていました。

ならば、2年経って機種代金分の金額がマイナスになるのかなと思っていたのですが・・。

請求予定金額は、ほんのちょっと安くなっている程度でした。

なぜだろう?

 

 請求の詳細を見ると契約時の特典の10分以内の通話ゼロ円がなくなっています。

それに、オプションでデータ増量が設定されていて月額500円加算されていました。

基本使用料は3980円です。 

契約から2年経った翌月から電話を使えば30秒‐22円かかります。

その都度、お金がかかります。  

消費税が加算されると計5000円ほどの金額になります。

うーん、お得感がまるでない。

なんか腑に落ちないなぁ。

 

 それほど、頻繁に誰かに電話をしたりはしません。

仕事関係者や知人からの連絡はほとんどがメールです。

自宅ではwifiを使えるので携帯の最低料金でも充分のような気がします。

ならば、今のプランを変えれば料金は安くなるぞ。

今まではスマホプランMでしたが、スマホベーシックプランSというのがあったので

それにしました。 

 プランを変更することで、今まで通り10分以内の無料通話が維持されるし

なにしろ、基本料金が2680円なので、だいぶ安くあがります。

月々の支払いも3000円以内で済むはずです。

 ついでに、携帯の機種をS-1 から S-3 へ変更しました。

 

        (S-1     S-3    ソフトケース)

 

 4000円でものすごく状態の良い中古をオークションで落札しました。

(S-1が故障した時の代替えの携帯がS-3でした。ちょっと気に入っていたのです)

S-1 は不具合の多い機種でした。 充電が出来なくなったり、突然 

メールのデータが消えたりと2年間、ことごとく私の信頼を裏切ってきました。

信頼したい相手が期待に応えてくれないことほど、がっかりすることはありません。

不安定な状態の機器を持ってストレスを感じるよりも、少しでも安心して使える方が

ずっといいです。

携帯電話は誰にとっても必要不可欠なものだと思います。

世界中に通信網が張り巡らされて、その中でコミュニケーションが

とれるのです。 インターネットで調べものや買い物も出来ます。

契約から1年、2年の切れ目では自分のプランを再確認することを

おすすめします。

そして、自分の納得のいく料金で使っていきたいです。

 

抗菌マスク

 抗菌で洗濯も出来るマスクを購入しました。

ひとつ、2000円弱の値段です。 3種類買いました。

 

 

 以前であれば100円ショップで不織布のマスクは30枚入りとか買えたことを

考えると高いですね。 

でも、マスクをしないと散歩や買い物にも出かけられません。

 

 

 新型コロナウイルスの影響で多方面に渡り、変化が起きています。

これを機に今までなかったものが世の中に生まれたりもするはずです。

社会のシステムをはじめ、生活そのものが変わってくるはずです。

大げさに言えば、生き残れるか絶滅するかは変化に対応出来るか

どうかで決まるはずです。

 様々な変化が強いられる中で、自分の意識もまた変化してきています。

同じ変化をするならば、プラスの方向にしたいです。

 

 

 地域によっては緊急事態宣言が解除されたりと、新型コロナウイルスの

収束が近づいてきているように思えます。

もう少しの辛抱です。    

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

                          (   やる気のない魚たち  )

 

♪ どうしておなかがへるのかな 

  けんかをするとへるのかな 

  なかよししてても へるもんなぁ

  かあちゃん かあちゃん 

  おなかと せなかがくっつくぞ 

 

  「おなかのへるうた」  作詞 阪田寛夫  作曲 大中恩 

 

 なんなんだろう、この歌は。

お腹が空くとつい、くちずさんでしまうものの、この歌詞の中に

込められたメッセージはいったい何なのでしょうか。

 

 

 お腹が空いたということはダイレクトにわかります。

「おなかとせなかがくっつくぞ」というのはどういうことでしょうか。

 

            ( ソースが2人分なので どうしても味が濃くなる )

 

 現実的にお腹とせなかがくっつくことはまずないはずです。

この歌を歌う子供の独り言なのでしょうか。

それか、あまりにもお腹がすいて、かあちゃんに

ごはんの催促をしているということなのでしょうか。

 

                      ( 単なる肉野菜炒め )

 

 もし、そうだとしたら母上様に対して

「何故に、お腹がすくのでございましょうか?」

と疑問形として口にするのであれば、わからなくもありません。

 

                      ( 単なる炒飯 )

 

 柄の悪い子供が言ったと仮定してみましょう。

「お腹と背中がくっつくぞ」という文言の中には

何か、親子の関係を飛び越えた、絶対的に揺るがない権威を

かさにしたかのような暴言にすら思えてきます。

まるで、脅しのようでもあり、恫喝のようでもあります。

「お腹がすいたからはやくご飯を食べたいにゃぁ」とか

子供らしく、可愛らしく言えないものなのでしょうか。

 

                 ( 炒飯と肉野菜炒め )

 

 素直に考えれば、おふざけを通して、いつもご飯を作ってくれる

かあちゃんに愛を込めて感謝を伝えているようなものなのでしょうか。

2日間、考えていますが明確な答えは出ていません。

   ↑ (バカなんじゃないだろうか?) 

 まぁ、いいか・・よくないか。

 

            ( 単なる焼きそば 肉がないのでソーセージだ )

 

 たまに、散歩や買い物に出ますが、基本 家にいます。 ずっと。 

部屋に日差しが入り、明るい時間帯は本を読んだり、夕方以降は

録画してある映画を観るような日々です。

生産性を感じない毎日ですが、それなりに充実しています。

 

                     ( 失敗した炒飯と肉野菜炒め )

 

 そんなことをしても、しなくても お腹はへります。

なんでお腹が減るのかなぁ。

どんぐり1個で3日くらい持てば、楽だろうなぁ。

 

                ( 何年か前に公園で拾ったどんぐり )  

 

 ご飯はすべて家で食べています。

ありふれた、簡単なごはんです。 

食べても身体を壊すことなく、そこそこの栄養があればいいのですッ!

(おっ!? いきなり逆ギレ ?? )

 

             ( ラーメンとJINが好きな揚げ豆腐 )

 

 ある日、ホットケーキが食べたくなりました。

ふわ、ふわっとふくらんだ柔らかい生地、バターとはちみつが重なり

バニラエッセンスが醸し出す甘さの中で重厚な味わいを奏でる、あのホットケーキです。 

でも、家の中にホットケーキ用の粉々はありませんでした。

 ふと、見ると「小麦粉」はありました。

「これがあれば出来るのでは?」と思いました。

牛乳もタマゴもあります。  完璧です ?? 

 

 

 全部を適当に入れて、混ぜて フライパンで焼いてみました。

フライパンの熱を受けて、液体は固体になりましたが、膨らみませんでした。

「なんだ?これは」 (あまりのショックのため画像はありません)

 タマゴと牛乳が入っているのでほのかに甘さはあります。

味は決して悪くはありません。 

「厚めのクレープの生地だと思えばいい」

「薄めのお好み焼きの生地だと思えばいい」

 

 ちょうど、ブロ友さんがタマゴと片栗粉を使って「タマゴボーロ」

を作った記事をアップされていて、コメントで突っ込みを入れたところ

ホットケーキが膨らまなかった原因を教えてくれました。

「ベーキングパウダー」を使っていないからなのだそうです。

世の中の方々は皆、こういうことを知っているのでしょうか?

私、正直に言いますが 「知りませんでしたッ!」

 

 小麦粉は面白いですね。

簡単にいろんな食材をまとめてくれます。

 

 この経験を機に、「小麦粉と私との共闘は続きます」?? 

ホットケーキは諦めました。(男らしく潔い)

お好み焼きにシフトチェンジしようっと。 ← すごく安易だと思う。

 

             ( はじまりは小麦粉、タマゴ、牛乳だ )

 

 小麦粉とタマゴと牛乳でお好み焼きみたいになることはわかりました。

後は、簡単です。  適当に具を入れればいいのです。

 

 冷蔵庫を開けるとキャベツがありました。

これを入れよう。

細く刻んでっと。

 

                ( オムレツ? タマゴ焼き? )

 

 かつお節があったので載せてみました。

青のりはありませんが、きざみのりならあります。

だいぶ、お好み焼きのイメージに近くなりました。

 

                  ( うーん 何とも言えず・・ )

 

 ただ、妙なことに味がたこ焼きの味でした。

「タコはいないのに、これはたこ焼きだ」

巨大で平らな たこ焼きだと思いながら食べました。

 

           ( それなりにおいしいです ? )

 

               (  少しづつ お好み焼きに近づいてきた・・ )

 

 

 更なる挑戦は続きます。

「パン粉?」よくわからないけど入れてしまえ!

「チョコ味のコーンフレークもあるぞ」

 

             ( なぜパン粉を入れたのか記憶なし )

 

「カラムーチョ?」 何も考えずに入れてみました。

 

 

 

「あとはキャベツだ」

 

 

「もやしもあるな」入れてしまえ。

 

 

「豚肉もある。これでバッチリだッ!」

 

 

 もはや、自分のやっていることにブレーキが掛からないまま

その辺にあるものを混ぜていました。

 

 

 見た目は今までの中ではいちばん、お好み焼きっぽいです。

遂に開眼したのかもしれません。

 

 

 ソースをかけてっと。

 

 

「あれっ?生地から甘さが消えている」

「キャベツともやしの歯ごたえはいいと思うけどカラムーチョと

シリアル食品がなにひとつ仕事をしていない感じがする」

想像ではカラムーチョがポテトのように膨らんで全体にちょっと

スパイシー寄りにしてくれるのではないかと考えたのですが・・。

 

 結論-ブルドック中農ソース 最高です。

      とても味わい深く、おいしいソースだと思いました。(そこかよ!)

 

 

 反省点‐何の戦略もなく、やみくもに物事に取り組むのは、よくないことだと

       理解しました。

       カラムーチョはそのまま食べた方がおいしいです。

 

 食べながら頭をよぎったことがありました。

「途中の工程をちょっと変えれば、ピザになるのかも・・」??

 

 お腹と背中がくっつかないように、小麦粉との共闘は今後も

続くと思われます。 

 

 ご飯ってしあわせです・・よね?  

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 朝、目が覚めると自分に嗅覚と味覚があるのかを確認します。

ペーパードリップでコーヒーを入れます。

安っぽいコーヒーの香りが立ちあがります。

「大丈夫だな」 と安心はできません。

ただ、発症していないだけかもしれません。

自分の咳払いに自分でびくりとします。

自分が不安を抱いていることを否応なしに突きつけられます。

 

 

 「緊急事態宣言」の中にも日常があります。

食品を作ってくれている会社・日用品の製造、販売している商店、銀行、郵便の業務、

医療、交通機関、物的物流、行政、ボランティア活動、報道、電気、ガス、

水道、通信、そして教育。

仕事をされている方々は皆 同じ人間です。

感染するリスクを抱えながら私たちの日常を支えてくれています。

誰もが同じように将来に対して不安を抱いているはずです。

その中で仕事を続けている方がいることに感謝しなければならないと思います。

 

 

 今まであたりまえに機能しているべきものに対して

「途切れないでほしい」と切に思います。

私は自分に出来ることを続けるだけです。

社会の機能を維持してくれている方々に本当に感謝いたします。

「ありがとうございます」

 

 

 

 これ以降は、記録としての私の独り言なのですっ飛ばしてください。

 

 4月7日「緊急事態宣言」が出された。

東京、埼玉、千葉、神奈川、大阪、兵庫、福岡 の7県が対象。

3月から始まっていた私の仕事はこの日にすべてを終了した。

翌日からいくつか予定していたことがあった。

 

 4月8日 外出自粛要請が出てはいたが、新宿へパスポート更新の

手続きに行く。 

海外に行く予定はないが、5月にパスポートの期限が切れる。

午後の時間帯だが、申請の部屋で見かけた人は4人ほど。

もちろん、待ち時間なしですんなりと事務処理が終わる。

普通ではない状態であることが、ひしひしと感じられた。

帰り道、父に電話をする。

 

 

 翌日から行くつもりだった予定をとりやめる旨を伝える。

自分が移動することで、新しい感染者を出す可能性がある。

その相手が父や姉になる可能性もある。

自分が感染していない保証はひとつもない。

 

 Keiさんや留美とも会えない。

昨年からずっと楽しみにしていたことだった。

ボウリングも出来なくなった。

眼の前から次々と楽しみにしていたことが遠ざかる。

普段、自分が楽しみにしていることに手が届かなくなると

これほどまでに日常が味気なくなることを思い知る。 

 

 

 なぜかよく眠れる。

一日中ずっと寝ているような状態が何日か続く。

見る夢はほとんどが仕事の内容。

何年も前にお世話になった方たちが夢に現れる。

中途半端な過去に、なぜ気持ちが向かっているのだろう。

目が覚めた瞬間、この現実から逃げるようにまた眠る。

 

 今、現実に目の前で起きていることは悪夢ではないのだろうかと思えてくる。

誰とも言葉を交わさない一日。

ひょっとしたら、自分はもうすでにこの世にいない人間になっているのでは

ないのかとさえ思えてくる。

生きている証拠を自分の中に探す。

悪夢ならそれでもいい。

もし、そうであったとしても、夢なら覚めなければならない。

 

 

 今まで生きてきて、全く予期しない不安を持った。

2002年から2003年に中国で感染が拡大したSARSや2012年にサウジアラビアで

出現したMERSもウイルスに対しての脅威は感じたが、どこか対岸の火事のように

捉えていた。 

「新型コロナウイルス」による感染症を抑えることは出来ないのだろうか。

一度、感染して身体の中に抗体を作るしか手がないのだろうか。

 

 知り合いにメールを出して生存確認をとる。

今回の新型コロナウイルスが沈静化したらボウリングに行こうとか

未来に約束をすることが出来たことで少し、気持ちが軽くなる。

 

 いつになれば、元の日常が訪れるかは分からない。

でも、これが現実であり、日常となりつつある。

 

 人類はウイルスに屈するのか。

ウイルスを叩きのめすか。  ウイルスに順応し、人類が変わるのか。

 

 人類の力である科学はどうした。 医学は。 病原細菌学は。

一刻も早くウイルスに思い知らせてやれ。 

 

 

 と、同時にウイルスの生命力とその拡散能力の高さに驚く。

もちろん、グローバル化という地球全体にかけられた魔法が手伝って

現在の結果になった。

通信を始め、人間の生活や移動のためのインフラが整備され発達した結果

今回の事態を招いた。

 

 ウイルスはどこにでも存在する。

自分の身体の中にも。

実際に人間の遺伝情報 ヒトゲノムの45%はウイルスやウイルスのような

もので構成されている。

人間の進化はウイルスによって支えられてきた一面もある。

今までは、なんとか共に生きてこられただけだ。

 

 今後、もっと強力なウイルスが出現したらどうなるのだろう。

今回のウイルスにより人類は大きなダメージを受けるが、負けることはない。

絶対に負けない。

 

 「新型コロナウイルス」は人類に対して、何をもたらすだろうか。

信じられないくらいに多くの命が犠牲になっている。

明日は自分かもしれないし、自分の家族かもしれない。

これほどの損失を抱えて人類が導きだす答えは何だろう。

 

 「本当の敵は誰なのか?」ウイルスなのか人間同士なのか。

「戦う相手など作らず、すべてを受け入れて生きよ」ということなのか。

 

 各国はどんな答えをだすだろう。

 

 

 ねっ、読まなきゃよかったでしょ?

時間を費やさせてしまいましたね。

すみませんでした。

でも、こうしてあなたとつながっていられることが

とても幸せに思えます。

ありがとうございます。

 

 今日を元気に生きて、また明日を迎えましょう。

 

 

 

 2020年3月29日 桜が咲き、あと2日で4月になろうとしているこの日。

関東に雪が降りました。

昨夜からの冷え込みが激しかった理由が朝になって判明した感じでした。

 

 

 3月以降の降雪は2010年の4月17日以来 10年ぶりだそうです。

 

     

 さくらが花をつけているのに、雪の衣を纏っています。

梅の花と雪は今までに2度見ています。

しかし、さくらと雪の写真を撮ったというのは初めてです。

 

 

 新型コロナウイルスの影響で東京都が不要不急の外出自粛要請を出した週末、

公園も人がまばらでした。

 

 

 

 珍しくこの時期に雪が降った日で、しかも日曜日であればもっと多くの人たちの姿があるはずですが

公園内はスカスカでした。

 

 

 

 

 早く、日常が戻るといいですね。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 2020年3月25日 新型コロナウイルスが沈静化せず、東京五輪の延期が確定し

仕事場の出入り口にサーモセンサーが設置されてから数日・・。

 

 私はたこ焼きを作っていました。

この店は自分でたこ焼きを作るのですね。

初めて来たなぁ。

 

 

 集まったのは男性4人、職種は皆違いますが、仕事で

たまに同じプロジェクトで顔を合わせる気の合う仲間です。  

その中の一人が現在の部署を異動するということで集まることになりました。

 

 

 普段、たこ焼きはめったに食べることはありません。

お祭りなどで見かける露店のたこ焼きは、確か1パック500円ほどだったと

思います。

中にタコがいるとは言え、その値段が高いのか安いのかよく分かりません??

ベースになる生地の原料は薄力粉?小麦粉?なのでそれほど高いものではないと

思いますが・・。 

 

 こちらのお店ではタコ、イカ、紅ショウガ、ネギ、天かす、生地となる液体

が店の片隅に用意されていて、お客が自分でそこから材料を皿に移して

自分のテーブルにセットされてあるガスコンロ上のタコ焼き用の鉄板で

焼く、というセルフのスタイルです。

 

 1人2000円の予算で90分間、たこ焼き食べ放題。ソフトドリンク飲み放題、

料理4品(枝豆、イタリア産プロシュート → 生ハムかな、から揚げ、ポテト、

野菜サラダ)などが付きます。 

 

 焼きながら、形を整えていって、丸い形にするのは面白いですね。

パクッ、熱っつい!! 

 

 

 私は生ビール(キリン一番搾り)を3杯飲んで、たこ焼きを12個くらいは

食べたと思います。

 

 料金として高いのか安いのかよく分かりませんが、仲間と一緒に

食べる たこ焼きはとてもおいしかったです。

 

 

 1パックのたこ焼きを買い自分の家でゆっくり食べるのもいいと思いますが、

場所、設備、材料、調味料は店の中に全部そろっているし、後片づけもしないで

仲間と楽しい時間を過ごせる、お店で食べるたこ焼きもいいものだなぁと思いました。

 

 

 帰り道、東京五輪の小さな幟が虚しくはためいていました。

みなさん、感染しないでくださいね。

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 3月になり、普通のありふれた日常に浸っている私です。

天気が良ければ洗濯をして干してから出掛けられる。

帰ってくれば衣服は乾いている。 

最高ですね!  やはり、自分の家はいいです。

3か月止めていた新聞がポストに入った。

郵便物も普通に受け取れる。

ネットで買い物をしてコンビニで受け取れる。

便利な世の中だなぁと改めて思います。

 

 で、2020年 初めてのネットでの買い物をして商品が届きました。

これです。

 

 

 「BoA Live Tour 2019 」のDVDです。 

2月に発売されていたことは知っていたのですが、ホテルで受け取ったとしても

荷物が増えるだけだし、購入するのを控えていました。

このDVDには2019年9月30日 大宮ソニックシティで行われた

BoAさんのライブが収録されているのです。

それだけではありません。 その空間に私もいるのです! 

 

 「あの日は楽しかったなぁ」 「夢のような一日だった」

目の前に憧れの女性がいるのですから、これほど嬉しいことはありません。

特に好きな「声」を生で聞くことが出来るのですから。

 

 

 さっそく封を開けてっと。 

「あらっ、きれいなお姉さんですこと」

 

 

 ディスクを光学ドライブにセットしてっと。

「どんな感じかな?」

 

 ポチっとな。

「うぉっ! 映像もきれいだ!」 「音声も! たまんねっす!」

 

 

 「おっ、メイキングのおまけ映像もついているな」

 

 

 「あぁ、おぉ、いい、かぁ、と、と、あぁっ、」

とあの日の出来事が目の前に再現されました。

 

 コンパクトですが、メイキングの映像がよかったです。

リハーサル中の化粧っけのないBoAさんの姿がそこにありました。

バックダンサーさんたちの姿もよく確認出来ました。

こういう人たちがあのステージに立ってBoAさんを支えていたんだなぁ。

 

 

    この上の画像を撮影している瞬間の映像がありました。

この時は、こんな雰囲気だったんだなぁ。

 

 リハーサル中の真剣な表情や他のスタッフとのやりとりで見せる柔らかな表情。

「いいな、やはり、BoAさんは最高だな」

自分の歌や踊りで人の心を揺さぶるだけの力を出すためには

並々ならぬ努力が必要だと思います。

元々、歌唱やダンスの才能があり、さらに磨きがかかったその真髄を

あの日、私は見ることが出来たのです。

すんばらしい! 

 

 

 

 本番が終わった直後のバックステージでの様子。

自分の眼で見て知っている事実と見ることが出来なかった場所からの

映像が組み合わさり、多角的にあの日の出来事が克明に浮き彫りになりました。

 

 ん? トークの部分は・・。

一部、 落とされていますねぇ。

BoAさんの、この日の昼食は「モスバーガー」だったこと。

小さな女の子が客席から「何飲んだの?オレンジジュース?」と問いかけたこと。

「張り切って」と言うべきところを「ハジキッテ」と言って自ら気が付き場内を

笑わせたり。

歌以外のBoAさんを知ることも出来て、そんなやりとりの中にほんわかとした

魅力を感じたのですけど・・。  

ドキュメント映画でもないし、まぁ、いいか。  よくないか・・。 

DVDとして残されなかったということは、あの日

Live会場にいた人たちだけが知る情報ということになります。

更に言えば、私の記憶の中にある「トーク部分に価値が出た」という

ことになるのでしょうか。

実際の現場にいたからこそ知り得る事実を私は知っているのです!

得したな! 

 

 買ってよかったなぁ。

 

 

 やっぱり、BoAさんだな。 おらぁ、BoAさんが好きだな。

(たまに浮気をしますが)

 

 また、会いたいな。 2020年もLive tour やってくれないかな。

また行きたいな。  

 

 2015年の時のように、東京国際フォーラムAでやってくれないかな。

今度は真面目に応援しよう。 ペンライトも買ってふりまわそう。

 

 いつになったら会えるかな。

 

 あの日の興奮を呼び起こし、存分に楽しめたDVDでした! 

 

 写真の画像もそうですが、映像はその時間を記録できます。

自分が撮影したものであっても、自分が見落としている多くの部分を

記録してくれています。

知りえなかったことを画像や映像から読み解くことが出来ます。

まるで、自分の眼、それ以上の感度だし記憶(記録)能力を持っています。

 

  (カメラ・オブスクラ wikiより )

 

 現実の世界をありのままに記録して、映し出す画像や映像を人間は手に入れた

ことで科学、医学、様々な分野において応用することで文明の発展は拍車をかけました。

 

 ただ、自分以外の者が撮ったそのすべてを鵜呑みにしてはいけません。

そこには撮影者や製作者の意図が存在しているからです。

映っている部分そのものや、そこから外れたフレームの外側では自分が

事実と感じるものとはかけ離れたものがあるのかもしれません。

デジタル技術の発達によりフェイク画像や映像も多く存在します。

自分の先入観を抑えて、疑いの眼で見る気持ちはどこかに持ち続けなければ

ならないと思います。    

 あの日の出来事を再確認しながら、ぼんやりとこんなことを思ったのでした。

 

 やっぱり、BoAさんは最高だな。 

 

 

 自分の眼で見たもの、自分の耳で聞いたもの、自分がダイレクトに感じたことが

真の事実です。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

  BoA live tour 2019 の過去記事